アッパレじゃ!

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桂ざこば 逝く…

2024年06月14日 | 落語・講談・漫才



上方落語を代表する落語家で、関西を中心にテレビなどで幅広く活躍した、桂ざこばさんが、ぜんそくのため、12日、大阪 吹田市の自宅で亡くなりました。76歳でした。
桂ざこばさん、本名、関口弘(ひろむ)さんは、昭和22年、大阪市に生まれ、昭和38年に15歳で、のちの人間国宝、三代目桂米朝さんに入門しました。
昭和63年に二代目「桂ざこば」を襲名し、その後も関西を中心にテレビやラジオにも出演し幅広く活動しました。
上方落語協会に所属し、理事や相談役を務めたほか、平成20年には大阪 西成区に寄席の「動楽亭」をみずから設立し、上方落語の振興に尽力しました。
平成29年には文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しています。
平成29年に脳梗塞で入院しましたが、その後復帰して、寄席や落語会を中心に活動し、ことし2月にも高座に上がっていました。
米朝事務所は「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした。お世話になった関係者の皆様、応援してくださった皆様に深く感謝します」とコメントしています。
桂米團治さん「何事にも一所懸命」 
ざこばさんが師事した桂米朝さんの長男で、弟弟子の桂米團治さんは「私が幼稚園に通い出した時に入門されたのが、ざこば兄さんでした。4歳の私を15歳の少年が面倒みるのですから、さぞかし大変だったことでしょう。ボール投げ、缶けり、ザリガニ捕りなど、思い出はいっぱいあります。私が噺家になってからも、私の考え方がおかしいと思われたときは容赦なく叱ってくださいました。何事にも一所懸命に振る舞われたお兄さん!お兄さんの落語に登場する人物は、どの人も『情』に溢れています。まだまだ追いつけませんが、お兄さんの教えを受け継いでまいります。本当にありがとうございました」とコメントしています。

 突然の別れだった。事務所によると、ざこばさんは11日夜、自宅で夕食をとった後、ぜんそくの発作に見舞われ服薬したが、意識を失ったという。夫人が救急車を呼んだが、力尽きた。
 ざこばさんは、4月30日に一門のひろば、ちょうば、そうばの襲名発表にも出席。興行は来年3月に予定されている。事務所によると「ここ最近は体調を整えることを優先し、仕事は入れていなかった」としたが、同興行への出演はざこばさんの視野にもあった。
 ざこばさんはヘビースモーカーだったが、17年に脳梗塞を患った後に禁煙。21年には持病のぜんそくに慢性閉塞性肺疾患(COPD)を併発したが、高座やテレビにも復帰していた。
 ただ、昨秋から不調に悩まされていた。1月3日の新年恒例「米朝一門会」では、弟子塩鯛、孫弟子米紫とトークショーに参加したのみで、ネタは演じず。「(昨年)10、11月と入院退院の繰り返し。肋骨を折って痛い」などとぼやく場面もあった。



エ…ェ…。
ショックやぁあああ!!

東京で暮らしているもんで、
上方の落語はほとんど聞く機会がなくって…。
ざこばの落語も、10年以上聞いてない…。

まくらが面白くてねぇ。
最初に米朝宅に行った日の話。
武庫之荘(阪急電鉄ね)のエエ家で、
お茶とお菓子を出してもらったけど、
まさか手を出すわけにはいかずー。
そうしたら、子供が
「これも~らい」って取って行った。
それが新米團治
「そんなエエ家と違うな」そう思いました。
ガハガハガハハ

テレビにもぎょうさん出てたから、
親しみがあったなぁ。

あの独特の声が…
あのベチャっとした大阪弁が…
脳内をグルグル回っている…。
まだまだやりたいことが沢山あったやろうに…。
残念や…。

ご冥福をお祈りいたします。

桂米團治襲名披露 (2008.10.30記)
米朝一門会 (2011.1.13記)
ざこば・米團治二人会 (2011.7.19記)