アッパレじゃ!

大好物は舞台観劇♪ようござんすか?ようござんすね。”私見”バリバリ入りますっ!ネタばれアリアリ~。

その時歴史が動いた 曽根崎心中

2006年01月16日 | 文楽

その時歴史が動いた 人間ドラマの誕生 ~近松門左衛門 曽根崎心中~

近松門左衛門は武士の身分を捨てて、”戯作者”に。
作家も1つの職業。な~んてカッチョイイこと言えない時代…。
しか~し!艱難辛苦を乗り越えて立派な作家へ大成長。
創った作品は時空を超えた~っ!

この世の名残… 夜も名残…

大阪内本町醤油屋の手代・徳兵衛と、新地の遊女・お初は恋人同士。
店の主人からの縁談話を断った徳兵衛は、
先に持参金を受け取っていた継母から金を取り戻し、店に返そうとしていた。
しかし、それを悪友に騙し取られ、あろうことか金銭着服の罪人に!
「罠だッ!俺じゃないッ!」でも世間の目は冷たかった。
身の潔白を証明するにはもう死ぬしかない…。

その夜、
徳兵衛とお初は手に手を取って梅田の橋を北へ渡り、東へ東へ…。
いつしか曾根崎の天神森へと辿り着く。
「―来世では必ず夫婦に」
肌を寄せ合い、涙を流し、互いの身を帯で一つに結びつけ…、
「さぁ、潔く死ぬとしよう」脇差しを抜いた徳兵衛の手が震える!
「愛しい人をむざむざ…」その迷いを断ち切るように
「早う殺して殺して」覚悟したお初の顔が美しい…。
「嗚呼、もう夜が明ける」聞こえてくるのは、寺の念仏―。
「南無阿弥陀仏!」
愛する人を刺した後、自らの喉笛を突き、
お初に抱きつくように倒れこむ徳兵衛…。
 哀れこの世の暇乞い
 長き夢路を曾根崎の森の雫と散りにけり
徳兵衛25歳。お初19歳の短く儚い生命でありました。

元禄16年(1703)現実に起こった心中事件を、近松門左衛門が劇化。
ちょうど1ヶ月後に鎮魂追善の意を込めて人形浄瑠璃(文楽)として大阪で上演。

商家の手代は住み込みで、
一ヶ月に休日は2日。
仮病で休んだらクビ。
酒は一ヶ月に6日等
厳しい規律にがんじがらめ。
遊女も外出はままならず、
自由のない世界に暮らして、春を売る毎日…。

今から300年前、天下太平の世の中で、
決められた人生を歩むしかない自らの境遇や、生きる意味を考えた時、
未来に希望がなかったなら、死を選ぶのは当然の行為だったのかも…。

1日必死に働いた日当と同じ鑑賞料金!
大阪の人々はどれくらい観たんやろう~。
”曽根崎心中”
ついこの間の瓦版が、目の前に現れる錯覚。
木隅人形に魂があるかのような錯覚。
幾重もの”非現実”に包まれているのに、
いともたやすく、色とりどりの心がポッと炎を灯してしも~た。

近松が「恋の手本となりにけり」と書いたのも手伝ってか、
まもなく起こったのが”心中ブーム”!!
1週間に1度は起こる心中!なんと1年間に46組!
「全国心中名鑑」なる物まで出版!
近松は心中物をシリーズ化して大ヒットを連発!

享保8年(1723)、遂に八代将軍吉宗は
心中物の上演を禁止!
実際の心中も禁止!
心中という言葉まで禁止!
代わりに「相対死(あいたいじに)」って呼ばれるようになったんだと。 

二人が心中した天神の森は、大阪北新地の繁華街、
その名も「曾根崎お初天神通」の一角にある「露天神社」通称「お初天神」。
学問成就を願うと共に縁結びの神社でもある。
恋の成就を願う絵馬(700円)は、お初&徳兵衛のツーショット。(画像を見てね)
縁結びのお守りは500円…やったかなぁ。

2月東京公演第2部は、その!『曽根崎心中』
徳兵衛を遣って1000回以上の吉田玉男。
1月公演を休演中~。
どーかお願い、来月は元気な顔見せてぇなぁ。
願掛けは、やはり「お初天神」か。

曽根崎心中
ロック文楽 2005年5月 国立小劇場
歌舞伎 1999年4月 歌舞伎座

文楽公演 
1月 公演中         国立文楽劇場(大阪)
   おおさか・元気・文楽 NHK大阪ホール
2月 「曽根崎心中」ほか  国立小劇場(東京)
3月 地方公演
4月 鶴澤燕二郎改め六世鶴澤燕三襲名披露  国立文楽劇場(大阪)