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『江分利満氏の優雅で華麗な生活』のたばこ!

2020年10月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」

山口瞳さん著作の煙草(たばこ)に関する抜き書きです。


13ページ】

彼は、朝早く起きたときは、庭へ出て雑草を抜く。日曜日の午前中はこれで潰す。芝の間のどんな小さな雑草をも見逃さない。煙草のすいがら、マッチの軸、小石、粘土のかたまり、枯葉を除く。やや病的に近いが、もともと庭が狭いのだから微視的になるのも致し方がない。



3132ページ】

裸で会社へ行くわけにはいかない。だから、まず、朝起きたら洋服を着ることだ。次に携帯品だ。携帯品はどの順で重要であろうか。財布、つまり金だ。定期券。手帳。ハンカチ。ハナカミ。タバコとマッチ。これでよい。次にWCだ、折角早く出ても途中で現象が起こったら九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)*。次に洗面。新聞。食事。これでよい。

*高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しない。長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。

 

49ページ】

靴は2足、-----2番手の黒靴はまあまあとして、残る1足がたいへんなシロモノで、もっぱら晴天用である。左足の裏に穴があいていて靴下の地模様がすけて見える。江分利は、その靴で捨てた煙草を踏み消そうとして、思わずキャッと飛びあがったことがある。

 

52ページ】

江分利はいつも賞与を貰ったらウールの無地の靴下を23足と、英国製罐入煙草をと思って果たさない。

 

65ページ】

シャランシャランと庄助の部屋で鈴が鳴る。-----ピースの空罐の内側に不要になった鍵をぶらさげ、屋根に錐の柄を短く切ってとりつけ、鈴の形にしたもので、夏子の工夫で造ったものだ。それはいつも庄助の枕頭に置いてあり、シャランシャランが鳴ると、夏子は思いきりよく起きて、庄助の喘息の手当てをする。

 

145146ページ】

江分利は酒乱を愛している。-----酒席でトラブルが起きる。-----翌日、酒乱の上役が詫びに来たりする。「どうもあの男にも困ったもので-----」菓子折かピース10コ入りを置いていく。

 

165ページ】

乱世であった。-----近頃のホステスとは、お嬢様である。お嬢様ならお嬢様らしく、客の煙草に火を点けたりしない方がいい。近頃のホステスは煙草に火を点けることの出来る「人間貸植木」である。自分の膝小僧ばかり気にしている。自分の衣装、自分の化粧にしか関心がない。客に遊ばせて貰おうと思っている。面白い話をしてくれる客がいい客なのだそうである。美しく座っているだけなら、貸植木と同じではないか。

 

169ページ】

当時は、みんな酒の飲み方を知らなかった。みんな、よく吐いた。年配の人も酒の飲み方のカンを取り戻していなかった。戦時中の配給制度のために酒と煙草を覚えたという人が、案外多い。楽しみがなく所在無さのあまり、ついつい飲むようになったという人が多かった。 

 

259ページ】

子供が不発の焼夷弾をいたずらして、皆がのぞきこんだときに爆発したのだという。-----このような事件は戦後も昭和22年頃まで頻発したように思う。これは戦争や空襲よりもずっと怖い。江分利はガソリンとか火薬とかガスとかの爆発物を極端におそれるようになった。道を歩いていて、ひょいと煙草を捨てるというような動作が出来なくなった。なにか爆発物にそこにありはしないか、といつも考えた。臆病は歳とともに募るようである。

 

281ページ】

直木三十五は甚だしく貧乏していて、借金取りに追いまわされているが、男が一戸を構えた以上はどんなことがあっても家をたたんだり、夜逃げしたりしてはいけない、というふうであった。直木三十五は

長火鉢の前に座って長煙管でスパスパ刻み煙草を吸っていたという。

 

296ページ】

(前ページの中段から「妻」の概念をこれでもかと並べ)。それ以外の妻は長火鉢の銅壺をみがいているか、煙草の空箱でドビン敷きを作っているか、靴下に電球をいれて穴をかがっているか、納屋で泣いているか、のどれかだった。

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赤瀬川原平さんの『千利休 無言の前衛』

2020年10月25日 | O60→70(オーバー70歳)
最近、深夜読書が続いています。今回は、赤瀬川原平さんの『千利休 無言の前衛』(岩波新書104。1990年1月22日発行)でした。著者は 、1937年横浜市中区の本牧で生まれ、6年前の2014年10月26日に亡くなっています。

私が著者を知ったのは、1970年当時に、福島県塙町の田舎で長兄が買ってくる『朝日ジャーナル』の「櫻画報」だった記憶があります。千円札事件、尾辻克彦名での芥川賞受賞、突飛と思われる種々の団体創設、映画の脚本など、多彩な活躍も知られているところです。



本書33〜44ページに、路上観察学会誕生の経緯が書かれており、この新しい発想は現在のテレ朝番組「ナニコレ珍百景」や「ポツンと一軒家」に通底していると思われます。

私は、よそ見をしながら散歩しますが、それだって赤瀬川原平さんたちの影響を受けてのことかも知れませんね。千利休さんは信長〜秀吉の茶頭として強い影響力を発揮し、秀吉から切腹を命ぜられ世を去ります。

赤瀬川原平さんが、茶道の成り立ちを学んでいくうちに、自身が実践してきた前衛芸術との接点が見えてきたおとや、利休の信念と沈黙について独特の解明がなされ、私も少し分かった気がしました。著者が脚本を書いた映画も見てみたいですが、まずは原作の野上弥生子著『秀吉と利休』を読みたいと思いました。
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