goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

禁煙していた頃、塩原温泉マラソン大会20キロの部に出走した

2007年09月02日 | ここで一服・水元正介
◎ 2001年11月3日、那須塩原駅からSさんのログハウスに向かう途中、マラソンランナーたちとすれ違った。そういえば、ずいぶんと以前になるけれど、2年間ほど禁煙していた時期があり、友人に誘われて塩原温泉マラソン大会に出場したことがあった。当時、土日になると独身寮近くの多摩川土手をジョギングしていたし、皇居3周マラソンなどでも走っていたが、20キロは無謀な試みであった。

◎ 完走はしたけれども、場所柄アップダウンに満ちたコースであり、後日郵送されてきた記録簿によればビリから3番目だった。ゴール付近で待ちくたびれた友人たち、そして何よりもショックだったのは、期待していた町の人たちの炊き出し(おにぎり、豚汁など)が、すでに片づけられていたことだった。さらに、「完走者にはジュースがあるよ」と聞いたので、事務局のテントへ受け取りに行ったところ、「二度目じゃないでしょうね?」と言われたことであった。体力を消耗していたので、怒りを覚える以前に、自分がとても情けなくなり、とてもみじめであったことは言うまでもない。

◎ そして、今(2001年)、アフガニスタン(タリバン)とアメリカとの関係を想うとき、グローバルスタンダードという土俵(マラソンでいえば、最低タイム)に参加しても、恩恵(私の場合は炊き出し等)にあずかれない人たちが生み出され、ルサンチマン(怨念)を発生させてしまう、という図式があると気がついたのである。

◎ 国内に目を転じマラソンを人生にたとえれば、コース(職業選択の自由)、タイム(肩書き、能力発揮)、達成感(完走、老後)などの面で、年間3万人におよぶ人たちが棄権(自死)している事実がある。私は、マラソンというスポーツに敵意をもっているわけではないし、グローバルスタンダードについても理解しているつもりだが、少数派への配慮やセーフティネットの構築を欠いた社会は、永続的な平和という面で問題があると思うのだ。(2001 11/07)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )