哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

日本人へ・百六「スーパー・マリオの大実験」より

2012-02-14 22:36:22 | 時事
 今月の文藝春秋誌の塩野七生さんの掲題連載では、ついに触れられた過激な言葉があった。


「ヨーロッパでは、考えていても口には出さない一句がある。それは、民主主義はもはや機能不可になったのではないか、という想いだ。」


 この後に、それを言ってしまっては終わり、との言葉が続く。しかし、ギリシャの問題でさえいまだ先が見えず、国民にさらに負担と苦労を強いる政策が国民によって支持されるはずもなく、民主主義の否定でしか国家が存続しえないというジレンマが今ここにある。

 民主主義が衆愚政にどのようになっていくか、実例を挙げて解き明かしてほしい、とも塩野さんは書いていたが、身近ではもしかしてこの日本が挙げられるかもしれない。日本の政治が今何も決められない状況に陥っているのは、誰の目にも明らかである。こうなったのは誰の責任かと言われたら、決められない政治家たちを選んだ我々日本国民自身である。増税等の負担増をかかげたら国民は必ず反対し、結果として実行できないマニュフェストに酔いしれた。


 それにしても、イタリアの首相をスーパー・マリオと呼ぶマスコミも、茶化してしるのか、期待しているのか。塩野さんは、スーパー・マリオは選挙の洗礼を受けないからこそ、大胆な改革ができるという。確かに、ギリシャでも国民投票をすれば、改革はとん挫して国家破綻となりかねない。つまり、国家の存続に必要な改革が国民の支持によってはなしえないのだ。とすれば、一体どういう政治体制がより良いというのか。ただとにかく、自分たちのことは自分たちで決めるからこそ理想の政治体制とされた民主主義が、21世紀の早いこの時期に危機的状況にあるとは言えそうだ。