哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

悪いものは悪い(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-01-14 03:10:14 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「悪いものは悪い」という題で、例の耐震偽装問題に関してでした。主なところを要約しつつ抜粋します。

「あの建築士を非難できる人が、現代社会にどれほどいるだろう。「生活できない」「生き残れない」などの言い訳にならない言い訳で、粗悪品を売ったりズルをしたり、普通に行われている。金もうけのためなら何をしてもよいというその心性は現代社会に広く見られる。そういう人々に責任を追及すれば、市場原理に責任を転嫁する。みんながしていることじゃないかと。
 みんなが悪いことをしているからといって、自分が悪いことをしていい理由にならないし、みんながしているからといって悪いことが善いことになる道理もない。しかも人は、悪いことは倣っても、善いことは倣わない。やはり人は自分の見たいものしか見ないのである。
 性善説とは、自分にとって本当に善いことを知っていれば、悪いことなどするはずがないという当たり前を言ったものだ。ただ、それに気づくのが容易でないだけだ。」


 みんながやっているということで責任転嫁をする体質は、日本だけでは決してありません。以前、NHK特集でウォータービジネスの話が取り上げられ、某東アジアの国で水道水をミネラルウォーターと偽って売られている実態が放映されていました。その業者もやはり、みんなやっているじゃないかと言ってました。とはいっても、全世界でみんなやっているではないかと開き直る話ではありませんが。

 ところで、市場原理への責任転嫁というのは、安いものに需要があるから粗悪品でも安ければいい、という考えかと思いますが、本当は粗悪品が混入しない様な公正なルールがあってこその市場競争です。その公正さは本当は法律(独占禁止法等)で担保されるはずですが、結局公正=善いことの基準を“みんな”に置くか“自ら”に置くかが問われているのでしょう。

 蛇足ですが、「自分の見たいものしか見ない」というフレーズ、カエサルの言葉として塩野七生さんの『ローマ人の物語』に幾度となく出てくるフレーズです。こんなところで池田さんが書かれるとはちょっと驚きました。