池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「私の神秘体験」という題でした。ポイントとなる文を抜粋します。
「科学により説明できないことを神秘だ、凄いと感じるのは、本当の神秘を感じていないからである。オーラやカルマや臨死体験を神秘だと言うなら、自分が存在していることは、どうして神秘ではないのか。
本当の神秘とは、一輪の花が咲くことであり、地球が廻っていることであり、我々が生まれて死ぬことである。そんなことは科学で説明できると思っている、その時点で道を誤っている。当たり前の神秘に驚かずに、人生の意味と理由が理解できるはずがない。」
表題の「私の神秘体験」というのは、まさに自分が存在していること、を言っています。これを、科学で説明できる、と思う誤謬を池田さんは繰り返し書いていますね。
念のため説明しますと、生物学的には精子・卵子の結合により、人間の個体が生成されていく事実は説明できます。しかし、「精子・卵子の結合により人間の個体が生成する」のが何故起きるのか、については一切説明できません。そもそも地球上に何故生物が存在するようになったのか、その理由もわかりません。
つまり、どうして(どういう因果の流れで)そうなるのか、は説明できても、何故そうなるのか、については地球上にはわからないことだらけです。地球上には神秘だらけというわけです。
その身近で最たる神秘が自らの存在です。父母から生まれたと説明できても、物心付いて自分だという認識を始めたとき、その「自分」がなぜこの自分なのか、全く説明できません。この不思議に感嘆すれば、谷川俊太郎のような詩人が生まれるのでしょう。哲学の池田さんと詩人の谷川さんとは、感性が似ているような気がしてなりません。
「科学により説明できないことを神秘だ、凄いと感じるのは、本当の神秘を感じていないからである。オーラやカルマや臨死体験を神秘だと言うなら、自分が存在していることは、どうして神秘ではないのか。
本当の神秘とは、一輪の花が咲くことであり、地球が廻っていることであり、我々が生まれて死ぬことである。そんなことは科学で説明できると思っている、その時点で道を誤っている。当たり前の神秘に驚かずに、人生の意味と理由が理解できるはずがない。」
表題の「私の神秘体験」というのは、まさに自分が存在していること、を言っています。これを、科学で説明できる、と思う誤謬を池田さんは繰り返し書いていますね。
念のため説明しますと、生物学的には精子・卵子の結合により、人間の個体が生成されていく事実は説明できます。しかし、「精子・卵子の結合により人間の個体が生成する」のが何故起きるのか、については一切説明できません。そもそも地球上に何故生物が存在するようになったのか、その理由もわかりません。
つまり、どうして(どういう因果の流れで)そうなるのか、は説明できても、何故そうなるのか、については地球上にはわからないことだらけです。地球上には神秘だらけというわけです。
その身近で最たる神秘が自らの存在です。父母から生まれたと説明できても、物心付いて自分だという認識を始めたとき、その「自分」がなぜこの自分なのか、全く説明できません。この不思議に感嘆すれば、谷川俊太郎のような詩人が生まれるのでしょう。哲学の池田さんと詩人の谷川さんとは、感性が似ているような気がしてなりません。
これからも「人間自身」の解説を楽しみにしています。
私のような凡人には、解説がないとなかなか一回では理解できませんので(笑