塩見さんもよく引用するカエサルの言葉があった。
「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった」
これはあらゆる場面で念頭に置いておきたい言葉である。政治でもよくありうるし、日常の生活場面でもそうだ。CO2削減キャンペーンの愚かしさについても、養老孟司氏の本で同様の言い方をしていた(「地獄への道は正義と善意で敷き詰められている」)。
よかれと思ってやったことが、かえってあだになってしまうということは、歴史の中で繰り返されているわけである。自分も最近同様のことを仕事で体験し、身にしみた。
しかし、池田晶子さんなら何と言うであろうか。
「それが人生というものである。人生の明日が知れないのは当たり前である」(『勝っても負けても』より)と一蹴されるだろうか。
「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった」
これはあらゆる場面で念頭に置いておきたい言葉である。政治でもよくありうるし、日常の生活場面でもそうだ。CO2削減キャンペーンの愚かしさについても、養老孟司氏の本で同様の言い方をしていた(「地獄への道は正義と善意で敷き詰められている」)。
よかれと思ってやったことが、かえってあだになってしまうということは、歴史の中で繰り返されているわけである。自分も最近同様のことを仕事で体験し、身にしみた。
しかし、池田晶子さんなら何と言うであろうか。
「それが人生というものである。人生の明日が知れないのは当たり前である」(『勝っても負けても』より)と一蹴されるだろうか。