池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「子供がほしい」という題でした。今回もタイムリーな話題で、「代理母」や「出産児取違え事件」に関連してます。
「自分の子供を欲するということは、血縁という価値に執着することではなかろうか。執着することは自然なことではない。
人間は自身が自然な存在なのか不自然な存在なのかを言うことはできない。「自然」という概念以上に不自然な発明はないからである。「人間」が存在しなければ、「自然」も存在しなかったのである。」
確かに、自分の子供を代理母に依頼してでも欲しがるというのは、その実現は自然にはできませんから、そのような執着は自然ではないでしょう。その意味で、自己の血縁に執着することは自然ではないように思えます。
ただ、人間に限らず生物は、それぞれ危険を避けつつできるだけ生き残っていこうという生存本能がありますし、基本的に子孫を残そうとします。地球上の生物は、天災により絶滅した種もありますが、生物誕生以降生存本能のもと、いろいろ進化もしつつ子孫を残してきました。
その意味では、あくまで「自然」の範囲でしょうが、生物には生と種の保存に対する執着はあるのではないかと考えられます。
ただ人間の執着は、定義通りもっと不自然なようです。むしろ暴走しがちとまで言っていいでしょう。古くはピラミッドしかり、産業革命しかり、核爆弾しかり、人間のとんでもない執着は、早すぎる結末が訪れるまで続くのかも知れません。
「自分の子供を欲するということは、血縁という価値に執着することではなかろうか。執着することは自然なことではない。
人間は自身が自然な存在なのか不自然な存在なのかを言うことはできない。「自然」という概念以上に不自然な発明はないからである。「人間」が存在しなければ、「自然」も存在しなかったのである。」
確かに、自分の子供を代理母に依頼してでも欲しがるというのは、その実現は自然にはできませんから、そのような執着は自然ではないでしょう。その意味で、自己の血縁に執着することは自然ではないように思えます。
ただ、人間に限らず生物は、それぞれ危険を避けつつできるだけ生き残っていこうという生存本能がありますし、基本的に子孫を残そうとします。地球上の生物は、天災により絶滅した種もありますが、生物誕生以降生存本能のもと、いろいろ進化もしつつ子孫を残してきました。
その意味では、あくまで「自然」の範囲でしょうが、生物には生と種の保存に対する執着はあるのではないかと考えられます。
ただ人間の執着は、定義通りもっと不自然なようです。むしろ暴走しがちとまで言っていいでしょう。古くはピラミッドしかり、産業革命しかり、核爆弾しかり、人間のとんでもない執着は、早すぎる結末が訪れるまで続くのかも知れません。