既に多くの皆さまにコメントいただき、ありがとうございます。
新聞報道によりますと、池田晶子さんは2月23日午後9時30分、腎臓がんのため亡くなられたということです。享年は46歳。
死はないのだからわからない、わからないものを恐れることはできない、と仰っていた池田さん。一方で今ここにある死とも言っておられた通り、いつ死が来ようともそれは何ら不思議ではないのですが、ソクラテス同様、亡くなられて悲しむのは周りの人ばかりです。それはそうですね、本人は亡くなって存在しないのだから、悲しむことはできません。
ただ二代目の犬をお飼いになるとき、60歳くらいまでの体力を考えておられたので、まだまだ執筆するつもりではあったものと推測します。前から明言されていた、ヘーゲル『大論理学』の口語版は、とうとう書けなかったのでしょうか。一部でも書かれていたら是非出版してほしいものです。
でもきっと池田さんの魂は、ケラケラと笑って我々を見ていそうな気がします。池田さんが居なくても、我々自らが、その精神性を発揮できるかな、と。
新聞報道によりますと、池田晶子さんは2月23日午後9時30分、腎臓がんのため亡くなられたということです。享年は46歳。
死はないのだからわからない、わからないものを恐れることはできない、と仰っていた池田さん。一方で今ここにある死とも言っておられた通り、いつ死が来ようともそれは何ら不思議ではないのですが、ソクラテス同様、亡くなられて悲しむのは周りの人ばかりです。それはそうですね、本人は亡くなって存在しないのだから、悲しむことはできません。
ただ二代目の犬をお飼いになるとき、60歳くらいまでの体力を考えておられたので、まだまだ執筆するつもりではあったものと推測します。前から明言されていた、ヘーゲル『大論理学』の口語版は、とうとう書けなかったのでしょうか。一部でも書かれていたら是非出版してほしいものです。
でもきっと池田さんの魂は、ケラケラと笑って我々を見ていそうな気がします。池田さんが居なくても、我々自らが、その精神性を発揮できるかな、と。
池田さんは今頃肉体を失うことを経験されて
何を感じておられるのかなあと思いめぐらしています。
近々「君自身に還れ」という本願寺のお坊さんとの共著
が出るはずです。
私は予約して楽しみにしていたのですが、
まさかこのような状況になるとは思いもかけませんでした。
正直、週刊新潮の「温泉の話」はいつもと調子が違っていたように感じられ、その次の週は休載だったので、なんかおかしいとは思っていたのですが。
新聞で知った3月3日、買い置いていた「14歳からの哲学」を読みました。デカルトのデの字も、カントのカの字も出てこない。知識としてではなく、考えることに徹するため、先達の引用をしなかった潔さ。本当は他の既刊本読み終わるまで取っておくつもりだったのですが、ぼくなりのお別れの儀式でした。
ぼくは2年前までアル中でした。断酒を決心してから、こころの拠り所にした一人が池田晶子さんでした。今自分がここにある不思議を考えろ。酒なんて飲んでいる暇はないだろう。で、とりあえずここまで来ました。
このブログは、なんらかの形で続けて欲しいです。とりあえずぼくは池田某という存在をなくしたことに、世間はどのように反応したのか見ていくつもりです。でも、ぼくは池田某のファンではあっても、信者にはなりません。引用も極力控えて、自分の言葉をこれから捜していきます。
でも、つらいですね。やっぱり。
それにしてもショックです。。
それでは失礼します。。。
今回の訃報は残念の極みです。
ヘーゲル『大論理学』の口語版は私も是非読んでみたかったです。
本当に。それだけしか言えません。
合掌。
読ませていただいてました。
学生の頃によく読んでおり、最近はまったくフォローしていなかったのですが、こちらのブログで、今でもその頃と変わらず同じ事をおっしゃっているんだな~とうれしく思っておりました。
やっと、揶揄ではなく受け止める人が増えてきたというところではなかったかと思うと、惜しい気持ちでいっぱいです。
が、こういう言葉も池田さんには不似合いなような。。。
池田さんという存在は、半分冗談で言えば、ソクラテスよろしく、僕らへの贈り物だったのかもしれません。
こんな言葉しか出て来ません
どこかで わたしたちを見守って
下さっている… そんな気持ちで
生きていきたく思います
池田さんの本はこれまでも古典のような売れ方をしてきたようですから、今後はますますその傾向が加速するでしょう。毎年新たな14歳の子供たちが誕生するわけですから。
連載44回だから単行本化してもらえれば嬉しい。