10月2日(火)から、2週間の「日常化レッスン」に参加している。
NPOサイエンズスクール鈴鹿が開設しているコースの一つ。
その期間、火曜日と金曜日の夜に検討会がある。4回ある。
今回は、妻小浪と参加した。
3回目の検討会が夜にある日。
夕方、倉庫部屋でパソコンを見ていた。
小浪、入ってきて、「パソコン、使いたいんだけど・・・」
ぼく「・・・」(口に出さないけど、一瞬いろいろあったとおもう)
でも、「使いたいというなら、退くしかないか」と椅子から立って、
小浪に席をあけた。
ぼくの感覚では、「小浪が使いたいといってきた」
「使うというなら、席を退くしかない」とおもって、立った。
パソコンで一つの用事を終えて、つぎに行こうとしてるとき。
勢いがついていた。いま、止めるのは、勢いがそがれるなあ、
というのがあったようにおもう。
「しゃあないなあ」というのが、出てきた。
じぶんの気持ちとしたら、「ちょっと、このまま続けたいんだ」
というのがあった。
小浪は、なにかしらべものがあったようだ。
小浪が「使いたい」と言った。
ぼくは「使いたいなら、退くほかない」とおもった。
これらは、「聞いた」という瞬間のあとに出てきたおもいだろう・・・
小浪から「使いたい」と聞いた。
「聞いた」そのとき、その瞬間、じぶんのなかでなにが起きていたか?
どうも、「どいて!」ときいているようだ。
今回に日常化レッスンで、焦点にしたかったところ。
そこに、焦点を当てようとしていて、つかめないところ。
そこを観察してみた。
「どいて」と聞くから、「どくか」「どかないか」と即、なっている。
小浪は、なにかをしたくて、「使いたい」といっているんだろうけど、
そちらに関心がむいていない。
「どいて」と聞いたぼくは、小浪の意思とは関係なく、「じぶんは
どうするか」とじぶんのことを一所懸命考えている。
こんなの、よくよく観たら、変じゃん。
小浪の言っていることを「聞く」というならば、「聞く」 ということ
だけすればいいじゃない?
「聞く」は「聞く」
「使いたいというけど、急いでいるのかい?」
「どんなこと、調べたい?」
とか、たとえば、そんな反応がおきてくるのではないか。相手の
ことを、知っていこう、という反応がおこらないものか?
そういった、小浪が発してることに関心がいかないという場合、
じぶんのなかはどんなことになっているのか?
ぼくの方にも意志がある。
お互いに意志とか気持ちの通い合いが、ささいなことかもしれないが、
なにか抜けている。
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