かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

もうろくの兆し

2014-02-14 18:27:21 | アズワンコミュニテイ暮らし

 ほんとういうと、もうろくの兆しといっていいかどうか。

 なんというか、老い人たちの会話のテンポがちょっと省みると、

トントン拍子というふうにはいっていない。

 

 先日、韓国からアズワンコミュニテイ訪問団13人がやってきた。

 3泊4日のスケジュール。

 13名の移動は、8人乗りのワゴン車を使う。

 初日、津港迎えと最終日の送りは3台。

 中2日は2台で。

 コミュニテイ案内のスケジュールを立てて、運転手のやれる人を

探したら、60歳から70歳の老い人たちのチームができた。

段取りも、午前だけの人、一日行ける人、繋ぎつなぎの車の

リレー。

 どこから出発する、どこを回って、どこに着く。その車はどこに

置く。その車のカギは次に使う人に渡すにはどうするか?

 

 韓国の人たちが来る前日、明日は雪という予報だった。

 夕方、70歳の運転予定者から「雪という予報なので、ぼくは

運転しないよ」と電話があった。

 「ぼくはやれるよ」という老い人チームが寄ってきた。

 女性もふくめて5人。

 

 日程とスケジュールと車と運転手の段取り表を用意した。

 それを見ながら、一人ひとりの動きを確認していく。

 なにせ、一人ひとり、一回では確認できない。

 「ちょっと、待って、待って、ええーっと、終わったらどこに

車を置くんだっけ?」

 「えっ、それって、SCSの前じゃないの?」

 「ええっ、北口だって、それってどこ?

 「そんとき、カギはどうするの?」

 「そこって、どこ、どこなの?」

 それぞれ、自分の動きを確かめるのに、精一杯。

 それも、一つ確認したと思って、次のところを確認している

うちに、前のところがまた不確かな感じがして、もう一度

確かめたりするから、なにがなんだか分からなくなる。

 それぞれ、段取り表にメモを書き込みながら、ワイワイ

ガヤガヤ、そういうテンポで明日を描いた。

 

 いやはや。

 船田さんと2台のワゴン車を運転する日。

 1台のワゴン車の補助席が使えなくなった。

 「じゃあ、どうやって韓国の人たちに乗ってもらおう?」

 「ええーと、韓国の人は13人だよね」

 「そうだよね」

 「そうしたら、ぼくら運転するのが2人だから、全部で15人」

 「そうそう、だったら?」

 「だったら、そうだね、7人と8人と乗ればいいよね」

 

 ああ、アホか。

 そんなこと、二人で確かめなくったって、7人と8人で15人、

わかりきってるじゃん!!

 ところが、ところが、この絶妙なもうろく振り。

 この二人のテンポ。

 その場で大笑い。

 

 それにしても、こういうのはボケ防止に役たたないか。

 こう書いていて、ちょっと危なっかしい感じがしてきた。

 だれか、見ててね。

 

 

 

 

 

 


素直な疑問符

2014-02-01 07:49:41 | わがうちなるつれづれの記

 一昨日夜、テレビでニュースを見ていたら、詩人吉野弘が

亡くなったと出てきた。

 そのあと、彼の作品「祝婚歌」のことを取り上げ、この詩が

多くの結婚式で読まれ、その後の夫婦の暮らしにどれほど

影響を及ぼしてきたか、体験者のこころの内も取材していた。

 

「二人が睦まじくいるためには

 愚かでいるほうがいい」

 

 字幕で流れていた。

 

 振り返ると、10余年ほど前、吉野弘の詩に出会った。

 無我夢中でやってきた50年余が何だったか、ふと疑問に

なったころだった。

 「祝婚歌」も気に入って、若い人の結婚の祝辞にいつも

添えていた。

 

 吉野弘の詩集を引っ張り出して見てみた。

 今のじぶんの心の内のこともあるが、「素直な疑問府」という

詩が響いてきた。

 

      素直な疑問符

   

    小鳥に声をかけてみた  

    小鳥は不思議そうに首をかしげた

 

    わからないから

    わからないと

    素直にかしげた

    あれは

    自然な首のひねり

    てらわない美しい疑問府のかたち。

 

    時に

    風の如く

    耳もとで鳴る

    意味不明な訪れに

    私もまた

    素直にかしぐ、小鳥の首でありたい

 

 「わからないから 

  わからないと

  首をかしげた」

 なんと、多くのことがわかってしまっていることか?

 

 一昨日、火鉢の灰を部屋にまいている孫に大きな声を

出して、やめさせた。

 孫がどんな気持ちでそうしていたか、ほんとうはわからないのに・・・

 何か、いやな気持ちが残った。

 

 今朝、サイエンズスクールのブログで牛丸くんの書いたものを

読んだ。

 「自分の行為、表れ、その人の行為、表れでしか見ない社会。

  心に、心底に重点を置かない社会。


  どんどん人を縛る。幸せを願って、人を縛る。
 

  自分の人生、その人の人生。自分の心、その人の心。

  どうなっているのか?満たされているのか?心底は?と行く社会。

  やさしい社会だ」


 そうだよな、幸せとか、良かれと思って、人を縛る。

 その仕組みを知っていくこと、なるべく外れないように、

外れてもまた立ち帰れるように・・・

 

 じぶんっていったい何だろう。

 意識は自分一人で何もかも判断してやっている、なんて

そんな感じだけど、実際は?

 ほとんどすべてのことを、他の人にやってもらっていて、

自分がしていることは、どれほどのこと?

 

 もしかしたら、今、ぼくは、

 「意味不明な訪れに、

 首をかしげている」のだろうか?

 

 吉野弘さんのご冥福をお祈りします。