かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

マイライフミーティングがあった日

2012-10-17 05:56:21 | サイエンズスクールのある暮らし

 マイライフというのは、わが暮らしといえばいいのか。

 各々の暮らしといえばいいのか。

 ミーティングといったら、日本語でなんというのか?

 辞書では、「会・会合・打ち合わせ」とあった。

 打ち合わせっていうと、なんかを決めるというニュアンスがある。

 マイライフミーティングは、そっちより、寄り合いに近いかも。

 

 月一回、土曜日の夜から日曜日の夕方までやっている。

 とくに、こうしようというのがあるわけでもないようだが、見ていると

それぞれ、じぶんの都合で、その間、参加したり帰ったりしている。

 だれでも参加できる。

 先週13,14日は、岐阜・静岡・東京からも参加していた。

 

 鈴鹿カルチャーステーションが会場になっている。

 そこには、ギャラリースペースがある。通路の壁だけど・・・

 最近、岩田”画伯”の最新作が掛かっている。

 栗のスケッチ。

 

 見ていて、こころに響くものがある。

 おもいだしたことがある。寺田寅彦の俳句。

     栗一粒秋三界を蔵しけり

 

 「三界」(さんがい)とは、仏教では宇宙全体をあらわすという。

 一粒のなかに、全宇宙を成り立たせているすべての関連が

おさまっている。

 

 なんてこと、おもいながら、夜のマイライフミーティングに参加した。

 20人ほどの参加者。

 

 市川さんが、なんとはなしに口火。

 「この一か月やってきて、いろいろおもったことなど、出し合いますかね」

 彼は、ふだん、家電器具のメンテナンスの会社で働いている。

 最近は、会社が営業成績に敏感で、彼はいつリストラにあうか、それに

「疲れちゃう」といいながら、それでも勤めている。

 

 ぽっつり、ぽつりと近況、何人かが話はじめる。

 静岡からきているご夫婦。奥さんが、つい何日か前の夫婦のやりとりの

こと、出した。

 どんなやりとりがあったのか、忘れたが、夫は奥さんに「バカ女!」とか

言ったらしい。それを、奥さんが「どう聞いたか」ということを行きつ、戻りつ、

じぶんのなかで起きたことを、なんとかコトバにしようといていた。

 それを聞いていた美幸さんが、その奥さんの夫君に「あなたは、それって、

どうおもうの?」と問いかけた。

 夫君「うーん、うーん、なんかね、これまで、このミーティグをつづけて

これたのは、そういう質問がないところが、うーん、よかったんだけどなあ」

 笑いがあちこちから起こる。

 

 日頃、人とのやりとりでじぶんのなかで起きたことが、けっこう気楽に

語られている。

 なかには、何年か前に人にひかかって、いまでもひっかかりが消えては

いないけど、観察してみる、しらべてみる気持ちになったのでと、そういう

胸のうちを出す人もいた。

 「そういう立場だったら、そりゃあ、ないだろう」

 そのときの気持ちがコトバに表現できた。そこから、はじまるのかなあ。

 ここでも、あちこちから、つつみこむような笑い。

 そんな話を出している、その人が、だいいち楽しそう。

 

 きのう、あったことを出す人もいる。そのひっかかった当人の目の前で。

 相手の人が「こうして」と言ってくる。それを、じぶんはどう聞いたか?

 「指図された」と聞いたのか、その人がおもっていることを言っていると

聞いているか?

 ここでも、じぶんのなかを観察して、コトバにしていく。

 「じぶんがどう聞いたかというのは見ていきたいけど、やっぱり、相手が

わたしに指図したというのは、なくならないわ」

 

 サイエンズ研究所主催で、「話し合いで営まれるコミュニティー」という

カレッジが開催されていた。

 そこのメンバーが何人かいて、話し合いを実現していきたいのに、

話し合いになっていかない実例がたくさん出てきた。

 

 「話し合いが出来る状態って、どんなだろう?」

 「そのとき、実際、そういう状態だったかなあ?」

 

 ミーティングは、いかにも地味なものだ。

 「その実例って、この間も、同じようなこと言ってんじゃあない?」

 「そうなんよ、じぶんでも呆れるよ。でも、じぶんの意志とは関係なく

出てきちゃったものは、出てきちゃったとして、それがどこから出て

くるのかと、観察するしかないじゃん」

 「まあね、何回でも、いくどでも、じぶんの実例を見ていくと、こんな

ことしていて、どうなるんだろう?っておもうようなときもあるよね」

 「それでも、最近は遠慮や気兼ねなく、けっこう好きなこと言い合える

ようになってきてるね」

 「そう、じぶんを発見するのがおもしろい」

 

 そうだ、一見同じようなことを言い続けているとか、相も変わらず、

そういう態度をするとか、それぞれの表れがあるが、聞いていると、

接していると、その人の味だなあ、とおもえてくる。

 

 ちょっとおもしろくいえば、長屋の八っん、熊さん、おかみさん連中が

「どんな時でも、話し合える状態って、どんなんだろう?」とか話し合って

いる。それも、飽きずに。こういうのって、ぼくは楽しい。

 

 栗の一粒、人一人。

 そこにある、そこにいるって、もしかしたら、凄いこと。

 一回きりの人生、本当の栗の一粒、本当の人の姿、その人生。

 ここに焦点当てず、日々過ぎていくのは、いかにも惜しい。

 

 マイライフミーティングは、かたつむりの歩みに似てるかな。

 気が付いたら、あれ、こんな世界にいる、なんてなるのかも・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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