かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

微睡む

2013-03-31 07:51:24 | わがうちなるつれづれの記

 桜の花は遠くから眺めると、霞がかっかったよう。

 近くによって、花を見ると、たくさんの蕾が「われこそは」と

ほころんでいる。

 

 カラダの血のめぐりがよくなったのか、はたけに通いはじめた。

 妻は「ねえ、見て、草引いて、はたけらしくなったでしょ」

 ハウスのなかには、高崎さんが運んでくれた落ち葉。

 草引きのあと、草抑えにこれを敷くことをおもいつく。

 

 はたけから帰ってくると、手指や足先が冷えている。

 カラダも怠い。コタツに足を入れて、背筋を伸ばして、寝転ぶ。

 足先が温まってくると、微睡むような、心地になる。

 ああ、いろんなことはどうなってもいいじゃないか・・・

 

 娘が夕方、顔出した。

 「父さん、だいじょうぶ?」

 

 娘は今夜からすこしフリー。

 春休みをつかって、風友と晴空の二人を、別れた夫とその母上、

つまりパパとおばあちゃんのところで過ごすことにした。

 きのうの朝、近鉄白子駅から二人を見送った。

 孫たち二人の冒険の旅だった。

 何日か前から、どこで乗り換えるとか、ママとやっていた。

 昼まえ、風友から「大阪についたよ、いまからバスに乗るよ」と

連絡があったという。

 

 妻は明日からサイエンズスクールの内観コースに入る。

 「そばに居ないと、心配」だと言っていたが、ちょっとは

ましになってきた、と感じているらしい。

 おんぶに抱っこでいる。

 一人になったらどうなるか?まあ、そのときになれば、なんとか

なるんでは・・・

 

  とおもっていたら、妻がいない間、娘が夕食をわが家で食べるという。

 妻と相談したらしい。

 お風呂も入る。「ああ、掃除しなくていいのか」

 つくづく、ものぐさになっている。

 

 その日の昼、テレビを見ていた妻が「保険って、考えたことないわね」

とポツリ。

 「保険って、ぼくが死んだとき、残された妻のことを考える、という

ことかあ・・・・!?」

 はじめて、気がついた気持ち。

 「そう言いえば、そんなこと、これっぽっちも考えていなかった」


 じぶんを世間の目から評価したら、「国民年金生活者」

(家賃にもならない年金)、一級の身体障害者。

 おもしろがって、そんなことおもったりするけど、どこか

今とか将来が他人事のよう。

 だって、なんとかなってるし、楽しくもある。

 

 じぶん一人では、そんなことにはなっていないだろうな。

 かといって、気心知れた仲間がたくさん側にいるという

だけで、そうなるかどうか?

 

 鈴鹿に2年前引越し、暮らしてきたけど、ますます、ボケを

楽しむ仲間とそれができる仕組みの両方が、出来つつある

のを感じる。

 

 翌朝。

 「さあ、朝ごはん」とおもうと、「ああ、一人なんだあ」

 「柚子大根、冷蔵庫に入れてあります。食べてください」という

妻からのメモ。

 そのメモの字を見ながら、妻への感慨が湧いてきた。

「あんたは、いつもマイペースなんだから・・・」

 

 昨日は、一日微睡んでいた。

 きょうは、どうなるか。

 いつまで、こんなかんじが、つづくのかなあ。

 

 

 

 

 


韓国から鈴鹿 アズワンで過ごした8日間

2013-03-29 06:25:20 | アズワンコミュニテイ暮らし

 今年1月末、韓国江華島にあるフリースクール”サンマウル高”から、

3月に卒業する女性3人と1年生の男の子1人がアズワン

コミュニテイの交流にやってきた。

 4人はお互いとても仲がよく、どんなことにも好奇心にあふれていた。

 帰国後、キム・ヒジンさんから手記が届いた。



        鈴鹿で過ごした8日間       キム・ヒジン

 

似顔絵 私は20歳(日本の年齢では18歳)になりました。

韓国で20歳は大人です。運転もできるし、

見たい映画も思い切り見れるし、お酒ものめるけど、

私はそういうことが楽しみに思えませんでした。

 山の中にある小さな学校で、毎日同じように

過ごす一日一日が、楽でよかった。

 でも、もう学校を去らなければならないことや、

これから属するところも無いというのが怖かった。

 

 (岩田さんがプレゼントした似顔絵)

 

 自分の未来を一生懸命準備している友達の間で、どうにかなる

だろうと気楽な振りをして過ごしていたけど、本当は、心がますます

不安になっていました。

 

 いつも私だけが遅いんだな、卒業したら私はどこへ行けばいい

のだろう?!

 無理やりに何とかやろうと思いましたが、できなかったです。

 

メンバーと そんなある日、教室の掲示板で

 「鈴鹿コミュニティ体験募集」を見ました。

 見た瞬間、「行きたい!」と思ったけど、

勇気が出ませんでした。諦めようかと思ったけど、

結局、申込書に名前を書きました。

 

 鈴鹿に行く前まで、

 「友達より遅いのに、のんきに旅するなんて・・・」と心苦しかったです。

周りの人の顔色が気になったり、自分自身もこの旅の意味がわかり

ませんでした。

 

 でも、このアズワンコミュニティ体験から帰ってきた今、

自分を振り返り、そして生きていくことのもっとも重要なものについて

考えてみます。

 

-----------------------------------------------------------------

【SCSカフェ サンスーシ】

 職場体験、私はカフェサンスーシで働くようになりました。

 初めて行く時は、すごく緊張したけど、みえさんがやさしく説明して

くれました。

 メニューとか、コーヒーの入れ方も教えてもらいました。

 コーヒーが好きでいつも飲んでいたけど、コーヒーを入れたことは

ありませんでした。

 韓国でやりたいと思っていたことを鈴鹿で学びました。

カフェサンスーシ

 (カフェsan-suciとお茶室)

 

 お客さんが来ると、緊張してどうすれば良いかわからなかった

ときのことを思い出します。

 初めて注文をもらった時は、どれほどドキドキしたことか・・・

 「何にしましょうか?」が覚えにくく、寝る前にも暗記しました。

 

 サンスーシーカフェで三日間仕事しながら感じたことは、

「楽さ」と「安心」でした。

 

 カフェに入ってきた人はみんな、コーヒーを飲みながら楽に

座って、ゆったりと楽しんでいるように見え、「ここはあたたかくて

安心できる所だな」と、思いました。

 みえさんにサンスーシーカフェの意味を聞いてみると、

「安心(気楽な)」ということでした。

みえさんと

 

 みえさんは、いつも美味しいサンドイッチとコーヒーを作ってくれたし、

暖かさ(やさしさ)もくれました。

 

 仕事をするのがこんなに楽しいことだということを、生まれて初めて

感じました。

 カフェに出勤する朝が楽しかったし、時間があるときは自分に

ついても考えられました。

 

手紙1 みえさんとたくさんは話せなかったけど、

表情で心が繋がっていると感じました。

 

 みえさんに気持ちを伝えたくって、

苦手な日本語で手紙を書きました。

(日本語が多少出来るソリちゃんに聞きながら)

 *写真をクリックすると文章が読めます→→→

 

 今振り返ってみると、伝えてない話もたくさん

あって残念だけど、私の本心を伝えて良かったと思っています。

 

【本当に好きなことを!】

 自分の好きなこと(やりたいこと)をすることができるだけで、

そこはもう楽しいコミュニティになるのだろうと思います。

 

 私は、約18年生きてきて、自分が好きなこと(やりたいこと)、

少しはわかっている気がします。

 でも、生きていて、自分が本当に好きなことを見つけて、

それをするのは難しいだろうと、いつも思っていました。

 

 私の目から世界を見たら、みんなが同じことを目指している

ように見えます。

太鼓1 良い大学、良い仕事、その後の経済的に豊かな老後生

活など。

 

 人々はいろいろであり、一人一人思うこともちがうけど、

どうして私たちは子どもの頃から、同じものを学んで、

同じ道に導かれながら、同じ基準で評価されなければなら

ないんだろう?!

 そう思って、苦しかったです。

 

 人は一人一人ちがうのに、同じ基準で評価されなければ

ならない世の中で、果たして人々は自分が本当に好きなことを

することができるのだろうか?!

 

  これからの人生、私は自分が心から好きなことをしながら

暮らしていきたいです。

 

 まわりの人たちからよく聞く、「遅すぎるんじゃない?」という

言葉も気にしません。

 遅くなっている気持ちにあせって、やりたくないことをしながらは

生きたくないです。

 

 自分がやりたいことしながら幸せに生きていく鈴鹿コミュニティの

人達を見て初めて感じたのは、「安心」でした。

ふぁみーゆ鈴鹿

 (ふぁみーゆ鈴鹿にて)

 

 行動も遅いし、自分の未来についての準備も遅いし、したいことが

何かもわからないですが、ゆっくりたくさんのことを経験しながら、

お金が足りなくても幸せに暮らしたいと思いました。

 

 そして、鈴鹿コミュニティの人々に感謝です。いつも不安だった心が

落ち着き、本気でやりたいことを見つけたいと強く思いました。

 

 

【新しいコミュニティ】

 私は、中学時代を都市コミュニティで過ごし、そこの中学校に通って

いました。

 そのコミュニティでは、道行く人が知り合いで、学校だけでなく、

学校以外でもたくさんの人に助けられながら過ごしました。

お茶席にて

 (お茶会にて)

 

 ただ、そこで過ごしながら、「みんながよく知っている仲(間柄)だけど、

近しいだけにやらなければならないことがある」と感じていました。

 自分がしたくないとか、大変でやりたくないと思っても、近い仲だから

やらないわけにはいかなかったことがありました。

 

 でも、鈴鹿では、みんなが自分の状況(気持ちや思っていること)を

正直に言って、それを聞いた人は、正直に言った人を十分理解して、

配慮していると感じました。

 

 本当は、一緒に何かをする仲間の中では、配慮ということがもっとも

大事だと思いますが、仲がよい関係だといって、頼みを拒否できな

かったり、何かを一緒にする場で、自分の意見を堂々と明らかにする

のが難しくなったら、コミュニティの生活が疲れていくかもしれない

からです。

 

送り出し会2

 (コミュニティに愛されて・・・)

 

 鈴鹿コミュニティでは、みんなにオープンにしている雰囲気を

感じました。

 

 コミュニティの中に誰かが入ろうとすれば、特別なプロセスも

なく、コミュニティを去りたい人があれば、その人にも無理が

無いように・・・、

 

 鈴鹿コミュニティは、そこに居たい人が過ごしていると感じました。

 

 いろんな人がやってきたり、去ったりするけれど、それが大きな

問題じゃなくて、今一緒にいる人々と、しらべながら楽しく生きて

いくという感じでした。

 

 多分、このようなことが鈴鹿コミュニティをより安心な、配慮ある

コミュニティにならしめたのではないかと思いました。

 

【ホームステイ】

 鈴鹿で過ごした楽しい思い出はいっぱいあるけれど、その一つ、

ホームステイ。中井さんの家に行って夕飯に天ぷらそばを食べ

ました。

 キッチンでてんぷらを一緒につくり、おかずを運び、夕食の準備を

しましたが、私を家族のように接してくれたように感じ、うれしかった

です。

 

天ぷらそば みんなが集まって、そばをズルズル音を立てながら

食べるのがおもしろかったです。

 韓国では音を立てて食べる作法が無いので、

音を立てないように気をつけなければならないのだけど、

日本は音を立てながら食べるのが美味しいということ

らしく、がんばって音を立てながら食べました。

 

 ご飯の後は、みゆきさんが遊びに来てくれて、通訳をしてくれました。

 実は、日本語が全然出来なくて、一言もしゃべれなかったらと心配

だったけど、中井さん家族とこたつに入って、結構たくさんの話をしました。

 韓国では、自分の本音を分かち合う大人がほとんどいないけれど、

鈴鹿にいる大人たちには、不思議と心を開けていろんな思いや考えを

話せました。

ウクレレ2 それは、多分、私が話をしたら真剣に一緒に

考えてくれたからではないかと思います。

 

 話の後は、「ゆっくり行こう」を歌いましたが、やはり

言葉で通じなくても心は通じていると感じました。

ウクレレを弾きながら、一緒に歌いながら、こんなことを

思いました。                                  (キム・ヒジン)

 幸せに生きていくのに、大変な努力は要らないかもしれない。

私は今、あたたかい人々と楽しく歌を歌っている。ここはあたたかいし、

美味しいプリンもある。こういうのが生きていて、一番大きな幸せ

かもしれない・・・と。

 

【韓国に帰って】

 鈴鹿から帰って、いつの間にか一週間が経ちました。

 ソウルでも、私は、普段と変わらず過ごしています。

 でも、少し変わりました。

 実は、鈴鹿にいるときよりも心は少しずつ急いでいくけれど、

鈴鹿で過ごした時間を思い出せば楽になります。

 「ゆっくり行ってもいいよ」と言ってくれた鈴鹿の人達のおかげです。

作品生花作品

 (アート体験のひょうたんで作った作品)     (生け花体験の作品)

 

 私の人生の中で、「余裕(ゆとり)」と言うものが入った(出来た)

ようです。

 寝ようと思って横になると、しきりに思い出します。歩きながら会った

コミュニティの人々、

 カフェサンスーシーのコーヒーの香り、節子さんが作った

リンゴジャムも・・・。

伊与田夫妻

     (伊与田夫妻が見送りに)

 

 鈴鹿での一週間は、あっという間に過ぎましたが、その短い時間は、

私に多大な影響をもたらしてくれました。

 日本語の勉強もして、韓国で行われるマイライフセミナーにも

機会があれば参加したいです。

 そして、いつかまた、鈴鹿に行きたいです。

 

 鈴鹿で8日間を過ごしながら、たくさんのことを感じ、学び、考えました。

また、泊まるところ、行くところが、私たちを親切に受け入れてくれ、

よく食べ、よく寝て、たくさん笑いました。

 20歳になってから行ってきた鈴鹿は、どうやら私にとって、

新しいスタートになったようです。

 すべてのことがありがたくて、このレポートに書ききれないのが残念です。

 

 送り出し会で一緒に歌を歌った時、こんなふうに感じました。

 一日一日、瞬間瞬間がとてもあたたかかったし、学ぶことが

出来たし、私に新しいものをもたらしてくれたと。

ゆっくり行こう

     (ゆっくり行こう ♪♪♪)

 

 本当にまた会いたいです。そして、また鈴鹿に行きます。

 韓国に来る鈴鹿の人々とも会いたいし、韓国の人々と

韓国の人々の集まりが出来たら、ぜひ参加したいです。

 

 今、時代を一緒に生きている人が集まって、共に生きる

ことについて、人が生きていくのに大事なものは何なのか

について、これからも考え、学んでいけたらと思います。

 

鈴鹿コミュニティの皆さん、本当にありがとう。

ゆっくり行けば、少しは遅くても、

一緒に行けば、本当の幸せについて考え、

人生を生きていけば、私たちはきっとまた会えるでしょう。

鈴鹿のことが懐かしいです。

---------------------------------------------------


自発的自由意志で営まれるコミュニテイ雑感

2013-03-28 11:42:27 | アズワンコミュニテイ暮らし

<サイエンズ研究所カレッジコース、この6ヶ月振り返って>

 

  この間いろいろなことがあったけど、暮らしのなかで、自発的

自由意志というところからみたら、じぶんのなかは、どうなって

いるんだろう、自分と人はどんな関係になっているか、自他を

観察し、じぶんなかで見えたものを検討してきたかな、とおもう。

 

 <"ココロン"に行かないことにモヤーとした感じ>  

 

  津のほうに、いまじぶんの気に入った理容店がある。

  そこに行くことが多い。「コミュニティでも、ココロンで

 理容できるのに・・・」みたいなモヤーとしたものが

 あるなあと気がついた。

  これって、コトバにすると「後ろめたさ」

  これって、なんだろう。

  「ココロンでやるのがいい」とか「やるのが筋じゃないか」とか

 そんなものあって、出てきているようだ。

  その場合のコミュニティとしているものが、自分のなかで

「よいからやっている」というようなよそよそしいものになって

いないかなあ。

 じぶんの気持ちや本心から発していないような・・・

 ここを検討してみたかった。

 

<「させる」「させられる」というのはあるのか?>

  

 このカレッジの期間中、入院中して、カレッジの様子を録音で聞く

時期もあった。

 Y子さんが、小学生のときから祖母に言われて、日本舞踊を13年間、

やってきた。本人は「いやいややらされてきた」という。

 「13年もやったんだろう?」とぼくはおもう。

 自分の意志でやったとはどうしてもおもえないと、言い通していた。

 Y子さんの実例はベットで一人、笑っていた。

 

 わが身をふりかえる。

 「させられる」が、コトバのことではなく、そういうこころの状態は、

じぶんのなかに、染み込んで、当たり前にある。

 

 はたして、人を「させたり」、じぶんが「させられる」ということが、

実際は、あるのかどうか。

 

<孫の立ち居振る舞いがどんな見えているんだろう>

 

 現状はともかく「自発的自由意志とはどんなこと」とおもっているか。

 ここを検討するときもあった。

 

 孫がどんなふうに暮らしているかに関心がいくようになった。

 「テレビ、変えていい?」こちらが見ていても、“お構いなし”

に、孫は言ってくる。

 「お風呂に入るよ」とママが言っても、動かないときは動かない、なに

かの拍子でさっと動く。

 孫はいつもじぶんの「したいこと」、「したくないこと」をシンプルに

コトバにしている。

 ママの声かけを無視したり、拒否しているか?

 じっさいは、孫のなかではどうなっているのか?

 もしかしたら、ママのコトバ(気持ち・意志)をうけとっている。   

 そのうえで、孫のその時の気持ち、意志、それをそのままコトバに

しているのかもしれない。

 

  「こうしたい」とか「しない」というような気持ち、欲求、意志にまで、

なったこと、その人のなかで起きることを、だれもそれを妨げたり

遮ったりできないだろう。

 できないのに、ふだんの人とのかかわりの中で、案外無意識に

相手の意志をなんとかできる、とおもって、人と接している

ことがありそうだ。意識の上というより、もとのこころの状態が

「なんとかできる」ということに染まっている。


 孫を見ていて、おもうこと。

 「いやだ」とついさっき、あんなに頑固に言っていると見ていると、

いともあっさり、「いやだ」といっていたことをやりはじめる。

  孫の意志が、「そのときはそうなった」としか言いようがない。

  孫一人で「そうなった」とも言えないし、誰かに言われて「そう

させられた」ともいえない。ママやじぶんの気持ちや周囲のかかわりの

なかで、その意志を変えただけではないか。変えたのは、いくら幼い子

とはいえ、孫自身・・・ 

 

<自由意志でやれたというけれど・・・>

 

 Eさんの例。

 お弁当屋さんで、「担当を代わって」といわれって、代わってやり

はじめた。やってみると、面白い。

 またもとの担当に戻るようになったとき、「続けてやりたい」と

じぶんの気持ちを出した。周りの人たちが「もとに戻って!」と言った。

 Eさんは、かんがえて、じぶんの意志で、もとの担当に戻った。

 自由意志でやれたかな?

 そのとき「やり続ける」という選択肢があったかどうか?

 この辺、検討した。

 

  じぶんの例でも。

 先ず、「やってほしい」と相手から聞いたとき、じぶんがそれを

どう聞いたか、受けとったか、というのがあるだろう。

 「言ってきた」とか「言われた」と受取っている、ときが多い。

 相手の言ったコトバがダイレクトにぼくが受けとっている、と

おもっているけど、実際はどうなっているか。

 その瞬間にズームを当てる。

 相手のコトバを聞いたとき、じぶんのなかで一瞬立ち上がったものに

反応しているのではないか。

 「言ってきた」「言われた」は、”相手がそうした”というより、じぶんが

「言われた」と受けとった。

 「やってほしい」は、相手の人がいくら「こうして!」と命令調で言って

きても、それは相手の人の気持ちを言っているのではないか。

 相手の人が「その人の気持ちを言っているんだな」と聞いたら、

相手の人はなにを言わんとしているのか?」に関心がいく。

 つぎは「じぶんはどういう気持ちか、どうしたいのか?」となって

いくのではないか。


 「自由意志で・・・」となれば、この辺がじぶんのなかで、どう

なっていたか、が急所かな。

 じぶんのなかで起きていること、と相手の人のなかで起きている

ことが、混線していない。

 

 

<じぶんを抑え、無理納得させて半世紀・・・>

  

 Sさんの中間レポート。

 そうだよな、とつくづくおもう。

 

 「周囲の目を気にする」「ここでは、こうするもの」

 「お金があればなあ」「相手を傷つけないように」

 「もうしわけない」「うしろめたい」

 「できない条件が先にでてくる」

 「こんなことしてもらったんだから、なにかお返ししなくては」

 「約束は守るもの」「返事はするもの」「~しなくっちゃ」

 「善意」「良かれと思うのが大きくて、相手の意志に無関心」

 などなど・・・・

 

 こんなじぶんの現状を分析してるだけではなあ・・・

 なぜそうなってしまうのか、原因の自覚はないがしろに

できないけど、いつまでもそういう自分だといっているだけでは、

なんか物足らない。

 希望も湧いて来ないじゃん。

 そういうじぶんとして、60年以上きてしまったけど、どうなって

いきたいの?こういうのが、ダメだからというより、ほんとうは

なにをしたいの?

 

<「こんな家あるけど、見てみない?」>


 最近、コミュニテイオフィスというものがはじまった。

 暮らしの諸事、各々の家計のことまで、オープンにしながら、

お互いに相談しなが暮らしていきたい、そんな気持ちで

ぼくもはじめている。


 コミュニテイライフオフィスとの面談で、Eさんの例。

  Eさんが、なんとなく「こうなったらいいなあ」とおもっている

ことをライフオフィスのほうで取り上げてくれて、実際に「こんな

物件があるらしいけど、見に行ってみない?」と声をかけてくれた。

 Eさん「いまのところに引っ越して1年だし」「夫もその気があまり

ないし」「お金もないし」とかじぶんのなかでは、いろいろ思っていた。

 声がかかって、じぶんのなかのことに照明が当たった。

 「見るだけでも、見てみよう」となって、見に行った。

 行ってみると、「いいかも」

 早速、夫にもはなしをする。

 実際はその物件はその過程で他所に売れてしまったが、Eさんに

とっては、晴れ晴れとした感じだった。

 

 ライフオフィスはEさんの気持ちに声をかけた。

 Eさんは、ぼんやりしていた気持ちがどんなものか、はっきりして

いった。

 実際にことがなるのは、過程があるとおもうけど、そのスタートが

自由闊達、遮るものもないし、広々として、あるのは成るように、

成るようにと知恵をはたらかすこと。

 

 

<実際を見てみたら、人と人は、どのように暮らしているの

だろう?>


 これまで検討してきて。

 一人ひとり、その人の自由意志で生きている。

 人を「させる」、人から「させられる」というモヤモヤが

各個人、そして社会のなかから一掃したら、どんなことに

なるか。

 社会の秩序が乱れて、混乱するだろうか?

 「させる」「させられる」がなければ、各々の欲求、本心、

願い、意志などお互いに自ずから、尊重し合うしかなくなる

ように見える。


 身近なところから、着手しはじめた、そんなに見える。


 コミュニテイライフストアがはじまった。

 コミュニティ通貨”リンカ”では、見えてきた社会の姿から

無理がある。

 通貨というものを介さなくとも、贈りたい人がその気持ちで

じぶんの作ったものを贈り、使う人は「お返し」なしに、ほしい

だけ使う。

 お弁当やさんからは、惣菜。ファームから野菜。

 できるところから、はじまった。


 それを見ていたNさん。

 「タダの理美容室をやりたかった」と、やりはじめた。

 「あれ、ココロンという美容室もあるのに・・・」という気持ちが

もあーと出てきた。

 これって、なんだろう。

 ココロンもあり、N美容室もある。これのどこがおかしいか?

  

 現状のじぶんかじぶんとして、おもしろ可笑しく観察し、検討も

していきながら、誰もが、シンプルにやさしく暮らしていける

社会を試みたいなあ。


                         (つづく、かな?)








 

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


春なれや 杖衝坂から庄野まで

2013-03-25 06:28:58 | アズワンコミュニテイ暮らし

 旧東海道を今、歩くグループや個人は多い。

 神奈川県の健康生きがい協議会が発起してスタートした

平成のやじきた道中も静岡~愛知~三重とバトンが渡って

きた。鈴鹿峠を目指している。

  

 

   <平成のやじきた道中伊勢の国編>

 3月23日は、四日市市の南にある内部駅から庄野宿まで。

 

   

   <近鉄内部線終着の内部駅へようこそ>

 朝9時ごろは、まだうすら寒い。

 神奈川県から早朝発った田原さん、佐須さんのお二人を待つ。

 次回は当日朝発で、やじきた参加はできないだろう。

 (鈴鹿で泊まれますよ)

 (田原さん、佐須さんちょっと遅れて到着)

 

       <お世話になります、うつべ町かど博物館>

総勢32名で出発。

 早々と”杖衝坂”に至る。

 上りかけに「うつべ町かど博物館」がある。立ち寄る。

 お年寄りがお二人、案内してくれた。

 町の暮らし今昔が懐かしい。

  

 

 

    <古事記の世界、杖衝坂を上る>

 杖衝坂は、たしかに急坂だ。

 いわれは、「古事記」にまで遡る。

 ヤマトタケルの命が関東を平定して倭の国に帰らんとした。

 「甚疲れませるによりて、御杖を衝きて稍に歩みたまひき。

故、其地を名づけて杖衝坂と謂う」

 

 今回も「さねさし相模の国」から、はるばる参加した人たちもいる。

 ヤマトタケルの命の運命やいかに・・・

 

 『吾足如三重勾而甚疲』

 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)

とのりたまいき。故、其地を名づけて三重と謂う。

 

 なるほど、ナルホド。

 いや、「古事記」に出てくるこの坂がその坂なら、なにか

胸のうちが”ロマン"でいっぱいになるじゃないですか。

 ここから、能褒野(いまの鈴鹿)通って、亀山あたりは、ヤマトタケル

の命にまつわる伝説や史跡がいろいろある。

 

 

 おまけに、江戸時代は芭蕉がこの坂を上った。

       歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな

 

 ーー徒歩の旅ならば杖を突いて登るほどの急な坂を好き好んで

   駄賃馬にのって落馬して散々な目にあったわい。

   おまけに、馬子にどやされたりして、季語まで落としてしまった。

 

 なんか、しかっめ面の芭蕉というより、ドジも有り、あわてたりも

する芭蕉さん、楽しい。

 

 

        <桜餅、お茶屋さんがあったらね>

 国道1号線に面した豊富神社で小休止。

 桜餅の差し入れ。

 宮地小浪さんがこの日の合わせてつくった。

 「おいしい」とあちこちから・・・

  

 

 

     <早春に旅は道連れ世は情け>

 菜の花、レンギョウ、黄水仙、うらうらの春の日。汗ばむほど。

  

 

       <ゆるりとしよう地蔵堂>

 石薬師宿の通り入口に地蔵堂。

 しばし休憩。

 

 

 <平成のやじきた、信綱かるた道を歩く>

 道中の両側に信綱の歌が掲げられている。

 それを、何人かで、なにやかや、好きなこと言い合って、

わいわいいいながら歩く。

 

  

 氷たる水田にうつる枯木立こころの影を寂しうぞ見る

 

  「水田にうつる枯れ木立って、いいとおもわないか?」

  「それをこころの影って、言うんだね、へえー」

 

 

夕されば近江境の山みつつ桐畑の隅に泣きゐしか

 

   「近江境というのは、鈴鹿山脈のことだろうな」

   「泣きゐしか、なんで泣いたんだあ?」

   「親父に叱られたんじゃないか」

 

願わくばわれ春風に身をなして憂いある人の門をとはばや

 

   「憂いある人ってどんな人だあ」

   「門をとはばや、って、どんなことだろう」

   「春風に身をなして、というところ、なんかいいなあ」

 

 あとで、恋の歌として、人口に膾炙してると知った。

 ああ、恋かあ、遠くなちゃったなあ・・・

 それにしても、この街道、ワクワクしながら通りぬけた。

 

 

       <ちょっぴり日本文化に開眼?>

 佐々木信綱記念館では、案内の女の人が分かりやすく、

さわやかに展示の解説をしてくれた。

 

 

      <おむすびは、歩いたあとが最高にうまい>

 二階のホールで昼食。

  

 

 

      <なにやら落ち着く石薬師寺>

 午後1時、石薬師寺へ向かう。

 江戸時代東海道53次が出来、この地を石薬師宿と

なり、広重の絵にも書かれて有名になった。

 なんでか分からないけど、この真言宗のお寺、歌碑が

いくつもある。

 

名も高き誓いも重き石薬師瑠璃の光はあらたなりけり

                            (一休禅師)

 

柴の庵によるよる梅の匂ひきてやさしき方もある住いかな

                              (西行法師)

 

春なれや名もなき山の薄霞        (芭蕉)

     春になったのだなあ。見過ごしてしまいそうな山では

     あるけれども、かすみが薄くたなびいているさまは、風情

     があってなかなかのものであるよ。

 

 この句、石薬師から鈴鹿の山を眺めて作ったのかとおもったけど

どうも伊賀上野から奈良に行く途中の作らしい。

 このお寺、なんかもう一度、ふらりと来てしまいそう。

 

 ぼくら夫婦はここで一行から離れて、帰宅。 

 昨年の術後、はじめてのウオーク。カラダは春の伊吹を

感じ、こころのなかは恋心まで呼び覚まされて・・・

 

               (ここまで宮地、このあとだれか?)

 

         <佐々木信綱記念館の余韻に浸りながら・・・> 

余韻を残して

 石薬師寺を出ると

 

のどかな田園風景が続く

 

ぽかぽかと、春の陽射しをうけながら

ゆったりと東海道をいく

 

 のどかな風景のなかにいて

佐佐木信綱会館での

 学芸員 磯上さんの解説が余韻を残している

 

路傍のさざんかもうつくしい

 


          <あれれ、交通事故現場に遭遇>

突如にわかなサイレンが聞こえだした

土手の上の1号線は渋滞

 どうやら事故のようだ

電柱が折れて架線が垂れている

皆が無事を祈って 通り過ぎた


           <庄野宿にて記念撮影>

庄野の宿場に入った

後続を待ちながら 少し休憩

 記念写真 とろうか

 

 

 庄野資料館では受け入れてくれる女性が

待っていてくれた

説明によると

高札の文字は 

にかわを混ぜた墨で書かれ

年月が経つと 木の部分が朽ちて

文字が盛り上がる ように見える

触ってみたら 凹凸 版画のようだ

 

当時つかわれていた駕籠

焼米

 

またの日を たのしみに

 庄野宿の資料館前が今回の終点、

次回の出発点です。

三々五々 いろんな話をしながら

JR佐加登駅に向かい

なんだかもっと一緒に同じ空気のなかにいたいな、

という気持ちでの解散になりました。

神奈川、静岡、愛知の遠方のみなさんから

三重の人は見送りをしていただき

駅を後にしました。

第4回の<やじきた>を楽しみにしています

また ぜひ一緒に歩きたいです!!

         (大平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新訳 イマジン

2013-03-23 03:19:51 | アズワンコミュニテイ暮らし
 牛のサーロインをフライパンで焼いていた。「すこし焼きすぎたかな」と
おもいながら、ジュジュといっているやつを皿において、食べようとした。
ナイフとフォークがない。ここで目が覚めた。夢だった。
 昨夜、早く寝すぎた。
 
 ノコノコ起きだして、メールを開いた。
 アズワンコミュニティの友人から、「新訳イマジン」が届いていた。
 その友人は、大阪で口笛演奏をしている知人から「今回、イマジンを
吹くにあたり、イマジンの訳をビデオで流したい」というリクエストを
受けたという。
 「イマジンといったら、世の中にはたくさん訳があるんだから・・・」と
断ったけど、「是非!」と声をかけてもらって、引き受けた。
 
 新訳イマジンを読んだ。
 本人はかなりの意訳だと言っている。
 響いてくるものがある。コトバというより、そのコトバの奥に、なにか
実際あることを表現しているなあ、という感じ。
 メールの時間を見たら、1時間前に送られてきたもの。 
 出来立てのホヤホヤ。
 
 これは、こころに刻んでおきたい。リズムとともに。
 
<新訳>

Imagine there's no Heaven

It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...


Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace


You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one


Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

心に描けるかな 天国なんて無いんだと
難しくなんてないよ、やってみたら簡単さ
もちろん地獄だって無いし
僕たちの上に広がるのは 空だけ
ほら君の心にも描けてきただろ 誰もが
今この時を生き生きと刻んでいけるこの世界が...


心に描けるかな 国境なんて、元々どこにも無いんだと
難しくなんてないよ、当たり前のことさ
何かのために殺したり死んだりすることもないし
そう、だから宗教にすがる必要もなくなる
ほら君の心にも描けてきただろ

誰もが心穏やかに生きられるこの世界が.


僕のこと、ただ夢みてるだけって言うかもしれないね
でも、この世界が見えてるのは僕一人じゃないはず
いつしか君も手を携えて、共に歩く日が来るよ
だって元々僕らは「一つの世界」に生きてるんだから


心に描けるかな 所有なんて無いんだと

「持つ」なんてこと誰にも出来っこないって 
だから、欲張って取り合ったり、飢えて苦しむことも無くなるよ
人は皆、家族や兄弟なんだから当然さ
ほら君の心にも描けてきただろ 誰もが
贈り合って暮らしていけるこの世界が...

僕のこと、ただ夢みてるだけって言うかもしれないね
でも、この世界が見えてるのは僕一人じゃないはず
いつしか君も手を携えて、共に歩く日が来るよ
だって元々僕らは「一つの世界」に生きてるんだから

 

 

 

 <世に流布されている訳>
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ
 
 
 
  眠られぬ夜に・・・
  実際にある昼の世界をもっと見えるようになりたい。