かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

サイエンズ留学

2015-05-30 07:48:36 | アズワンコミュニテイ暮らし

Jin Junhyo(愛称 ジュニョさん)

 

昨年、6月、韓国からアズワンコミュニテイの探訪デイに

参加するため、鈴鹿にやってきた、2泊3日滞在した。

きっかけは、韓国の仁川市にある青年共同体で

暮らす若者たちがアズワンコミュニテイの人たちと

交流するようになり、ジュニョさんも重い腰をあげたんだと

聞いた。

 

その年の11月、ジュニョくんの希望で3ヶ月のアズワンの

交流がはじまった。そのころは、”サイエンズ留学”という

コトバはまだ、なかった。

ファームやお弁当屋さんで職場体験をしながら、ときどき

いろいろな家庭訪問をしながら暮らした。

12月には、ウドンサの仲間フーちゃん、アーちゃん、ジンちゃんが

鈴鹿にやってきた、

そのとき、セリさんの通訳で「人生を知るためコース」に参加した。

1月には「自分を見るためのコース」にも参加した。

3ヶ月目で、いったん帰国。

 

3月に再来日。3月までの予定で、はじめに「自分を見るための

コース」に入った。

2回目の滞在は、いままで勤めていた会社を辞めて、新たな

生き方を探るという背景があった。

4月に、ジュニョさんの気持ちを聞いた。

 「初めての交流は、縛られていたものから、解かれて、ゆったり

楽だった。今回は、これからどうして暮らしていくか、お金は

どうするか、周囲の人はどうおもうか、そんなことが湧いてきて、

苦しい感じ」

 

その後、日本語が出来る韓国の仲間に通訳してもらって、

週1回、気持ちを聞く機会を本山照子さんといっしょに、もった。

ユーサンヨンさんや、ウドンサのパクジンスンさんに手伝って

もらった。

スマホのラインというのは、すげえ働きだった。

先ず、ジュニョさんのスマホからラインでジンちゃんを

呼び出す。

つながったら、机の上にそれを置いて、ふつうにはなしたら

いい。それだけ。

顔を見えるようにできるけど、音がよくないので、途中から

やめた。

 

ジュニョさんの気持ちが、そんなことから、少しほぐれてきた

感じがした。

 

4月26日から内観コースに参加。

これが、今回の交流で、最後の、自分を知るための検討機会。

日本語も相当使えるようになっているけど、大丈夫かなと

心配もあったけど、自分で自分を観ていくということだから、

工夫すれば、いけるだろうとはじまった。

 

ジュニョさんの内観の感想。

大作だった。ウドンサのジンちゃんに、翻訳を頼んだ。

1週間ほどかけて、翻訳してくれた。

一部、紹介しますね。

 

「(略)

今回二回目の内観をやりながらは、最初とは違う感じを受けました。

最初の内観は記憶を調べるというよりも、たくさん考えた感じでした。

今回は記憶をじっくり見ようと努力をしました。

してもらったこととして返したこと、迷惑をかけたことで分けて

考えようと努力をしました。

そうして見たら、してもらったことはあれこれ続け浮かぶ一方、

して返したことはほとんどありませんでした。

迷惑をかけたこともたまに思い出しました。

私がこれまで生きてきながら、他の人にしてあげたことがあまり

ないという感じを受けました。

何か一生懸命しながら生きてきたと思ったんですが、実際に他の人に

してあげたことは何かと見たら、ありませんでした。

母に対する記憶を2回調べながら、今まで見られなかった姿が見えて

きた感じでした。

中学、高校時代の母親は忙しかったんだと初めて感じました。

父に対する記憶を調べながら、父が家にあまりおられていなかった

んだなとも新たにわかりました。

いつも勉強しろうと急き立てた記憶だけ覚えてたが、それは常に

会えないからだったかもしれないだろうと今気がします。

 

嘘と自分の心をおさえたことについて考えて見ては、大きい感じを

受けました。

子供の頃に私が感じた圧迫感が相当あったんだと感じています。

幼いときに話したいこと、やりたいことを十分に表現して理解されな

かったんだなと感じました。

子供の私を振り返ってみると、子供の私の姿で息苦しさと、イライラさ、

困難が多く感じられました。

何か話したかったり、理解してもらいたかったり、やりたいことが

たくさんある姿が見えました。ところが、しきりに何かしろと、

やらなきゃならないと、なんでそうしたんだのと畳みかけて訊く

大人の姿が浮かんで、記憶を調べる間、やはり息苦しく感じられました。

 

何かそのような心がしこりになって自分の考えをよく話していなかったり、

または、一人で想像して考えて決定し、絵を描く方法が私の中で固まって

きたのではないかと思いました。

大学時代にも軍隊に行ってきた後、何をしたいかを自分で悩むのではなく、

一応成績から上げなければならないという考えに縛られて自ら緊張して

生活していたことも新たに見えました。

大学院でも会社でも、一人で悩んで考えて決定してから話した記憶が

思い浮かびました。

話はできないことだという考えがあるのでしょうか?

子供の頃の自分を調べながら、今の私を理解する手がかりがそこに

あるんだと感じました。

 

これまで私が経験して覚えて私の中に持っているものの中に、

まだ振り返って見ていないものがたくさんあるんだということを

知りました。

そして私の中の記憶の中でいろいろな人が再び話をして、

再度生き動いているという感じを受けました。

私の中に多くの人々がいるんだと感じました。

子供の頃怒られて恐ろしく震えている私を振り返ってみると、

まだその心が解けっていないんだなとも感じました。

そうしたまま生き続けているんだなと思いました。

機会があればまた振り返って見たいです」

 

先日、この6ヶ月を振り返ってみて、ジュニョさんと、照子さんと

ぼくと、ジンちゃんで、語り合いました。

「いろいろ、決まっていないことだらけだけど、なんとか

なるかな、という感じです」と、にこやかでした。

 

5月31日、韓国仁川のウドンサに帰ります。

「人を聴くためのコース」が江華島のユーサンヨンさんの

ペンションにある研修施設であると聞いています。

さっそく、ウドンサの仲間と参加するんですね。

 

いま、ジュニョさんの感想文の一節を噛みしめて

います。

「そして私の中の記憶の中でいろいろな人が再び話をして、

再度生き動いているという感じを受けました。

私の中に多くの人々がいるんだと感じました」

 

サイエンズ留学は、おもしろそう。

 

 


老夫婦の会話

2015-05-28 09:00:46 | アズワンコミュニテイ暮らし

70歳に近くなったら。老夫婦って言ってもいいよね。

妻「今日の、予定は?」

夫「うーん、・・・・・」

妻「お昼は。自分で食べてね。わたし、研修所で食べるから」

 

今年に入ってから、妻の暮らしがじょじょに変わってきた。

サイエンズスクール研修所で行われるコース参加者の

暮らしの面を見ていくようになった。

部屋の掃除、寝具のこと、コースが始まるとお昼と夜の

食事の用意。

食事の用意は、はじめから作らなくていい。

おふくろさん弁当屋さんから、昼と夕、人数分届けてもらえる。

生野菜やお味噌汁など、添えたりする。

 

さて、そうなると、わが老人の食生活はどうなるか。

「お昼は、自分でね・・・」と聞いて、夫はたじろがない。

アズワンコミュニテイステーションが近くにあって、そこに

「JOY」(ジョイ)という食べるものから日常用品、酒・お菓子も

自由にもっていけるコミュニテイスペースが出来てきたからだ。

お昼ごはんは、そこからお弁当とか、おにぎりだとか、最近は

冷たいうどんとか、選んで食べることができる。

食べる場所も、スペース「JOY」の隣にコミュニテイカフェがあって

そこで食べてもいいし、家に持って帰って、一人テレビを見ながら

食べてもいい。

 

最近、夕食は妻が研修所から帰ってきてからになった。

妻は、帰ってくると、「ああ、忙しい!」という。

「あんたは、なんにもせず、ただのうのうと待ってるだけだからね」

と聞こえてしまう。これは、ぼくのほうの聞こえ方。

見ていると、スペース「JOY」にあるものを使いながら、あまり

手がかからないように工夫している。

老夫婦の場合、自分でもびっくりするくらい、少量質素に

なっている。

 

ときどき、息子一家や娘一家がやってくると、とても華やかな

晩餐になる。

といっても、食べるものが豪華になるというより、1歳半の

男の子や、中学の孫娘、小4の男の子の、たくまざる根っからの

エネルギーの乱射を浴びて、そこに賑やかな食卓が生まれる。

ああ、生きていてよかったなあ、と湧いてくるものがある。

 

歳とって、なんだかどんどん、みんなそれぞれ、思い思いに

いろいろやっているのに、ぼくのなかは親しい気持ちが

湧いている。

 

 


社会を知るために

2015-05-24 10:10:32 | アズワンコミュニテイ暮らし

じっくり考えたのか、ぼーっと1週間を過ごしたのか。
何かをテーマにして、かんがえはじめているのに、
途中で「あれっ、今、何をかんがえてるんだっけ」という
感じに何回も見舞われた。
これを、耄碌っていうんだろうか。

いつから、人は争うようになったのか。
人と人が、集団と集団が、民族と民族が、国と国が闘い、
果ては殺したり、殺されたり。
何でそんなことはじめたのか。
人って、好んで争ったり、殺したり、殺されたくないだろう。
だいいち、人はこの世に生まれ出たときは、そんな気持ちは
これっぽちもなかった。ただ、ひたすら親や周囲にじぶんの
すべてを委ねきっていた。
何で、したくもないことを人はすることになったのか。

人は一人では生きていけない。
人は寄り合って、集団をつくり、暮らしてきたけど、
いつから一人ひとりがやりたくないことでも、しなければ
ならなくなったり、何かじぶんの意志以外のもので、人から
させられたり、人をさせるようなことがおきてきたのか。

いつから、とか、どういうことで、ということは、もっと
究明したら見えてくるかもしれないが、少なくとも、
誰もが好まないことが何かのキッカケか、思いつきで
はじまった。
争いとか、社会に人を縛る法律のようなものができたのは、
紀元何千年前からだと思われるが、そんなことが起こる前の
人間や人間社会の状態というのはあったんじゃないか。
そのとき、誰かか、何かの思いつきで、争いのある社会や
人の意志を法で縛らなかったら、社会がまとまらない、と
言って、本当はやりたくないことを、そうするもんだ、と
たまたま、そんなふうに暮らしてきたんじゃないか?
どれも、人間の考えだ。
だったら、ほんとうは、人間としては、どうしたいのか。
本来の人間ってどんなものだろう?
そのような人間が集まって、暮らすとしたら、
どんな社会が現われてくるか、真面目に考えたくなる。
今がそうだから、しょうがないとか、今更、なにができる
わけでもないとか、それはそうかもしれないけど、
おなじ人間のかんがえなら、人間らしく生きられる社会を
選びたい。

今まで出来なかったから、出来ないよ、とか、自分一人で
何ができるわけでもないし、という人もいるかも。
はじまりは、人間って、そんなに愚かなんだろうか、
ここからのような気がしている。


一人ひとりが悟っていったら、社会が結果としてかわって
行くと、つい何年か前まで、無意識な感じでおもっていて、
「ああ、ぼくはそういうベースでかんがえているんだ」と
気がついたときがある。
「そうだろうか」
そのときの社会ってどんなものだろう?
あいまいな感じがあった。


人がこの世に生まれてくるとき、(お腹のなかにいるときも?)
先ず親に接する。その親はその社会の空気を親として滲みこませて
いる。
周囲の人たちもその社会の気風をその人なりに滲みこませたもので
子どもに接する。


歴史上、争いのない世界、社会が法律などによって人を縛らない
社会と、争いがある世界、社会が法律などによって人を縛る社会
の二つあるとすれば、子どもは選べないとしても、親はその社会を
選ぶことができると言えるのではないか。
どちらが、人間本来の実際を現しているか。
どちらが、人間の思い込み、砂上の楼閣か。

 

法律などで縛る社会というのは、人が力を合わせて何かやろう
とか、するとき、取り決めやルールや法律や規範をつくって、
人をそれに合わせて動かそうとする。
そうしないと、人というのは動かないもんだという人間観が
なにかのキッカケで、できたのかな。
厳しくなると、そうしない人を非難したり、裁いたり、果ては
罰までつくって、そうさせようとする。
そのしきたりが。紀元前何千年前から営々と続いている。

法で縛らない社会。
法とか規範とかルール、取り決めがあっても、それで人を
縛らない社会。取り締まらなくてもいい、裁かなくてもいい、
罰しなくてもいい。
そんなことしたら、社会は混乱して、収拾がつかなくなるのか
どうか。

社会が、その人の意志を決して妨げない。
社会がはっきりそれで存立するためには、「意志を妨げない」と
いうなら、それはどういうことをいうのか。
社会はその人の意志をよく知っていくことをするだろう。
その人の気持ちや願っていることも知っていくだろう。
そうして、その人の意志を実現する方向に向かって、いくつかの
選択肢を示して、その人に自由に選んでもらうことになるだろう。


こんなことは、現状の社会やそこで暮らす人たちの様子を見ていたら、
絵空事のように聞こえるかもしれない。


社会が人を法律などで縛らない、その人の意志を縛らないという
ベースでの社会の機構や制度は、そうしようと考える人が何人か
寄ればその基盤をつくり、固めることはできる。
その人の意志が尊重されていく社会気風ができてくる。
かといって、おそらくそれだけでなく、そのように意志を邪魔され
なくて、人と争ったり、人の行く手を妨害する人がいなくなっても、
人間とはどういうものかを探究していく仕組みは欠かせない。
人として、一人ひとりが自覚していくこともあるだろう。

 

人間とはどういうものか、人間の根源本質的なものって、どんな
ものだろう。
その人間でつくる人間社会はどういうものか、その根源本質的な
ものって、どんなものか。
それは、おそらく人間、ぼくら一人ひとりに具わっている、
また人が寄り集まったとき、お互いの間に含まれる人としての
情愛が湧いてくるようなものとして、実際にあるものだから、
人間の智慧でその社会の実際を表現し、解説することができ、
その具体的な内容が明らかになって、それに同調する人も、
現われてくるんじゃないか。


できるんじゃないか、というのも人間の考えだと思うんだけど、
より根源的、本質的なものに即しながら、生きていきたいし、
くらしていきたいなあ。世界中の同調の人たちとともに、手を
つないで実現していきたいなあ。


先ず、社会が本来の人間に適した社会機構や制度をはっきり示す。
同時に、各々は人間の根源本質的なものへの探究を楽しむ。
世の中ってこんなものと、暗い、夜の世界にいたけど、人間って、
案外、分け隔てなく降り注ぐ太陽の輝きに照らし出されて、
明るい昼の世界に、気がついたら、暮らしていた、なんてことは
簡単にできそうだ、と今思っている。
だって、一人ひとりが努力して、難行苦行しなくとも、わがうち
なる願い、ほんとうはこんな社会で暮らしたいという願いは
必ず、方法もって、実現すると、そうなんだよなあ、70歳にもう
手がとどく今頃になって、確信がでてきたんだよなあ。
これも、耄碌の現われか?


最低でも

2015-05-17 11:04:08 | わがうちなるつれづれの記

最低でも、今の日本国憲法の願っている方向から外れないで

いきたい。

 

前文「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて

行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による

成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、

政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることがないように

することを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、

この憲法を宣言する」

 

第九条「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」

①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に

希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は

武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に

これを放棄する。

②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、

これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

国として、他国とは絶対、戦争しませんよ。

そのため、武力ももちませんよ。

平和のための戦争なんてものはありませんよ。

戦争は、だいたい相手が攻めてくるから仕方なく

やったという大儀名分からはじまっている。

人間には、そういう弱さがあるんで、武力を持たないという

ことで、すっきりしようぜ。

一部の人が勝手にやれないように、みんなで話し合いながら

暮らしていきましょう。

そんな受け取りをしているかな。

とっても、かんたん、はっきりしている。

清々しい。ぼくは、こんな生き方がしたい。

 

こんな歳になってしまったけど、人を殺したくもないし、

人から殺されたくもない。

それは、憲法も願っているし、ぼくのなかからの願いでもある。

 

わが子やその孫たち、これから生まれてくる人たちもにも

そんな極面に立ち合わせたくない。

世界各地にそんな状況に、願ってもいないのに、立たされている

人々が多数いることに、こころが痛い。

 

争いがおきたらどうしようでなく、争いのタネを究明して、

それを明らかにして、その原因を人間の知性を用いて、

取り除こう。

人間は、間違いやすいけど、間違いを正せないほど、愚かでは

ないはず。

 

争いのタネが、自分のなかにも内在しているという自覚。

ここからの出発が、なにをおいても、不可欠とおもっている。

ここが岐路。

 

有史以来、人は争い続けてきた。

だから、それは人間の本性だといえるかどうか。

 

目の前で、戦争への道が開けれようとしているとき、

そんなのんきなこと、考えていられない、そんな気持ちも

ないわけではない。

 

100年後、200年後、千年後、そこから今を見るとき、

争いのタネを自他ともに知って、それを社会からも

取り除こうという時代が過去の人たちにあったことが、

どれだけ贈り物になるか。

 

 

 

 

 

 

 


目が回る

2015-05-17 07:51:26 | 家族あれやこれや

おととい、娘桃子から小浪にライン。

「目まいがして、ご飯がつくれない。何かないかなあ?」

ということだった。

職場でやれなくなって、病院、耳鼻科に行ったら、「もしかしたら

メニエールかもしれないけど、様子をみましょう」と言われて、

薬をもらってきた。

 

きのうは、もう一度病院に行って、「メニエール病ですね。

無理をしないで、薬を飲んで、この土日は休んでみて、

月曜になっても目まいが続いていたら、また来てください」と

と診断があった。

 

食欲はあるし、どこかが痛いとかいうことはないけど、

目が回るというのは、どににもならない不都合みたい。

横になっていても、それが無くなるわけでもないが、

テレビなど見ていると気がまぎれて、楽になるらしい。

 

メニエールというのは、どういうことか?

ネットではこんな感じのことが紹介されている。

「メニエール病の原因はずばり「内リンパ水腫(内耳のリンパが

増え、水ぶくれの状態)」です。

その根底にはストレス・睡眠不足・疲労・気圧の変化・几帳面な

性格などがあると考えられています」

 

こういうことを知ったからといって、目が回るというのが、なくなる

わけでもないだろうが、自身の暮らしを見直してみる、キッカケには

なるのかな。

 

夕方、小浪が晩ごはんを作りに行っていた。

桃子の様子をぼくも見に行った。

孫娘の風友がクラブ活動から帰ってきて、

「きょう、何?」

ママ「おばあちゃんがハヤシライス、つくてくれたよ」

風友「ブタマン、食べたい」

ママ「ブタマン?」

風友「ああ、ピザマンのほうがいいかな」

ママ「なんで、ピザマン?」

風友「友だちとコンビニでブタマン食べようね、って約束してたん

   だけど、用事で二人で行けなくって、ブタマンを食べるって

   のが出来上がっちゃったのよ」

ママ「ふーん」

ぼくら「へえー」

 

なんにしても、溌剌、健康な人が飛び込んできたのは、空気が

ガラリ、一変するもんだ。