晩ごはんを食べながら、テレビニュースを見ていた。
3月22日、ベルギーのブリュッセルで、空港や地下鉄の駅で自爆テロが
あったという。
30人あまりが死亡し、負傷者は200人を越える。
パリの街での連続自爆テロから、続いているのかなあと漠然とおもう。
どこかで、2001年9月11日、ニューヨークの同時多発テロからつづいている
という感じもある。
争いとか、戦いには、当事者というものがあって、当事者同士で理由を
言い合って、相手とたたかうというものだとおもっていた。
たまたま飛行機に乗っていた人が犠牲になり、たまたまビルにいた人がその
ために死んだ。
このようなだれが起こしたかわからない自爆テロについて、ときに「オレたちが
やった」と大儀名分を聞くけど、そのためにそのときそこにいた人が犠牲に
なったり、傷ついたりするイワレはない。あまりにも理不尽。
分からない。
どんなことが人間のなかで、起きているのだろう?
こんな妄想も。
当事者同士の争いを越えて、どこかにこういうことが起きて、人と人が憎悪を
かきててる状況をよろこんでいる人たちがいるんじゃないか?
いま、この世界に何が起きているんだろう?
最近、ネットで朝日テレビ「報道ステーション」の特集自民党憲法改正案の
なかの「緊急事態条項」についての動画を見た。
キャスターの古館氏がドイツのワイマールに行っていた。
当時、もっとも先進的な憲法といわれたワイマール憲法のもとで、なぜ
ナチスドイツの独裁が生まれてきたのか、それを現地で取材するもの
だった。
ワイマール憲法には「国家緊急権」という条項があり、それがヒトラーに
よって、合法的に独裁への道を開かれた記憶の検証だった。
番組のなかで、ワイマールのゲーテハウスの前に立つ古舘さんを見て、
2001年9月11日に、同じ場所にたったときのことを思い出した。
ゲーテハウスからはじめて、友人のお父さんに案内してもらって、
ワイマール市内を観て回った。
なぜワイマールを訪ねたかと言うと、ナチスの強制収容所の跡に、
”立って”みたいという、強い気持ちにスイスで農場をやっている仲間が
応えてくれたのだった。友人の父を紹介してもらった。
ワイマールの郊外に「ブーヘヴァルト強制収容所記念館」があるという。
友人のお父さんは、ワイマールが生地であり、愛着があり、熱心に
街の中を案内してくれた。午後3時過ぎても、なかなか「記念館」に
行こうと言ってくれない。
たまりかねて、「記念館に行ってみたい」とつぶやいてみた。
「それでは」ということになった。
「ブーヘンヴァルツ」は、ワイマール市街地を見おろす。丘の上にある。
鬱蒼とした森の中を車で奥に向かった。
「ブーヘンヴァルツ」とは”ブナの森”という意味だと聞いた。
正直、ぼくはなんでそんな収容所跡の見学に執着するのか、なんども、
繰り返し、自問してきたが、「こうだ」といえるものがない
言うことができるかもしれないけど、言った途端に白々しい感じになる
ような気がして。
その訪問の感想は、妻への手紙というカタチで残っている。
2001年9月13日に書いている。
ーー(略) やっと人が住む2階建ての大きな建物が立ち並んでいる所に
つきました。そこは元ナチス親衛隊のメンバーや収容所の職員の
宿舎だったとこらしい。
そこで、びっくりしたのは、観光バスが4,5台、乗用車も広い駐車場
にずらっと並んでいる。見学者の多いこと。
そして、中学生か高校生なのか、若者たちの多いこと。
学校の授業の一環できているのか?
観光地のような賑やかさとは、まったく異質ですが、静かなるというか、
沈痛たる賑やかさがありました。
収容所は、その宿舎の奥にありました。
監視塔を上につけた鉄扉の門を中に入る。
丘の斜面をなだらかに下っていくような式で、とにかく広い敷地が
目の前に開けています。
今は囚人たちを入れていた家屋群はすべてとりはらわれています。
ただ、そこには収容所の建物があったんだよ、と建物跡に石が
敷き詰めてありました。
それが、かえって真実味をおびて、せまってくるものがあります。
そこに立っていると、冷たい強い風が吹いていていて、身体だけでなく、
身体の中まで浸透していく感じで、ふるえあがりました。
人が人を拘束し、人が人を始末する、巨大な場、システム。
かつて、20万人の人が入れ替わり、立ち代り収容されて、5万人以上の
人がさまざまな方法で殺され、処分された。
この収容所は、ポーランドにあるアウシュビッツのようにユダヤ人大量
殺戮のための収容所ではない。
ナチスに反対する、もしくはその怖れのあるすべての人、人種・国籍・を
問わず送り込まれた。戦争中は。各国の捕虜も。
敷地内の一隅に、火葬場の建物がそのまま残っていた。
その南に2階建ての建物があり、そこに当時の人たちの写真や遺品は
展示されていた。
一つひとつの物を実際に見てみると、ほんとにこれをやったのか、という
こと。
「やったんだ」「やれたんだ」ということ。
自分がその場に立っていることが、胸につまされるようで、すぐ何かの
解釈を下したり、言葉にだしたりしたら、自分の言葉でなくなってしまう
のではないかとおもった。
他の人たちを見ていても、しゃべっている人はいない。じっと、それに
見入っている。
饒舌だった案内してくれた友人の父も、ぴたっとと言葉が少なくなり、
沈黙の人になった。
それにしても、こうゆう場所を残し、一人ひとりの遺品などそのまま
こういう形で残しつづけようというエネルギーは、いったいどんなもの
だろう?
ドイツの人としたら、同じ自分の家族と言うべき人たちが犯した間違い、
黒い汚点を他者に、・・・ぼくなら日本人にそっくりそのまま見せるという
こと。これは、すごいことではないかと思った。
ぼくやぼくらに、ここまでのことができるだろうか?
それと、このようにして人間の持つある面を知ることを通して、人間
あるいいは人類は、再びこのような間違いごとのない、明るい昼の
世界に一歩一歩向かっていることになるのだろうかと・・・・
言葉にすれば、こんなことも、ちらっと思いながら、でも収容所の見学は
あまりにも重いものであった。
そんなときにアメリカでのテロ事件のニュースに出会ったのでした。
(略) 2001年9月13日7:45am
ドイツの農場にて 宮地
ブーヘンヴァルツ強制収容所跡地を訪ねたのは、ドイツ時間9月12日夕方だった。
アウトバーンに載って、エアフルトにある農場に帰る途中、5:30ごろサービスエリア
でトイレ休憩をした。
テレビの前に人々が集まり、画面を見ている。
高層ビルから煙が上がっている。
何がおきているのか?言葉がドイツ語でよく分からない。
仲間の一人が、「どうもニューヨークで飛行機がビルにぶつかったみたいだ。
テロとも言っている」と口伝えの話を聞かせてくれた。
農場に戻り、食事もそこそこにテレビを見た。
こんどは旅客機が突然画面に現れ、高層ビルに激突し、炎をあげていた。
高層ビルが一気に崩壊する場面もあった。
ナチスの強制収容所で、人間、そして人類が、狂ったとしかいえない間違い
ごとについて、憂いの気持ちがあったところに、これは衝撃だった。
言葉が分からないまま、数日、ヨーロッパで過ごした。
街は沈鬱な空気に包まれていた。
教会には人々が集まり、一人ではなく、ともに祈りを唱えていた。
日本に戻り、今度は日本語でどんなことが起きているのか、知ることが
できた。といっても、いろんな人たちの捉えたことを読んだというぐらい
かもしれない。
アメリカのブッシュ大統領は、「イスラムの過激派を裁きにかける」と
息巻いた。アメリカの人たちは、「報復」を熱狂的に支持した。
イラク戦争が始まった。
日本の小泉首相は、アメリカの動きを支持して、自衛隊の派遣まで
した。
その頃から、憲法9条の改正の声が、自民党の人たちからだされる
ようになった。
2011年3・11以後、政権を取った人たちからは、こんどは憲法の
解釈を変更して、自衛隊がアメリカが起こす戦争に加担できるように
しつつある。もう、それができるようになった。
こんどは、憲法を改正して、緊急事態条項を設け、災害や武力の
攻撃をうけたときは、国会の議決を経ないで、時の政権が法律に
かわる条例をつくることが出来るというものと聞いている。
戦争を想定しているとしか思えない。
いったい、どこまで行くんだい?
9・11の記憶。
ナチスの強制収容所跡の見学の印象とビルに激突した飛行機の
映像が残照として残っている。
その後の、アメリカの”報復”の熱狂。
人間は、人類は、どこまで愚かになっていくのだろう、と思った。
そして、今の日本。
実権を握った人たちが、ひたすら戦争を前提とした政策をすすめて
いる。
行き着くところまで、行くしかないかな、と過ぎる時もある。
沖縄のこと、そんなとき想う。
沖縄は日本にある米軍基地の80%を抱えながら、辺野古への
新基地をつくってほしくないと、訴えている。
昨年、実際に辺野古基地に反対する人たちに会って来た。
争いをしたいわけではない。
もうこれ以上、基地は要らないし、先では基地のない沖縄を描いて
いる。
戦争の状態が続いている沖縄で、戦争がない、当たり前の平和、
しあわせが近隣の隣人との付き合いも含めて描こうとしている、
根底にあるものに触れた感じがあった。
幸か不幸か。
今、実権を握っている人たちも、中国が攻めてくるから、北朝鮮が
攻めてくるから、人というのは戦いを好むものだと思っている人も、
ほんとうのほんとうは、人を殺したり、じぶんが傷つけられることを
欲していないんではないか?
もし、欲していないなら、どうしたら争ったり、人を殺めたりしないで、
当たり前の暮らしが実現するか、そこに、人類の知性を結集する
ときでないだろうか?
今、戦争に向かおうとしている人たちは、こんなことに耳を貸さない
かもしれないし、自らの心の内にも関心がないかもしれない。
先づ、気がついた人から。
争いがないのが当たり前で、誰もが人と共にその人らしく、満ちたりて
暮らせるのが本当ではないか。
そこは、明るい陽光が輝いていて、暗くて先行きが見えない
不自由もない、昼の世界。
いまの実際を観察しながら、昼の世界が現われてくる道筋を
もっと明らかにできたらなあ。
もしかしたら、9.11の記憶ということから、人間って、もうどうしよう
もないかな、と言おうとしていたかもしれない。
ついつい、そういう気分に陥ってしまう。
待って、待って。
欲していることがあるなら、やっぱり、自分の意志で選択して、
その実現に智恵をだしていくほうを、そうだな余生、やっていきたい。