かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

東北の旅からはじまる(4)・・・仙台の友人

2014-07-23 08:26:11 | アズワンコミュニテイ暮らし

東海地方梅雨明け。

身体に不調があるわけではないが、暑さに適応しようと

体内がのいろんなものがてんてこ舞いしてるよう。

頭はボーっとして、とりとめがない。

 

今年の春、仙台の友人、白鳥章司さんがガンになったと聞いた。

手術もできないとも聞いた。

そのときから、いちどゆっくり訪ねたいと思ってきた。

 

7月10日午後、念願の仙台に着いた。

新幹線の改札口で、迎えにきているはずの奥さまの牧美さんを

を探していた。

と、細身で背が高い紳士がにこやかに歩いてきて

「いやあ」と声をかけてくれた。

「ええ、白鳥さん、こんなところに出て来れるの?」

びっくり。

あと、しばらくして牧美さんが現れて、全員再会を果たす。

 

夫妻は車で仙台駅まで迎えに来てくれた。

駐車場まで白鳥さんのあとをついて行く。

スタスタと行く。息切れのするぼくは、やっとこさ.

車の運転も白鳥さん。

「運転は楽なんです」

 

白鳥家は仙台市街地からすこし離れた高台の閑静な

住宅街のある。隣に次男夫婦の家もある。

家のなかは、木目調でテーブルもケヤキの一枚もので

つくってある。友人の高橋真也さんの作品。

この午後、食事も挟んで、白鳥さんは、病気のこと、

それまでの経過を淡々と話してくれた。

 

白鳥さんは、今年3月定年退職した。

肋骨へんが痛いので病院に行ったら、「クッシング症候群」の

典型という診断。副腎にガンが出来ていて、それが原因。

当面、1ヶ月に一回抗がん剤を点滴、ガンの縮小を図る。

4回やるという。

ぼくらが行ったときは、2回目が終わったときだった。

 

奥さまの牧美さんは、2回やってもガンが小さくなっていない

ので、「こんなことしていていいのか?」とお医者さんに

聞いてみたという。

「これで行くほかないでしょう」というような反応だったとか。

 

白鳥さんは医師の見立てと治療方針に今は副ってやっていこう

としている風だった。

 

実はやえはた自然農園の藤根夫妻から「ガンは治る」という

小冊子をもらってきていた。

「もし、友人が読んでみようというなら、差し上げてください」と

藤根さんから渡された。

電車の中で読んでみて、今自分がガンについてどう思っている

か、自覚できておもしろかった。

 

「ガンは治る。かえって治りやすい病気」

ええ、ぼくは「ガンになったら、治るのは難しい」と思っている。

 

「ガンの原因は患者自身の生活習慣病」

ガンは自然の厄災のように突然人を襲うようなぐらいに

思っている。かかった人は運が悪かった。

 

「抗がん治療ではガンは治らない」

ガンが発見されたら、まず抗がん治療という反射的な考えが

ある。

「病院でやる治療は、いわば応急処置。時間稼ぎ。

本当の治療は、退院後、あなた自身が、原因を徹底的に

取り除くこと」

なるほど、そういう見え方・・・があるのか。

 

「ガンは自然に治る」

ええ、そんなことがあるなら”がん”と聞いたら、もうこの世の

終わりと覚悟しなくったって、いいことになるじゃん。

こんないいことばっか、俄かには信じられない。

 

「玄米菜食がガンを治す」

玄米というと、もそもそして食べにくくおいしくないという

イメージ。何かで、そういう感覚になったんだろうけど、

それてもどうだろう?著者の川竹さんは「美味しくて、健康に

なれて、本当に、こんな幸せはありません」と言っている。

 

詳しく勉強するのはこれからになりそうだけど、ガンは

身体の免疫機能が正しく働いていたら、ガンが勢力を

伸ばすことにはならないらしい。

ガンにかかっても。末期だといっても、そこ正常化していけば、

自然に治っていくとうことらしい。そういう患者さんが何百人と

いて、その考え方、生き方を世に問いかけている。

 

電車の中で読んでいて、何だか”ガン”についてのぼくの

あまり自覚していないけど、はっきりした考えがあり、

あるだけでなく、意識はしていなくとも「そうじゃん」と

決めている感じがあるな、と思った。

 

白鳥さんとの話の流れで、この小冊子の紹介をした。

手にとって見てくれたが、そのとき読むような感じでは

なかった。

何を思ったのか、妻が小冊子の拾い読みをはじめた。

「玄米菜食」を読む。

「そうよ、玄米炊いたんだけど、うまくいかなくて。途中で

やめてるの」と牧美さん。

「玄米を食べると心が変わる?」と小浪。

「玄米を食べ始めた動機は、もちろん体質改善のため。

ところが二週間もしたある朝、出勤途上であるにもかかわらず、

鼻歌でも出そうな明るい気分の自分に気づきました」と読んだ。

「鼻歌」にぼくは反応した。

「たった二週間で鼻歌が出てくるなんて、面白いじゃん。

やってみようかな」

白鳥さんも、静かに微笑みながら、この話題にちょっぴり身を

乗り出した。

「毎日、ニンジンのジュースを飲んでいるの」と牧美さん。

ぼくは、やえはた農園の畑と藤根夫妻の顔が浮かんだ。

「いちど、花巻のやえはた自然農園に行って、藤根夫妻と

会って来ないかな?」

牧美さんも、白鳥さんも、その気持ちはありそうだった。

「車でも行けると思う」と白鳥さん。

 

この訪問は未だ実現していない。

でも、そういうことで動いてみたりして、「これしかないなあ」と

なってしまっているものに、「あれ、まだまだ選択肢はいろいろ

あるぞ」とならないかなと願う。

 

(ここまで書いていたら、妻が部屋にやってきて

「いま、部屋の中33℃よ」と言う。

外を見たら風が凪いでいる。ぼーっと、頭が燃えている)

 

そうそう、7月10日のことを書いている。

白鳥さんと牧美さん、ぼくら夫婦、言葉でないところで、

どんなことが起きていたのかな?これからに、つづくだろうな。

夜は、近所の福山夫妻がやってきた。

白鳥夫妻にとっては、とっても賑やかな一夜になったようだった。

 

お泊りは松浦夫妻のマンション。

朝、お店の前で記念撮影。

松浦さん「大繁盛している。もう一つか二つ、店を増やそうかな」

奥さま「・・・・」

ああ、それぞれ保ちあって心豊かに現れてくることを願っている

いるのではないか。お互いをかけがえの無い人として・・・。

 

 

 

 



東北の旅からはじまる(3)・・・「やえはた自然農園」

2014-07-20 16:00:08 | アズワンコミュニテイ暮らし

”縁は異なもの味なもの”

これは、男女の結びつきを言うのかもしれないけど、

なんとなくこの世の、人と人の結びつきに敷衍しても

おかしくないんじゃないか。

 

「あすからのくらし相談室宮古」の吉田直美さんから

アズワンコミュニテイ鈴鹿の講演を依頼された。

鈴鹿から小野雅司さんが盛岡・宮古に行く途中、直美さんの

案内で花巻のやえはた自然農園に寄った。

やえはたの藤根正悦・香里夫妻、同居している西平冬美さんと

アズワンの小野さんがしばし、もろもろ語り合った。

その夜、3人は盛岡で開催されたアズワンの講演会に、急遽、

出かけた。

何か、化学反応のようなものがあったのだろうか。

縁といえるか。



やえはた自然農園は2001年、藤根さんが父上のやっていた

田んぼや畑を引き継いではじめた。

サラリーマン生活を捨てて、自然農の勉強をして、その農法で

はじめた。父上は、草の生えている田んぼや畑に驚いた。

2007年、東京でITの会社に勤めていいた女性が

やえはた自然農園に農業研修生として滞在していたとき、

生き方の方向にお互い共鳴して、藤根さんにとっては、2回目の

伴侶を迎えることになった。香里さんその人だ。

これは、まさしく縁は異なもの。

 

その、ご夫妻と西平冬美さんは、5月19日花巻空港から飛行機で

アズワンコミュニテイの見学にやってきた。

二泊のスケジュールでその間、随分じっくり語り合えた。

藤根さんと香里さんの阿吽の呼吸。お二人といっしょに居て、

そんなに感じた。

娘のような冬美さんが心に出てくる気持ちを粉飾しないで、そのまま

出しながら、自分のほんとうを尋ねていく様子。

形では無いけど、心の世界で起きていることに心を寄せている一人ひとり、

お互い。

何か不思議を感じる。

 

今回、ぼくら夫婦で、やえはた農園を訪ねた。

http://yaehata.com/


農園だけでなく、天然酵母パンをマルシェに出品したり

している。

正直、農法にそんなに関心があるわけではない。

はじめて自然農の田んぼと畑を見せてもらった。

すっかり、畑には草があるのはおかしいとなっている観念、

畑を見ながら、ここで何が行われているか、草の下では、

何が起きているか、目を凝らしている。



そこで藤根夫妻は願いがあって暮らしている。

田んぼや畑も目を凝らしていたが、それをやっていこうという

ご夫妻の気持ちにも目を凝らす、というより耳を傾けた、正確に

いえば、傾けようとした。

ちょっとした、立ち居振る舞いにも、触れようとしたかな。

 

夕方、晩ごはんの準備がはじまった。

「シェフは正ちゃん(藤根さん)なのよ」と冬ちゃん(冬美さん)。

「へえ、そうなんだ。知らなんだ」とぼく。

「ビール飲むかい?いつも、ご飯の準備しながら、飲むんだよね」

と正ちゃん。

正ちゃん、寛いで、楽しそうで、鼻歌まで出てきそう。

「さあ、カンパイ!」

ボールに入っている溶いた小麦粉に調味料を入れるときの

手つき、ホントどっかの有名レストランののシェフのよう。

ほのぼのとした気持ちになった。

 

正ちゃんは、今年に入って、かねてからの念願、自然食レストランに

チャレンジしている。夫妻の居室をレストランに改造中。


夫妻は自ら居室を追われ、家のなかで難民生活。

そうそう、正ちゃんとこには、正ちゃんの父上、娘、息子夫婦も

同居している。それに、冬ちゃんもいっしょに暮らしていた。

ここ数ヶ月の経過のなかで、冬ちゃんは別に家を見つけて

暮らすことになってきている。

 


その晩、台風8号の影響かときどき雨模様。

食後、改造中のレストランの工事現場で、ほの明るい電球に

照らされながら、一口では語れない心の内の、さまざまな

出来事、というか起きてきた気持ちを正ちゃんは噛みしめるように

語ってくれたのでした。奥さまは傍らでじっと寄り添うように、

すべて受け止めているように、座っていました。

正ちゃんからは、息子さんとの通じ合い、そこからほんとうの

ことははじまってくる、そんな気持ちが伝わってきました。

レストランをやりたい、というのも、正ちゃんや香里さんの

深いところからでてくる願い、心底が感じられました。

心に残る夜でした。

 

 やえはた自然農園の周りにはクローバーが咲いていた。

こちらに来る前、宮沢賢治の「ポラーノの広場」を読んだ。

ちょっとばかし、妄想に入る。

「イーハトーブの野原に夜のとばりがおりると、つめくさの花には

それぞれ小さなあかりがともり、そのあかりについている番号を

順番にたどっていけば、伝説の「ポラーノの広場」に行き着けると

いうのです」

なるほど、つめくさにあかりが灯っているとイメージするのか。

 

最終章。

求めてきファゼーロとその仲間たち。

「そうだ、ぼくらは一生けんめいポラーノ広場をさがしたんだ。

けれどもやっとのことでそれをさがすと、それは選挙につかう

酒盛りだった。けれどもむかしのほんとうのポラーノの広場は

まだどこかにあるような気がしてぼくは仕方ない」

「だからぼくらはぼくらの手でこれからそれをこしらえようではないか」

 


やえはた自然農園には一泊のみ。

夜、藤根夫妻と後半冬美さんと語り合った。

翌日、ぼくら夫婦は宮沢賢治記念館に正ちゃんに車で送ってもらった。

土砂降りの雨が降っていた。

冬美ちゃんとお昼前の記念館で落ち合った。

「水道が切られていて、引越し出来なくなった」と聞かされた。

記念館の前の蕎麦屋さんでお蕎麦を食べた。

美味しかった。

「なめとこやま」という名前の店だった。

「いろいろあっても、相談しながらやっていきたいね」

これが精一杯だった。

「はい!」冬ちゃんは笑った。

 

 

 

思うのはやはり、その人がどんな願いのもとに、そのように

現れているのだろうかということ。

どんな人にも願いがあり、それが実際に実現しますように!

そういう願いの縁でつながってききたい。

 

帰ってきて、「やえはた自然農園」のホームページを読んで、

こころに残った一節」


 「大切なのは、お金や肩書きや物では無いと痛感しました。

 命あること、家族や友がいてくれる事がとても嬉しく、思いやりの

 気持や言葉や笑顔が暖かく心に響きました。 

 一見何事も無かったよう風景が流れる毎日の暮らしのなか、

 自分には何が出来るんだろうと自問しますが、あのときから

 変わったねと喜び合える明日に向かいたいと思います。

 放射能のこともとても気になります。安心して暮らせるよう、

 仕組みやルールを変えていく為の意思表示や行動は大切ですが、

 誰かを責めたり抗議し対立するのではなく、こういう暮らしが

 いいよねと「No」より「Yes」で表現したいものです。

 難しい顔よりも安心して笑顔で暮らせることが何よりです。

 比較や競争よりも助け合い。金で買ったりどこからか持ってくるよりも

 自給できる暮らし・自然に沿う暮らしが心地いい。誰かに求めるので

 はなく、自分の暮らしから実践し楽しみ、分かち合おう。結果として

 笑顔の明日が出来ていくと思います。

 野菜やお米を作り、エネルギーも出来るだけ自給し、日々笑顔

 のこころで暮らす。自然農の田畑、みんなの森、お茶会やライブな

 どのイベント、全てをその展開として作って行こう。農園の今の暮らしを

 しっかりと実践して行きたいと思います。 これからが本番です。」

 (自然通信2012・1・1)

 

 


東北の旅からはじまる(2)・・・「あすくら学校}

2014-07-19 16:14:31 | アズワンコミュニテイ暮らし

実は、東北の旅を終えて(1)というのを書いて、投稿した。

(2)を書こうとして、「終えて」ってかあ?、とちょっと「あれっ」

と思った。

終えてと言ったら、それで何かを終わらせようとしてるんかなあ。

日々いろいろ積み重ねてることって、やった途端とか、思った

途端とか、意識していないことでも自分のなかから一瞬出てきたり、

止めようもない、出てきてしまった、そんなときも、そこで終わらない

よね。そこからはじまるんだよね。

自分だけでなくとも、いろいろ起きていることって、そうだよね。

それで、思い切って「東北の旅からはじまる」と改題した。


     *         *        *

あすくら相談室宮古のスタッフ石川雄治さんに7月9日、

宮古の街や浄土が浜に案内してもらった。

 

石川さんは、37歳独身。岩手山の麓で育った。

東京暮らしをを経て、昨年12月から相談室のスタッフになった。

2011年3月の震災・津波のあとの宮古には関心がある。

 

宮古の街は津波の跡はほとんど見えない。

津波がここの、この高さまできたという表示があちこちにある。

 

船が停泊している岸壁にある防潮提に案内してもらった。

「ここに津波が押し寄せて、それを越えて街を流した」

今では、そこに立っても、正直ピンと来ない。


 最近、その時の宮古の画像を見て、津波の凄さをあらためて

思い知らされた。

 

 

石川さんは、浄土ヶ浜に連れっていってくれた。

その日は、晴れていて宮古湾が見渡せた。

「霧やませが出てくると、もう先が見えなくなるんです。

今日は、よかったですね」

透き通るようなエナメル色の湾のなかに、岩肌を見せた

岩の突起がいくつか突き出している。

白い砂浜から岩の方に視線を移している途中、”浄土”と

いうものがあるとすれば、こんなのかも、とちょっと思った。

思うぼく自身はここに立っている。へんな感じ!

 

今年1月から6月まで、「幸せの学び舎ーーあすくら学校」が

はじまった。

ともに繋がる暮らしのなかで、お互いがよりよく生きる知恵や

技を交流し、誰もが豊かに暮らせる地域社会を画く学校。

世のいろいろな試みをしている事例からも学びたい。

石川さんは、この学校をつくっていく役割りになった。

  1月  木の花ファミリー

  2月  トランジションタウン富士の

  3月  分かち合い月3万円のビジネス

  4月  アズワンコミュニテイ鈴鹿ーーやさしい社会の試み

  5月  トランジッションタウン阿蘇

  6月  地元で、畑仕事と自然エネルギーを体験しよう

 

4月のアズワンの企画のときは、小野雅司さんがアズワンの

紹介に宮古まで行った。

石川さんは、受け入れて、小野さんの話を聞き、直接にも

小一時間やりとりをして、アズワンの試みを支えているのが、

「サイエンズ研究所」と「サイエンズスクール」と受け取った

ようだった。

サイエンズスクールの入門コースの「マイライフセミナー」に

参加したいと、小野さんに申し出たと聞いた。


その後、「マイライフセミナー」には11月に参加したい。

それまでは、「あすくら学校」で繋がりが出来た人たちと、

それぞれの活動にかかわりながら、地域づくりのベース

づくりを描いていきたいという連絡がきた。


11月鈴鹿に来たときは、「マイライフセミナー」の参加だけでなく、

街のなかにあちこち暮らしながら、家族のように親しくつながっている

コミュニテイの実際はどんなものか、観察・研究をしたいという

気持ちでいるようだ。

ああ、そういう検討をこれから、やっていきたいと思った。



 

 

 

 

 


東北の旅からはじまる(1)・・「あすからのくらし相談室宮古」

2014-07-18 17:29:25 | アズワンコミュニテイ暮らし

「ああ、無事帰って来れた」

7月13日夜、鈴鹿のわが家の帰り着いた時の実感だった。

人と、たくさんの人と、その人の気持ちや願いに届くように

お話が出来たかなあ、そんな満ちたりた気持ちもあった。

そんなの一人よがりとちゃうか、と言うのもある。

「ああ、もっとじっくり話したかった」

そんな気持ちが残った人も、たしかにいる。

完璧なことなんて、そんなにできるもんじゃないけど、

「出来た、出来た」でもへんだよね。

帰ってから、もう6日。

なんとなく、牛の反芻みたいに、訪ねた人のことが、

なんやかやと湧いてくる。

 

    *          *         *

 

 

7月8日 岩手県宮古にて

名古屋から新幹線で盛岡まで。

朝7時過ぎに出て、12時前には盛岡に着いた。

ほとんど、目を閉じて眠っていた。

「見て、見て、富士山よ」小浪がつっつく。

「おお!」

台風8号が沖縄あたりを北上しているけど、こっちは晴れだ。

 

新幹線、早いのは嬉しいけどわが貧乏暮らしでは目が飛び

出すような運賃。友人が協力してくれた。感謝。

盛岡駅前。

「この近くにおいしい蕎麦屋さんありませんか」

小浪は宮古行きのバスの切符売り場の係りの人に聞いている。

駅前の”おいしい蕎麦屋”に行くと、「”わんこ蕎麦”は一時間

かかりますよ」

バスは午後1時発。

団体さんが賑やかにわんこ蕎麦を食べている横で、盛りそばを

食べて、バスになんとか間に合った。

 

盛岡から宮古まで東に向かって、2時間半。

山のなかを通り、途中から川に沿って宮古に向かう。

あとで聞くと、この川の名まえは閉伊川という。

 

宮古のバス停に吉田直美さんが迎えに来てくれた。

「あすくら相談室宮古」の事務所に案内してもらった。

冷たい麦茶を出してくれた。美味しかった。

スタッフの石川雄治さんがにこにこと出てきてくれた。

人懐っこい笑顔だった。

 

3人で話しているいるうちに、事務所のスタッフみんなが

寄ってきてくれた。

気がつくと、直美さんの相談室にかける熱い気持ちを聞かせて

もらう場になっていた。

 

「あすくら相談室」と略して呼んでいるけど、正式には

「あすからのくらし相談室宮古」と呼ぶ。

直美さんは、もう一つ盛岡でも、相談室を開設していて、

それは「これからのしごと支援室盛岡」と呼んでいる。

 

相談室は2011年の震災以前から生活に困っている人たちの

支援をしてきているが、震災後は”駆け込み寺”の内容を

充実させてきた。

おそらく吉田直美さんの人柄とスタッフの熱意がそこには

あったろう。

 

晩ごはんは、海鮮丼をご馳走になった。

その具が食べても食べても、そこから出てくるような豊かさ。

初めていただいた。驚き。

 

夜は大型スーパーに隣接する倉庫兼用のアパートにいっしょに

泊めてもらった。

直美さんは、週に2~3回、宮古で仕事する。

直美さんは、お菓子、飲み物を仕入れてきた。

お菓子をつまみながら、四方山話し。

直美さんは話していても、滑らかなんだなあ。

ぼくの気持ちもなんか落ち着いてくる。

 

ところで、何を、ここで表現したいんだろう。

核心のところにはなかなか行かず、回りをウロウロしている。

どないしよう?

 

直美さんが盛岡市役所で市民の人の暮らしや、生活に困った

人たちに一貫して寄り添ってきた仕事ぶりや人柄のことかな。

たしかに、それについては話せばいっぱい話すことがある。

それかなあ。

 

「ぼくは、若いとき海外青年協力隊でソロモン諸島に行ったことが

あるんです。そのとき、そこで暮らす人たちは、暮らしのことで

悩んだり困ったりすることもなく、お金がなくともゆったりと暮らして

いた。そこに、とっても感銘したんです。そんなに暮らせたらどんなに

いいか。だから、それから、いつも最後はソロモンで暮らしたいと

いう思いがあったんですね」

「そうですか。そうですよね」

「いつのころからか、こういう生き方や、こういう生き方の出来る

社会が日本でもできないか、と考えるようになったかな」

「ほんとに、そんな社会が出来たらすばらしい。やりたいですね」

(こんな会話がはっきりあったというより、こんな空気が直美さんとの

間であった、そんなことを思い出す)

 

こっからは、鈴鹿に戻って、直美さんからもらった、「ともに繋がり続く・・・

あすからのくらしをよりよくいきるために」という、”あすからのくらし

相談室・宮古”のリーフレットをゆっくり読んだ感想。

直美さんと一夜話したり、事務所の雰囲気を触れたりしたところから

読んでみると、コトバの向こうに直美さんの顔が浮かんでくる感じ。

 

そこで、浮かんでくるような部分を抜粋してみる。

誰かに知ってほしいというのもあるし、ぼくの心に刻んでおくという

面でも。

 

ーー改めて・・あすくらが目指すものは

     困っている方に寄り添い、その方と家族や仲間のような

     信頼関係を構築しながら、その方のくらしの”幸せ”を一緒に

     向上させること。

ーーくらしの”幸せ”の要素

     1、くらしの基盤が安定している・・・・衣食住の安定的確保

     2、自己肯定感・有用感があるくらし

              ・・・社会や家族の中に居場所と役割がある

     3、信頼感、連帯感、”愛”に囲まれたくらし

              ・・・家族(のような人)や仲間が身近にいる

 

コトバが、ぼくには馴染みがないものもあるけど、何か伝わってくる

ものがあるなあ。

 

この次のページにも、コトバは難しいけど(ぼくにとって)、直美さんの

なかの熱いものが醸し出されている。

ーーお金に依存しないサブモデルに期待すること

    ・地域の包摂力を向上し、地域が弱者も含め、どんな人にも

     くらしやすい環境になりうる。

    ・自給自足と相互扶助の拡大により、地域に多様な役割と

     居場所が増え、個人の自己肯定感・有用感の向上や

     地域の人々の間で信頼・連帯の意識が醸成され、

     生きここちがよいくらしにつながるほか、生活コストが下がる

     ことにつながり、これらがこれから生きていく上での

     セーフテイネットになりうる。

    ・地域で眠っている資源が活用され、人の交流が活性化する

     ことが現金収入に繋がる。

    ⇒自給自足的くらし、助け合いにより、衣食住が確保できると

     同時に、自己肯定感・有用感・信頼感・連帯感が得られる。

 

抜粋が長かったかなあ。

直美さんは、盛岡に実践の場を作り始めているし、仲間も出来てきて

いるようです。

直美さんの願いは実現できると思います。

微力ですが、ぼくに出来ることで、それにかかわっていきたいです。

 

宮古を離れる前、相談室の前で、スタッフの人たちと記念撮影

しました。電話の応対をしているスタッフもいっしょに撮りました。

気持ちが通じる人と人の社会があらわれてきますように。

 

 

今回、書きませんでしたが、スタッフの一人、石川雄治さんが

宮古駅前に見送りに来てくれて、いつまでも手を振ってくれたのが

残っています。

    

 

 

 

 


黙っていてもふたりには

2014-07-15 08:02:50 | アズワンコミュニテイ暮らし

昨夜、友ちゃんが「ご飯食べさせてえ」と夕方やってきた。

妻が「岳くん、呼ばないの?」とふと言ったみたい。

友ちゃんは、岳くんに電話したら「じゃあ、行くわ」と

いうことだった。

「岳くん、どっから来るの」

「小牧から」

「ええ、じゃあ、車で1時間」

 

1時間後にやってきた。

「わあ、こんなご馳走。やってきた甲斐があったなあ」と

岳くん。

「乾杯!」

 

岳くんは、妻小浪には5歳の時から世話になっている。

しばし、往時を懐かしんだ。

だが、もう、40歳近い社会人。

近々、友ちゃんといっしょに暮らしはじめる。

「こんなことになるなんて、思ってもみなかった」と岳くん。

 

すでに、いまから、いろんなことがあるらしい。

友ちゃんは自分の気持ちを聞いてほしいだけなのに、

岳くんは「そんなのは、こうしたらいいだけじゃないか」と

正解をいってくれるのよね、と楽しそうにぼやく。

 

ああ、いいなあ。


贈る言葉。

 

 

    祝婚歌                   吉野弘 

  二人が睦まじくいるためには
  愚かでいるほうがいい
  立派すぎないほうがいい
  立派すぎることは
  長持ちしないことだと気付いているほうがいい

  完璧をめざさないほうがいい
  完璧なんて不自然なことだと
  うそぶいているほうがいい

  二人のうちどちらかが
  ふざけているほうがいい
  ずっこけているほうがいい

  互いに非難することがあっても
  非難できる資格が自分にあったかどうか
  あとで疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは
  少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは
  相手を傷つけやすいものだと
  気付いているほうがいい

  立派でありたいとか
  正しくありたいとかいう
  無理な緊張には
  色目を使わず
  ゆったり ゆたかに
  光を浴びているほうがいい

  健康で 風に吹かれながら
  生きていることのなつかしさに
  ふと胸が熱くなる
  そんな日があってもいい

  そして
  なぜ胸が熱くなるのか
  黙っていても
  二人にはわかるのであってほしい