かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

はじめてカレーを作った日

2011-11-30 07:38:25 | わがうちなるつれづれの記
 はじめてカレーを作った日、妻のなかでは何か起きていた。
 不機嫌そうに見えた。

 その日は、午後からパソコン教室がない日だった。
 妻は、”お肉とやさいの店”の店番に夕方まで行っている。
 カレーをつくるには最良の日だ。

 妻は、出がけにカレールーを置いて行った。
「どうやって作るんだい?」なにも、手ほどきなしにやるのかい?という気持ち。
「箱に作り方、書いてある」と妻。
 よく見ると、たしかに書いてある。
「わかった・・」

 夕方、そわそわと始めた。
 材料は。ジャガイモ3個、タマネギ3個。ニンジンが無い。どうする?
 ”お肉とやさいの店”に買いに行く。
 妻がいた。「よく、探せばあるわよ」と言った。
 規格外の大きなニンジンをもらって、帰った。

 ジャガイモなど洗って、皮剥いて、一口大に切る。
 そういえば、どこかでジャガイモの芽は毒だからと聞きながら、真剣に削った覚えがある。

 厚めの鍋にサラダ油を入れ、先ず豚肉を炒め、そのあと野菜を入れ、”よく炒める”
 ”よく炒める”とは、どういうことをいうのか?
 タマネギがシナっとなることで、やってみた。

 そのあと、水1200mlときた。
 それは、どのくらい。とっさには分からない。
 計量カップを探しまわる。意外に近くにあった。

 しばらく、ぐつぐつと煮た。
 それから、カレールーを箱から出して、10人分、だったら全部。
 ”割りいれる” 「ああ、もうチョコレートみたいに、割りやすくできている」
 その時は、弱火。
 とろみがつくまでかき混ぜて、あとは10分ほど弱火で置いておく。
 「やれやれ、出来た。なんだか、簡単。これは料理とはいわないよなあ」
と思いながら、一休み。

 そのころ、妻は店から帰ってきていて、誰かと携帯電話らしいが、台所の隣の小部屋で
なにやら話をしている。
 結構、長い。
 「まだ、話しているのか?」
 感じとして、北海道にいる息子と話しているらしい。
 「まだ、終わらないのかなあ」
 どうも、そのときは「やったぜ!」と言いたい気持ちが強く起きているらしい。

 やっと、終わって、作ったと報告すると、出来映えを見てくれた。
 「ちょっと、焦げてるわね」
 ルーを入れてからは、焦げやすいので、最後の一手でかき回さないといけないらしい。
 「でも、よくできているわよ」

 その夜、二人だけの夕食だった。
 カレーがとびきり美味しかったかといえば、よく分からないが、「じぶんで初めて作った」
嬉しさはあった。
 妻は、電話のあと、なにか浮かない感じだった。
 食後のお茶を飲みながら、「なんか居場所が無い感じ・・」みたいなことを言いはじめた。
 彼女の調子に引き込まれそうになりながら、ぼくのなかでは嬉しい気持ちがどこかで湧いている。

 夜更けまで、いろいろ話した。
 話していくうちに、妻はいろいろなことを言っているが、どうもそのことが言いたいというのでは
なさそうだと、ようやくじぶんのなかに起こってくるものがあった。
 妻のなかで、何かが起きている。
 何がおきているんだろう?

 その夜は、そんなこんなでいつの間にか二人とも眠ってしまった。

 翌朝だったか、妻は「12月の”自分を知るためのコース”に行こうかしら」と言った。
 「もし妻が行くとしたら、1週間、毎日カレーでもいいかあ」とちょっと思った。


 

ラダック MEETS スズカ  (3)

2011-11-29 09:39:37 | アズワンコミュニテイ暮らし
 今回、ラダックのスカルマさんはじめ、ラダックの暮らし、生き方に関心のある方々が鈴鹿の地に寄り合い、お互いもそうだし、スカルマさんを通じてラダックが近くなった。

 20日(日)午後2時、鈴鹿カルチャーステイションの玄関ホールと喫茶コーナーが、
”ラダック MEETS スズカ”の特設会場になった。
 この日は、大阪や四日市から、「懐かしい未来」のメーリングリストや人伝てで知った
という人も来ていた。

 スカルマさんは、ラダックの民族衣装を身につけて、登場した。
 ラダックの自然や社会の様子をスライドショーで、話してくれた。
 ついで、坂井和貴さんが”鈴鹿カルチャーステイションの活動をビデオで紹介。


 ワールドカフェになる。
 各テーブルで、ラダックの暮らしについてとか、日本でのコミュニテイーづくりについてとか、
話し合いがあった。


 


 そのあと、もう一度、スカルマさんが、今回の交流の感想を発表した。
 この時のスカルマさんは、熱が籠っていて、彼のなかにある人生の至福ともいうような境地から、
コトバがあふれてくるように感じた。
 じぶんが感じたままに・・


 ――スカルマさんの家族は大家族だ。畑が忙しいとき、ネパールからも働きに来る人がいる。
子どものころ、そのような人の一人がいつの間にか居ついて、家族の一員のようにして
暮らしている。
 時々、ふらっといなくなる。戻って来る。居る時、なにかやれることをやっている。家族のものは、
それに何か言うわけでもなく、咎めることもしない。それで、歳を重ねているという。

 ――村のなかには、ぶらっと家にやってきて、そこらにあるものを持っていく人がいる。
 ”盗んだ”といえば、そうかもしれないけど、家族のものがそれを問題にしていなかった。
 「ああ、またあの人が持って行った」という。
 その人の家に行くと、持って行ったものがある。家族の者は、「あそこにあった」とは言って
いるけど、”盗んだ”ということにならなかった。

 ――家族だったら、どんな現れになるだろう、振り返ってみたら、そんな感じだったとスカルマさん。
 お金もあるけど、地域の家族同士が支え合って農作業をやっていくので、ほとんど使わない。
 鈴鹿でリンカの試みがあるけど、人と人が家族のような間柄のときは、リンカも要らなくなる。

 どんなコトバだったか、正確には覚えていないが。
 昨晩の懇談会の感想が、スカルマさんのなかで、そのときさらに醸成されたかのようだった。


 「ラダックには、道がなかったんです」とスカルマさん。
 いまでも、辺境の地域に行くと、そんな感じらしい。
 おそらく、人が家と家の間を往来するときに村人が踏みしめた足跡が”道”というものだったのだろう。
 3000メートルを超えたところにある山岳地帯。透き通るような山岳の美しさはあっても、訪れる
人はおおくなかったに違いない。
 それが、周囲の近代化の動きの影響が及ぶようになり、大きな道がラダック地域に入りこんできた。

 「鈴鹿には、コミュニテイーの人と人がいまのようにやれているのは、サイエンズスクールがあるのが
大きいと思う。ラダックでは、冬の寒さは厳しくて、外で作業が出来ない。その時期、チベット仏教の
僧侶たちが家々をまわって、説教をするんです。冬の間に、みんな”善い人”になっている」と
スカルマさんは微笑んだ。
 インターネットで、ラダックを検索していたら、チベット仏教の修行する少年僧侶(?)の写真を
見た。目が、美しい。微笑みが天真なこころから現れてくる感じ。
 「これって、スカルマさんの目とも、微笑みとも、どこかかさなってくるなあ」


 ラダックには、これからも道がもっとついていくのではないか。
 鈴鹿では、もうこれ以上道は要らないと言いたくなるほど、道がついている。
 それぞれ、置かれた社会条件や環境は、相当違う。
 でも、人間の本来性、人と人とで作る社会のことや、社会気風がどうありたいかということでは、
これからともに、それぞれ研究・実践をする間がらで、交流していけるのではないか。
 これは、日本とラダックというだけでなく、それぞれの団体相互で、人と人の間で、
そうそう夫婦の間でも、そうありたいと・・・こんなふうにまとめたくないけど・・まずは。

















  

ラダック MEETS スズカ (2)

2011-11-28 04:55:44 | アズワンコミュニテイ暮らし
 もう少し、ジュレーラダック一行が、コミュニテイーの探訪をし、お互いが交流した
様子を紹介したい。
 
  19日の夜の懇談会は、寛いだ雰囲気だった。
 鈴鹿に住む人からは、牛丸信さん、伊与田さん、中野敏美さん,小野みゆきさん、本山照子さん、坂井さん、
それにぼくが参加。
 
 写真は、懇談会第一部の様子。





 10時過ぎても、話は尽きることなさそう。
 途中、石黒恒太くんが飛び入り。
 あちら、こちらで結構、話が弾んでいた。
 夜も更けて来た。ぼくは退席した。

 翌朝(11月20日)は、アクションタイム、里山体験が予定されていた。
 昨日の雨は、あとかたもなく、快晴。
 8時過ぎ、車で迎えに行く。
 研修所の食堂で、朝ごはん。
 聞くところでは、一番遅い人で、2時半まで話していたとか。
 食卓のそこここで、それぞれ食べているけど、和やかな空気を感じた。


 鈴鹿サーキットのコースの下をくぐって、鈴鹿の西端にある丘陵地帯の一角にある徳居里山に
出かけた。
 高崎広さんが、待っていてくれた。

 この里山は、今年の冬に下刈りにとりかかり、谷津田周辺の里道も笹竹を刈り払って、日の目を
見た。
 そこを、高崎さんの先導で歩く。秋の日差しがまぶしいほどに降り注いでいた。


 クヌギの植樹をした。
 「何もかも用意してくれて・・天皇陛下の植樹みたい・・」とか言いながら、植えた。
 「炭やシイタケができるように・・生きてるかなあ・・」
 スカルマさんは、黙々と何本も植えていた。


 この”アズワンコミュニテイー普段着で探訪”は、言ってはなんだけど、モリだくさん。
 里山から、鈴鹿カルチャーステーションに戻り、お茶会と懇談会。
 
 お茶会は、片山弘子さんが受け入れてくれた。
 スカルマさん、初体験とのことで、弘子さんの立ち居振る舞いをじっと見つめ、
弘子さんが”茶”に向かう時の気持ちについて語るのを、耳をそばたてて聞いていた。


 お茶会のあとの懇談会には、小林耕一くんや福田博也くんも加わった。
 参加の人から「昨日の夜は、若い人たちが寄っていたというけど、どんな話をしているの?」
と質問。
 「ええーと、そうだね、ううーーん、まあー」となかなか聞きたいという人が知りたいという
ことに至らない。
 「そうですねえーー仲良くするってどんなことみたいなこと・・」と福田くん。
 「いやあーまあー、そうだねえー、なんというかな、世界中で何十億って人がいて、その人たちとは
別に仲が悪いなんてことないのに、そうそう、それなのに身近な何人かの人と仲が良くないっていうのが
変だよなあ、みたいな。そんなの言っているのがあって、・・・そんなかんじかなあ」と小林くん。

 昨日から、少々歳を重ねているコミュニテイーの人たちと接してきた参加者の人達は、この若者たちの醸し出す雰囲気に、何かを感じとっているようだった。

 この後、コミュニテイ食堂中井宅で、佳子さんの手料理をいただく。

 ジュレーラダック一行の”アズワン・コミュニテイー普段着で探訪”の日程は、一応ここまで。
 
 こころに残っているのは、夜の懇談会だったか、誰かが、「そうよ、みんな仲良くやりたいと
思っているのに、NPO同士、仲良くやれないのよね」みたいなことが話題になったとき、佐奈子さんが
「サイエンズというものがないからじゃないかな」と言っていたように聞いたこと。

 振り返って、”サイエンズ”というようなコトバを日常のなかではあまり使ってはいない。
 でも、じぶんのなかには、”サイエンズ”というものをこんなふうにとらえているのかなあ、というのは
ある。
 それと、佐奈子さんが、表現した”サイエンズ”が同じかどうか、そんなことはわからなし、
ある意味ではどうでもいいような気がする。
 仲良くしたいと思っているのに、なぜ、思ったようにいかないのか?
「どうしてなのか?」
 そこから、はじまるもの。
 そういうものが、じぶんにも、それぞれの人のなかにもあるんじゃないのかなあ。


















 


 

ラダック MEETS スズカ(1)

2011-11-25 10:46:10 | アズワンコミュニテイ暮らし
 ちょうど低気圧が日本列島を南下していた。
 11月19日(土)午後から翌日夕方まで、”ジュレー・ラダック”の方々が鈴鹿を訪れた。
 東京や名古屋、島根、滋賀から9人、平田町駅に集まる予定だった。
 近鉄伊勢若松駅から、近鉄鈴鹿線への乗り換えが間に合和ない人もいて、雨のなか三々五々の
到着だった。

 ”ジュレー”とは、ラダック語で「こんにちわ」という日常語らしい。あとで聞くと、「ありがとう」
「さよなら」も「ジュレー!」を使うらしい。
 ”ラダック”――これは、説明が要るかも。
 インドのジャッムカシミール州の最北端部、西はカシミール地域、3000メートルを超える山岳地域にある。
日本でいえば、富士山の頂上付近で暮らしを営んでいる。
 ここに、ラダック語を話し、伝統文化を同じくする人々が自治的に暮らしている。
 人口は24万人。(鈴鹿は、20万人)
 この春、「幸せの経済学」という映画で取り上げられた地域だ。スエーデンのヘッジさんと言う
女の人が広く、ラダックを紹介してきた。
 日本でも、ラダックとの交流を進めている活動がある。
 ”ジュレ・ラダック”というNPOである。
 
 詳しくは、下記をご覧ください。
http://julayladakh.org
 

 今回の企画は、この秋からスタートした”アズワン・コミュニテイ普段着で探訪”に、
この春、コミュニテイーを訪ねたことがある寺坂佐奈子さん、旧姓加治さんが
ジュレー・ラダックの会員と一緒に参加したいという提案からはじまった。
 アズワン・コミュニテイ鈴鹿の見学と、”ジュレ・ラダック”と”スズカ”の出会い、
交流を一般にも公開することに、広がっていった。

 この日は、日本での”ジュレ・ラダック”の代表をしているラダック人(ラダッキー)の
スカルマさんもやってきた。
 スカルマさんは、飾らない人柄のように感じた。
  ”普段着”――ラダック語ではなんと言うのか、初対面からいままでも付き合ってきた
人に再会したかのように、ごくしぜんに頬笑みを交わし、親しみを感じた。

 鈴鹿カルチャーステイションで、コミュニティーの概要や、マップでどんな暮らしが
営まれているか、坂井和貴さんから説明があった。


 岩田さんから、アートギャラリーの案内があった。岩絵の具をどう使っていくか、熱心に
見て聞いていた。
 ”四季のスケッチ展”やたまたまやっていた”アート教室”など見学。


 まちのはたけ公園。雨が降っている。小林耕一くんが案内してくれた。長靴をはき、
傘をさして、大人の農園、子ども農園、果樹、蓮池、落ち葉やダンボールコンポストなど
堆肥場を見学。一行は、長靴をはく機会がないのか、水たまりに入るのがうれしそうだった。


 おふくろさん弁当は、伊与田吉秋さん、恩田みゆきさんが案内してくれた。
 「仕事を通して、自分のなかでいろいろ起きてくることを見ていて、面白いんですよ」


 ”お肉とやさいの店”
 地域通貨、リンカに質問が集中。なかなか、わからないよう・・


 鈴鹿カルチャーステイションに戻って、サイエンズスクール鈴鹿の案内を竹本美代子さんが
した。

 
 サイエンズ研究所の事務局では、この日出来あがったサイエンズ2号「人を聴く」を
牛丸信さんが紹介した。

 今回の宿泊先の、鈴鹿ハイツ団地にあるサイエンズスクール研修所に向かうときには、
あたりは暗かった。雨はすっかり上がっていた。

 研修所では、萩原秀子さんんが、コース開催しているときの使い方など案内してくれた。

 夕食は、一同そろっていただく。
 トンカツと筑前煮。筑前煮は、何回もお替りしている人もいた。
 松江から来た、坂本和代さんは、自家製のお酒「松江ずくし」の出来あがってくるまでの
背景をなめらかな語り口で口上してくれた。
 スカルマさんはじめ、一同、「そこまでして出来たお酒、どんな味がするのだろう?」
みんなで回し飲みして、にぎやかな食事になった。
 お互いに、打ち溶けた雰囲気が漂った。

 さあて、食事のあとは、部屋をかえて、懇談会があった。
 寛いでいて、ゆったりと晩秋の夜を語りあった。
 その時の様子は、アズワン・コミュニテイーのホームページに中野敏美さんが
書いてくれています。
 そちらも、ご覧ください。

http://as-one.main.jp/sb1/

 


 
 





















 

四日間連続の夜の日常化レッスン

2011-11-25 09:50:02 | サイエンズスクールのある暮らし
 久しぶりにサイエンズスクール鈴鹿の会員ブログを読んだ。
 一人ひとり、日々感じたこと、思ったことを、結構思い思いに書いている。
「こういうとこを見ているのか」、「そこに焦点を当てているのか」、じぶんのなかでいろいろな
感想が湧いてくる。

 先日、四日間連続の夜の日常化レッスンがあった。
 それに、参加した人の感想がいくつかあった。こころに残った。
 「言われた」や「された」というのを検討したらしい。

 Mさんのブログ。
 「相手が言ってきた
  相手に言われた
  相手を怒らせた
  という、感覚があるなあ

  見てみると、このいやな気持ちを
  あらわすのに、「~さんに言われた」と。
  自分の気持ちをあらわすのに、相手のことを言うのは、なぜ?

  このいやな気持ちは何に対して起こって来たのかな?
  感覚的には、相手の言動に対してという感じだけど。
 (相手に言われて嫌な気持ちになった。)
  実際、相手が言ったというのはあるだろう
  自分が言われたというのは、実際はどういうこと?」

  「言われた」と言う感じが出て来た時の自分の例を思い浮かべる。
 これは、実に容易なことだ。妻との間で起こる自分のなかの反応、
 自慢じゃないけど、「言われた」の感情の例に枚挙のいとまがない。
  そんな感情は、厭な感情だ。
  そして、「妻がそんなこというから」と厭な感情を妻のせいにしている。
  こういうことは、その時の例でじっくり見てみないとわからないことだろうけど、
 「自分の気持ちをあらわすのに、相手のいうことを言うのは、なぜ?」
  
 Tさんのブログ。
  「自分の捉え方(感覚)はあるし、それには良し悪しはないだろう。
   それで、実際、自分は、相手は、どうだろう?

   4日連続の日常化レッスンに参加して
   感覚的(感覚重視)な回路から
   しらべる回路に、
   どうやってなっていくのかなと思った。


   相手にも、自分にも心の状態がある。
   自分の心の状態を知ることで、相手の心の状態にも向いていくようだけど。

   そのようではあるけれど・・・
   「言われた」など、「・・・される」という感覚。
   そう捉えるためか、相手に対し反応してしまう。
   でも振り返ってみると、実際は、聞いて自分の中にあるものに対しての反応なんだけど・・・
   ふつーにそうなってて、だんだん変には思うけど。
   自分の感覚が相手のことになっちゃう状態からはなかなか抜け出れない。

   自分と相手が混線して、自分の心の状態も見えなくしてしまうのかな。
   「言われた」とか、「どう思われるか」とか・・・
   言ったり、どう思うかは相手のこと。
   わかりようのないものを、見たり聞いたりしてわかってしまうのは、なんでだろう~?
   理屈は変だけど、そうしちゃっている。
   自分の反応が、「何に対する反応か?」よく見てみたいなー 」

   Tさんは、ブログの最初に、
   「自分の捉え方(感覚)はあるし、それには良し悪しはないだろう」
  と書いていた。
   ちょっと、「あれっ」と思った。
   どうも、これまでの生い立ちのなかで、「自分の捉え方(感覚)」に良し悪しを
  相当つけながら、やってきたんじゃないだろうか?
   こういうことは、普段毎日のやることに気をとられていたら、気付かないだろうなと
  思った。
   いちいち、人のやることが気に入らない。日常そんなことその都度出していたら、
  相手とぎくしゃくして、お互いがスムーズに行かないと考えて、出さないようにする。
  出さないだけで、「自分の捉え方(感覚)」をじぶんがどう扱っているかには、ほとんど
 関心が行かない。盲点なのか。
  「自分の捉え方(感覚)」に、良し悪しがあるといえるのだろうか、ないのだろうか?

  大きく外れる前に、しらべる回路に。