考えてみたら、こんな酷暑の昼日中、わが家から出て、
会場にやってくる一人ひとり、「行かなくっちゃ」だけでは
寄って来ないだろうな。
ぼくも部屋にいるときは、ほとんど寝っころがっている。
「よっこらしょ」と起き上がる。
「みんなの顔が見たい」「あの人の話が聞きたい」
今回は、久しぶりに大平事務局長が参加すると聞いて
いた。
「少しは体調がいいんだろうな?」
やっぱり、顔見てみたいという気持ちになっている。
彼は事務局長なんて名前で動いている感じはないんだけどね。
何か大平さんがぼーっとでも座っているとか安心なんだよね。
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例会は一応、”次第”というスケジュールがつくってある。
進行してくれている敏正さんも、例会の参加者も、あんまり
”次第”に頓着していないけど、何となくは滞りなくまわって
いく。
7月の活動報告。
活動たって、特別なことというより、日々の暮らしで、
自分がやってみたことで、いろいろ思ったことなど、
出すだけのこと。
小浪が7月はじめ、東北旅行に行った感想。
「ゆいまーる那須」に行ってきた。
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「まだ介護施設には行かないでいい高齢者が一人で気楽に、
自由に、しかもみんなで住むのでひとりぼっちにならないで、
暮らせるサービスつき高齢者住宅なの。ゆいまーるって、
沖縄のコトで”助け合い”という意味らしい」
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宮地「去年ぐらいから、老後の暮らし方など語り合おう、なんて
言って、理想の暮らしの会をやってきてる。今回小浪と
”ゆいまーる那須”を訪問して、身近になった死や老いや病と
どんなふうに豊かにつきあうか、もっと深く考えるキッカケに
なったなあ。
かといって、一人だけじゃできないよね。誰もが、安心して
老いることができる、死ぬことができる社会ってどんなだろう、
とも思った」
大平「今年になってかかり付けの医者から白血球が多いと
言われ、結局”白血病”と診断された。
それまでは、死なんて怖いもんじゃないとかいっていたけど
実際そうなったら、不安でね。1ヶ月ほど、悶々とした感じ
だった。
切り替ったのは、孫だな。可愛い。新たな生命が育とうと
している。怖くなくなった。愉快に楽しく死を迎えたい、とね」
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余川「ほんとに、死っていうのは分からない。親戚の蕎麦屋さん、
83歳でガンが見つかった。病院が当人にいうには、手術をするか、
抗がん剤を飲むか、自分で決めろ、と言うことだった。
それを聞いた蕎麦屋さん、何をおもったのか、止めかけていた
蕎麦屋を熱心に切り盛りしはじめた。気がついたら、ガンが消えた
いたんだね。人って、観念の力も大きいのかね」
康子「実は、私もついこの間、病院に行ったら肺に影があると
いうの。気持ちが不安になって。他の医者にも話しを聞いて
もらって、少し落ち着いた。これから検査していくけど、、カラダの
実際はそうあるしかないんだけど、頭が安心したり、不安になったり、
面白いものよね」
照子「この一ヶ月、何か、したかしらね・・・あっ、そう、この間
”土用の牛の日”だったでしょ。ウナギ、食べたい!って。
、ウナギって高いでしょ。イワシの蒲焼と思って買いに
行ったけど、サンマしかなかったの。いいや、今日はサンマの
蒲焼にしようって。
同居しているおばあちゃんって、自分では何もしないで、
食べ物は自動的に食卓に並ぶものと思っているの。
食卓に置かれたサンマの蒲焼を見て、「ああ、ウナギだね!」と
言ったのよ。
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わたし、一瞬”ううーん”って詰まったの。
おばあちゃん、その日はテレビで散々”ウナギの蒲焼”を見て
いるのよね。違う、とは言わなかった。
おばあちゃんたら、”ウナギ、初めて食べた”ってまで言うのよ」
(照子さんの夫、おばあちゃんの息子の大平さん「うっそー!」
と反応)
照子「半分食べて、あとの半分は明日にする、というの。
朝になって、おばあちゃんが言うには、昨夜一晩中寝れなかった
という。”何か、川魚の生臭さみたいなもので、大変だった”ってね。
ああ、どうしよう、”あれはサンマだった”と白状するかどうか。
結局、”ああ、そうだったのね”で済ましたのよ」
(大爆笑)
息子の大平さん「ふるさとの新潟では、親父が川でウナギを採って、
いつも作ってたべていた。おふくろは、生臭いって嫌っていた」
余川「”目黒のサンマ”(落語)より面白い」
敏子「最近、嬉しいことがあったの。あれやこれやで畑に行けなくて、
草茫々だったの。孫のことなど落ち着いたので、ダンナと畑を
耕そうって行ったの。トラクターは無いので、ダンナが管理機を
もって行っただけど、5メートルも行かないうちに、草が絡まって、
耕すどころじゃないのよ。ダンナは大きな鎌を家まで取りに行った。
私、やるきゃないと決めてるし、手鎌で草を刈り始めたの」
誰か「どんくらいの広さ?」
敏子「7畝ぐらいかしら。汗だくだくでやっていたら、それをどこかで
見ていたんでしょうね。60代ぐらいの近所の人が、”トラクターで
やってやろうか?”って、声かけてくたの。
そうしてたら、すぐトラクターで来てくれて、あっという間に畑が
出来ちゃったの。はじめて、地元の人とつながった感じがしたの」
敏正「ぼくら夫婦、長く暮らしてきた名古屋から、4年ほど前、
いなべの石ぐれに帰ってきた。その頃、石ぐれ小学校のボランテイアを
やってたとき、その人といっしょにやってたんだよね」
敏子「ダンナの実家だといっても、子育て中は家族で名古屋で暮らして
いたのよね。帰ってきたといっても、外人みたいな感じなのよね。
なかなか、25軒の在所の人たちと溶けっていけないのよね。
それが、その出来事で、何か溶けていけるキッカケになりそう・・・」
誰か「敏正さん。敏子さんとこで、そのうち地元句会がやれないかな」
そうだよね、ぼくらの句会体験からすると、句会でお互いの句を
味わいながら、その人そのものを味わっている感じもあり、人と
人と人の間に仄かな親しみのこもるゆとり、が感じられるんだよね。
中井「ぼく、仕事のことで、ある人と話したことがあるけど、
ちょうと行き違いもあって、じっくり話したんだけど、その時、句会の
話をしたら、そのあとで、その人が一句、ぼくに作って、メールで
送ってきてくれた。
二色に身をひきさけり半夏生
半夏生草って、どんなものか調べたんだ。七月ごろ葉が何枚か
白色に変化する。それがやがて緑一色になるという。
それで、ぼくも一句。
時をえて緑にかえる半夏生
これ、メールで返したんだ」
(一同、感嘆の「へえー」)
敏子師匠「いいわねえ」
てな感じだったかな。
何か気持ちがほっこりしながら、大暑を暮らしている。
ゆいまーる那須には、誰もが人生の後半、死や老いや
病いを豊かに生きれるような社会にしたいという目標がある。
そのために、コミュニテイづくりに取り組んでいる」
宮地「この間、”理想の暮らしを語る会”で大津さんにそば打ち
してもらって、食べた。そのとき、老後の不安が話題になった
とき、足利友紀さんがカラダが動かなくなったとき、そのところは
誰かに補ってもらい、やれるところは自分でやっていく、難しい
ことないわよ、って言ってくれた。何かもっとお互い親しく話し合える
ようになっておくのが、大きいなあと思った」