かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

内臓の現われ

2016-02-28 22:21:49 | わがうちなるつれづれの記

きょうは、わりあい寒さが緩んだように感じた。

ラインで、中村知美さんから須賀神社の梅林の写真が送られてきた。

娘のつむちゃんも写っている。

以前、小浪と行ったことがある。

行きたいな、という気持ちも起きたが、だるいなあというぼんやりとした

気持ちに覆われてしまった。

夜、小浪が「お昼にジンちゃんとお弁当もって、梅を見てきた」とのたまわった。

 

1月中ごろから、息切れや目まいや身体のだるさが、これまでになかった

自覚症状として意識されてきた。

1月末、大学病院循環器内科のかかりつけ医の定期診察を受けた。

この時期、寒さが厳しいので、心臓に負担がかかっていますね、という

ことだった。

その後、だんだん胸のあたりがムカムカする感じがなかなか抜けず、

食欲が無くなってきた。息切れとムカムカ感で、気持ちも何か沈んで

くる。

身体の中で、何かが起きているのだろうけど、こころが不快感でいっぱいに

なる。

胃袋に何かおきているのかもしれないと、市内の内科病院で診てもらう。

胃酸過多でしょうかね、1週間分の薬を出しますので、様子みてください」

ということだった。

大学病院での薬の表や血液検査の結果など見せたけど、「ああ、そう

なんですね」ということだけだった。

1週間薬を飲んでみたけど、とくに改善された感じがなかった。

美代子さんと話していたら、スマホで「心臓と消化器症状」で検索したら、

心不全との関係が書かれてあった。

定期の診察ではないけど、大学病院に予約をとって、2月23日かかりつけ医

に診てもらってきた。

いろいろ自分で感じている症状を伝えていったら、「アミオダロンという薬、

今、2錠にしていますが、1錠減らしてみましょう」ということになった。

そのほか、1日1錠の胃薬を処方してくれた。

 

そのころ、秀剛の愛妻悠海さんが、12月に生まれた第2子”駿”くんと

長男和(わたる)を連れて、世話になっていたご両親のところから戻って

来た。

秀剛一家が、ジジババの家に晩ごはんを食べにきた。

早めに食事が終わったので、駿くんを抱く回り合わせになった。

駿くんは、気持ちよさそうに、ぼくの顔をじっと見ている。

目をそらさないで、マジマジと見ている。

にっこり、微笑むようなときもある。

何か、恥ずかしくなって、ぼくのほうは目をそらしたくなるんだなあ、

これが。

胸のムカムカとか、不快感がなくなっているわけではないけど、

そのときは、そういうものが、どこかにいっていた。

 

和が生まれて間もないころ、すっかり眠りこけている和(わたる)と

添い寝することが、無上の喜びだった。

 

 赤子とは宇宙の気配冬日向

 

そんな感じだった。

 

 

胸のあたりの不快感がこれほど長くつづくのは、はじめての経験だ。

ものの本によると、胃袋は「日リズム」というものがあって、その起源は

大きな宇宙的な要素、天体相互の運行法則と共鳴しているという。

人には「年リズム」というものもあり、一年に一回ぐらい、一定期間、

休眠状態で過ごすという習性があるとか。30億年の生命記憶というもの

らしい。

そこから、見ると今回の胃袋から胸にかけての不快は、厳寒期に心臓の

血液の循環が鈍くなるような現われが顕著になったためか・・・?

想像に過ぎないけど、心臓の不全状態ということもあるけど、動物という

ところからいえば、一種の”冬眠現象”とかさなっているかもしれない。

 

死にたしかに向かっている。

それは、どうも内臓たちの現われから、じょじょに自覚されていくのかも

しれない。

できれば、思いのほうに邪魔されず、季節感をこころで感じとれる

ようでありたい。

 

 

 


孫来たる

2016-02-19 23:09:08 | 家族あれやこれや

2月も半ば、1ヶ月半ぶりに、弟、駿(しゅん・2ヶ月)といっしょに

孫、和(わたる・2歳)が、夕方わが家にやってきた。

玄関に入るなり、「ばあばあ~ばあばあ~」と声を張り上げている。

奥の部屋に籠もっているぼくのところにやってきて、「ジージは、ジージは」

と戸の外で叫んでいた。

そのうち、引き違い戸を開けて、部屋に入ってきた。

ぼくが居るのを確かめたら、「ばあばあ」と言いながら、引き返した。

どうも、ジージを覚えていたらしい。

 

ばんごはんができる間、おもちゃをひっくり返したり、ぼくの机に

来て、筆箱をとったり、電子辞書で遊んだりしていた。

弟駿くんは、ぼくがいる畳の部屋で、ぐっすり寝込んでいる。

 

その晩は、ハシュッドシチュウ。長男秀剛の奥さん、悠海さんがつくった。

駿くんは、おっぱい飲んで、あとはまた眠っている。

食卓は、和(わたる)が一人いるだけで、なにか活気がある。

何やかやとおしゃべりをして、ハシュドシチュウがまぶしてあるご飯を

もりもり食べた。

はじめバアバとスプーンを差し出して、スプーンにご飯を入れろ、と

ゼスチャー。

しばらくして、ばばあが席を立って、居なくなったら、ジージにその役が

まわってきた。

 

久しぶりの孫がいる晩餐だった。

気持ちだけでなく、身体を構成している細胞が活性化していると感じた。

いのちの躍動が伝わってくるようだ。

 

 

 

 

 


人間とは・・・

2016-02-16 18:15:16 | わがうちなるつれづれの記

こんな問いを突然だされても、言葉に窮するよね。

 

あるとき、今は亡き教育者、林竹二先生が小学生に向けて「人間とは」

という授業をした記録を読んで、印象に残っている。

先ず、人間と動物はどこが違うか、という問いをだす。

「人間は理性をもっている」と出して、それがどんなものか、子どもたちと

検討していく。

 

林竹二先生は、先ずケーラーという、ドイツの心理学者がやった「まわりみち」

という実験を紹介する

ケーラーは、この実験のため袋小路をつくった。
 
袋小路といっても、仕切っているのが柵ですから向うを見通すことが
 
できる。向うを見通すことはできるのですが、これをつきぬけて向うへ
 
出ることはできない。
 
だが、まわりみちをすれば容易に欲しいものを手にいれることができる。
 
この袋小路の中にいろいろな動物をいれ、柵の向うにその動物の
 
欲しがる餌を置いて、こういう場面で欲しいものを手にいれるために、
 
どういう行動をとるかをケーラーは観察したのです。
 
 
 
その結果。
 
 ケーラーの、1歳3カ月の娘、柵の向こうに人形を置いたら、
まわりみちをして、すぐ人形を手に入れた。
 
ニワトリ。柵の向こうに餌を置いたが、餌のほうにつきすすもうと
するばかりで、まわりみちができない。
 
犬でやってみた。
犬の場合、餌を置き場所をかえた。
餌を柵から離れてたところに置いた。そうすると、まわりみち
をして、手に入れた。
餌を柵の近くの置くいたら、ニワトリと同じように、まわりみちが
できなくなった。
 
 
「犬の場合、なんで一度はまわりみちが出来たのに、2回目は
 
出来なくなったんだろうね?」と問いかける。
 
「2回目にはどんな変化が起きたんだろう?」
 
「餌をおく場所が近くなると、においが鼻をつよく刺激しますね。
 
目でみていると、少し適当でない表現ですけれども”理性的に”
 
考えることができる、ある見通しをたてて、その見通しにもとづいて
 
行動することができるわけです、目でみると。ところがつよいにおい
 
が嗅覚を刺激すると、非常につよく本能が働いて、考えるという
 
力よりも、その本能が-ほしい、ほしいと、ほしいものがある方に
 
ひたすらつき進む気ばかりがつよくなる。そういう衝動ばっかりが
 
はたらく。そうして、最初はまわりみちができたその犬が、まわりみちが
 
できなくなってしまったのです。同じ犬なんですけどね」
 
 
 
林竹二さんは、そこからさらに問いを立てる。
 
「この実験を手掛りにして、人間が理性をもつということがどういうこと
 
なのかを考えてみたい」
 
 
 
この問いは、小学生を前にしてやっている。
 
子どもたちは、どのように聞いているのだろう。
 
いま、これを読んでいる自分は、興味津津、その問いに引き入られて
 
いく。
 
 
 
 
林竹二先生
 
「理性をもつというのは、この場合についていえば、ある状況の下で、
 
ある目的を達成するためにはまわりみちをすればいいんだと解ったら、
 
その通りに実行ができるときに初めて理性をもっているといえることになる。
 
こうすればいいんだと解るだけではだめなんです、解ったらその通りに
 
実行できないと理性をもっているといえない」
 
 
 
「そうかあ」とおもう。 
 
理性とはどういうことかについて、もう一歩、踏み込んでいく。
 
ワクワクする感じ。
 
 
 
「だから、理性をもつためには見通しをつける力があるだけではだめ。
 
その通りに実行するのをさまたげるいろんな力にうちかつことが
 
できなければならない。
 
社会生活の中できたえられて、「学ぶ」ことによってほんとうに賢く
 
なって次第にこうすればいいんだとわかったら、その通りに行動できる人間に
 
なってゆくわけです。ぞういう知恵は学校なんかより実生活の中で身につけ
 
られるものでしょう。社会生活の中できたえられて、だんだんそういう力
 
を獲得していくわけです。

ですから、人間が人間になるための、学問というようなものの最も大事なものの
 
一つが理性をもつということにかかわっている」
 
 
 
ここで、人間が人間になるという見方が出てくる。
 
ただ、ご飯を食べて、毎日の仕事や暮らしを過ごしているだけでは、人間に
 
なっていかないのか?
 
「人間になる」といったら、なるため「人間って、どんなものか」が明らか
 
でないと、そのようにはなっていかないだろう、っておもう。
 
 
 
 
林先生「美しいものを美しいと感じ、その美しいものにたいして、それに
 
ふさわしい向き合い方をする。
 
それから、醜いものはみにくいものとして、それに対する。それにふさわしい向き
 
合いかたをする。
 
そういうことができるようになるための学問が、やはり人間としての一番大事な学問
 
でないでしょうか」
 
 
 
 
理性ということと、美しいとか醜いとか感じる、その向き合いかたって、どんなこ
 
とだろう? ここは、「分からない」ってしておこう。
 
 
 
 
「それで、何が美しく、何が正しいかというようなことは、社会の中でだんだん固定した
 
見方がつくられます。だからその決まった見方をうけいれていればよいのかというと、
 
そこに難しい問題が生じる。
 
人は、あるときには、世間の人がすべて、これが美しいとか、これが正しいとか、いう
 
場合でも、それをただちに美しいとか、正しいとか、認めることができない場合もやっぱり
 
ある。そのときには、やはり、自分の責任において、自分の信ずる正しいこと、美しい
 
ことのために、自分の存在を賭けることが必要になる。
 
そういうときには、世間の通念をきびしい吟味にかける力としての学問がものをいうわけ
 
です」
 
 
 
人間=理性=美醜の感覚=吟味
 
 
 
よく分からないけど、その辺の言葉どういうことかと、探究していけば、
 
見えてくるのかもしれない。
 
林先生の話を聞いている子どもたちは、授業のあとは、何か深いものを
 
発見した喜びで、感想を書く子もいるという。
 
 
 
 
「人間とか、どんなことか」
 
「人間と動物の違い」
 
「人間は理性をもつということ」
 
「理性とは」
 
「理性をもつとは、どういうことか」
 
「理性で見極めたものを、その通り実行できること」
 
「人間が人間になるということ」
 
「世間の通念をきびしい吟味をかける力」
 
 
 
 
いつか小学生のような気持ちで、じぶんのなかで起きたことから、
 
世界を知ろうとしている。
 
本当は争いたくないのに、争っている。
 
本当は人を殺したくないのに殺している。
 
世界の各地で戦争が続いている。
 
戦争のために、人を殺すための武器をつくっている。
 
人類を絶滅させる核兵器も無くせないでいる。
 
それを世界各地に売り歩いている。
 
自衛のためと言って、軍隊を増やしている。
 
ほんとうは、争わなくても、人を殺さなくても、戦争をしなくても、
 
核兵器なんかなくとも、だれもが本当に願うものが、手にすることが
 
できるのではないか。
 
ニワトリや犬には、無いものをぼくらはもっているのだから。
 
いま、目にしたり、耳にしたりすることには、あまりにも、ニワトリや
 
犬にも劣る光景が映ってくる。
 
 
目前の結果に一喜一憂する、かりそめの世界を、健康で和やかな昼の
 
世界から照らしていきたいなあ。
 
「人間を知り、人間らしく生きる」
 
 
 
 
 
 

 
 
 
  

 

 

 

 


ママ、居てほしい!

2016-02-05 18:44:26 | 家族あれやこれや

娘が朝、やってきて午後、車使いたいと言う。

息子晴空が、耳の下のところが腫れていて、昨日から痛いと

訴えているということだった。

「それがね、ぼくが痛いと言っていて、ママに居てほしいといっている

のに、ママは仕事に行っちゃうんだ、というんよ」

 

娘がその後、どうしたかは分からなかった。

晴空は、ここ1年ほど、学校に行きたがらなくて、先生が声をかけに

来ても、行かないときが多い。

いくときは、3時限からいっても、悪びれることなく、クラスの友だちと

やっているらしい。

あまり学校へ行かない晴空のところには、放課後友だちが何人も

遊びにくる。

それぞれゲームをするんだけど、何か声かけあいながら、ある意味

ワイワイゲームしている。

晴空と友だちがどんな付き合いを保っているのか、外からは分からない。

 

あとで、娘に聞いたら、朝は晴空を一人置いて、職場に行った。

途中、「ママ、痛い、帰ってきて!」とスマホが入った。

午前中のやることやったら、同僚の人に「帰ってやんなよ」

と声かけてもらって、昼前に、家に戻った。

午後、お医者さんにいったら、耳の下のなにかの炎症か、リンパの

原因か、血液検査して、また診察することで、その日は終わった。

 

晴空は小学校の4年生だ。

「ママ、そばに居て!」とふつうに言えるんだよね。

甘ったれ、というのが出てくる。

甘ったれ、ですませられるか。

自分の幼年期、こんなこと言えなかった。

意識してというより、こんなふうに親に甘える術を思いつかなかった。

親に甘えたい気持ちがなかったわけではないと思う。

どこかで、そういう気持ちを抑制していたのかも。

一人ひとり、個性や成り行きがあり、一概に「こうだ」なんて言えない。

いえないけど、自分の気持ちをそのまま発しながら、いけたとしたら、

どんなになっていくか、楽しみな感じもしている。

 

 


死に方をめぐって

2016-02-05 14:45:06 | アズワンコミュニテイ暮らし

1月末、西からの低気圧で、日本列島は冷え込んだ。

雪は降るし、冷たい鈴鹿おろしが吹き込むし、晴れても寒さが

身に滲む。

 

毎月寄っている「理想の暮らしを語る会」が、1月16日にあった。

その日、歯茎が痛いなど不調で、参加しなかった。

中井正信さんから、ラインにその日の会の感想が入っていた。

「時間が足りないくらいでした。次回も続~。です。

今日はそれぞれの日常で何処の医者にかかっているか?薬は?

そこのお医者さんの感想は?を出しあいました。

これは意外と人に話してないなぁ~。笑いながら楽しく話したり聞いたり

しました。これはいい!

次に要介護になったらどんなことを望むか等々を話しました。

そこで「看取りの家」に住みたいなぁ~と誰かが出しました。

ハード面は作れるが、やはりどういう人たちがそこで暮らすか、

そういう環境が大事だなぁ~と。

僕は看取りの家と聞いてガンジス川べりにある簡素な看取りの

場を思い浮かべました。中身をみんなで話し合いながら出来て

いけるような感触を得ました。みなさんはいかがですか?」

 

「みなさんはいかがですか?」、かあ。

 

そういえば、1月26日、今年はじめての診察に行ってきた。

三重大学付属病院循環器内科。

小浪もいっしょだった。今の状態を知りたいと付き添ってきた。

血液検査とレントゲンのあと、診察を受けた。

 

病歴を簡単にいえば・・・

14年まえに、心不全状態になった。

「拡張型心筋症」という心臓の状態が影響しているという診断で、

以来、薬で心臓の負担を軽減する治療をつづけている。

2012年、心肺停止から一命を取りとめたあと、心臓に除細動器

を植え込んで、今にいたっている。

 

診察室で、D医師は先ず「どんなですか?」と聞いてくれる。

「最近、息切れと目まいが当たり前になっています。むくみもけっこう

あります」とぼく。

「そうですね、血液検査ではBNPが350ありますから、心臓への負担が

寒さもあって、増えていますね。去年の冬も400ありましたね」

(BNPというのは、心臓に負担があると、あるホルモンが血液中に出てくる。

正常値は18.4以下とされている。)

「今の、この心臓の状態で、これからどれくらい生きられるんですかね」

とぼく。

D医師「それは、なんともいえないですね」

「もっともです、分かるはずがないですよね」

「・・・・」

「この状態の心臓の場合、死ぬときは、どん死に方になるんでしょう?」

D医師「そうですね、突然死か・・・、心不全状態になって、食べられなくなり、

点滴が必要になるでしょうね」

「点滴と言ったら、病院の世話になるということですね」

「そいうことになるかな」

「点滴が必要になったようなとき、病院に行かないでも、在宅とかで

看護してもらいながら、死んでいくという途はないものでしょうか?」

「そのためには、在宅医が必要だとおもいますが、今はそういう体制が

できたいませんね」

「・・・そうですか」

 

D医師から、聞いたときは妙に納得した気持ちになった。

突然死はシンプルだし、在宅となれば、今からそいう医師を探せば

いいし・・・。

あとから、いろいろ思いはじめた。

大学病院はどこまでも、救命と研究に邁進するのだろう。

極端なことをいえば、一人ひとりがどんな死に方をするかは、大学病院の

守備範囲にはない。

社会の働きとして、当然といえば当然かもしれない。

いまの現状では、その辺は自分で考えながら、いくしかないだろう。

 

「突然死、ねえ」とも思う。

心肺停止の状態が起きて、周囲に人が居たら、おそらく救急車を

呼ぶなりして、病院に担ぎ込まれるだろう。

発見が遅れて、命はとりとめても、後遺症が残るかもしれない。

そういう余生というのもありうる。

突然死とはいうものの、そんなにシンプルになるかどうか、予測

できないだろうな。

 

 今、飲んでいる薬は6種。

いまの心臓の状態に応じて、負担を軽くしたり、血栓を予防したり、

不整脈を防いだり。

1、アーテイスト        心臓の働きを改善、心不全を治療する。

2、アカルデイカプセル   心臓の収縮力を強め、血管を拡げて、全身の血液の 

                  流れをよくする。

3、コバシル          抹消の血管を拡げて血圧を下げ、心臓の働きを助ける。

4、ダイアート          利尿薬、むくみをとる。

5、ワーファリン        血液を固まりにくくする。血栓症の予防。

6、アミオダロン塩酸塩速崩錠  心臓の異常な興奮をしずめ、脈のリズムの乱れを

                     正常にして、不整脈を抑える。

 

はじめて、こういうところに、飲んでいる薬の名前とその効能を書いてみた。

気持ちは、はじめから薬は飲みたくなかった。

生存期間が延びると聞いて、14年続けてきた。

気持ちのどこかに薬にたよりたくないというのがあったような気がする。

その割に、先日、自分の薬にたいする気持ちを観察してみたら、

薬を飲まないなんて、とうてい出来ないというような気持ちがあることに

気がついた。いつからか「薬はのまなくちゃ」となってきていた。

まるで薬を飲まなくては、早死にするとでもいうように。

 

「飲まないことができるか?」で自問してみた。

自分のカラダは、薬だけで、こうして生きているわけではないよね。

心臓以外の臓器のお互いの関連があり、臓器をつくっている細胞の

働きがあり、大気の酸素やいろいろな環境があり、食べ物があり、

それを用意してくれる人がいるし、家族や周囲の人たちもいるんだよね。

「薬を飲まなきゃ」としているのは、そういう自分の思いが大きくなっていて、

実際のほうを見ようとしていなかった。

「薬は飲まないでもやれる」

そこがはっきりしたら、自分が、その時、そのときどう考えて、どうするかしか

ないわけだよね。

「いやあ、そうだよ」

そのことに気がついて、あとで思うと、薬も医者が飲めというから飲んでいる」

みたいな、トンデモナイ意識でいたかもしれないと、恥ずかしくなった。

主体はぼくなんだ。

薬も、どうするか、お医者さんと相談しながら、決めていくこと。

 

現状のじぶんのカラダを感覚的にいえば、息切れとかいろいろな

自覚症状は進んできていると感じる。

厳寒というのも、影響しているのかも。

この時期なら、炬燵に足を入れて、寝そべっているが一番気持ちいい。

そこから立ち上がるのは大儀に感じるが、いったん起きたら

なんとか動き出せる。

動き出したら、ある程度、人並みには話したり、考えたりはできる。

 

今、自分がどんな状態かというのは、カラダのなかで、何かが起きていて、

お医者さんでさえ、血液検査や外からの観察で推察するしかない。

まして、ぼくがいろいろ思っても、自分ではどうすることもできないかな。

できることは、今起きている現われを捉えて、何が起きているか、?に

していくことぐらいかな。

 

突発的なことがないかぎり、あと10年ぐらいは生きるかも。

誰もが必ず死ぬ、ぼくもそのうちの一人。必ず死ぬ。

 といっても、いつ死ぬとか、どんな死に方するとか誰にも分からない。

分からないことは、分からないとしておくほか無い。

 

 どんな死に方がいいか、考えるときがある。

病院に引きとられて、点滴や酸素吸引を受けながら、死に向かう

方向にあるのに、逆のほうを向きながら、死んでいくはしたくないなあ。

出来れば、痛みや苦しみもあるかもしれないけど、できたらそんな

ことも、和らげてもらいながら、自然に還って行くような状態で

”あの世”に逝きたい。

あの世がどんなところか、まったく想像できないけど、そこはぼくが

現に生きている、すべてものの関連のなかで生かされてきた、

そのような作用の世界ではないだろうか。

ある時期、死んだときは、研究用の献体にしてもらってもいいし、

臓器移植につかってもらってもいいと、真面目に考えたときが

あった。そのときは、どこかで、自分は物に過ぎないと、虚無的な

気持ちが、無意識のところを覆っていたのかもしれない。

今は、そうは思っていない。

そうだなあ、死んだら骨を粉にして、何かの木の下に播いてもらい

たいかなあ。

30代のころ、鶏や豚の肉処理をしていたころ、ぼくが死んだら

このものたちのエサにしてもらってもいいと真面目に考えたことも

あるけど、今となっては、どちらにしても、生きているときの希望は

言えても、どうするかは残った人で決めてもらったらいいと思う。

 

最近,思う。

死を想ことは、今の生をどう生きるかということ。

自分の生の前には数え切れないほどたくさんの先人の死があり、

自分の後ろには、まだ見ぬ人たちも含めて、永遠を目指す子どもたち

が息づいている。

この実態をそのままに、それぞれがその種を開花できる仕掛け、道筋

を、今、見出して生きたい。

ぼくぜんと、まだ漠然とだけど、おもっている。

いつ変わるか分からないけど、思いつくままに、理想の暮らしを語る会に

投稿します。


自分らしく老い、自分らしく死ねる社会の実現へ。