かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

炎天雑感

2015-07-27 08:14:20 | わがうちなるつれづれの記

ものすごい炎天。

夜もなかなか寝付けなかった。

熱の籠もった空気がカラダに重くのしかかってくる感じ。

この重さ、息をつぐときの重さも、この先そんなに長くないかな

と、ふと湧いてくる。

 

24日だったか、スマホのFACE BOOKで鶴見俊輔さんが

亡くなったことを知った。

暑さに耐えている感じと、そのニュースを受け取ったぼくの

気持ちのなかの感慨が交じり合って、そのときも、今も

モヤーっとした鶴見さんのとのかかわりの記憶の靄の

中にいる。

 

鶴見さんとは、直接お付き合いしたことはなかったけど、

大学時代に影響を受けた人だった。

ベトナム反戦の活動のなかでは、非暴力直接行動委員会と

いう仲間といっしょに、訪米しようとする当時の佐藤首相の車

が羽田空港に入ってくるとき、その道路に寝そべったことがある。

もちろん、「アメリカに行ってくれるな!」という意思表示である。

この行動の打ち合わせを仲間としたとき、鶴見さんもいた。

 

なんでそんなことまでするに至ったかは、思い出せばいろいろ

あるけど、学生時代、大学新聞学会に入っていて、その取材先に

思想の科学があって、事務所が飯田橋にあったと記憶しているが、

そこに足しげく通っていた、その辺からだんだん、ということに

なるのかな。

 

直接の接点はこれだけだけ。

その後も、鶴見さんの書いたもの、発言はよく読んできた。

シックリくるものがあったのかなあ。

社会とのかかわりで、自分でかんがえていくキッカケを

もらってきた感じがする。

それが、どんなものだったか、いまは炎天の熱気の

あっちこっちに拡散してしまっているけど、季節でも

涼しくなったら、自分のところにもどってきてくれるかも

しれない。いろいろ、振り返ってみる気持ちになっるかも。

 

サイエンズスクール研修所は鈴鹿ハイツという団地の

なかにある。

そこへ行く途中、通りに面した垣根に、今、槿(むくげ)の

花が咲いている。

昨日の日中、その脇を車で通りすぎたけど、灼熱の太陽の

耀きにも負けじと純白の花を開かせているように感じた。

 

  つぎつぎと白き気品の無窮花

 

槿(むくげ)は、韓国では「無窮花」(ムクンファ)という。国花だ。

朝に咲き、夕に散る。

散っていくが、そのあとから、まるで絶えることなくつぎから次にと

後継の花が咲いてくる。

 

一輪の花が散る前の、”散りぎわ”の姿が美しいと、詩人の

茨木のり子さんが書いている。

「いったん開ききった花びらをくるくると巻いて蕾状の姿に戻り、

身の始末を終えてからハタリと落ちる。蕾状に戻るといっても、

これから咲こうというふくらみや活力の姿ではなく、洗い晒された

麻のような色と、しわしわ姿に身を巻いて、それから音もなく

散る。こんな行儀にいい花もめずらしい。身だしなみのいい

明治の女の着替えを、ふと垣間みたときのような感慨をもつ」

 

目のつけどころがちがうなあ。

20代で、戒厳令下の韓国を旅行したことがある。

当時の韓国は貧しかった。

麦飯だったし、子どもたちは生きていくためどんなjことでも

していた。

たくさんの人と会ったけど、そこから感じたのは底知れない

生命の躍動、エネルギーだった。

無窮花が国花、そうだよなあ、とおもってきた。

 

韓国の人たちに内在する気品についても、見ていきたいと

思っている。

死に際のこと、かんがえはじめるかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 


非戦の誓いあらたに

2015-07-17 09:42:17 | わがうちなるつれづれの記

思いがけない猛暑日がつづいた。

台風11号が西日本に上陸、各地に被害をもたらしている。

 

国会は7月15日、安保法案を衆院特別委員会の採決を

強行して。翌16日衆院本会議で自民、公明の賛成多数

で可決した。

 

ぼくは、争いのない、幸せな世界の実現を願っている。

今回の強行な採決はその方向から大きく逸脱、逆行する

ものだと思う。

この安保法案を何が何でもすすめようといている人たちは

これからも、他の人の意見に耳を傾けるかどうか疑わしい。

話し合いができればいいが、そうならないときは、それぞれが

ほんとに願っていることをはっきり見ながら、その実現を

知恵を寄せ合って、はかっていくしかないのかな。

 

人が人を殺したり、殺されたり、人間の本来性からみたら

とっても無理、不自然なこと、こんなこと、いつまでも続くはず

ないし、続かせたくないし、いまそんなことより「敵が攻めて

くるんだから、こっちも武器をもってまもらなきゃ」と固く

思っている人も、あんとき、なんでそんなに無理なことを

しようとしてたのかと、じぶんで恥ずかしい思いをするときが

くるんじゃないかな。

 

争いがないということは、じぶんの中にも対立がないこと。

じぶんのなかに対立がないというのは、ゆっくり見てみないと

「ぼくは、そんなのはない」とおもっていても、わからない感じ

がする。

そんな風に溶け合っていく方向での今って、どんなかかわり、

何をしていくことか、よーくかんがえていきたいなあ。

 

なんだかんだいっても、こんな政治をすすめている人たちと

ともにこの地でともに暮らしているところからはじめるんだよね。

この数日のこと、記憶にとどめておきたい。

この世からおさらばしたら、「だから、どうだった?」となりかね

ないけどね。


或る朝

2015-07-14 08:03:05 | アズワンコミュニテイ暮らし

その日の昼から小浪が一週間お出かけをすると

いう朝、思いついて近所の喫茶店にモーニングコヒーを

よばれに行った。

ネットで、朝7時から開いているところを探したら、「サガノ」と

いうのが見つかった。

「名前が、いいじゃん」

 

コーヒーはパプア・ニユーギニア産とある。

そんなところからくるんだあ、と身近になる。

そういえば、永野さんがきのうくれたのは、タンザニア産の

豆だった。

その前、韓国から来たセリが、ケニア産のだった。

 

小浪は、今日から土曜日まで「自分を知るためのコース」に

参加する。

そのためには、洗濯をして、シーツを洗って、羊羹をつくり、

あれして、これしてと、口にはださないけど、忙しそうだった。

「わたしのいない間は・・・・」といろいろ言ってくれたし、

「これやっておいて」「ああこれも」と用事をうけたまわった。

 

前の晩、小浪はぼくより早く床に入った。

「ああ、でかけるのに、やることやったという感じかな」と

ふとよぎった。

はっとするものがあった。

寝ている小浪に「あしたの朝、モーニングコーヒーに行こうぜ」

と声かけた。

 

ちょっと洒落たお店で、ぼくら二人ボックス席におさまった。

注文をしたあとは、なんとなくとりとめのないひととき。

最近、小浪が買ってきたくれたツバつきの帽子を被り、

市川さんからもらった(市川さんは貸したと言っている)

サングラスをかけたぼくの写真をスマホで撮ってくれた。


 

ふと思いついて、この間、たしか江口さんからもらった

新聞の切り抜きを思い出し、「こんなのあるよ」と

小浪に見せた。

小浪は「へえー、これどこの新聞から?」と聞いた。

「わからんなあ」新聞を読まないぼくは応えた。


 

小浪のスマホにある晴空と和(わたる)の写真を二人で見た。

いつも、おもう。

「小浪の写真はけっこう表情をとらえているよな」

それが言葉になるときは「いいじゃん、この写真」

 

送り出して、二日目。

朝、なにか一つ決まらない感じがする。

NHKの朝ドラのあと、「コーヒー飲む?」「うん」

その後、コーヒーミルをもってきて、「ひいて!」

そして、テレビを見ながらコーヒーを啜る。

この儀式がないからか?

 

 

蛇足

いつか、妻と暮らしている自分というので、どこかで気になって

いた吉野弘さんの詩。

この詩を探したら、題名が「或る朝の」だった。

 

    或る朝の

  或る朝の 妻のクシャミに

  珍しく 投げやりな感情がまじった

  「変なクシャミ!」と子どもは笑い

  しかし どのように変なのか

  深くは追えよう筈がなかった

 

  あの朝 妻は

  身の周りの誰をも非難していなかった

  只 普段は微笑や忍耐であったものを

  束の間 誰ともなく 叩きつけたのだ

  そして 自らも遅れて気付いたようだ そのことに

  

  真昼の銀座

  光る車の洪水の中

  大八車の老人が喚きながら車と競っていた

  畜生 馬鹿野郎 畜生 馬鹿野郎ーーーと

 

  あれは殆ど私だった 私の罵声だった

  妻のクシャミだって本当は

  家族を残し 大八車の老人のように

  駆け出す筈のものだったろうに

 

  私は思い描く

  大八車でガラガラ駆ける

  彼女の白い軽やかな脛を

  放たれて飛び去っていく彼女を

 

 

 

 

 


座蒲団の上・・・

2015-07-07 08:45:12 | わがうちなるつれづれの記

テレビをボンヤリ、聞いていた、見ていた。

70歳の男が新幹線で焼身自殺したらしい。

新幹線でテロが起きたらとか、荷物検査はどうする

だの、言っている。

そこが焦点かあ?

男自身のことが話題になってきた。

年金に不満があったとか。

18万が12万になったとか。

「けっこう、もらってるじゃん」ふと反応している。

じぶんとの比較。

青森から上京して・・・と聞いて

はっと、我に還る。

ぼくらの時代の人なのだ。

ぼくらのときは、中学卒で就職もめずらしく

なかった。

彼とは2歳しか違わない。

 

世間並みに、今のわれをかえりみて。

国民年金暮らし。妻と二人で、月10万。貯え無し。

非課税世帯。

心臓に疾患があり、ふつうの仕事はできない。

お金の多寡だけいえば、貧困群のうちの一世帯?

 

それが、日々を見てみると、わりかし豊かに

暮らしている。

マンションで起居、食事も季節の野菜が途切れず、

食卓に卵・牛乳・お肉も、当たり前に出てくる。

どこかへのお出かけも、困ったことはない。

かえりみて、なんでこんな暮らしができているのかな?

暮らしのため、金を稼ぐという煩わしさもなく、静かに

立ち止まってみると、けっこう自分がやりたいことをして

暮らしている。

出来ることを無理なくやるようにこころがけている。


 

隣人の市川さん、地元の会社を昨年、やめちゃった。

最近は、アズワンコミュニテイの会社”おふくろさん弁当”で

働いている。

本人の給料は計算されるけど、市川さんの意志でアズワン

コミュニテイのオフィスに入金される。暮らしで使うときは

給料の多寡と関係なく、カードとか、現金が要るときは

現金をオフィスからもらって、使う。

会社で働くことは自分が働きたいだけ働く。

暮らしにかかる費用は、オフィスから欲しい額を言って

使う。

 

市川さん、ついこの間、大腸がんの切除手術をした。

転移の心配があるので、抗がん治療もするという。

「しんどかったら、止めるかも」と気楽な感じ。

「がんとわかったときは。もう死ぬと覚悟した。

大きくなっていて腸閉塞寸前だったから。

でも、転移してないみたいで、いのち拾いしたなあ」

「身体はこんなだけど、争いのない世界実現のため、

やれること、やっていきたい」

「そうかあ」と、この病人の熱情に感じ入る。

 

はっとした。

この人も、世間的に言えば、財産もなければ、お金の上の

将来の保証もない。

あるといえば、がん、もしや転移してないか、これだけ。

(ああ、ただ最愛の妻がいたあ!)

財産も貯えもないから、お金がない暮らしをやるきゃない。

 

そんなのに、なんで、こんなことができるのだろう?

今だけの、たまたまのまぐれだろうか?

市川さんも、ぼくも、お金のために、じぶんが

やりたくもないことをする、ということが出来なく

なった。そこは、ほんとにそう思った。

お金がなくては、暮らしていけないと観念付け

られている社会で、そんなことできるのか?

すべて、自給自足という暮らしも、ひとつの

案としてあるかもしれない。

でもなあ、だれでも、いまから、このままで、

となると、だれでもがやれるとならないかなあ。

市川さんにしても、ぼくにしても、どのへんから

やってきたかなあ。

気持ちの上で、先ず自ら、何でも、遠慮気兼ねなく

話しあえる自分とはどういものかと探り、そういう願いを

持っている人とともに究明、実践してきたこと。

だんだん、そういう間柄が実際に現われてきたこと。

そのために、社会が個人の意志を妨げないという

基盤をつくってきたこと。

 

そして、いまでは、こころの面だけにとどまらないで、

それぞれの経済面、家計のことも、先ず自らオープンに

なるところからはじまり、オープンに出来る人たちで、

金のいらない社会の仕組みや運営を相談できる基盤が

できてきたように見える。

とはいうものの、意外に、お金のことになると、「こんなこと

他人には話せない」みたいな気持ちが根強く滲みこんで

いるんだよね。

まだまだ、じぶんが何が欲しいとか、何がしたいという

じぶんのその時のありのままの気持ちに向き合う前に、

「お金がないからなあ」と自ら制限するようなものが

無意識に働いているんだよね。

そこ、どんな感じか、焦点を当てはじめている。

そういうことが、見えてきて、オープンに話できるって

なるだけでも、パーッと明るく、広々する感じがする。


お金のいらない社会の仕組みとして、「コミュニテイ

オフィス」、「インフォメーション」、「コミュニテイスペース

JOY」の試みがすすんできているけど、そこをつくって

いこうとする自分たちがお金の面でも、カラッともっと

オープンになっていくへんがポイントじゃないか、そんな

に見えてきた。


この試みがどうなっていくか、こうなります、とは

よう言えない感じがする。

でも、お金なんかに左右されて、自分らしく、楽しく

愉快に暮らすことができないなんて、やじゃん。

人間社会のはじめから、お金で社会が動いてきた

わけじゃないだろう。

だったら、どんな経済生活が、人間にとってふさわしい

か、今の時点で考え直していくとことができるんじゃないか。

「そもそも経済ってなんこと?」とか。

そんなこと、みんなで知恵を出し合うことができたら

おもしろいんじゃないかな。

 

新幹線で焼身自殺した、わが同時代人に心からなる

哀悼の気持ちを捧げたい。

そして、そのような人を生み出さないような社会の

ベースが未だできていないことも、心に刻みたい。

でも、そういう社会が、今から現われてくるように

できそうにおもうんだよね。


       座蒲団                 山之口 獏

   土の上には床がある

   床の上には畳がある

   畳の上にはあるのが座蒲団で

      その上にあるのが楽という

   楽の上にはなんにもないであろうか

   どうぞおしきなさいといわれて

   楽にすわったさびしそう

 

獏さんは沖縄の人で、かんがえられにほど、貧乏に

徹した人だったらしい。

この詩碑は沖縄の与儀公園にあると知った。

「楽にすわったさびしそう」というところ、

「楽にすわって愉快だな」みたいになりたいなあ。

誰もが、自分も満たされてこそ、ほんとうに自分も

満たされるというところまで・・・・

そういう社会の実現、ひょっとしたら、そんなに

むずかしくないかも・・・


                          合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ある出会いの記録(6)・・・・必死で生きて

2015-07-06 17:05:45 | わがうちなるつれづれの記

2012年の12月末に「若年性認知症」という診断を受けてから、

ninjinさんは、言葉が出て来にくい現われがおこり、2013年の

11月ごろは頭のなかが空白になるという自覚現象が起こってきた。

それにもかかわらず、その間の交信は、人間や社会について、

本質に根ざした考察をふだんの言葉で語っていることに、

ぼくはおどろきながら、共鳴してきた。

それが、2014年の新年を迎えたあたりから、一気に、

ぼくの気持ちからいえば、突然発語だけでなく、身体にも

不自由が現われてきたらしい。

ninjinさんの身体に何が起きているのか、分かりようもなく

よし、分かったとして、このじぶんに何ができるというのか?

  

 

 

  2013年11月15日 ninjin→katatumuri   「つながるもの」

    遠くにお住まいの息子様が見えられたのですね。

    皆様にとって人生の一番豊かな時を迎えられて、読ませて

    いただいて、ほのぼのとした気持ちをおすそ分けいただき

    ました。

    我が家もそうですが、子供たちがわがひこばえのように

    成長していく様は、朽ちていく者にとってささやかな安ど感

    をもたらしてくれます。

    私という親をを土台にして生きていくこの子らとのつながりは

    「確かに私が生きていた」、という証しであり、認知症の進行で

    どのような姿のこれからになろうとも、この子らの中に自分が

    いるのだと思うと、生きることに希望があります。

    言語セラピーを受けながら、まるで1,2歳の子供のように・・・

    犬・・ネコ・・車・・という言葉を音にして発音の練習をしています。

    頭では分かっているのですが、音を組み立てて言葉にすること

    ができにくいのです。

    言葉が遅いことで、何もわからない人というようなとらえ方を

    されてしまいます。

    わかっているのですが、みなさんと同じように話せないのです。

    認知症だからわからない人、という扱いをされることがあります

    が、子供たちとその奥さんたちはじっと待ってくれて、ああ家族

    だなあと心底の安心が湧いてきます。

    家族っていいものですね。

 

  2013年11月20日 katatumuri→ninjin 

    njinjinさんも、現象面では、いろいろな表れがあるようですが、

    伝わってくるお気持ちは以前にコメントいただいたときと、ちっとも

    かわっていない。それどころか、なにかより深くなっている感じが

    しています。

    家族のように、お互いがその人の気持ちをそのまま受け取れる

    人と人の間柄になる、一人ひとりを大事にする社会でだれもが

    くらせるように、願ってやみません。

    またときどき、近況を知らせてください。

 

  2013年12月20日 ninjin→katatumuri  「どうなさったのですか?」

    人と人がつながっているということを、よくお考えのこと

    と思います。

    さまざまな、力 とでもいうのでしょうか、エネルギーの流れ

    の方向は、どのように向かっても真理の方向へ向かっている

    様な気がします。

    いいとか悪いとかいう判断のしようのないもの・・・、そうとしか

    ならないようなもの・・・、そういったエネルギーというか流れの

    中の小さなパーツとして、ヒトの営みもあるのだと思います。

    そちらの皆様のコミュニティの試みを読ませていただいて、

    この時代に人の分際で生きる、希望の糸口のようなものを

    感じています。

    ポカッと空白 虚空になってしまう私の頭の中ですが、時折

    電流がうまくつながって、自分というもの、アイデンティティを

    捕まえることもできています。

    しかし、言葉をつなぐということは、本当に高次な脳の営みだ

    と思います。

    悪戦苦闘しています。

    ボイスレコーダーという機器を使って考えや、言葉のかけらを

    つなぐことを覚えました。

 

 2014年1月12日 ninjin→katatumuri  「脳、これだけが」

    夫が家にいるので、カタツムリ様のページを開いてもらうことが

    出来ました、御無沙汰しています。

    最近急に脳の中が、空白になっていくのが分かるようになりました。

    ぽかっと、電流がとぎれてしまいます。怖い、と思います。

    今この瞬間が無くなってしまう感じ、ぽかっと。

    かたつむりさま

    本当に怖いです、今までと違う、全く違う。

    言葉を言うときは出来るだけICレコーダーという機器でいつも

    いったことを捕まえておくようにしていますが、じーじーと声では

    ない音が多いです。

    ふっと、自分が消えてしまうような感じです。

    怖いですね、

    脳という体の一部のこの働きで自分という存在を覚知している

    のだと改めて思います。

    この病気にあらがわずに・・と思っていましたが

    何とかならないものかと思うようになりました。

    ふっとおそってくる空白、白という感じでも無いですが

    怖いなあ・・。

    自我を意識することで生きていることを確認できるのだとすれば、

    ぽかっと失うこの瞬間が拡がる先にあるものを意識せずには

    いられないような焦燥感に襲われています。

    新しい年が明けたというのに、今はこんな感じです。

    どこまで、いつまで、という訳の分からない不安がありますが

    今年もよろしくお願いします。

 

 2014年1月19日 katatumuri→ninjin  「あけましておめでとうございます」

    ひどく寒い日が続いています。

    正月3が日はのんびり過ごしたのですが、4日からお客さん

    の来訪の受入れやら、なにやかやでブログのコメント欄まで

    目がとどきませんでした。

    今夜、眠れないので起き出してゆっくりブログを開いたら、

    ninjinさんのコメントに出会いました。

    夜中ということもあるのでしょうか、ninjinさんのコトバを

    自分なりですが、受け取りながら、こみ上げてくるものが

    あります。

    これは、なかなかコトバにはできない感じです。

    でも、こんな、こんなちっぽけなぼくですが、ninjinさんの

    お気持ちを、深く受け止めたいなあと、そういう感じするなと

    コトバにしたらそんなんでしょうか。

    コメント、繰り返し、読み返し、どんな感じだろうかと、いまは

    そこまでかな。

    でも、ninjinさんから出てくるコトバの元に思いを馳せると、

    なにか、未来への希望からのものじゃないかともおもいます。

 

  2014年3月4日 ninjin→katatumuri  「必死で生きて」

    かたつむりさま

    67歳になられたのですね?

 

         ふと  ひと匙掬って息をする

    という父の一句を思い出しました。

    息をしていることさえ忘れています。

    最近は、息をしていることでいきている、という単純なことを

    忘れてしまっています。

    息をする、とか水を飲むとかそういった事が今の自分に

    とって、確かにできていることだと自信のない頭で考えて

    います。


    必ず死ぬ為に生きています。

 

  2014年4月2日  ninjin→katatumuri  「おせわさま」

    おせわさまでした。

    ことばがでにくくなって、キーボードをうつにもおもうように

    はできなくなりました。

    だれかがそばにいないとまちがいがおおくて、きかいの

    そうさができまあせん。

    そういうことで、おせわさまでした。

    もうおたずねできません。

 

  2014年5月7日  katatumuri→ninjin 

    コメント欄をきのう見ました。

    ”おたずねできません”というのは、このブログは

    もう開けませんということですか?

    このコメントもninjinさんには、とどかないのかな。

    こちらこそ、お世話になったし、ありがとう、と

    いいたいです。

    胸がいっぱいです。

    ほそぼそでも、やりとり続けられないかなあ。



ninjinさんとの交信は、こうして途絶えた。

こんなに早く病状がすすむとは思ってもみなかった。

先日、老年期認知症の母上の介護を体験した知人から

「人の尊厳」について、気がつかされたと聞いて、ninjinさん

との2年の交信に思いを馳せた。

若年性認知症が社会の理解がすすんでないと聞く。

老年期認知症についても、早期発見、早期治療も言われて

いるけど、老齢の人たちが多数暮らす社会について、そこで

暮らす一人ひとりが豊かに、人間として自分らしく生きていく

という構想ははっきり浮かびあがってきていない感じがする。

ninjinさんも、そんな病気になった原因について、考察する

ところもあったけど、専門的には予防にしても治療にしても

これからだろうな。まして、そういう人たちを社会が受け入れて

いく素地については、夜の世界を昼の世界に変えてしまうほど

思い切った転換が人にも社会にも必要だろうな?

ninjinさん、いまのあなたの生命がそういう人間の活動に

繋がっていけますように、祈っているし、自分の今に生かして

いきたいです。

ninjinさんにとどくかなあ。


                       (未完のまま)