かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

キンモクセイ ここから伊勢路 桑名宿ーー平成のやじきた道中

2012-10-31 08:55:25 | アズワンコミュニテイ暮らし

〇さあ、伊勢路の道中はじまるぞ!

 

 朝、冷えていた。

 10月27日、健生みえ「平成のやじきた道中 伊勢の国」の第一回。

 昨夕、大平事務局長が届けてくれた赤いTシャツを着る。

 妻に見せたら、笑っていた。そのうち、なれるだろう。

 ちょっぴり、やる気。

 

 鈴鹿の面々、連れもって桑名駅へ。

 駅前の通路で”やじきた道中”参加の受付。

(静岡・神奈川から。始発でやってきた)

(愛知から大勢)

 

 

 七里の渡しまで、移動。歩くと身体がほっててくる。

 鳥居の前で、健生みえの会長さん、愛知健生の会長さん

挨拶。

 

 

 歩きはじめて、すぐ歴史公園。桑名城跡のお堀に沿っている。

 日本橋から京都まで、旧東海道のミニチュア版。

 

 


 金木犀が繁った枝々にこれでもかとばかり開花していた。

 秋の香り、ほんのりと。

 

〇桑名の街を探訪 


 ここから、石取り会館見学グループと桑名博物館見学グループ

に分かれる。

(石取り会館。日本一、やかましい祭りとか)

(博物館も館長さんに桑名の歴史語っていただく)

(桑名城は四つのお堀に囲まれていた)

 

(六華苑の設計をしたイギリス人コンドルさんの展示会。

奥さんは日本人。着物の着方が艶めかしい)


〇やじきた道中、あれやこれや

  

 さて、そのあとから、いよいよ往古を偲んで、東海道ウオーク。

 先頭は、健生みえの長老余川さん。先回のケガを感じさせない

歩き。

 

 先回、愛知健生の”やじきた道中”最終回、われらの先頭で

舵取りをしてくれた山下せつ子さん、今回はゆったり味わって

いる様子。

 

 旧東海道は、ゆるやかな曲がりや、直角に曲がるような道が

保たれているところが多い。

 道幅も狭い。われら、やじきた一行が歩いていると、行き交う車は

スピードを緩めてくれている様子。

 

 最後尾には、健生みえの中井さん。それに、おなじく足利由紀さん。

 背後から車がやってくると、由紀さんが「車がきています!」と声を高く

する。声がよく通る。

 そのあと、絶妙のタイミングで中井さんが笛を吹く。

 二人の意気がだんだん合ってくる。

 

 桑名の街は、鋳物の街。

 「あれ、こんなところに、大きな釣鐘!」

 

 十念寺で休憩。

 ここには、幕末、幕府側にたって、官軍と戦い、函館まで行った

桑名藩士の墓があるという。

 大平照子さんがポツリ。

 「わたしの先祖は、桑名藩の家老だったらしい。お家騒動で埼玉

の方へ移されたらしいの」

 十念寺とは、関係がないとはいえ、へえー、どこにどんな縁があるのか、

人の世のつながりの不思議・・・

 

〇「ランチタイムはいつくるの?」

 

 神奈川から来た佐須さんと田原さん、「まだ、昼ごはんになりませんか?」

とつぶやいた。「なんせ、朝5時ごろ出てきたんで」

 お昼ご飯は、晴雲寺というお寺。

 明日は、大きな行事があるというので、檀家衆が寄っておられた。

 「本堂の中も使ってください」とこころよく迎えてくれた。

 大平さんが、前もって打ち合わせておいてくれたのか。


 ところどころで休憩。

 出発前に人数確認。「はい、五列に並んで」

 小学生になって、数えてもらう、また楽しからずや。


 

〇桑名の街をあとにして

 

 桑名市街地を通りぬけて、町屋川(員弁川)ぶつかった。

 その昔は、中州を挟んで二つの橋があったという。

 ここに、にぎわう街もあったという。

 

 町屋橋を渡って、朝日町に入る。

 山口誓子の句碑、発見。タバコ屋さんの店先にこじんまり立っていた。

       露けさよ 祷りの指を 唇に触れ

そのときは、「みんなに遅れてはならじ」と歩いたけど、はてどんな句か

とこころに残っている。

 

〇道すがらもおもしろい

 

 東海道のところどころに、榎の大木。移り変わる時代を

じっと眺めてきた?

 

 花束をもった地元のおじさんが、われら一行の一人に話しかけていた。。

 そのうち、”安達酒造”という門のところで、「じゃあ、気をつけて」と

別れた。蔵元さんだった。

 

 お互い同士も、歩きながら、けっこう話ができる。

 「楽そうに歩いていますね」と隣のおばあちゃんに声かけた。

 「何年か前、じぶんでやろうとすればやれる立場になって、こういう

機会に参加しはじめているの。やれるとき、やっておきたいとおもって」

 70歳を越えた女性の人生の一端に触れた感じ。

 「ちょっと、足が痛くなって・・・」と言いそびれた。

 

〇門前のひとことも道中のあじわい

 

 あちこちのお寺に掲示してある、ひとことを読むのが楽しくなる。

 人が感じられて・・・

 

〇「やったあ、いよいよ富田駅」


 川越町の常夜灯。遠目で見ると、まるで四国巡礼・お遍路さん。

 「一歩一歩、確かめながら、来たっけなあ」


 「ああ、もうきつくなってきたなあ」とおもっていたら、健生みえの

やじきた道中実行委員長の伊藤正人さんが、「もうじき、富田駅

です!」と声かけてくれた。

 「助かった」これは、心中のつぶやき。

 

 「最後にみんなで記念撮影しましょう」と伊藤敏正さん。

 われら一行は、なんとはなしに笑顔になってしまうふうに、お互い

八幡さまの御前で身を寄せた。パチリ。


 「次回も会いたいですね」こんな気持ち、湧いていた。

 赤いTシャツも気にならなくなっていた。

 伊藤敏正・敏子夫妻、赤いTシャツで家路についた。


 そうそう、期せずして術後の鈴木英二さん、辻屋哲男さん、

それぞれ車で参加、救護班で活躍?


                           


 

 

 

 

 

 

 


娘のつぶやき

2012-10-27 05:54:56 | アズワンコミュニテイ暮らし

 何日か前、「聞いて聞いてママ」という、孫についての感想を

ブログに書いた。

 娘から、「つぶやき」が入ってきた。

 

  • わたし、わたしの気持ち、聞いてたほしかったなぁー
    夜、宮地家いったら、
    ふゆの話しきいてあげたか?
    はるく、あずかってあげるから、

    とか、ふゆが話しできるように、あーして、こうして、、、のはなしばかり、、、
    わたしとふゆの状態とか、
    ふゆへの気持ちとか、
    あのとき、こんなんだったんだ、とか、聞いてほしかったぁ
    自宅にはるくと帰りながら、
    ちょっぴりかなしくなりました

    ふゆの聞いてほしいきもち、
    あーー、こんな感じかなぁー、、、かなしいかんじ、
    ふゆはもっとかなしかったかなぁ~
    、、、と思ったり、
    だけど、言いたくても、
    言えないきもちもあるなぁーー、
    いざ、言いたい相手が目の前にいても、、、聞いたげるよ!って言われても、そんときには、言いたくなくなとたりとか、、
    だけど、ほんとのほんとはね、
    わたしのこと、知ってほしい、知ってくれたら、すっごく安心する
    なにも言わないでそばにいてくれるだけで安心することも、いっぱいあるしね、


    「ああ、そうだよね。どこまでいっても、そこだよね」とぼくはおもった。



     

「聞いて、聞いてママ」

2012-10-25 06:32:40 | アズワンコミュニテイ暮らし

 晩ごはんのあと、テレビを見て、寛いでいた。

 孫娘の風友(ふゆ)が玄関からあらわれた。

 赤銅色に日に焼けて、カタ太り、いかにも健やか。

 

 仏頂面をしてるのかな?

 ソファのうしろにまわって、テレビを見ながら、うつろな眼差し。

 「どうしたんだい?」

 ちょっと、表情が崩れそうになったけど、返事なし。

 よく見るとランドセルなど、明日の学校の用意がしてある。

 「きょう、ここに泊まる」

 「いいよ」とぼく。

 

 そのうち、なんとはなしにぼくが坐っているソファーに寝転んで

頭を腿に乗せてきて、テレビを見ているふり。

 おばあさん小浪が、台所の片付けを終えて、やってきた。

 「どうしたの?」と聞く。

 こんどは、涙が目に滲んできて、「晴空(はるく)が・・・」と

弟の振る舞いがいかにいか酷いか、話しはじめた。

 ママから「どっちも、いい加減にしなさい!」と叱られたらしい。

 「だって、ママなんか、私の気持ち、聞いてくれない」と・・・

 

 ははーん、そこかあ。

 「きょうは、ここに泊っても、明日はママに風友の気持ち、

聞いてもらうの、できたらいいね」

 風友は黙っていた。

 

 「目覚まし4時にかけて」と風友。

 「宿題するの?」と小浪。

 いかにも、早すぎる。「5時にしとくね」

 狭い6畳に川の字で眠る。

 

 5時過ぎても、風友は起きない。

 目は覚めている。

 川の字が、ふとんのなかでおしゃべり。

 「聞いて聞いてママ。見て見てママ。ママ、大好き」とぼく、歌う。

 「音痴!」とばばと風友。

 「じゃあ、もう一度」

 他愛のない起き抜けのふとんのなかののどかなひととき。

 

 7時半前、学校へ行く時間。

 「ちょっと、桃子のところに行ってくる」と小浪。

 風友、ランドセルしょって、ママの顔みて、学校へ・・・

 

 娘一家と我が家は目と鼻の先。わるくはない。

 

 

 

 

 


新たな再会

2012-10-24 06:26:04 | アズワンコミュニテイ暮らし

 箕輪省吾・奈々子夫妻がブラジルから来日した。

 省吾はブラジル人。奈々子は日本から嫁に行った。

 もう、何年になるのだろう。

 

 省吾とは6年ぶり、奈々子とは3年ぶり?だいたいだけど。

 今回、再会してみて、新たな出会いを感じた。

 奈々子はずいぶん落ち着いていた。長いトンネルを抜けて

きたのかなあ。

 省吾は奈々子を丸ごと受けとめようとしている。

 奈々子は心から省吾をたよりにしている。

 えーっと、まぶしいくらい。ふーっ。

 

 そうそう、ぼくも住む世界がかわってしまった。

 

 ちょっくら、感傷に耽りたい気持ち。

 10年ぐらい前だったか、奈々子からなにか「わかってほしい」と

切羽詰まっている様子が伝わってきた。

 じぶんになにができるだろう。日本の反対側ブラジル・・・

 じつは、鬱屈していた、そのころのじぶん。

 

 茨木のり子の詩を読んでいた。

 じぶんが気に入った詩、何篇か書き写して奈々子に送ったことが

ある。

 

 「自分の感受性ぐらい」という詩は、亡くなった母上がいつも

奈々子に語っていたものだと返信があった。

 

  「自分の感受性ぐらい」

  ぱさぱさに乾いていゆく心を

  ひとのせいにはするな

  みずから水やりを怠っておいて

 

  気難しくなtってきたのを

  友人のせいにはするな

  しなやかさをうしなったのはどちらなのか

 

  苛立つのを

  近親のせいにするな

  なにもかも下手だったのはわたくし

 

  初心の消えかかるのを

  暮らしのせいにするな

  そもそもが  ひよわな志にすぎなかった

 

  駄目なことの一切を

  時代のせいにはするな

  わずかに光る尊厳の放棄

 

  自分の感受性くらい

  自分で守れ

  ばかものよ

 

 その後、奈々子から、送った詩のなかから、一遍、毛筆で

書写したものが送られてきた。

 詩の内容も、その字も、なにか心地よかった。

 以来、ずっと部屋に掲げてきた。飽きないのだった。

 

  「言いたくない言葉」

  心の底に 強い圧力をかけて

  蔵ってある言葉

  声に出せば

  文字に記せば

  たちまちに色褪せるだろう

 

  それによって

  私が立つところのもの

  それによって

  私が生かしめられているところの思念

 

  人に伝えようとすれば

  あまりにも平凡すぎて

  けっして伝わってはゆかないだろう

  その人の気圧のなかでしか

  生きられぬ言葉もある

 

  一本の蝋燭のように

  熾烈に燃えろ 燃えつきろ

  自分勝手に

  誰の眼にもふれずに

 

 今回の来日がそれぞれに、そして二人にとって、より豊かな

世界が開かれていけるよう、なけなしの気持ちで、ねがっている

かな。

 

 

  


衣更え

2012-10-23 05:53:54 | アズワンコミュニテイ暮らし

 めっきり涼しくなった。

 お風呂も沸かすことが多くなってきた。

 どうせ沸かすんだったら、近くに暮らす娘一家もいっしょに入ろう。

 

 この間は、娘と小1の晴空(はるく)が夜やってきた。

 晴空は、食卓の上のクッキーを見つけて、「これ、食べてもいいか」と

食べ始めた。

 「おじいちゃんにも、ちょっと、おくれ。味みたいから」と言ったが、

「いや!」と返事。

 家のなかでは、好きなことを言って、好きなことしている。

 

 娘としばしおしゃべり。

 今朝、集団登校で集まっている子どものなかに、晴空がいた。

 なにか、家のなかでワガモノ顔で振る舞っている孫とは違う。

 「やけに、おとなしいというか、おすまししてるというか」とぼく。

 

 娘が衣更えの話をした。

 「涼しくなったから、そういう服を用意したんだけど、ふつうは

その日の天気の加減でなにを着ていくかって、考えるじゃん。

晴空は違うんよ。他の子どもたちがどんな服を着ているかって、

そのほうが大きいのよ」

 「へえーそうかあ」

 じぶんの子どものころをおもいだす。そういう気持ちの持ち方が

まったくなかったわけでもないだろうが、あんまり記憶に出てこない。

 

 中学生の男の子をもつお母さんから聞いたことがある。

 「雨の日、しきりに友だちがどんな格好で学校へ行っているか、

そこんとこ、ずいぶん気にしてるのよ」

 そんなこともないことなかったけど、切羽詰まったものはなかったかなあ。

 

 周りのことを気にすることに、小学校の1年ぐらいから、切羽詰まった

感じ、健気にまわりに合わせていこうという気持ちの持ち方。

 本人は、日常のあたりまえのこととしてやっていて、そんなに苦痛でも

ないときが多いのかもしれないが、そういうことは、その子のなかで

どうなっていくのかなあ。

 

 昔から、”内弁慶”ということが言われている。

 あんまり、気にすることもないのか。

 毎日の積み重ねがどんな人間になっていくのか、無理な

緊張で暮らしていくのは、なにか人の本来性をゆがめていくように

かんじるのだけど。

 

 その夜、「クッキーをもっと食べてもいいか」とばあさんに言いながら、

晴空はそのうちの一つをぼくにくれた。

 そのあと、やっとお風呂に入りに行った。