年の瀬25日の夕方、中井さん宅を出たところ。
路地の向こうの屋根の上に、橙色に近い濃い色のまんまるの
おっ月さんがぽっかり浮かんでいた。一瞬、息をのむ。
しばし、眺める。
「いろいろあったなあ」
長男秀剛の連れ合い悠海さんが、二人目の子どもを産んだ。
23日朝方、男の子3920g。
お腹のなかでよく育ち、安産だった。
出産日の前、悠海さんは体調が芳しくなかった。
前日は下痢と吐き気などで休んでいた。
2歳になった長男坊”わたる”がノロ胃腸炎にかかっていて、
移ったらしい。
なかなか陣痛が来ないし、大丈夫だろうかと心配していた。
ホッと安堵。
22日は、娘桃子の誕生日だった。
小浪がロールケーキをつくっった。
夕食後、風友、晴空、ジジ、ババでローソクを立て、お祝いしたあと、
食べた。
風友と晴空は、合作で手作りのイヤリングをママに贈っていた。
この時期、秀剛一家はわが家で晩ごはん食べていた。
ぼくらも胃腸炎にかかって、下痢と吐き気に見舞われた。
あんまり外をウロウロしないよう謹慎の何日かを過ごした。
12月は、誕生日ラッシュだ。
和(わたる)の2歳の誕生日は26日。
2歳になる行事は、お母さんの悠海さんが、出産する前に、
やっておいた。
お祝いっていったて、いつもと変わらない。
だいたい食べ終わると、部屋中を好奇心や遊びの仲間にして、
居間や寝室は絵本やトランプやおもちゃをひろげて足の踏み場も
なくなる。
長男秀剛は、産後1週間の育休をとった。
この間、ゆったり息子わたると二人暮らし。
ときどき、助産院にいるお母さんと弟に会いに行く。
この育休、お父さんにとっても、息子にとっても、何か満ち足りた
時間がもたらされたように見えた。
秀剛「こんなにゆっくりできて、最高!」
27日は悠海さんと第2子の男の子が助産院から出発。
わが家で昼食を食べて、その後、悠海さんの父母のところに
1ヶ月ほど、滞在させてもらいに行った。
その間、秀剛は引越ししたあと、まだ未完成のお風呂を仕上げる
ことができるかな。
この日は、こんどは妻小浪の誕生日。
夕方、譲の運転で亀山の温泉に行き、そのあと伊賀のおそばを
食べに行った。
お酒は2人でお銚子一本。それをすすりながら、譲とともに、心地よく
とりとめもない話。
譲の4人目の男の子峻基がまだ2歳ぐらいのとき、5人目の出産が
あった。
「峻基を負ぶって、トラクターを運転してたんだ」と譲。
「そうかあ」
「それを近所のKさんが見ていて、それまで子どもは要らないと
思ってたみたいだけど、そのあと、できちゃったんだ・・・・」と譲。
「ねえ、そのKさんって、譲が世話になった人?」と妻。
「・・・・」譲。「・・・・」ぼく。
ちょっと、間があく。
しばらくして、大笑い。
しみじみとして、と言いたいが、ざるそばの大盛りが最後に
運ばれてきた。
音立てて、吸い込んだ。メチャ旨かった。
蕎麦湯でほっこり。
28日は、桃子のとこの、風友と晴空が大阪のパパとおばあちゃんの
ところに出かける。年末年始。
いつもは、孫二人だけの大阪への旅だったけど、今回は近鉄八木まで
いっしょに行って来たと桃子。
それで、今夜は桃子、ひとり。
晩ごはん、わが家に食べにきた。
食べたあと、なんとはなしに、おしゃべり。
ふと、桃子、風友とのやりとりを話してくれた。
「八木駅までいっしょに行こうっていったら、風友、とっても喜んだんよ。
でも、特急券、お金かかるのよね。やめよかな、っていったら、風友、
そんならいいよ、と反応した。見ていたら、風友のなかで何か起きている
ように感じた。あっ、風友がまた、ぐっと我慢のほうへいきそうって感じて。
ママ、やっぱりいくわ!と言ったら、顔がパッと明るくなった。電車の
なかでは、トランプやろう、とか、いろいろ遊んだんよ」
風友は中2。
桃子「あぶないとこだった。よかった。なんか、そんな毎日なんだ」
来年の健生みえの会新年会で、句会もやるという。
朝、ふとんのなかで、まどろみながら、句作する。
まあ、できた。
年の瀬や満月と鉢合わせ路地の宵
幼な子と妖怪は朋夜長かな
何ごとかあり何ごともなし年の暮れ
どこかのだれかは、どんな気持ちで眺めたろう。
月から観たら、それぞれはどんなに見えるんだろう。
10年前の真冬のスイス。車で坂を上りきったら、
真正面に大きなまん丸の月が現われた。
そんときの記憶が浮かんできた。