かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

「あなたキライ」と言えるのよね・・・

2012-03-30 08:16:10 | アズワンコミュニテイ暮らし
 春の陽気が立ち上り始めた。
 3月28日夕方、近鉄鈴鹿線平田町駅で、内園香(かおり)さんに
お会いした。

 横浜からやって来た。
 内園さんは、将来はコミュニテイーをつくって、そこで暮らしたい
と描いている。
 コミュニテイーの研究をされている。
 EDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)というプログラムにも
参加した。


 EDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)は、国連「持続可能な
教育のための10年」の重要な位置を占める、国際的な教育カリキュラム。
 「エコビレッジとは、一人や一家族では実践が難しい持続可能な暮らし方も、
コミュニティという単位なら可能になります。
行政や企業主導ではなく、自分たちでコミュニティのあり方を考え、楽しみながら
積極的につくりあげていく」
 くわしくは、http://www.ede-japan.org/aboutecovillage

 今回は鈴鹿アズワン・コミュニテイーの訪問。


 最初に鈴鹿カルチャーステーションで、受け入れ。
 そのあと、ゲストハウスで夕食。
 デザートをいただいたあと、炬燵に入りながら、よもやま話。
 といっても、それぞれの人生の体験談になってしまう。


 内園さんは、スピリチュアルな探求がふだんの暮らしのなかに
あることの豊かさを語ってくれたように感じた。
 
 同席の岸上典子さんが、目の前座っている本山照子さん について、
「以前、嫌いだった」と言った。
 内園さんは、「へえー」とびっくりされたらしい。
 「その時も、そんなこと面と向かって言ったりしたんですか?」
 「うん」と典子さん。
 「それは、すごい」と内園さん。その反応に、ぼくもすこしおどろく。
 「ふつうは、そんなこと言えないでしょ」

 翌日、鈴鹿カルチャ-7ステーションから始まって、カンパニー、
はたけ公園、おふくろさん弁当、地域通貨のお店など見学。
 昼食は、コミュニテイ食堂中井宅で。







 そこで、ぼくは用事があるので、別れた。
 内園さんは、「サイエンズ研究所のこと、もっと知りたい」
「一人ひとりが、おもいのままにくらしているようだけど、
実際の暮らしをどう成り立たせていのか、なりわいはどうなって
いるのか、大きな?がある」と言っていた。

 午後は本山照子さんと、アズワン・コミュニテイの見学を続けた。

 「今度は夫と娘といっしょに来ます」と言っていたそうである。

 そうそう、内園さんが「ここでは、一人ひとりが力が入っていない
感じですね」と感想を言っていたのを、おもいだしました。

 
 

 

回想の育ち(1) ・・・どこまでが家だったか

2012-03-28 07:47:30 | サイエンズ研究所のある暮らし
 子どものころを、一人でいろいろおもいだすことは、いままでも
結構あった。

 昨年10月から、サイエンズ研究所主催のカレッジで、毎週2時間
「人は環境の子・・育ちを科学する」という検討会を、老若男女
10人でやってきた。
 3月23日、最終検討会があって、6か月のコースが一応、修了。

 前半は「家族構成・家庭環境」、後半は「学校環境」というテーマで
一人ひとりが、じぶんの育ちを回想して、発表した。
 
 70歳前後のご婦人が二人。65歳前後の団塊のおじさんとは、微妙に
育った環境がちがう。50代の奥様とは、同じような生活感覚があるなあと
感じたこともあった。20代の青年からは、あらわれは各人だけど、
いまの時代の空気もうかがわれた。
 地域も関東から広島まで。田園から街のなかまで。
 一人でおもいだしていたのでは、味わえない広がりなど感じた。

 家庭環境、じぶんの実例。
 生まれてから、成人になるまで、暮らしていた家の間取りを画いてみた。





 はじめは、家の居間から書き始めた。
 商店街のなかのガラス屋さんだった。店も画く。
 二軒長屋の瓦ぶきの家で、隣は雑貨屋さんだった。

 裏は、隣とつうつうだった。
 井戸があり、そこでタライと洗濯板で、しゃがんで洗濯していた。
 七輪で、ご飯を炊いたり、サンマを焼いたり。
 煙だらけのなかを、おふくろがジュジュジュと音がしている
サンマをもって、食卓にあらわれる。
 待ってました、サンマのはらわたにかぶりつく。

 兄と喧嘩して、下駄を店から投げたら、裏に飛び出してしまう。
 
 我が家の東隣は、喫茶店だった。
 店には、あまり行かなかったが、裏の玄関から上り込んんで、
アイスクリームなど食べさせてもらった。
 あとで聞くと、おやじと喫茶店のママさんは、仲が悪かったとか。

 その東に釣り道具屋さん。そこの娘とよく遊ぶ、いっしょに
お風呂に入ったりした。

 その隣が中華そば屋さん、二軒。
 手前のお店には、遊び仲間の男の子がいた。店の二階が自宅に
なっていて、走り回れるぐらい広かった。
 おやつに一斗缶に入った、揚げ麺をぱりぱり食べた。腹がへっていたのか
おいしかった。

 駅前から南北に並んだ商店街と交差する角にお肉屋さんがあった。
 そこのコロッケの味が忘れられない。
 揚げているのをじっと見ていた。
 一個5円。その一個がうまかった。

 我が家の前は銭湯だった。
 パンツ一枚で走って行った。
 風呂やの裏は、製材くずなど山と積んであって、かくれんぼうには
恰好の場所だった。風呂場までも出入りしていたが、大人から咎められ
なかった。いまからおもうと、不思議。

 銭湯の前には、一畳ぐらいの掘立小屋のような構えの靴屋さんが
いた。
 おじさんが、ひたすら靴直しをしていた。
 ときに、その前に方杖ついて、飽かず眺めた。

 洋服屋さんは、商店会の会長。隣、クリーニング屋さん。そのうら、
「アムール」というキャバレー。
そこに、広場があって、近所の子たちが、なんとなく寄ってきて、缶けり
とか、かくれんぼう。
 紙芝居屋さんも、自転車でやってきて、一席うなって帰っていった。
「黄金バット」の世界に没入していたかな。

 本屋さん、文房具屋さんがが好きだった。
 しょっちゅう、通っていた。

 暮らした家庭環境というとここぐらいまで入れないと、なんか片手落ちだ。


 こうしてふりかえってみると、家といっても、子どものじぶんにとっては、
どんなふうになっていたのだろう。
 けっこう、どこにでも出入りしていて、家そのものは狭かったかもしれないが
子どもなりに広い空間があったとも言えなくもない。

 時、高度成長時代に入っていく前。
 商店街のまわりが、なんとなく小奇麗になっていくのに、わが家の店先は
外から見ると、ガラス屋だかなんだかわからない、ガラクタ置き場みたいで、
恥ずかしかった。
 おやじは、小学4年生のころ、ガラス屋を廃業してしまった。

 おやじは、近所付き合いというのが好きないふうだった。
 居間に籠って、新聞紙で、八百屋さんで使う袋を作りはじめた。

 家の裏から裏を遊びまわっていたのは、小学校の低学年のころまでか。
 
 一人で落語を聞いたり、侍の紙人形をつくってぶつぶつ、それぞれの
人物のせりふをつけて、物語のなかにこもっていたときもある。
 手塚治虫のマンガに惚れて、手塚治虫著「漫画の描き方」という本を
小遣いをためて買った。
 ケント紙、墨汁、ペンなども買って、戦記もののストーリで何十枚の
漫画を描いたりした。
 一人で過ごす時間もけっこうあったのかもしれない。

 みんなで、ワイワイ遊ぶ。息がつけないほど、はらを抱えて笑ったり
した記憶もある。
 一人で、ラジオの前で落語をニヤニヤしながら、聞いていた。
 ときには、おふくろの読んでいる雑誌にあるちょっと卑猥な挿絵
に興味深々だったり・・・

 じぶんなりのストーリーをつくっているのかもしれない。
 それは、それだろうが、その向こうに、なにが見えてくるだろう?
 

 

興味本位に・・・

2012-03-25 06:37:21 | 鈴鹿川流域の暮らし
 3月24日(土)、25日(日)三重自然文化祭in鈴鹿の催しが
鈴鹿市文化会館で開かれている。

 NPO鈴鹿循環共生パーテイという名で展示コーナーを出した。
名前だけからは、なにをしている人たちか分からない。


 
 里山が好きで、荒れた雑木林に下刈りをし、”里山の小径
プロジェクトとか言いながら、子どもたちの遊びの場をつくって
いる男がいる。
 何のきっかけか知らないけど、ダンボールコンポストなるもの
が面白いと、仲間を募っているおっさんがいる。(これは、ぼく)
この寄合いの世話役は片山弘子さん。鈴鹿市の環境審議会の
委員さんだ。肩書きというより、そういうテーマについつい
向き合ってしまうようだ。
 
 ついこの間まで、「環境には関心あるけど、子どもには
関心ない」と言っていた青年が、”里山体験ジグゾーパズル”を
つくって、会場で子どもたちがそれに熱中しているのを見守って
いる。
 里山体験をしたいというお母さんに、「”てっらこや”という
子ども企画が一年と通じてありますよ」と案内している。

 子どもって、面白い。
 会場にはいろいろ、子どもの関心をそそるような遊びや企画が
用意されているけど、そななかで、いったん、ジグゾーパズルを
やりはじめると、その世界に簡単に入り込むらしい。

 バラバラになった、たくさんの小片を見ただけうんざりするのと、
それを一枚の絵にしてやろうと、それにとりつく、子どもの
こころ・・・どんなんだろう?


 はじめは,遅々として進まない。お母さんはやきもき。
 そのうち、なにか発見したかのようにパズルが解けていく。
 お母さんも引き込まれている感じ。


 「やったー!」
 それだけのことかもしれないが、子どもにとって、この時間は
なにものにも代えがたいものじゃないかな。

 孫二人が、隣のコーナーで伊勢型紙の手法で栞づくりに
はまっていた。



 会場を回ってみた。
 「蜘蛛には、いくつ目があるだろう」と子どもに聞いている、
子どものようなおじさん。

 蝶の観察が好きらしい。
 三重県で蝶の種類がどんどん減っていると憂いていた。
 里山が荒れていて、その蝶が吸いたい花が消えていくためらしい。
 説明してくれるおじさんの目が輝いている。
 
 

 鈴鹿川の魚たちの観察をしている高校生。
 水槽で実際の魚を見せてくれて、説明してくれた。
「ゴクラクハゼってあるけど、どこにいる?」
「ああ、この石の下です。愛嬌あるんです」
ほんの、何センチかの大きさ。アンコウのようなかたち。
「こういう観察、もう2年ぐらい続けてます」





 鈴鹿循環共生パーテイの展示をほとんど作った青年が言った。
「こだわりの人たちの集まりですよ」
 ”こだわり”といったら、なにか他を入れない固い感じも
するけど、一人ひとり、その人の興味にそって、楽しんでいる
というのはどうか?

 それに”本位”とつけたらどうなるかな。
 遊びはもちろん、暮らしにしても、仕事にしても、人との
つきあいにしても、”興味本位”になっていったら・・・
 そんなことで、この世の中、生きていけないかどうか。
 はなから、あきらめてはもったいないかんじも・・

 

やさしい社会に戻れないか…吉永小百合さん

2012-03-22 07:24:30 | アズワンコミュニテイ暮らし
 先日、テレビのチャンネルをカチャカチャしていた。
「男はつらいよ」の場面が出てきて、それを見ることになった。
 映画ではなく、山田洋次監督の作品が、山田さんの語りに
合わせて、「故郷」「息子」「おとうと」などの作品の名場面が
紹介されていた。
 
 山田さんと吉永小百合さんの対談もあった。
 山田さんが、家族というテーマでやってきて、長屋暮らしの話を
したあとで、吉永さゆりさんが、
「やさしい社会にもどることはできないのかしら。
 みんなで、やさしく支えあったらどんなにいいか」
と、話していた。

 ”やさしい”という言葉は、世の中にあたりまえ流布している。
 ”地球にやさしい”と聞こえてくると耳ざわりがいい。
 ”お肌にやさしい””環境にやさしい”

 ”やさしい社会”といったら、どんな感じだろう?

「おとうと」の一場面。
 鶴瓶さん演じる”おとうと”が、吉永小百合さんが演じる姉から、
「あんたなんか、弟じゃない。出て行って」と突き放される。
 ”おとうと”が、「おれはどうしょもない人間だけど、どれだけ
苦しんでいるか知らんやろ」みたいな捨てせりふを吐いて、去って
行く。
 ”おとうと”が死ぬ間際、家族の情がほとばしりでるところで
終わった。

 ”やさしい”といっても、家族のようにとか、長屋暮らしのように
とか言っても、それを日々の営みのなかに現れてくるのは、どういう
過程をたどるものなのか。それは、無理か?
 山田さんは、いまの時代の流れのなかで翻弄される家族を、社会を
じっと見つめている。

 一昨年の暮れ、鈴鹿に引っ越し、そこの一住民として、
そのあたりを見つめているように感じている。
 ”コミュニティー”というと、なにか特別の考え方とか暮らし方を
共有するというイメージがついてまわりそうだけど、人と人が、
家族のように、どんなことがあっても切るに切れない間柄であるか
どうか。
 しかも、家族といえども、互いに互いを縛り合う必要ががない
間柄・・・
 そういう人と人とでつくる、そういう”やさしい社会”、これ、
どういう道筋で、あらわれてくるか、じぶんのなかの闇の部分を
昼間の明るさで照らしながら、明るみに出た分、そこが”やさしく”
なっていきたい。

 ”やさしい”という言葉には、身も痩せるように感じる。恥ずかしい」
という意味もあるらしい。
 奥がありそうだ。

桑名・生ごみ堆肥化工房を訪ねて

2012-03-21 07:50:05 | 鈴鹿川流域の暮らし
 おもいたったら、吉日。

 かねて健生みえの会メンバーの川畑哲志さんから聞いていた、

桑名市にある生ごみを堆肥化しているクルクル工房を訪ねた。



 訪ねたのは、中井正信、大平達男、それにぼく。

 三人とも、家庭での生ごみコンポストをここ鈴鹿で、1年ほど

やり続けている。

 使っている箱とか、やり方がすこしづつ違う。

 中井は、木製のリンゴ箱。奥様が来客の食事づくりを積極的に

やっているので生ごみの量も半端じゃない。

 大平は、プラスチック製の衣装ケースにオガコを入れて、温度が

上がらないと、米ぬかを入れている。それで、1年、取り替えないで

やっている。

 宮地は、ダンボールにオガコと米ぬかを入れて、3か月ごとに

新しいダンボールの取り替えている。

 この1年で、3人から14人に増えた。



 桑名のクルクル工房は、500軒の生ごみコンポストの循環を

やっていると、蛭川卓三さんが案内してくれた。







 500軒の世帯には、プラスチック製の衣装ケースを改造した

生ごみコンポスト容器が配られている。(1個 500円。実費の

半分は、市が助成してくれている)

 その容器に、家庭で出る生ごみを入れていく。







 入れるときに、コンポストをすすめるため、基材をまぶして入れる。

 その基材は、モミガラ12・米ヌカ4・落ち葉堆肥1・土1 で作られて

いる。



 

 落ち葉堆肥も、クルクル工房で作っている。

 秋、市内の公園の落ち葉を2トントラックで何台も集めてくる。

なにもしなかったら、焼却場へ行くはずのもの。

 それに、モミガラ・米ヌカ・水など加えて、半年ぐらいかけて、腐植土に

する。






 家庭で未完熟堆肥化したものが、それぞれの家庭から好きな時、

それぞれがクルクル工房の発酵スペースにもってくる。

 

 その山積みされた未完熟堆肥を1週間に一回、切り返す。

 訪ねたときは、ちょうどその日。二人のシニアの方がミニローダーで

切り返したり、水をかけたりしていた。







 完熟した堆肥のスペースを見せてもらった。

 もう、完全に腐植土になっている。





 これを、モミガラや米ぬかにまぜて、未完熟コンポストを持って

きた人に持って帰ってもらう。

 堆肥化の循環はほぼ出来上がっていると蛭川さんは言われた。



 この工房というか、工場は街のなかにある。

 マンションがすぐ塀の隣にある。

 臭いがない。どの過程でも臭いが出ていない。

 隣家と共存できている。



 蛭川さんは、ここでやり始めて8年。

 お歳は、65歳をこえている。

「いろいろ勉強もし、工夫もしてきました」と話してくれた。



 蛭川さんの悩みというか、これからというのでは、この方式では、

桑名市全域の生ごみをカバー出来ないということだ。

 この事業は、桑名市からの委託事業としてやっているものの、

市としては、このような施設を増やせる見込みがなく、生ごみは

焼却するしかないと決めているらしい。



 蛭川さんは、この仕事をはじめて、いろいろ勉強して、工夫する

楽しみを味わっているらしい。

 いろいろなアイデアが湧いてくるようだ。





 規模が小さくとも、こんな街になっていきたいというような一人

ひとりのなかの夢を、よくよく検討、研究して、実現していく、それも

あらゆる面にわたって、できるところから、やりたい人で・・・

 そういう空気の街を足下から描いていきたいなあ。

 帰りの車のなかで、考えた。

 できうれば、鈴鹿でも、まずは100軒ぐらい、ダンボールコンポスト。



                                    (宮地)