かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

牛丸さんから書けと言われて

2011-05-28 17:46:52 | サイエンズスクールのある暮らし
 今日も、何事もなく一日が過ぎた。でも、なんとなく、どこか変、物足らない。
 
 日常化レッスンにて。
 牛丸「ぼくが書けと言ったというけど、それって冗談でしょ?」
 ぼく「もちろん・・」(と言ったあとで、さて・・)

 きょう、何件か声をかけられた。
 「韓国サンマウル高一行受け入れのレポート、書いてほしい」
 「PIEESSの広報の打ち合わせに来てほしいけど・・」
 「牛丸先生講演会の進行、やれないかなあ」
 それぞれ、「はい」と言ったり、「いや、別の用事があって」とか応えている。
 どれもこれも、検討しなかったら、あたりまえの会話として、通りすぎていっただろう。

 「はい」とか、「いいえ」と受け応えているけど、果たして受け応えになっているのだろうか?
 先ず、相手の人が、なにを思ってそう言っているか、聞こうとしているか?
 相手の人が言ったことを、じぶんの捉え方で、それを「そうだ」として、それについて「はい」とか、「いいえ」と言っているのではないか。この回路については、頭では何回も理解している。でも、その回路
でじぶんが受けとっているにすぎないことを、相手の人が「そう言っている」とうけっとって、「そうだったら、じぶんはどうしよう」と一瞬のうちに、「する」「やる」という段階で反応をはじめている。 「聞くは先ず、聞く」

 牛丸さんが「書け」と言った。ぼくは「書け」と受け取った。じぶんが捉えた「牛丸さんが書けと言った」だということが意識できていたら、じぶんはこう受けとったけど、実際はどうか?と聞き返せるはず。
そうしたら、牛丸さんが思っていることも聞けたり、思わぬ背景も知ったりするかもしれない。それで、「わかった」とはならないと思うけど、すくなくとも、話し合いながらやっていこうというベースができるのではないか。

 声をかけられた。
 言われた。
 頼まれた。

 人が発していることを、どんなに聞いているか、受けっとているか?

 言葉の使い方というより、人とかかわるときの自分の状態について、
この観点から、見てみたい。
 聞くだけでなく、言うというときも、それを発するときのじぶんの状態は?
 
 なにげなく、日々が過ぎていっているようにかんじているが、もしかしたら、日々過ちの積み重ねかもしれない。