かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

秋日浴びて祝婚

2013-10-29 07:09:40 | 家族あれやこれや

 10月27日村田秀剛と旧姓元田悠美の祝婚の会が開かれた。

 秀剛は再婚した妻小浪の長男。悠海さんは、元田和之・容子

夫妻の4人の子どものうちの次女。

 

 会場はご近所の無花果農家の内田さんが経営するカフェの庭。

 秀剛は、将来農ある暮らしを描いている。鈴鹿に隣接した亀山

地域を選んだ。新居探しをしていて、内田さんに出会った。

 

 会の料理は、亀山にあるトラッテリア・ユリテルロのオーナー

シェフが受け持ってくれた。

ウクレレをもった青年たちが演奏してくれた。プロのウクレレ奏者

”しげちゃん”もこころに響く旋律で秋の空気を震わせてくれた。

 新郎新婦の登場と退場は、二頭立ての馬車だった。

 ご近所の馬場の主人が協力してくれた。

 

 内田さんは、会の裏方で動いてくれて、最後に技を磨いている

少林寺拳法まで披露してくれた。

 

 秀剛が内田さんに出会ったのは、今年に入ってからだろう。

 いつの間にか、近所づきあいができている。不思議な男だ。

 

 秋の日射しを浴びて、ご馳走に舌鼓。

 列席の、二人の仲間や親族の人たちも、ゆったり、まったり。

 二人の仲間の祝婚の合唱。

 会の流れはあるのだろうけど、誰かが進行するでもなく、

ときどき新郎新婦が動くと、立派なケーキが出てきたり・・・

 そういう秀剛を見ていて、母小浪。「秀剛らしい・・・」

 ケーキは、悠海ちゃんの仲間がつくってくれた。

 どこにも力が入っていない、あとであの会はなんだってんだろう?

と思ってしまうような・・・そうそう、秀剛と悠海の門出の祝い。

 

      *         *           *

 秀剛の実父村田亘さんは1983年にガンのため他界した。

 母小浪とぼくは、1986年年結婚した。お互い、再婚だった。

 小浪は、ぼくのほうの二人の息子・娘の母になり、ぼくは

小浪の二人の息子の父になる。

 秀剛、小学3年生。ぼくの息子太郎と同学年。

 

 村田一家と僕ら一家は、いまから35年ほど前、集団生活を

していて、たまたま部屋が隣同士だった。

 よく村田さんの部屋に酒を飲みにいっていたらしい。あんまり

覚えていない。小浪は記憶にあるらしい。

 

 村田さんは、建設部で設備の仕事をしていた。ぼくは、鶏肉の

肉処理をしていた。毎朝5時前、ボイラーを着火させて、鶏の

放血・脱毛して、一日がはじまっていた。

 ボイラーが着火しないときが、しばしばあった。その度に、

村田さんを部屋まで起こしに行っていた。

 その頃、乳牛を導入して、牛乳の冷却・殺菌が喫緊の課題に

なっていた。アイスビルダーという設備が求められていた。

お金も無かったが、自分たちで作ってみせるという心意気が

あった。村田さんは、それにかけていた。何回も失敗した。

村田さんは、「ダメだ」と言わなかった、そんな記憶がある。

 

 秀剛の父になり、その村田さんの代わりができたか、と

問われたら、とても心許ない。

 母小浪を支えて行きたいと、再婚当時思っていた。

 それが出来たかと問うても、どうだったか。

 小浪の記憶は、厳しいものだった。

 

 秀剛は高校生の頃、林業に打ち込んだ。

 林業の師匠瀧本さんから多くを学んだ。

 それが、いまの秀剛を支える、なにかになっているか。

 たしかになっている。

 仲間も居た。見守ってくれる人たちもたくさんいた。

 そういうときに感じるのは、秀剛の心のなかに実父村田亘さんが

しっかりと居て、それがいろいろな環境がありながらも、彼をここ

まで育んできた、そんなふうにもいえるのかな、と。

 

 

 秀剛・悠海の門出に、乾杯。

 

 

 

 

 


土と雨!と平和の祭典IN日比谷公園

2013-10-25 08:12:29 | アズワンコミュニテイ暮らし

 10月20日(日)東京は朝からポツリポツリ。

 19日夜は、赤羽北の井上加代子さん宅に泊めてもらった。

 昔の同志太田昇子さんもやってきた。

 酒なしで、深夜までおしゃべりした。

 

 17号線を通り、日比谷公園に向かう。

 日曜朝の東京は空いている。学生時代を過ごしたお茶の水・

神保町も通って、あっという間に幸門に着く。雨が本格的に

なってきた。

 

 「土と平和の祭典」

 大地に感謝する収穫祭。

 アメにも感謝!頭ほそうだけど、祭りには似合わないよな。

 加籐登紀子さん「こんな時は、空を見上げて、”晴れよ”と

にらみましょう!」と開会の挨拶をしていた。

 一日雨だった。

 

 「アズワンコミュニテイ鈴鹿」(トランジション鈴鹿)

 ブースは「トラジッション・ジャパン」の隣。

 われらも、カッパ着て、ブースの前で。

 「こんなんで、やる?」

 やらないという人がいない。

 それぞれ、チラシをもって雨のなかにいったり、

 ブースのなかを整理したり、それぞれやれること

はじめた。

 

 この日のことは、あとで、今回応援に駆けつけてくれた

永野さんが生き生きを感想を書いてくれている。

 それを紹介したいなあ。

  永野栄さん、千葉在住・都下の設備会社勤務

 13年前から、鈴鹿のアズワンコミュニテイの人たちと近所づきあい 

 しながら、サイエンズ研究所やサイエンズスクールにもかかわって

きた。...

 いまは、林悦子さん・佐藤文実さんとともに、PIESSNETWORK

東京の寄り合いをはじめている。
 

今回、祭典では、東京からの応援だった。

                *             *              *

 10月21日土と平和の祭典漂流見聞録

      *        *        *
 前日夜か翌朝に発電機を日比谷公園まで運ぶのに

 
郡山さんに会社まで車で来てもらう予定だったけど
 
 どうも郡山さんは都心に車で入りたくない様で
 
一度電話があったがそれっきり。
 
 土曜日の報告会が終わった後、宮地さんの車に積み込んだ。

 
 当日は雨じゃん。じゃんじゃんじゃん
 
(絶対に誰か何処かで悪いことした奴がいる)
 
天気予報は「弱い雨」で悪天候の中の作業は慣れているのでイケるかなと
 
甘く見たのが良くなかった。
 
「弱い雨」ではない。どちらかというと「強い」
 
ブース(テント)は狭いしチラシや各自の荷物もびしょ濡れ
 
誰だブース代ケチったのは?来年は倍くらい欲しい)
 
そのうち公園の水はけ悪くて足元が次第に川の様になってきた。
 
川の中のブースにはさすがに誰も近寄らない。近寄れない。
 
途中、ブースの移動も何人かで相談したが
 
雨も強くモニターやパソコンの配線なども交錯していたので断念した。

午後になってから宮地さんが「なんとかならんかな、なんとかしたい、
 
これでは、、、、川の中から移動したい」とぶつぶつ唱え始めた。
 
一度検討したんだけど、、、、、、う~~~んん
 
宮地さん、何か方法はないかと色々つぶやいている。
 
別の空きブースを一時的に借りてはどうかという人、ブースを見放した人、
 
ブースから離れない人、ブースの下にパレット敷く?

なんだろね~~
 
強く言うわけでもない宮地さんから伝わってくるもの感じながら
 
その気になったら「ヤッちまえーーー野郎ども」って訳でもないのに
 
手分けして皆でテント移動完了。
 
 
大海原漂流の後、ようやく上陸出来た喜びにも似たものがありました
 
(漂流したことないけど)

 午後からは少し雨も弱まって
 
 陸地のブースにも訪れる人が増えてきた。
 
宮地さんが人の流れを作りたいと呟いているが
 
出来ることと出来ないことがある、と知らん顔していたが
 
いつの間にやらそうなるようになっていく不思議
 
自分もチラシ撒きたくなって会場回ったが
 
今ここにいるのも一行の文章や一枚のチラシがキッカケで
 
あったことを
 
思い出しながら雨でへたったチラシを渡していた。

5時までやれたけど
みんなびしょ濡れで冷えてきたので
 
4時ころ撤退。
会場を後にするときに加藤登紀子の「100万本のバラ」が
 
聴こえていた。

会社に戻って風呂入ったけど温まるのに1時間位かかった。
 
そのまま車で夜に帰った人達はお元気でしょうか、、、、

        *         *         * 

 今からおもうと、夢みたいだった。

 たくさんの方と雨のなかとはいえ、出会いました。

 貴重なひとときでした。

 

 PVプロボノでお世話になっている新井博子さん。

 

PVプロボノで、クリエーターとしてアズワンコミュニテイの

ビデオ作成を手がけてくれている楠木一徳さん一家、

雨のなかか出かけて来られた。

ああ、懐かしの加籐晃さん。

 

 きのう、鈴鹿に帰ってきた参加した面々が「やってみて」と

感想を出し合った。

 「来年は、もういい」という人はいなかった。

 

 

 


はじめての東京報告会

2013-10-22 19:44:15 | アズワンコミュニテイ暮らし

 今回の企画は、日本エコビレッジ推進プロジェクトの林悦子さん・

佐藤文美さんが開催してくれた。

 

 10月19日の朝、鈴鹿を4人で発った。雨だった。

 新東名には初めて乗った。途中、雨が止み、冠雪の富士山が

目前に現れた。「わああ!」一同、実物を見ないで、Iホーンや

デジカメでパチリパチリ。

 ドキドキしながら首都高を無事通り、会場の文京区音羽地域

活動センターに着いた。

 

 「アズワンコミュニテイ鈴鹿の人たちとトークと交流報告会」

 

 アズワンからは6人が参加した。

 PIESSNETWORK東京からは永野さん・篠原さん・城石夫妻が

応援に来てくれた。

 初めてアズワンに触れる人もふくめて、30余人の会になった。

 

 トップバッターは佐藤文美さん。

 アズワンコミュニテイ鈴鹿のプレゼン。

 映像を使って、アズワンに関わってきた様子を紹介してくれた。

 簡潔で、スピーデイなレポートだった。

 

 林悦子さんが、アズワンコミュニテイで暮らしている3人の人に

質問しながら、どんな思いで暮らしているか、引き出してくれていた。

 3人は、どちらかというと、歯切れが良くないし、たどたどしいし、

ウーンとか、「そうだなあ」と考え込んだり、切れ切れのコトバで

なんとかまとまった話になるか、ならないかという感じ。

 それでもトークがなんとか終わった。

 

 休憩のあと、トークをした人たちに参加者の方から質問を

するコーナー。

 Q「働くということと、日々の暮らし、お金をふくめた生活のことが

  分けて考えられる世界が分からない」

 A「形式的には会社から給料は出る。それがコミュニテイの

  オフィスにいって、必要な分をもらう。ぼくは、そうしている。

  それぞれ、人によっていろいろ・・・」

 Q「ますます、分からない。これだけ働いたから、これだけ欲しいと

  いうことがないんですよね。もらいたいともおもわない?」

 A「今のところ・・・」

 Q「暮らしに必要なものが満たされているといっても、うまくいかない

  ときもあるんじゃないですか?」

 A「お金ないよ、ってな時だってあるよなあ。その時、話し合えるお互いか

  どうか、だよね。無いなら、どうしようか?不満とかになっていかない」

 Q「各人のお金を公開する仕組みはあるんですか」

 A「今は無いかな。そのうち、そうなっていくかな」

 Q「贈り物のストアは、誰でもつかえるの?」

 A「今は、コミュニテイオフィスと相談して、趣旨を分かってもらって・・・」

 Q「マイクロエコビレッジをやってきている。私から見ると不思議な世界。

  3人の話しがすごくおだやかに流れている。お一人おひとりが豊か。

  卓越した才能の人が集まっている。(笑)理解したいし、見習いたい。
 
 Q「木の花ファミリーに関わってきた。アズワンとの違いは?」
 
 文美「木の花とのつきあいは6年になります。サイフ一つで、農業を
    
    ベースに、みんなで話合って、コミュニテイとして意志決定を
    
    しています。アズワンは、コミュニテイとして意志決定をすること
    
    は無いですね。やろうという人が手を上げて、やっていこうという
    
    人で話合って進めます」
 
 悦子「はじまりが違うかな。アズワンは、こういうコミュニテイをつくろう、
 
    というより、人と人の本来的なつながりはどんなものか、そこの
 
    研究と試みをしている。そういう中から表れた心から、社会を
  
    組立ていくとどうなるか。向かっていく方向は同じだと思うけど、
 
    概念的や形からはじまっていない」
 
 Q「今いるメンバーが家族のように心地よく快適にやっていけるか、
  
  そういう現実をベースしているのかな。ゆったりした雰囲気は
  
  そういうところからでてくるのかな。統合組織もあるわけじゃないし、
 
  酋長みたいな人もいないんでしょ。蟻や蜂の社会をおもわせるなあ」
 
 Q「サイエンズ研究所というのは、どんなことしてるのかな」
 
 Q「このコミュニテイに入りたいときは、加入手続きとかあるのかな」
 
 A「鈴鹿市民には、誰でもいつでもなれる、みたいなもの・・・」
 
 Q「自分勝手な人がいたとき、どうするのかな」
 
 A「ほっておくことはできないよね。なんでそんなるか、そこを検討
  
  するだろうね」
 
 
 最後に、トランジッションジャパンの梶間陽一さんから。
 
 「穏やかに淡々と話されていて、つたわってくるものありました。
 
 夏にアズワンさんを訪ねて、「鈴鹿カルチャーステイション」を
 
見ましたが、感想は「鈴鹿カルチャーショックステーション」でした。
 
いまのトランジッション活動の先を行っている。学ぶことがたくさん
 
ある。モデルとして、たくさんの人に知ってほしいと思いました。
 
 トランジッションもはじまって6年ほど。今、世界中に1000を越える
 
活動のネットワークが出来ています。急速にこれほど広がったのは、
 
活動の立ち上げをマニュアル化したことが大きい。誰でも、どこでも
 
出来る。
 
 活動が世界中でいくつあろうと、出てくる花はみな違う。それを
 
やっていきたい」
 
 
 会場には、二つのパネル。
 
 一つ「誰にでもできる「やさしい社会」づくり」
 
 もう一つ「マイライフセミナー
         ーーコミュニテイづくりの核心」
 
 
 
 ぼくの願い。
 
 アズワンコミュニテイ鈴鹿の探訪DAY 1泊2日のツアーに
 
参加しませんか?
 
 マイライフセミナー<コミュニテイづくりの核心> 5泊6日の
 
ワークショップを活用してみませんか?
 
 
 東京報告会は、和やかな雰囲気に包まれて終わった。
 
 閉会のあとも、話がつづいている人たちもいた。
 
 はて、さて、はじめてのこの会、どうだったんだろう?
 
 
 
追伸
 
 林悦子さんの友人川口久美子さんが「アズワンコミュニテイ
東京交流会」の様子をUSTLで中継してくれています。
 
そのうちの「東京交流会3(質疑応答)」の部を添付します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     
     
     
 
 
  
 
  
  
  
 

  

 

 

 

 

 


言いまつがい

2013-10-12 18:04:37 | アズワンコミュニテイ暮らし

 昨夜、福田博也くんから電話があった。

 10月20日、日比谷公園の「土と平和の祭典」に行くとき、

「何を用意したらいいかな?」という具体的な話だった。

 いろいろ話したけど、「13日の17:00からそのミーテイング

をするから、そんとき、もっと話しよう。メール届いている

だろう」と確かめた。

 博也くん「・・・・」一瞬、間があり。

 「メールでは、17:00~16:30って書いてあったけど・・・・?」

 

 おそらく、17:00は午後5時のこと、と頭のなかで確かめている。

"~"と打って、頭は午後6時30分までだよな、と浮かんでいて、

パソコンに打つときは、16:30になったんだろう・・・

 

 こういう書き間違いは、しばしば。

 何日何曜日の曜日が、メールを送ってから「違ってるよ」と

声かけられる。

 人の名前も、聞いたはじめに自分のなかによぎったもので

固定される感じ。

 楠木さんという人が来訪された。「くすき、です」と自己紹介

されているのに、「くすのきさん」と呼んだりする。

近くの人がすぐ訂正してくれるときはいいけど、しばらく間ちがった

呼び方をしてしまったことも、思い出すと多い。

周りの人はさぞかし、呆れているだろうけど、こんなのは

死ぬまでなんともならんのか?

 

 小6の孫娘が、最近わが家に来て、「村田」と書いてある紙を

見て、「田村」と呼んでいた。

 「風友(ふゆ)、お前もか!」

 どうも、名前を見るとき、一字一字みるというより、パッと

イメージで捉えるのかもかもしれない。

 血筋は争えないのか?

 自分の言いまつがい、書きまつがい、はては聞きまつがいが

われ一人のものでなく、万人にあるもんだ、と開き直りたいのか?

 

 子どものころから、古本屋さんで時を過ごすのが好きだった。

 本の背表紙の題名・著者を見て回るのが面白い。

 先日もブックオフに行った。100円コーナーで、掘り出し物を

探す。

 「銀の言いまつがい」(糸井重里監修)

 これ、と決めた。

 

 家の帰り、本を開く。

 まえがきに「あなたひとりが愉快であるとまずい場面」では

読まないほうが賢明です」とあった。

 

 読んでみると、あるは、あるは・・・

 ええ、言いまつがい、ってこんなにあるんだあ。

 妙に自信をつけた。人の言いまつがいは愉快だ。

 

 ーー現在、失業中で職探しの日々を送っているのですが、

    ある日、実家の母から電話が。電話口の母は、私を

    励まそうとして、

    「いい?あせったらだめだよ。選択が大事なのよ。

    あばらの会社を選んだら、あばらの人生を送るように

    なるのよ」・・・・お母さん、それ、「「いばら」だって!」

ーーうちの母ですが、私にお湯を沸かして欲しい時、

   「ヤカンに火イ、かけといて~!」と言います。

   「ヤカンに火イ、かけるん?」と聞くと、

   「あ、ヤカンにお湯かけといて!」

   意地悪して「お湯かけるの?」と聞くと、

   「あんた、いちいちうるさいっ!ヤカンにガスをかけといたら

   イイねんっ!」と怒ります。

   「ヤカンに」からはじめるからおかしくなるんだよ、母。

 

 思い出すなあ。その昔、わが家族は3人兄妹だった、。

 兄伸一、ぼく昌幸、妹文子。

伸ちゃん、まんちゃん(”まさ”が”まん”になる)、ふんちゃん

(”ふみ”が、”ふん”になる)と呼ばれていた。

 おふくろは、叱るとき、その子の名前を言うのに、すべての

名前を言わないとその子にたどり着けなかった。

 

ーー去年の夏、甘味処で彼と一緒だったわたしは、注文のとき

   「宇治白玉きんたまふたつ」と言ってしまいました。

 

ーー大学の仲間たちと真面目な討論をしていたとき、話が

   込み入って場が混乱しだしたので、「頭を切り替えよう」と

   言おうとして「頭を切り離そう!」と元気に言いまつがって

   しまいました。すかさず仲間が「ギロチン!?」などと

   突っ込んでくれました。

 

ーーうちの姉は、しばしば母を怒らせる。

   先日もボケをかましして、母を怒らせた。

   怒られた姉は「くわばらくわばら」と言おうとして、

   「お陀仏お陀仏」と言って母の怒りを増長させていた。

 

 こんな言いまつがいが300ページに渡って取り上げられて

いる。

 人は何かの現象を見たり、聞いたり、触ったりして、

こころのなかに何かが立ち上がり、それをコトバや

表情や態度で表すのだろう。

 コトバの前に、そのなにかがあるのだろう。

 

 その何かは正確に伝えようとすることはできるだろう。

 その何かを、言いまつがいがあっても、正確に受け取ろう

とすることはできるだろう。

 「言いまつがい」がなく、「伝わった!」という時でも、

その言葉に込めた、その人の気持ちまで「分かった!」と

いいきれるかどうか?

 「言いまつがい」があったほうが、かえって「あんた、なにが

いいたいの?」と、コトバの前のことに焦点があてるかも。

 ただし、だからって、「言いまつがい」は天下御免かどうか?

 

 ある俳人は、言葉には意味と風味があると書いていた。

 意味は、誰にでも通じるものを感じる。

 意味だけで、人と人が通じることができるだろうか?

 風味といったら、各人各様、地域ごとに、環境の違い、

そんな違いから出てくる感じ。

 でも、そういうものを感じる人としての何かは、意外と

共通のものありそうだけど・・・

 

 そうそう、「言いまつがい」のこと。

 まあ、いまの自分で、愛想つかさず、つきあっていこか。

 

 

 

 

 

 


おばあちゃんの晩ごはん

2013-10-12 06:18:53 | アズワンコミュニテイ暮らし

 申し合わせた時間に行ったら、そこは明かりがついて

いなかった。入口のドアは開いていたので、家のなかに

入って、鏡の前の椅子に座った。

 携帯電話が鳴った。

 「宮地さん、来る?」

 「うん、今真っ暗ななか、椅子に座っている」

 「ええ?ああ、今行くわ」

 

 中野豪さんは、日中はおふくろさん弁当屋で働いている。

 弁当屋さんは、鈴鹿から隣接する津・四日市にも、お弁当の

配達をしている。

 「一個から無料で配達します」というのが、ウリの一つ。

 豪さん、その配達をしている。

 

 中野豪さんは、美容師さんだった。

 20余年まえ、出会ったときは、茶髪で、いかにもシャレた

美容室で手際よく女性を美容しているイケメンな青年という

感じがした。どちらかといえば、ぼくとは無縁な人という感覚。

 10年ほど前、ぼくの住んでいるところから離れた。

 数年前、ぼくのほうが豪さんの住んでいるところに引っ越した。

 合宿で何日かいっしょに暮らす機会があり、じぶんのイメージと

ちがう豪さんを発見した。

 

 今年の冬ぐらいから、贈り物で美容をやると言い出した。

 家の前に、離れの小さな家があり、いつかそこで美容室を

やりたいと思っていたという。

 鈴鹿ファームの青年たちが、「本当にやりたいことは?」と

考えて、野菜を贈り合いのお店に出し始め、お弁当屋さんも

それにつづいた。

 そのころ、はじまった。

 

 豪さんの理容、散髪は手際いい。時間も短い。

 てっちり、丁寧にやってもらう散髪もわるくないがそこまで

カッコつけなくてもいいんじゃないの」というときもある。

 あっという間に出来上がるが、案外満足である。

 以前は、「頭の後ろの出来栄えを見ろ」と、嫌がる

ぼくにお構いなく手鏡を前面の鏡に写して、後頭部を

見せてくれた。薄い髪の毛に愕然とした。

 最近は、忘れているのか、すぐ放免してくれる。

 

 「いやあ、最近夕方の配達がきつくてねえ。もう、すぐ

暗くなるやろ。なんか、目が霞んで、疲れるし、アブナイ

感じもあるんだあ」

 「豪さん、何歳になった?」

 「57・・・」

 「ぼく66」

 「宮地さんと10歳違うんかあ」

 話、かみあっているの?

 

 「きのうも、大変だったよ。寝たきりのおばあちゃんの

ところに夕食弁当届けたんだ」

 「へえ、そんなこともあるんだ」

 「そうよ、娘さんが近くにいるんだけど、忙しいときも

あるんだろね。マンッションの部屋は鍵が締まっている。

鍵の隠し場所教えてもらっていてね。

 届けて、帰ろうとしたら洗濯物を取り込んでほしいって

言われてね。取り込んだよ。それが、いーっぱいあるんだ」

「そんなこともあるんだあ」

 

 豪さんは、ボヤいているのか、内心うれしいと

思っているのか、わからない。

 秋の日暮れのなかの、弁当配達のときの気持ちの話だ。

 豪さんの気持ちはそっちのけで、勝手にじぶんの頭は

いろいろ想い始めている。

 「お弁当一個から無料で配達します」

 こういう仕組みがつくってあると、寝たきりのおばあちゃんの

お手伝いもすることができる。

 じゃあ、仕組みが出来ているからといって、おばあちゃんの

洗濯ものを取り込むところまでやれるかどうか?

 豪さんは、ボヤきながら、まんざらでもないという感じがしたが

どうだったか。

 

 さて、帰りながら、豪さんと話がかみあっていたかな、と思った。

 「彼に、なにか聞いてほしいということがあったかも・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「