サイエンズ研究所カレッジコース「人は環境の子」に参加している。
体調を崩して、毎週の寄り合いには参加していない。
録音を聞いて、なんとか参加している。
来週の金曜日は、「わたしのなかの安心」というテーマで発表する。
きょうは、その下書き。こころのなかに浮かんでくる、きれぎれの
雲を書き散らした。
○安心という言葉を聞くと・・・
幼い頃、クマの冬籠りの絵本を見て、落ち葉をしきつめた穴ぐらで
ぬくぬくと寝ているクマ、気持ちいいだろうな、とおもったこと。
炬燵で寝てしまい、おふくろに抱えられ、揺られて寝床に行くとき・・・
おふくろんにおんぶしてもらっているとき・・・などなど。
誰かに、安全なところに、包まれて、抱かれて、それにすべて身を
任せておれる、というイメージ。ああ、おもっただけで、きもちいい。
○誰かに分かってほしい、認めてほしいという気持ちも・・・
おふくろは、さいごのさいご、じぶんのすべてを受け止めてくれるという
そうだろうなという実感があった。
小学校高学年、新任のまだ初々しい男の先生が担任になったとき、
その先生が喧嘩ばかりしていたぼくに「喧嘩をするなら、放課後にやれ」
と言った。そのときの気持ち。「なにかじぶんを認めてくれている」
○安心と不安
おふくろは、じぶんの存在はどこまでも受け止めてくれると感じていたが
小学から中学のころ、じぶんのなかでおきていることを話す気にはならな
かった。
むしろおふくろを疎ましくさえ思った。
中学生のころは、クラブ活動に没頭し、仲間がなくてはならないもの、
仲間との関係面を気にするようになった。
中三のときの女の担任の先生が、じぶんのおもいを受け止めてくれる
と感じた。いわば、知的な母親像。
そのころ、非常勤の国語の女先生から、知的な刺激うけて、
その先生と仲間で読書会などするようになった。知的な女性像。
じぶんという意識が、とっても強かった、のではなかったかなあ。
そのころ、ヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」という小説から、”放浪”とか
”誰とでも軽いつきあい”みたいなイメージをじぶんにしっくりくるなあと
していた。
仲間がほしい。でも、じぶんは、しぶん、みたいな。
”クヌルプ”は、たしか最後野垂れ死にする。
これって、不安がベースの世界にいたんじゃないのかなあ。
○家族をめぐって
高二のとき、親父に「大学に行きたい」と言った。
「金がない、ダメだ」と父。「なんとか行きたい」と言い募ったらしい。
「穀潰し」と父から聞いて、切れた。
中学時代の女先生に相談したら、「お金があればいいんでしょ」と
母校の夜間管理人の仕事を見つけてもらった。大学の費用はそれで
できた。
家族について、「親はなにをしているかわからない。家も旧態依然
商店街のなかで、ガラクタのある店。外からみたら暗い、寂れている。
わが家族はふつうではない。じぶんの居場所もない」
次男。いずれ家から社会に出て、なにかをする。そのときは、一人
なんだ、というなんとなくの感じ。
大学では仲間とわいわいやっているようだけど、さいご大学を除籍に
なってからは、家に戻ることはかんがえられなし、どこいくあてもないし
新聞販売店に住み込んで、昼は沖仲仕の生活。
先の展望なし。
家族からの訣別?
兄は、ぼくに「好きなようにしたらいいよ」と言っていたが、「ああ、そうするよ」
というより、モラトリアムが終わって、気がついたらそんなところに立たされて
いたような。
家族については、なんとなく暗いイメージ。
○新聞販売店は2ヶ月でカラダがもたないと感じた。
新聞の求人広告をみて、応募したら採用された。
発展途上国の技術研修生を世話する仕事。世話することも、
同僚とも仕事できる喜びがあった。居場所を見つけたという
気持ち。職員のことで、行き詰って5年で辞めた。
○共同体の暮らしに参画した。
居場所はできた。仲間も、やることもあった。
35年、そこで暮らし、仕事した。そのとき、そのときはやり甲斐を
感じていた。
じぶんをふくめたすべての人のしあわせを目指していたが、
それを目指す”自分”とはどういうものか、そこに焦点があたって
いなかったのが盲点だったのではないか、といま感じる。
意識上の考えや意志や、なにをするか、ということについては、
ずいぶん考えた。じぶんの心のなかでいろいろと起きてくる気持ち
は、見ないとか、そんなことに拘泥してられないとか、いまからおもう
とじぶんの気持ちを押し殺してきた、そんな感じがする。
じぶんの気持ちのすべてをほかの人に受け止めてもらえる、
じぶんもほかのひとの気持ちをありのままに受け止められる。
安心といったら、そんな人と人の間柄がベースになるのかなあ。
そこから、社会の暮らし、活動がはじまるようなもの・・・
○願っているもの、目指しているものははっきりしてるのに、
それを願っている、目指している自分について、よく見て
来なかったなあ、と気づいたとき。
15年ほど前、妹夫婦の家に行ったとき、妹がこどものときの
家族写真をもっていた。
両親、兄、妹、自分が、にこやかに笑って写っている。
ごくごく、あたりまえの和やかな家族、そうだったんだ。
50歳になるまで、ぼくの家族についてのイメージは”暗い”だけだった。
思い込みというのがあると、こうなるんだと、びっくりした。
もう一つ。やはり15年前、京都に昔の仲間が寄った。ベトナム反戦の
ため羽田にねそべった仲間だ。その夜、一人ひとりこれまでの生き方を
出し合った。具体的で、実感があって、おもしろい。
聞きながら、じぶんのなかには「ぼくの団体では・・・」というのしか出て
こないことに気づく。じぶんは、なにをしてきたのか。胸のあたりに栓が
詰まったように、苦しいものがあった。結局、話さずじまいだった。
○共同体生活をめぐって
誰とでもなかよくできる自分になろうと願ってきたけど、そのように
願っている自分は、どういうじぶんか?を見ない、知らないで、来て
しまったのではないか?
また、それを願うあまり、自分、自分、こんなんではまだまだだと、
じぶんにかえって、とらわれていたとか。
それぞれが、各人の自発的自由意志で暮らし、行動する。
そいうことができる社会や社会の気風を醸成する。
やりたいことを、やりたい人がやりたいだけやる。
やりたくない人はやらない。
とっても、シンプル。
2年前に鈴鹿に引っ越してきて、暮らしてきたが、ついこの間まで、
そんなことをしていたら社会の秩序がたもてないんじゃないか、と
おもってきた。
いまは、暮らしてきて、けっこうそれで暮らしていける、そのほうが
自然で無理ががなく、人をほんとに大事にすることにあるのかなあ、
と感じはじめている。
「しなくちゃ」という状態がじぶんのこころのなかのベースになって
いるのかなあ。
孫たちをみていると、そういうものがないように見える。
「しなくっちゃ」があると、じぶんの気持ちを見れない、みないことに
なりそう。
そういうことに気づいて、こういうところからはじめるのかとおもった。
○人にやってもらうことは気持ちいい!
孫なんか、そればっかじゃん。
「じぶんのことは、じぶんでしなさい!」つい言いたくなる。
そんなのは、子どもには許されるけど、大人には・・・
でも、大人でも、人にやってもらったら、うれしいじゃないか。
ぼくは、うれしいなあ。
うれしいことは、ほかの人にもしたくなるんじゃないか。
ほかの人にしてあげて、それでまたうれしいことだってありそうじゃん。
○生と死の境をうろついて
ああ、じぶんはほかの人やいろいろな関連のなかで、たまたま
条件がそろって、やっとこさ生きておれる、これ実感したなあ。
自分は一人、だとか、死ぬときは一人だとか、死んだら無、なんにも
無くなる、虚しい、そんなものが自分のどこかベースになっているよう
に感じるんだけど、じぶんというものが、どれだけのものよ、もし
関連したもろもろのなかで生かされているとしたら、せめて自分の
身近な人のしあわせから、なにかしら、やれることがあるなら、やらせて
ほしい。これまで、親しく感じていた人をふくめて、亡くなって行った人たち
すべてになつかしい気持ちだし、いま生きている人、これから生まれて
来る人に、「やあ、こんにちは」