かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

南伊勢から炭焼きの風・・・ 

2013-01-30 12:58:11 | アズワンコミュニテイ暮らし

 きょうの寄り合いは、炭焼きの話題が主だった。

おじさんたちの顔が少年のような好奇心と、調子にのって

膨らんでいく夢追いでけっこう活気があった。

 

 先日、南伊勢いずみ楽農会の炭窯で、炭出しがあった。

 そこに炭焼きに関心がある面々、2、3人が鈴鹿から炭出しの

現場を見にでかけた。

 じっさい、着いたのが朝10時半ごろで、炭出しは終わっていた。

ポイントを外すのは、いつものこと。

 でも、そこはモノ好きの面々、空っぽになった窯のなかに

入り、炭焼きの達人、師匠の右田翁から窯のしくみを微に入り

さいをうがって、伝えてもらった。面々は、メモを一言一句もらさぬ

よう、寸法や急所をメモした。顔は真っ黒に・・・

 「ここはなくてもいいが、かといってあったらいいこともある」

 微妙な加減を右田翁は余さず話してくれたらしい。

 

 その時、メモしたものから、大平さんが炭焼き窯を図面に起こした。

 それぞれ、得意なことがある。


 

 炭焼き窯は、高崎が2年かけて手入れしてきた、鈴鹿の西、丘陵

地帯のなかの雑木林につくりたい。

 昨年末、いずみ楽農会の田畑由美さんが、その里山を訪ねてくれて、

「ここなら炭焼き窯ができそうね」と言ってくれた。


 「ところで、誰が炭焼きをするんだあ?火の番とか、けっこう熟練が

いるぜ」

 「そりゃあ、鈴木英二さんだよ」

 本人「やるよ!若い時、マタギの人と山歩きをしたことがあり、その

とき味わったこと、もっと実現させたい。それに、ガキのころ、毎日

飯炊きをしていた」

「英二さん、脊髄のリハビリ中だろ」

本人「いま、プールで猛特訓してる。大丈夫!」

 

 高崎「炭窯をつくるとき、山の神さんに祝詞をあげる儀式をやる

らしい。こりゃあ、いいなあ。なにか、里山と人の暮らしというのが

描けてくる感じがする」

 英二「祝詞も、右田翁がじぶんでかんがえると言っていたなあ」

  今年最初の炭焼きがはじまりました。新年最初の火入れなので、

山の神様に御神酒と椿の葉に乗せた洗米を供え、祈りを捧げスタート。

今年もよい炭がやけますように。そして、山と海と人によい循環が巡り

ますように^_^(田端由美さんのブログ”天使のひるね”から)


 

 高崎「窯が出来るとなったら、地主さんにも了解えたいし、地域の

子どもたちの学びの場にもなっていくとなあ」

 中井「炭もあるていど、売れるようなものができたら、里山整備の

資金にもなるし・・・」

 

 このおじさんたち、1月20日南伊勢町いずみにある楽農会の

人たちと交流会をしてきた。

 南伊勢に吹いている風が鈴鹿まで、とどいてきそう。

 

 

 

 





 

 


こころがほぐれ、気ままなうちに・・・

2013-01-30 07:14:16 | アズワンコミュニテイ暮らし

 テレビ番組というのは見ない。たまたまつけて面白そうなのを

見る。

 一月半ば、ミュージカルを中心に20年以上にわたって活躍して

きた石丸幹二さんが、体調不良で1年間の活動休止を余儀なくさ

れたというテレビの画像を目にした。

 番組は、「旅のチカラ」「“人生を歌う声”を求めて~石丸幹二

パリ~」


 石丸さんは、語っていた。

 ーー走り続けて、いろんなものを見ないで走ってきたことに気が

    ついた。世の中のことを、あまり知らないし・・・。

     このままエンジンが止まりかけになっているのにもかかわ

    らず走っていくことより、一度止まって、メンテナンスをする

    方が大事なんじゃないか?と思った。

     人生には、ギアチェンジが必要な時もある。

 ーー劇場空間に居ることを選んだ人間は、夕陽を見る時間は舞台を

    空けている時間・・・。ほぼ17年間、夕陽が水平線に落ちる・・・

    地平線に落ちる瞬間を見てこなかった・・・。


 石丸さんは、そんなとき今は亡きフランスの歌手、アンリ・サルヴァ

ドールの歌に偶然出会う。

 「サルヴァドールからの手紙/Chambre Avec Vue (眺めのいい部屋)」

 そこに収録されていたささやくような歌、「こもれびの庭に/Jardin d’Hiver 

(原題;冬の庭)」


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gFkUVik35U8


 石丸さんは、「これは人生を歌う声だ」と感激し、アンリの歌はどのように

して生まれ、アンリはどんな人生を歩んできたのか。その秘密を探るため、

そしてこれからの自身の音楽への道標を見つけるために、パリへ向かう。

こんなストーリー。


 音楽については、まったく不案内。孫たちから、「音痴!」と不評をかい、

ふだんから関心もそんなにない。

 石丸さんが、テノール歌手としてじぶんの世界を築いてきたところを

いったんチャラにして、サルヴァドールの人生に、人生の歌の世界に

触れて行こうとするつよい意志にかんじるものがあった。

 サルヴァドールの歌を日本語で歌うという目標をたて、苦心する。


 そのみちすがら。

 サルヴァドールは、力がはいらず、自由に気ままの歌ってはいるが

そのなかに彼の気持ちを込めようとするところには、はっきりとその

意志が入っている。

 その気持ちは、出そうとしなくとも、こころの底から静かに湧き上がっ

ってくるのだろうか・・・

 それにしても、いくども、なんども、そこに触れようと歌をくりかえす。


 石丸さんは、サルヴァドールを知る人たちの前で、日本語で

「こぼれびの庭」を歌うことになった。

 その直前、「ああ、もううまく歌おうなんてかんがえるのやめよう。

じぶんのこころのままに歌おう」とこころがきまる。


 パリのとあるジャズ・バーで石丸さんは、「こもれびの庭に」を

彼自身の日本語訳で歌った。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gFkUVik35U8


 サルヴァドールゆかりの人たちは、「言葉なんか問題じゃや

ないよ。君によって、彼が僕らの前によみがえった」と涙と

ともに感動のことばを語っていた。


 これを見てから、何日もたっている。

 人生のギアチェンジ、ぼくは60歳を過ぎてから、たまたま

気がついて、やった。

 じぶんの人生をゆっくり1年かけて振り返った。

 力んでいたなあ。

 もうすこし、はやく、石丸さんぐらいの歳に、とおもわぬではない。

 気づいてからが、始まりだ。


 もっと、早い時期にゆっくりかんがえられる時間は、誰もがほしいん

じゃないかなあ。それをやろうとする人が無理なくできる、社会の

しくみが現れてこないかなあ。

 じぶんのなかでぼんやりしていたもの、カタチが見えてきたかなあ。



 


 


 


 



 


 


あすからのくらし相談室・宮古

2013-01-29 09:33:56 | アズワンコミュニテイ暮らし

 東北大震災から2年が経とうとしている。

 被災地岩手県宮古で”暮らしで困っている人”をサポートしている

吉田直美さんが、アズワンコミュニティに来訪された。

 

 吉田さんの活動は、以下のHPを見てください。

http://yorisoi.jp/mk/

 

吉田直美さんのお話。

  相談室に来る人に接しながら、相談事については一つひとつ行政や

関係の人と話し合いながら、ある程度の解決はできる。

 そこは、日々やっているのですが、その人がその人の能力に見合う

役割に就けるとか、その人の居場所が社会のなかにあるかとか、その

へんが整っていないと根本的な解決とはいえないじゃないか、とかんがえ

はじめ、各地でやられているコミュニティを見学しているという話だった。


 アズワンコミュニティを見学し、いろいろな人から熱心に話を聞いて

いた。

 その一端。 お弁当屋さんで。

 たまたまお弁当を詰めていたみゆきさんが、話をしてくれた。

 

 みゆき  「ここで働いている人は50人ぐらいですが、そうね、それぞれの

人が、これはじぶんがやれるとか、この時間には行けるとか、そんなんで

やっているかな」

 吉田  「それで、やれるんですか?」

 みゆき  「せなあかんというのがないかな・・・休めないとか、こうでなくちゃ

とかがないかな。朝になって、突然行けないと言ってきても、”そうか”で

いけているかな」

 吉田  「いやあ、そういう会社というか、働き場を描いているんですよ。

それに、ぴったりですよ,ここは。お給料も、一人ひとりと相談して決めると

聞きましたが」

 みゆき  「一人ひとり、子どもがいるとか事情があるでしょ。それに、会社

にも事情が。オープンに出し合えて、それを知ったうえでお互いが動いて

いるかな。会社といっても、そこでやっている人たち自身のためにあるん

だし・・・・」

 吉田  「やってて、大変なことありませんか?」

 みゆき  「うーん、うーん、大変なことねえ。毎日毎日いろんなことは

起こるんだけど、大変なことねえ。あんまり、感じてないかな。どっちか

といえば、楽しいかな」


 コミュニテイを見てまわり、いろいろな人に会った。

 わが家にも寄っていかれた。

 そのときの感想。

 「今回の訪問でいちばん気がついたのは、形や枠組みを先ず

かんがえていたんだけど、それは後からでもつくっていける。

 まずは、人と人がどうつながっていくか、じぶんとか人の

内面がどうなっているか、そこを見ていくことから始まるのかな、と。

集まって、一時的に盛り上がっても、お互いが言い争ったり、人との

間がおかしくなって、空中分解したらなんにもならないですからね」


 「あすのくらしの相談室」

 「あすの・・・」とつけているところが、いいなあとおもった。

 困っているというのは、いま足下の具体的なことももちろんだけど、

それ以上に「あすへの希望」がないことが不安で、困っているんじゃ

ないか?

 「あすへの希望」と言ったら、物質的な条件をととのえるだけでは

足りないのでは。

 困っている人のこころのなかに、「こんなじぶんになりたい、なれる」

というものが芽生え、育んでいけるものが要るのでは・・・

 そういうものが、安心して育てていける環境づくり・・・

 それでおもうのは、その人の隣に「こんなふうになりたい」と

 

なるような人が実在すること。

 


 願うことがある。

 どんな人でも、男でも女でも、ある程度の社会生活、社会活動を

やってきて、とくにおおきな問題がないにしろ、ある時点で1ヶ月とか

数ヶ月とかじぶんの持ち場を実際に離れて、じぶんを振り返って見る

機会をつくれないか、ということ。

 もちろん、こんなこと一人ではできない。

 周囲の人や、社会的な支援も必要になるだろう。

 だれもが、こころの奥で、こんなことやれたらとおもっていない

だろうか。


 養老孟司さんは、”参勤交代”とか”社会奉仕”とか提唱している。

 その期間の活用として、人としての知性の涵養として、じぶんの

かかわっているところからいえば、「サイエンズスクール鈴鹿」も

活用してほしいです。


 吉田さん、いっしょにかんがえていきたいです。

 


 

 



 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わたしのなかの安心はどうなっているか?

2013-01-28 07:03:18 | アズワンコミュニテイ暮らし

 サイエンズ研究所カレッジコース「人は環境の子」に参加している。

 体調を崩して、毎週の寄り合いには参加していない。

 録音を聞いて、なんとか参加している。

 来週の金曜日は、「わたしのなかの安心」というテーマで発表する。

 きょうは、その下書き。こころのなかに浮かんでくる、きれぎれの

雲を書き散らした。

 

○安心という言葉を聞くと・・・

  幼い頃、クマの冬籠りの絵本を見て、落ち葉をしきつめた穴ぐらで

ぬくぬくと寝ているクマ、気持ちいいだろうな、とおもったこと。

 炬燵で寝てしまい、おふくろに抱えられ、揺られて寝床に行くとき・・・

 おふくろんにおんぶしてもらっているとき・・・などなど。

  誰かに、安全なところに、包まれて、抱かれて、それにすべて身を

任せておれる、というイメージ。ああ、おもっただけで、きもちいい。

 

○誰かに分かってほしい、認めてほしいという気持ちも・・・

 おふくろは、さいごのさいご、じぶんのすべてを受け止めてくれるという

そうだろうなという実感があった。

 小学校高学年、新任のまだ初々しい男の先生が担任になったとき、

その先生が喧嘩ばかりしていたぼくに「喧嘩をするなら、放課後にやれ」

と言った。そのときの気持ち。「なにかじぶんを認めてくれている」

 

○安心と不安

 おふくろは、じぶんの存在はどこまでも受け止めてくれると感じていたが

小学から中学のころ、じぶんのなかでおきていることを話す気にはならな

かった。

 むしろおふくろを疎ましくさえ思った。

 

 中学生のころは、クラブ活動に没頭し、仲間がなくてはならないもの、

仲間との関係面を気にするようになった。

 中三のときの女の担任の先生が、じぶんのおもいを受け止めてくれる

と感じた。いわば、知的な母親像。

 そのころ、非常勤の国語の女先生から、知的な刺激うけて、

その先生と仲間で読書会などするようになった。知的な女性像。

 

  じぶんという意識が、とっても強かった、のではなかったかなあ。

 そのころ、ヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」という小説から、”放浪”とか

”誰とでも軽いつきあい”みたいなイメージをじぶんにしっくりくるなあと

していた。

 仲間がほしい。でも、じぶんは、しぶん、みたいな。

 ”クヌルプ”は、たしか最後野垂れ死にする。

 これって、不安がベースの世界にいたんじゃないのかなあ。

 

○家族をめぐって

 高二のとき、親父に「大学に行きたい」と言った。

 「金がない、ダメだ」と父。「なんとか行きたい」と言い募ったらしい。

 「穀潰し」と父から聞いて、切れた。

 

 中学時代の女先生に相談したら、「お金があればいいんでしょ」と

母校の夜間管理人の仕事を見つけてもらった。大学の費用はそれで

できた。

 

 家族について、「親はなにをしているかわからない。家も旧態依然

商店街のなかで、ガラクタのある店。外からみたら暗い、寂れている。

わが家族はふつうではない。じぶんの居場所もない」

 

 次男。いずれ家から社会に出て、なにかをする。そのときは、一人

なんだ、というなんとなくの感じ。

 

 大学では仲間とわいわいやっているようだけど、さいご大学を除籍に

なってからは、家に戻ることはかんがえられなし、どこいくあてもないし

新聞販売店に住み込んで、昼は沖仲仕の生活。

 先の展望なし。

 

 家族からの訣別?

 兄は、ぼくに「好きなようにしたらいいよ」と言っていたが、「ああ、そうするよ」

というより、モラトリアムが終わって、気がついたらそんなところに立たされて

いたような。

 家族については、なんとなく暗いイメージ。

 

○新聞販売店は2ヶ月でカラダがもたないと感じた。

 新聞の求人広告をみて、応募したら採用された。

 発展途上国の技術研修生を世話する仕事。世話することも、

同僚とも仕事できる喜びがあった。居場所を見つけたという

気持ち。職員のことで、行き詰って5年で辞めた。

 

○共同体の暮らしに参画した。

 居場所はできた。仲間も、やることもあった。

 35年、そこで暮らし、仕事した。そのとき、そのときはやり甲斐を

感じていた。

 じぶんをふくめたすべての人のしあわせを目指していたが、

それを目指す”自分”とはどういうものか、そこに焦点があたって

いなかったのが盲点だったのではないか、といま感じる。

 意識上の考えや意志や、なにをするか、ということについては、

ずいぶん考えた。じぶんの心のなかでいろいろと起きてくる気持ち

は、見ないとか、そんなことに拘泥してられないとか、いまからおもう

とじぶんの気持ちを押し殺してきた、そんな感じがする。

 

 

 じぶんの気持ちのすべてをほかの人に受け止めてもらえる、

 じぶんもほかのひとの気持ちをありのままに受け止められる。

 安心といったら、そんな人と人の間柄がベースになるのかなあ。

 そこから、社会の暮らし、活動がはじまるようなもの・・・

 

○願っているもの、目指しているものははっきりしてるのに、

 それを願っている、目指している自分について、よく見て

 来なかったなあ、と気づいたとき。

 

 15年ほど前、妹夫婦の家に行ったとき、妹がこどものときの

家族写真をもっていた。

 両親、兄、妹、自分が、にこやかに笑って写っている。

 ごくごく、あたりまえの和やかな家族、そうだったんだ。

 50歳になるまで、ぼくの家族についてのイメージは”暗い”だけだった。

 思い込みというのがあると、こうなるんだと、びっくりした。

 

 もう一つ。やはり15年前、京都に昔の仲間が寄った。ベトナム反戦の

ため羽田にねそべった仲間だ。その夜、一人ひとりこれまでの生き方を

出し合った。具体的で、実感があって、おもしろい。

 聞きながら、じぶんのなかには「ぼくの団体では・・・」というのしか出て

こないことに気づく。じぶんは、なにをしてきたのか。胸のあたりに栓が

詰まったように、苦しいものがあった。結局、話さずじまいだった。

 

○共同体生活をめぐって

 誰とでもなかよくできる自分になろうと願ってきたけど、そのように

願っている自分は、どういうじぶんか?を見ない、知らないで、来て

しまったのではないか?

 また、それを願うあまり、自分、自分、こんなんではまだまだだと、

じぶんにかえって、とらわれていたとか。

 

 それぞれが、各人の自発的自由意志で暮らし、行動する。

 そいうことができる社会や社会の気風を醸成する。

 やりたいことを、やりたい人がやりたいだけやる。

 やりたくない人はやらない。

 とっても、シンプル。

 

 2年前に鈴鹿に引っ越してきて、暮らしてきたが、ついこの間まで、

そんなことをしていたら社会の秩序がたもてないんじゃないか、と

おもってきた。

 いまは、暮らしてきて、けっこうそれで暮らしていける、そのほうが

自然で無理ががなく、人をほんとに大事にすることにあるのかなあ、

と感じはじめている。

 

 「しなくちゃ」という状態がじぶんのこころのなかのベースになって

いるのかなあ。

 孫たちをみていると、そういうものがないように見える。

 「しなくっちゃ」があると、じぶんの気持ちを見れない、みないことに

なりそう。

 そういうことに気づいて、こういうところからはじめるのかとおもった。

 

 

○人にやってもらうことは気持ちいい!

 孫なんか、そればっかじゃん。

 「じぶんのことは、じぶんでしなさい!」つい言いたくなる。

 そんなのは、子どもには許されるけど、大人には・・・

 でも、大人でも、人にやってもらったら、うれしいじゃないか。

ぼくは、うれしいなあ。

 うれしいことは、ほかの人にもしたくなるんじゃないか。

 ほかの人にしてあげて、それでまたうれしいことだってありそうじゃん。



○生と死の境をうろついて

 ああ、じぶんはほかの人やいろいろな関連のなかで、たまたま

条件がそろって、やっとこさ生きておれる、これ実感したなあ。

 自分は一人、だとか、死ぬときは一人だとか、死んだら無、なんにも

無くなる、虚しい、そんなものが自分のどこかベースになっているよう

に感じるんだけど、じぶんというものが、どれだけのものよ、もし

関連したもろもろのなかで生かされているとしたら、せめて自分の

身近な人のしあわせから、なにかしら、やれることがあるなら、やらせて

ほしい。これまで、親しく感じていた人をふくめて、亡くなって行った人たち

すべてになつかしい気持ちだし、いま生きている人、これから生まれて

来る人に、「やあ、こんにちは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風友(ふゆ)の誕生日

2013-01-25 07:59:46 | 家族あれやこれや

 娘から電話があった。

 「明日、風友の誕生会、そっちでやりたい」

 妻と娘は、なにやかやと相談していた。

 

 孫は、7人いる。じじばばのプレゼントはおおむね本にしている。

 その子の成長や様子をかんがえながら、選ぶ。それが楽しみでもある。

 四日市のメリーゴーランドという本屋には子どもの本が天井まで

いっぱい並んでいる。本の森のなかを散策する。

 今回は時間が取れなかった。

 以前、風友が成長してから、と置いてあった「ヒルベルという子がいた」と

いう本にした。

 

 当日は夕方から、風友はケーキづくりをはじめた。

 「じぶんでつくる」というのだった。

 

 ママは、クリームコロッケと中華風春雨。

 ババは、海鮮ちらし寿司とおすまし。

 風友は、サーモンの刺身が大好物。のせてあるのでは足りない。

 じぶんで余っているところから。上乗せしている。

 

 「さあ、そろそろデザートタイムにしよう」とママ。

 弟の晴空、まだお寿司が残っていた。

 ママ「食べちゃいな・・」

 風友「食べないの?だったら、デザート要らないのね」

 あれ、それって、ママがいつも言っているような・・・

 じぶんも、そんなことしてきたような・・・

 ちょっぴり息を飲んで、「ジジのところでは、そういうことは

やめたいとおもってる」と言った。

 

 ケーキにロウソク11本立てる。

 風友、「わたしがやる」とマッチを擦った。マッチの軸棒を立てて

ロウソクに火をつけようとしたので、つまんでいる指が火に炙られ

てしまった。「あちちち」「そりゃ、そうなるよ」

 

 大阪のパパから電話。「プレゼント、送ったよ。6時から8時の

間に届くよ」

 風友「まだ、着いてない」

 パパ「宅配会社に電話したら、すぐ届けてくれるよ」

 風友は早く見たい気持ち。

 ママが、家まで見に行く。「不在のためお届けできません」という

紙をもてきた。宅配会社に電話しても、出ない。8時を過ぎていた。

 風友はちょっとぐずった。

 

 ママから、お菓子づくりの道具のプレゼント。

 晴空は、お菓子づくりの本。

 雄一くんからは、大きな箱。なんだろう。「あれっ、地球儀」

 地球儀を囲んで、日本はどこだ、地球の軸はすこし傾いている、と

わいわい。

 ジジ・ババのプレゼントは一冊の本。それに手紙を添えて。

 

 誕生会をおえて、ママの家にみんなもどる。

 風友は、荷物が多いので、ジジも一緒に夜道を帰った。

 宅配の車が見えた。「もしかしたら、パパのプレゼント、届いたかな?」

 帰ってみると、たしかに届いていた。「やった!」

 宅配便の運ちゃん、ありがとう。

 

 ジジの手紙。風友は、ちらっと見ただけだったけど・・・

 

   風

 

  風は見えない

  ほっぺをなでて通る

  

  風は知ってるよ

  ふゆが悲しいとき、泣きたいとき

  ママにおもいきりあまえたいとき

 

  風は知ってるよ

  ふゆが小さい子を可愛がっているとき

  ふゆはとってもうれしそう

 

  風は知ってるよ

  ふゆは弟や友だちにとってもやさしいんだ

  口では悪口言っていてもね

 

  風は見えない

  みんなのこころのなかを

  やさしくなでて通りすぎるんだ

  風はぼくらの友だちだ