かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

引っ越し済んで・・・

2012-05-28 05:47:43 | アズワンコミュニテイ暮らし
 まだまだ整理したいところあるけど、暮らすにはなんとか
というところまできた。

 「はて、転居連絡は?」とおもいつくゆとりもできてきた。
 新住所は、Face Bookで一回紹介した。
 あと、どうする?
 年一回の年賀状をとどけてくれる方々。
 はがきとか、出したほうがいいかどうか。
 Face Bookとか、メールは便利だな。

 何日かかけて、伸び放題、はびこっていたニラの草引きも
一応終えた。妻と交互にはたけにでかけた。
 草は根をしっかり張っていた。
 ニラが植わっていない空地に、その所を得て、治まって
いる。草引きしながら、草の生態にちょっぴり感動。



 ニラは、コミュニテイー通貨のお店にとどけたい。
 なるべく、草に取り囲まれないように。
 今回は、冬に集めておいた落ち葉を敷いてみた。
 どんなことになるか。



 東京から、25歳の青年が鈴鹿カルチャーステーションにやって
きた。27日の朝。
 彼は、午後からサイエンズスクール鈴鹿の内観コースに参加する。
 コミュニテイーを見学したいというので、すこし案内した。
 まちのはたけ公園に行く。
 小林耕一くんと谷藤俊幸くんが、新玉ねぎの袋づめをしていた。



 青年は、いま”ジュレ・ラダック”活動の事務局をしている。
 何年か前には、アフガニスタンに1年2か月ほど滞在していた。
 ペシャワールの会で、運河づくりをしていたという。




 

 27日の内観コースには、娘桃子も参加する。
 孫二人は、引っ越しまもないわが家で、一週間お泊り。
 しばし別れのお昼ごはん。
 小1の晴空、みんながワイワイ、焼きそばの用意をしているとき、
一人離れて、おもちゃの組み立てに没頭している。
 内面では、なにか、おきているのだろうな。





 「しばらく、甘えられないんだだから、いまのうちママに甘えて
おいたら・・」
 晴空は、ママにカラダをすりよせ、照れくさそうに、もたれきって
いる。

 その日の夜、雄一くんの”教え子”が、わが家にやってきた。
 彼らは21歳を越えている。
 彼らと、3年同じ屋根の下に暮したことがある。
 まだ、高校年代の頃の彼らは、じぶんでじぶんを制御できない
なにかに突き動かされているようだった。
 雄一くんは、それらに根気よくつきあっていた。
「雄一さん、41歳っすか。けっこう歳くってますね」

 孫の風友と晴空は、なかなか寝ない。
 食堂から、若者たちが話す声が聞こえてくる。
 横になって、半分トロンとしながら、孫たちが寝る前の騒ぎを
聞いている。
 妻は、絵本を読んでやる。
 それでも、寝ない。
 妻が、何かの用で部屋から出て行ったら、晴空、くしゅくしゅ・・
 「どうしたの?」と小浪。
 はじめ、「なんで、言わなあかんの?」と繰り返していたが、
 「だって、さみしいんだもん」

 晴空は、結局、お化けがこわいと目をつぶっているとおもいきや、
男のぼくの隣で寝てしまった。
 こんなふうだったかも、おふくろにたいしてのぼくは?
 内観コースは、7月に参加するつもり。

 そうそう、きのう夕方、辻屋康子さんが顔だした。
 ブラジルから帰ってきていた。
「お帰り」
「イネスさんから、届け物」
康子さん、なにか若やいでいる。

 日々は、こうして過ぎてゆく。
 「So what]という英語が、あるとき、すっと入ってきたときがある。
 「だから、それがどうしたって言うの?」

 このあいだ、見て、こころが動いたコトバ。
「本当に幸せな社会に立って生きていこうとする毎日かどうか
振り返ってもみると、いろいろもっともっと究明しなければ、
人の中へ行けないと思う」

 ここ、おもしろい。
 「なんとか、せなあかん」と究明しようというのと、「本当に
幸せな社会に立っていきていこうとする」ところから、そうしたら、
「もっともっと」となるのと。
 「幸せな社会に立って」とは、どんなこと。
 「人の中へ行けない」というのも、おもしろい。

 飛び込んでくる情報は、「これは、問題だ」「なんとかせなあかん」
と言うことが多い。そん
 それらを、入力するときのじぶんとは・・・




 
 
 

目に青葉 探訪DAYの一巡り (2)

2012-05-24 11:31:30 | アズワンコミュニテイ暮らし
 20日の朝10時過ぎ、滋賀県東近江市から、近藤隆二郎さん家族と
「子民家―ーエトコロ」の街づくりをしているお仲間3人が
鈴鹿カルチャーステーションに到着。

 アズワン・コミュニテイーの探訪といっても、ふつうに考えたら、
何のことか、戸惑ってしまうかも。
 こんな農業しているとか、こんな環境にやさしい取り組みを
しているとか、とくに「こうだ」と言えるものがない・・

 探訪だから、あちこちの場所には、ご案内する。
 その場所では、なるべくふだん着の人と出会ってほしいなあと
願っている。

 はじめ。サイエンズの研究所の小野さんから、コミュニテイーの
あらましを説明。



 鈴鹿カルチャーステーションの案内。

 コミュニテイーを支える会社もある。隆杉さんが、ふだんおもって
いること、淡々と話してくれた。

 まちのはたけ公園では、中井さん。語れば、長い話があるが、なんとか
短めに話してもらった。



 お弁当屋さんは、泉田さんがニコニコ笑顔で、毎日の流れを伝えてくれた。





 お店では、コミュニテイー通貨の実際に質問があった。




 さあ、昼食は、お待ちかね、”コミュニテイー食堂・ふぁみーゆ中井”で・・
 ”ふぁみーゆ”というのは、フランス語で、家族ということらしい。

 ここで、近藤夫妻の娘さん、蓮ちゃん登場。小学5年生。
 はじめ、家族と鈴鹿カルチャーステーションに来たんですが、たまたま
そこにいた小1の女の子と遊びはじめ、とうとうその子の家族と公園に
行くことに。大人と別メニューが出来てしまったのだった。
 蓮(れん)ちゃん、「おいしい」を連発。



 午後は、鈴鹿カルチャーステーションで、公開シンポに参加。
 「地域創生」とか「やさしい社会」と、耳慣れないテーマ・・
 発表の方々も多彩。マクロから、ミクロから。人間から、社会から。
 現場の動きから、そのもとになる哲学から。










 「子民家―ーエトコロ」のメンバーは、その後、コミュニテイーの
サイエンズスクール”事務局で、竹本美代子さんの話を聞く。
 「マイライフセミナー、わたしたちメンバーで参加したらおもしろい
かもね」とだれからともなく・・



 晩ごはんも、”ふぁみーゆ”だった。
 肉じゃがなど、和食メニューの数々、堪能した。





 食後、懇談会。
 それぞれ、その人の願いのままに、幅広い活動、人と人のつながりを
大事に活動されている。
 大学4年の友香さんは、就活に気持ちが向かないという。
 おのおの、日々の暮らしをしながらも、なにかこころの底からの
声に耳をかたむけている?
 

 人と人の間も、だいたい順調なのか、もう一つ先があるのか、ないのか。
 シンポでは、絆と”しがらみ”が話題になっていた。
 「しがらみのない、絆が可能か?」
 今後の研究と実践のテーマかな?





 「地域創生」といい、「やさしい社会」といい、どんなことがベースに
なるのか、ほんとに知恵を寄せ合って考え、つくっていきたいなあ。

 5月の「探訪DAY」に来られた方々と、これからもご近所つきあい、していきたい。
 どうでしょうか?



 
 


 

 

 

 


 

目に青葉、探訪DAYの一巡り(1)

2012-05-24 10:51:13 | アズワンコミュニテイ暮らし
 五月の風は新緑で光っている。
 

 19日(土)から20日(日)にかけて、一泊のお二人の方と
 20日の朝から、公開シンポ「地域創生の時代へ」をはさんで、
夕食までのグループが、それぞれアズワン・コミュニテイー探訪で
鈴鹿に来られた。

 探訪DAYとは、考えてみると、面白い表現かな。
 辞書によると、「社会の実相や物事の実態などをその場に
出向いていってさぐり歩くこと」とある。なるほどとおもう。

 19日に一泊したお二人は、翌朝鈴鹿の街なかから車で10分ほど
離れた里山に行く。
 ドイツから、その日の講演に来ているE・ハーンさんと親しい
研究仲間の荒田夫妻も同行。

 里山の木々の緑が目に鮮やか。
 林の空気はシンとして、木漏れ日のなかで、全身呼吸しているよう。

 「あっ、ここに”ひこばえ”が・・。ナラの木を伐ったあと、
切り株から生えてくる。これで、また森が再生するんです」と荒田さん。





 「ここに、ブランコがある!乗ってみようかな?」
 「ハーンさんも、どうぞ」





 こんなこと、その場に立ってみないと、どんな気持ちになるか
わからないもんね。

 「炭焼きも、子どもたちとやったんです」とぼく。
 「好きなおっさんがいるんです」



 竹に囲まれて、息が出来なかった栗たちの場所にも行った。



 「みんなで記念撮影しましょう」と、5月の里山のなかで、パチリ。






 


 

 

なんとか新居におさまった?

2012-05-22 17:19:43 | アズワンコミュニテイ暮らし
 5月13日の一回目の荷物の移動から、5月18日のすべての荷物の
移動まで、何かをしていたし、何かが起こっていたはず・・ 
 
 

 18日の前夜、妻は台所や冷蔵庫の整理で深夜2時ぐらいまで、
ごそごそ箱詰をしていた。
 下手に手伝えない。オロオロぼくも起きていた。

 翌朝、細かい片づけはつづく。


 
 

 8時、アート引っ越しセンターの若い衆が4人、ライトブルーの
ユニホームで現れて、洋服ダンス・食卓・冷蔵庫など、二階から
運びだした。
 階段からも無理だと分かれば、「じゃあ、窓から」
 手なれている。18歳から20歳の精鋭たち。





 ”住まいのサポート”本山さんがやってくる。
恩田さん、耕一くん、耕三くん。こちらは、すこし歳、食っている。
 ダンボールやら、小物やら、なにやかやと二階から下される。

 新居は、目と鼻の先。
 三階建ての一階。搬入は、スムーズ。
 階上の伊藤日良さん、いつの間にか、ダンボールを運んでいた。

 狩山雄一くんは、ウロウロしているぼくのそばで、「これ、持って
いったら、いいっすか?」と言いながら、こまめに動いていた。

 小浪は、どんどん運び込まれるダンボールの山のなかで、茫然自失。
娘桃子、萩原秀子さんがどからともなく現れて、妻の手足になって
、食材や食器の収納をしていた。二人とも、やってほしいと、そういえば
言っていなかった。



 いったい、ぼくは何をしていたか?
 18日の午後には、旧居の荷物は、一応すべて新居に押し込むように
おさまった。
 腰が抜けたようにになっている。

 明日19日は、アズワン・コミュニテイーに見学に来る方の案内、
20日は、お昼前にもう一グループが、見学で来訪予定。
 
 

 その打ち合わせのあと、夕食。
 こんなときこそ、おふくろさん弁当。雄一くんが取にいく。
 娘桃子、孫の風友、晴空も、おおはしゃぎで夕食に加わる。
 そういえば、風友は5時から手伝うと言っていたけど・・・
 実際は、鈴鹿カルチャーステーションの”アフタースクール”の仲間と
遊びまわっていた。

 ああ、ほんとに、いったい引っ越しで、何をしたんだろう?
 ウロウロ、オロオロしているうちに、周りの人がやってしまっていた。


 ウロウロ、オロオロは、まだ続いている。
 導線が無くなっていて、物もどこにあるか、探さないと見つからない。
 荷物は、一応あちこちに収めた。
 整理は、これから・・






 
 もうしばらくは、こんなかな。
 ニラはたけの草、もう限界。
 ちかじか、草とゆっくりおつきあいすかなあ・・・

 











 

E・ハーンさん、アズワンコミュニテイ探訪

2012-05-16 08:10:09 | アズワンコミュニテイ暮らし
 ドイツのフランクフルトから、中部国際空港セントレアまで
14時間だそうだ。
 13日午後2時ドイツ発、14日朝9時前、セントレア着。

 ハーンさんが鈴鹿カルチャーステーションに着いたのが、
お昼の12時ごろ。
 片山弘子さん、着物で出迎えた。

 ハーンさんは、鈴鹿訪問は二度目。
 3年前に、KIEES(循環共生社会システム研究所)の
内藤正明さんと講演会に来ている。
 ハーンさんは、そのとき鈴鹿カルチャーステーションの
ような、市民が語り合える場づくりを提言していた。

 鈴鹿カルチャーステーションがまだ形になる前の建物だけは
そのとき見ていた。
 「よくここまで、やってきましたね」とハーンさん。
 ハーンさんは、以前に会ったことのある人をよく覚えている。
 「やあ、太鼓の中島くん!」



 先ず、館内を坂井さんの案内で見て回る。






 はたけ公園へも行く。
 街のとなりに、こんなはたけが・・
「こんど、鈴鹿にくるときは、まっさきにここに来ますよ」





 古西さんは、二度目。
「やあ、やあ」



 小林耕一くんは、雨前適期、サツマイモの定植を俊幸くんと。
 「きょうは、ちょっと手がはなせないんです」



 おふくろさん弁当では、泉田さんが案内してくれた。
「お昼のお弁当、おいしかった!」とハーンさん。






 コミュニテイー通貨メンバーのお店をのぞく。
 竹本さんが、ベジコミクラブや鈴鹿ファームから野菜がとどく、
それをコミュニテイー通貨リンカのメンバーが、買うというより、欲しいものを
もっていく感じに見えると説明。
 ハーンさんは、じっと聞いていた。



 お茶室で一服。
 隆杉智恵子さんがお点前。
 彼女の家の咲いていたアジサイで生け花。
(智恵子さんが写真でうまく撮れていない。生け花で・・)



 サイエンズスクール事務局にて。
 サイエンズスクールのこと、通訳を介しながら、「どういうことか?」
「こういうことか」とやりとり。
 なにが、伝わったかなあ。ハーンさんは、どんなにうけとったかなあ。





 夜の懇談会。
 リンカのことや、「サイエンズとはどういことか」など話し合う。




 最後にみんなで記念撮影。




今回は、通訳なしで、英語で話をするときが少しあった。
 英語で話すと言っても、ハーンさんが話す英語を聞きながら、
こっちがわかる単語を聞き取って、おおよそこんなこといっている
のかなあと推察しながら・・・ 
 それでも、じかに話すのは、その人に触れられる感じがする。
 ハーンさん、70歳。
 幼少期、ベルリンで空襲のなか祖父母と逃げ回った記憶がすこし
あるという。
 またいつか、こんな時代にどのように生きてきたか、のんびり
話し合ってみたいなあ・・・