かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

公園と保育園と老人施設や憩いの場とお洒落なカフェ

2017-10-07 17:36:48 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

どんよりと雲かかった、秋の肌触り。。

健生みえの会の定例会が、10月7日午後にありました。

こんど、新しく厚生省の外郭団体の健康生きがいづくり財団の

研修をうけて、健康づくりアドバイザーの資格をとって、

みえの会に参加を希望する方がいました。

 

後半は、健康生きがいづくり財団がつくったビデオをみました。

全国各地で、いろいろ取り組んでいる実例を丁寧にレポート

してくれました。

「高齢者の社会参加を行政と共にすすめている」レポートも

ありました。

それを見ながら、ついついそこから派生して、自分なりの妄想

といえばいいのか、夢といえばいいのか、そちらの方の世界に

出たり、入ったりしていました。

 

最近、妻と二人で小1時間散歩します。

猛暑の時期は、大きなスーパーやベルシテイに入っていました。

秋の気配が漂うころから、鈴鹿市とか亀山の公園や森のある

ところに行っています。

こんな身体の状態になって、よかったなあということもあります。

妻とゆったりと(ぼくがゆったりとしか歩けない)散歩できること。

鈴鹿市内の公園にはじめて行くところ多かったこと。

「わあ、こんなに美しく手入れされているんだあ」

健生みえの会のメンバーの何人かも、シルバー人材派遣センター

から委託されて草刈などしている。

 

公園では、ジョギングをしている人、カップルで散歩している人、

本格的に息を切らせて走っている人に出会う。

お年寄りも結構いる。

場所によっては、子ども向けの遊具があって、若いお母さんと

子どもが遊んでいる。きれいに刈られた芝生でゴロゴロ転がって

歓声を上げている。

 

土日はどうなるのか、よく分からないけど、何となくあまり

利用されていない公園もあるのかなという印象をもった。

 

健生みえの会でビデオを見ながらの妄想はこの辺からつながって

きているようだ。

はじめに、イメージしたこと。

公園の隣に、保育園をつくる。学童保育でもいい。

つぎに、「そんなこと、実際に出来るわけがない」みたい

気持ちがでた。

「待て、待て。出来るかどうかの前に、自分にどんな夢が

あるか、見てみてもいいんじゃないかな」

 

「そうか、それなら、そこの隣に老人の施設や、老人の拠り所

みたいなものつくったらどうか。

それが、できたら、公園にマッチしたお洒落なカフェ、誰でも

気軽に入れるようなオープンな造りの家がいいなあ。

(今朝、上野公園の前にそんなカフェが紹介されていたなあ)

 

BBQが、出来るのもいいなあ。

河川敷公園に行ったとき、そういう設備が用意されていた。

街の中には、そういうアイデアで作られているところがあるけど、

なんかそれがバラバラの感じがして、もうすこし、楽しい、

お洒落な美味しい、美しい街づくりを描いて、そこがいつか、

それぞれつながって、子どもも年よりも、青年も、みんなが

味わえる街になったらいいなあ。

 

おそらくだけど、一箇所そんなところができたら、街のあちこち

の人が、「それだったら、公園に井戸を掘るよ」とか、里山で

活動している人は、「よーし、それなら、雑木林を手入れした

ときできる木で薪をつくるよ」、「薪があるなら、ピザ窯をつくろう

かな」

「そうなったら、大地震などのとき避難場所にもなれるなあ」

「エネルギーも工夫して風とか太陽とか水からできないか」

それこそ、会社勤めなどで培った経験や技能や、そのほか

芸術をやる人まで参加して、おもしろいことになりそうだ。

(神戸城にある公園には、彫刻があちこちに置かれていて、

ゆっくり見ていったら、野外美術館だ)

 

もうすでに、あちこちにあるそれらをが響き合って街づくり、

人とひとが、お月さんを誰もがそれぞれ、夜空見上げて、

「きれいだなあ」とかお互いに近しい気持ちになるような

気風のまちづくり・・・

 

てな、こと妄想しているうちにビデオが終わった。

高齢者がいつも問題だというところからの発想ではなく、若い

人もそれなら、と腕まくりできるような発想はどうかな。

これは、先日あった介護の日の公開講座で、掘田聡子さんの

話から影響うけているかな?

 

身体は、フレイルに突入しているけど、イメージは世界へ

羽ばたきたいのかな。

健生みえの会から刺激を受けて。

 

 


井戸端会議

2017-09-04 17:36:53 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

久しぶりに健康いきがいづくり三重の会の月例会に参加しました。

9月2日の午後、会場は鈴鹿カルチャステーションです。

大通りを挟んで、わが家から目と鼻の先という感覚がありましたが、

日差しがきつく、大通りで車が途切れるのを待つ間も立っているのが

しんどく、距離を感じました。

 

会場は、入って左にあるカフェコーナーでした。大平さん、余川さん、

康子さん、南伊勢から上野さんの顔もありました。照子さんは、生まれて

4ヶ月の孫と来ていました。中井さんは、パソコンの前で、パソコンに

詳しい美映さんと何やらやっていました。

 

大平さんが、「今日は健康生きがいづくり協議会の本部からDVDが

送られてきたので、それを観たいです」と挨拶しました。

「どこでやるのかな?」と思っていたら、ぼくの坐った席の背中に

スクリーンがありました。

 

「健康寿命」のことやこの間の公開講座で西部包括ケアセンターの

鈴木さんから聴いていた「フレイル」(年齢や疾病による心身の

虚弱化という意味らしい)の予防についてです。

大学の先生が、フレイル予防のポイントは、「バランスの取れた

栄養」「適度の運動」「社会参加」ですと、図で示してくれました。

滋賀の健康生きがいづくり協議会では、「百歳大学」を開設して、

その道の専門家を呼んで講座を開いているという紹介のDVDも

観ました。

 

その日は1時間ぐらいで退席しようかと思っていました。

観ての感想というところで、南伊勢で地元の老人の通所介護を

自宅でやってきている上野さんが語り始めました。

「フレイル予防の三つのポイント、参考になりました。

自宅で通所介護をやりはじめたのは、妻なんです。はじめは

近所の年寄りの井戸端会議の場になったらいいな、と。

そのうち、年寄りと体操をしたりしてたんですが、体操だけでは

人は寄ってこないんですね」

上野さんの話を聞いていると、寄ってきている人は元気ハツラツ

らしいのですが。

 

「地元には、老人会がありますが、65歳ぐらいの元気な老人は

寄ってこないんです。老人会に参加すると、地域のトイレ掃除とか

いろいろやらされるので、そういうことはしたくないとなるんですね。

ときに、老人会の役員同士が仲が悪かったり・・・」

上野さんは、以前から地元の老人が元気に暮らせたらいいなあと

願っています。

 

「通所の年寄りたちが、お弁当をつくって近所の年寄りに配るという

のは、なかなかいいね。みんなで食べるとか、料理するとかとなると

人が寄ってくる」

「お弁当つくるのは、誰が進めているんですか」と声。

必ずしも、通所に来ている人だけではないらしい。

南伊勢の役場などかかわっているということもあるらしい。

そこ、詳しく聞きそびれて、曖昧なままですが。

 

中井さん「おふくろさん弁当の夕食弁当の届け先は一人暮らしの

老人が多いだよね。ここのところ、もっと本腰いれて、知らせて

いったら、地域の老人の暮らしにかかわれるんだけど。

弁当の配送だけでなく、届け先の老人と親しくなっていったり・・」

 

この辺から、参加者が俄かに活発に、上野さんや中井さんの話を

聞いて、思ったことを出し合いました。

遠慮や気兼ねなんかなくって、各自老人と接している感じから、

いろいろな感想が出るはわ、出るわ。

お弁当を作って、地域の老人に届ける、というイメージが膨らんで

きました。

ちょっと、楽しい気分でした。

上野さんが、言っていた井戸端会議ってこんなものかなと思いました。

「そうだよなあ、こういう雰囲気の中から、老人にお弁当を配りながら、

老人と暮らしをともにするのも面白そう、という人が現れたらいいのに

なあ」とぼくの感想。

 

振り返ってみると、健生みえの会会員の中にある「理想の暮らしを語る会」

では、ここ2年の間に、2ヶ月に1回、地域のお医者さん、地域包括支援センター

の職員、在宅看取り・介護のスタッフの人をお呼びして、公開講座を

してきています。

お話が終わったあと、聞いてみてとか、質問のコーナーは、話す人、

聴く人の境目が少なく、何か、そのテーマについての井戸端会議の

ようになってきたという雰囲気を感じます。

 

地域のなかのお医者さん、関係団体の人、行政の人が、立場という

気持ちもあるでしょうが、ともに地域に暮す住民として、さまざまな

テーマで話し合えたらいいなあ、と思いました。

 

気がついたら、どうも2時間近く、坐っていたようです。

また、日差しがまだ強い大通りを、車の往来が途切れるところを

見計らって、帰りました。

ちょっと、無理してしまったかな、と思いましたが、何かしら

楽しい会でした。

介護される人も、介護する人も、同じところで、それぞれの気持ちを

ありのままに出し合えて、お互いが受けとめ合えるようになったら、

面白いだろうなと思いました。

(宮地)

 

 

 

 

 


句会の楽しさ

2017-04-03 11:43:16 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

健康生きがいづくり三重の会(健生みえの会)は2011年にはじまりました。

厚生省の肝いりでずいぶん前から、高齢者の「ピンピンコロリ」をすすめる

施策の一環として、会員養成をして、各県に立ち上がりました。

三重県でも、県内の会員が北から南から寄ってきました。

いま健生みえの会は、20人ほどでゆっくりと細々と活動をつづけています。

それぞれの地で通所施設をやったり、地域活動をしたり、一人ひとり

めいめい、その人らしく、その地で暮らしややれる活動をしています。

80歳から50歳まで、老老男女です。

元気な人も、病院の入退院を繰り返している人など病身の人も

います。

月1回の寄り合いと行楽や社会勉強、それに年何回かの句会です。

もう5年目になりますか。

句会にはいつも多くの会員が寄ってきます。

きっと楽しいからでしょう。

 

昨年12月初めから2月いっぱい、入院していました。

4月の句会は、久しぶりの参加です。

仲間に会うのは、おっぱずかしいという気持ちがありました。

妻とともに会場に入ったら、とても当たり前のように、「この席は

どうかな」といざなってくれました。ああ、受け入れてもらったと

思いました。

句会はいつも、白熱して2時間ぐらいの寄り合いになります。

一人ひとりは3句投稿します。投句者の名前は伏せておきます。

各人は全員の句から、5句選び、一番いいと思った句を「天」とつけます。

選んだ句にそれぞれ、どこが好かった発表します。

それが終わったら「この句はどなた?」と進行の伊藤敏子さんが投げ

かけます。

投句した人は、それが詠われた背景や気持ちなど、吐露することが

多いです。

他者の捉えたものと、本人が思ったことが、そこで響き合ったり、

「なあんだ、それは聴かなきゃよかった」とがっかりしたりします。

それが、楽しいのです。

ここんとこに、俳句を通して人と人の気持ちの交歓や、詠われた四季

のことどもの各人の捉えた言葉の間の交響楽が生まれてくるように

感じます。

とても豊かな気持ちになります。

こんな句会でいいのかどうか、分かりません。こんな具合です。


その日、こんな大勢の人と2時間もいっしょに過ごせるかなと

心配でしたが、最後まで、ともにいることができました。

 

わが句会、今回で19回です。

句の出来不出来をあまりテーマにしていないと思ってきました。

それでも、余川さんとか、人知れず俳句に磨きをかけてるなあと

見える人もいます。

いくら、遊びといっても、自分の深奥にあるものを五七五で

表現したいという欲求は、どうも誰にでもあるような気がします。

現れてくるもの、言葉がつたなくとも。

この句会では選から漏れた句もそれぞれの感想を出し合うと、

意外に光るものに出会ったりします。

この時間も楽しいです。

 

今回の句会、3点句以上を紹介して、会の空気をちょっぴり。

 

  冬隣り真人の語る酒さみし         敏正

  みちくさの言い訳考え春の宵        亜子

  梅散るを掃きて小さき命待つ        照子

  江戸の雛幸願いつつ時を越え        康子

  福は内頼みの手術終えて今         小浪

  うもれ韮友を想いて草を引く        大平

  菜の花や風の温みを招きよせ        余川

  かんざしを色とりどりに枝垂れ梅      康子

  ブランコの並ぶ揺れ幅恋の距離       亜子

  里に寄りあだ名呼び合う蕨狩        余川

  ただいまと大きな声で春を呼ぶ       大平

 

 

 

 

句会の感想から少し外れます。

翌日の午前、NHKEテレ「こんなはずじゃなかった  在宅医療

ベットからの問いかけ」を録画でみました。

健生みえの会の会員でもある、中井さんが紹介してくれました。

中井さんは、「理想の暮らしを語る会」の世話人の一人です。

老いとは、老い生き方、人としてどんな最期を迎えるか、など

テーマで探究し、地域の人たちと話し合いをしています。



早川光一さん。今93歳。戦後、京都で診療所をはじめて以来70年、

在宅医療の草分けとして「畳の上で大往生を」と実践してきました。

その早川さん、何年か前、骨髄性のガンが見つかり、自分が

在宅医療の患者になってしまいました。

医者である前に人間になったとも言えるのかな。

早川翁は語ります。

「畳の上には天国があると説いてきました。実際、自分がその身

になってみると、天国だけじゃない地獄もあるんだ」

早川翁は「死ぬのが怖い」と言いました。

「夜が怖い。病気になって、はじめて分かった」

「眠れないときは、人恋しくなる」

この気持ち、ひしひし響いてきました。

ぼくも、不整脈が絶え間なく起こり、止まらなくなるかもしれないと

不安のなか病院で眠れぬ夜、過ごしました。


「理想の暮らしを語る会」では、どんな死に方があるか、できるか

と語り合うときもありました。

いまから思うと、どこか他人ごとの感がありました。



早川翁は、今、在宅医療の体制も整いつつあると言いました。

ただ、自身見舞われていることから、「何か大切な何かを置き

去りにしているのではないか」とも自問していました。

ある時期から、医療を「総合人間学」というところから、

見直していきたいと描くようになったといいます。

自身の置かれた立場で、それはまだまだ、見えてこないと

いいます。


命が危なくなったとき、病院で治療を受けるか、在宅でやるかと

医師に問われ、答えが出ない早川さんがいました。


番組の最後に、早川さん語っていました。

「生きていくしんどさを噛みしめて、じっと見てくださる人たちと

もう一度,すばらしい人生だったと一緒に歩くしかない。・・・・

いっしょに泣こう、いっしょに語ろう、いっしょに悩もう。

医者は、最期の人を楽にしてやれることはできるが、治せないです

から」

自分という囲いから開放された世界が見えるように思いました。


句会の感想のつづきで、なんでこんな感想を書いたんだろう。

人と寄り合えて、語り合えるのは楽しい。生きていてよかった

とも思うことが多いです。

その楽しさが、ぼくのどこから発露してきてるのか、ふと振り返る

ことがあります。

 

楽しむときは、楽しむのがいいと思っています。

老い、死についても、悲しみも寂しさも、ありのままに、

楽しく語り合えたらいいなあと思いました。

句会もそんな機会なんかなあ。

今回はここまでで。

 


 










       

 

 

 

 

 


月例会と句会と運動会

2016-10-03 07:41:31 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

月例会と句会をいっしょにやろうと、考えたのですが、まさか

孫の運動会とかち合うなんて、思っていなかったなあ。

 

ここんとこ、雨続き。10月1日土曜日、運動会の日の明け方まで

雨がふっていたけど、午前中には雨が上がるという天気予報。

運動会は延期でなく、開始時間を遅らせて、開催になった。

句会メンバーのジジ・ババ3人が運動会の方で、孫サービスならぬ、

孫から癒されに行った。

 

句会は、運動会に行って、投句参加の辻屋康子さんの句に

みんなの選が集まった。

こういうのが、おもしろいなあ。

 

  敗戦を生きし人逝き蝉時雨

 

これは、7人の人が選んだ。

そのほか2句。

  部屋のすみ忘れし浮き輪の児の笑い

  鈴虫やきのうは鳴きて今日は止み

いずれも、点が多かった。

 

その日の句会では、句会の気風や句の作風など、ときどき意見を

交えながら、進んだ。

 

  蝉を喰うトノサマバッタ落ちて来て

  二十年剪定続けて柿稔る

  一直線畦道に引く彼岸花

これは鈴木英二さんの句。

今回は、残念ながら、この3句とも選ぶ人がいなかった。

英二さんの弁。

「いままでと作風を変えたんです。

いままでは、自分の信条をなんとか表現したいと意気込んで

いたんだけど、今回は無機質なもの、何気ない風景を表現しながら

内面が伝わらないかと思って・・・」

そういう英二さんの話を聞いたあと、句を鑑賞してみると、何か

味わいがちがってくる。

とくに、トノサマバッタが自分よりカラダの大きい蝉に喰らいついて、

ドッサっと落ちてくるなんて、それを見ている英二さんの心の

動き、つたわってくような・・・

 

瑠璃色の残像蜥蜴穴に入る       伊藤敏子

 

師匠の句だったけど、選ぶ人がいなかった。

この句会、メンバーのぼくらでは、すこしレベルが高すぎたのか?

「蜥蜴穴から出る」が春で、「穴に入る」が秋だと知った。

なるほど。そこが、イメージできたら、「瑠璃色の残像」と詠んだ、

作者の内面の世界に思いを馳せることができたかも。

 

余川さんは、句会のメンバーのなかでは、群を抜いて、勉強熱心だ。

句の一字一句に推敲の背景がある。

 

  丸山や朝日にふくらむ稲の花

  長き夜や父母亡き里は遠くなり

  

そのときの情景や気持ちをケレンミなく詠んだ句もいいなあ。

 

  まだ青き栗の食みあと獣みち        敏子

  木からもぐイチジクの香りなつかしき     照子

  真夜中の虫の音色や夢心地        大平

  枝豆を飛ばして食べる孫楽し        小浪

 

句の評定でワイワイしているうちに、「それならいい句になる 」と

思わぬガッテン。

  

  定番のスイカ割りして孫の来る       伊藤敏正

 

敏正さんに、その時の状況を聞いているうち、誰からともなく、

それなら最後は「孫帰る、じゃないの?」

「なーる」

 

  定番のスイカ割りして孫帰る

 

その人によく聞いてみないと、分からない句。

 

  寝返りし気にかけないで晩夏の夜       郡山

  鈴虫が夜なべの床の静かさに         辻屋

 

本人、欠席のため、みんなで好き勝手な詮索。

 

句会の気風とか、句の作風について、いろいろな思っていることが

出ていた。

師匠からは「写生句をめざしている」とか聞いた。

英二さんも、そんなチャレンジしているとか。

句会から、その人の暮らしぶりや、見えていなかった一面が見れて

感動するときもある。

作品味わい方も深めていきたいし、夜に人との通じあいもやっていき

たいなあ。

 

 

 

 

 

 

 


どなたの句?あらっとおどろく梅雨句会

2016-06-27 07:43:01 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

どんよりした曇り日があり、晴れ間もあります。

季節や気候に敏感になっているなあというのが実感です。

晴れた日は身体が軽く感じ、雨の日には、なんだか重っ苦しいです。

気分なのか、何か身体のなかで起きているのか。

季節の敏感なのは、俳句には向いているのでしょうか。

 

25日の句会には、54句が投句されていました。

一人3句ですから、18人が参加したことになりますね。

中井宅の居間には、座卓を長く並べて、老老男女が片寄せあって

座りました。(ああ、写真撮るの、忘れましたね)

今日は、はじめての女性がさんかです。夕子さん。

この方は、老とはいえませんね。老の準備期の方といえばいい

でしょうか。

 

さて、句会です。

これは、あくまでぼくの印象なんですが、「これはどなたの句ですか?」と

敏子さんが声をかけると、「はい、私です」となるんですが、今回は

「ええっ、あれっ、これがあなたの句?」と意表を付かれることが

多かったです。

身近に暮らしていたり、もう何年の付き合っていても、その人は実際

どんな人かとなれば、まだまだ表面だけをさっと撫でた程度の理解

かもしれません。そんなことおもいました。

 

 今回の句会清記のしょっぱな。

 

   ソーダ水尽きぬ話が泡の数

    やあ、5点入りました。さわやか。話も人の悪口なんかじゃ

    ないよね。泡の数ほどというのも、おもしろいなあ。

              (どなた?)(はい、亜子です)

 亜子さん、この句だけでなく。この日の句は気持ちがのっている。

   サルビアのあの子のルージュも夢の中

    この句には4点はいりましたよ。

 

   満天に星の子抱くガクアジサイ

     これも、5点句。

     ガクアジサイをこんなふうに表現が出来るなんて・・・

     確かに、イメージとして”星の子”抱いているとイメージできるね

     満天という広大さもあるもんね。

            (どなた?)(はい、中井です)(ええつ、・・・)

 

そのあとも、「どなたの句」と聞くと、「中井です」「ええっ」

   紫陽花に隠れし君の吐息かな

    君だから、女性じゃないか。子どもがかくれんぼしているのかな。

    とうの中井さん、「これは盗作ですから」と謙遜していた。

   紫陽花のしなやかなりし日母は逝く

   

中井さんは、「紫陽花が好きなんだ」と言う。紫陽花と母上。

彼の中には、母が息づいている?

 

 

   木の花や散るを忘れて神事待つ

     この句は、4月末、アクションデイでいなべ散策に行ったとき、

     「咲いてるかな?」と出かけた木の花桜の巨木に花が咲いていて

     しかも神主さんをお呼びして神事が行われているところに、

     たまたま立ち会ったときのことを表現している。

     8点も入ってった。いっしょに行っていない人も点を入れている。

     「木の花桜が散るを忘れて」が、ニニギノノミコトに出会うという

     神話を想像させる。8人が受け取ったところを言ってくれて、句が

     膨らんでいく。

                (どなたの句?)(わし、余川です)

会場はどよめいたんです。作者の弁は、今回は止めとこうかな。

 

   梅仕事梅酒梅干梅ジュース

    調子が面白いと2点入った。

               (どなたの句?)(夕子です)

夕子さんは、今回はじめて。こんな句をつくるんだあ。

ついでに夕子さんの句。

    雲雀なく空も広がる野良ご飯

 

訳の分からない句があった。

    玉葱から!我が食卓日常に

      もちろん選んだ人はいない。

      「玉葱から!」って、「辛いってことじゃない?」

      それにしても、なんのことやら。

               (どなたの句?)(ぼく、郡山です)

      しばらく、家を離れて、一人暮らししていた。ひさしぶりの

      わが家に戻り、食卓につくと、わが妻が「あんた、野菜から食べなさい!}

      とダメだしされたとき句ということ。(大笑い)句じゃなくて、苦だね。

 

    いも堀のむしに叫びしむしに喜し

      なにか調子がいい。子どもの様子を見ている人の気持ちが感じられる。

      4人の人が選んだ。

              (どなたの句?)(ええ、郡山です)

まあ、郡山さん、こんな句をつくるときもあるんだね。

この意外性、ぼくがおもっただけじゃないとおもうけど。

 

意外性というより、この人に違いないと言う句。

     鶯か桜か草か餅多し

                (どなたの句)(敏正です)

       ぜんぶ食べました!(大笑い)

 

     忍冬を知るや吟行夏炉冬扇

       この句に入れた人2人。

       「忍冬」は「スイカズラ」。スマホで写真を見ても、だから何が

       表現したいのか、まったく分からなかった。

               (どなたの句?)(敏正です)(ええー)

敏正さんからこの句の解説があって、ちょっぴりこの句の面白さを知った。

「夏炉冬扇」というのは、無駄なことの喩えと聞いた。

敏子さんも、体験から句会で「その知識を知ったからって、それでどうだというの?」

って、思うときもあるとか。

「芭蕉も俳句と言うのは、夏炉冬扇、無駄なことしている」と、何かに記しているとか。

だんだんこの句の味が伝わってきた。

それにしても、意外だったなあ。おもしろいなあ。

 

     蓮の花いつ咲くいま咲くいくつ咲く

     堀にきてこどもころがるじゃが畑

              (どなたの句)(敏子です)(なーる)

 

     種まきて苗を植えてや時駆ける

     野草園都忘れや母に逢う

             (どなたの句?)(照子です)(なーる)

 

     一点の曇り無きして青田あり

     花の雨心浮かれし待ちぼうけ

             (どなたの句?)(金治です)

 

金治さんは、3日に一回透析している。

そのほか、自称「病気の百貨店」と自己紹介する。

最近も、いのちにかかわる変調があったらしい。

「句会に行けるかなとおもっていたけど、来れてよかった。

こころが弾んでくるんだ」と、言っていると聞きました。

 

今回は、思いつくまま、印象に残った句だけ紹介しました。

だれか、これはどうですかと言う句も、このブログに

あげてほしいなあ。(宮地)