かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

平熱

2014-06-25 17:44:21 | アズワンコミュニテイ暮らし

3日ほど前に、体温を測ってみようと思い、体温計を腋の下に

入れてみたら、37℃を越えていた。

それで、はじめて「さあて、平熱ってどのくらいだったかな」と

わが身を振り返った。

 

それから、2日間夜毎に汗を掻いた。

今朝は、ワールドカップの日本とコロンビアのサッカーの試合。

妻ははじめから見ていたらしいが、ギリシャとコートジボアール戦を

見ていたらしい。

朝の寝起きのまどろみから目が覚めた。

「あれ、いま日本がやってるんじゃないの」

妻は、「そうね」と言って、チャンネルをいじって、日本・コロンビア戦に

切り替えた。

ちょうど岡崎が前半終了間際、同点ゴールを入れた瞬間が画面に

あった。

 

日本は敗退した。

床から起き上がって、体温を測ってみたら、36℃台になっている。

鼻水と咳は出るけど、身体はすこし楽になってきた。

椅子に座ってテレビを見ていた。見ているというより、ぼっーと

眺めていた。

しばらくそうしているうち、ただ座っているだけだけど、楽だし、

心地がいいと感じるようになってきた。

ここ1週間というか、もっと前からか、何か座っていても、居心地が

わるく、何か緊張した感じでセカセカした気持ちだったように思う。

この、座っているだけで心地がいい、というのが新鮮だった。

 

体温どうなっているかと、測ってみたら、35℃台になっていた。

憑き物から離れたというものか。

テレビで柳田國男の「遠野物語」の解説をやっていて、

見ているうちに、その本を読みたくなった。

本棚にあるはずだけど、見つからなかった。

そのかわり、茨木のり子の「一本の茎の上に」がいろいろな

本に挟まれて、あったので、何気に抜き出してみた。

パラパラと目次をめくっていたら、「平熱の詩」というエッセイが

あった。

 

「山之口獏の詩のなかで、あまり人の注目をひかない、そして

言及されたおぼえがない、けれど逸することのできない一遍」

という前置きあとに、その詩が紹介されていた。

 

           応召

こんな夜更けに

誰が来て

のっくするのかと思ったが

これはいかにも

この世の姿

すっかりかあき色になりすまして

すぐに立たねばならぬという

すぐに立たねばならぬという

この世の姿の

かあき色である

おもえばそれはあたふたと

いつもの衣を脱ぎ棄てたか

あの世みたいににおっていた

お寺の人とは

見えないよ

 

獏さんの僧侶の友だちに召集令状が届き、昨日までの

僧衣や袈裟をかなぐり捨て、軍服姿で挨拶にきたのだった。

茨木のり子さんは、述懐する。

「今おもえばあたりまえのことだが、1940年代はそこに

矛盾も疑問も持つ人はなかった。私も日の丸の小旗を

打ち振って、僧職にあった人の出征を見送ったおぼえがある」

その時代の人たちのこころは、38~40℃の高熱を発していた

と言う。

 

今の時代のぼくらのこころの温度どれほどか、分かろうはずも

ないけど、平熱かどうかには関心が向く。

平熱をあたりまえの状態というのはどうだろう。

あたりまえとは、健康正常な状態というのはどうだろう。


     *          *            *

 

サッカー日本代表が敗退して1日経った。

何かサッカーについてはシンと沈んでいる。(テレビなどの反応)

それまでの興奮はどこへ?

 

ブラジルから中井宅に寄宿している箕輪大樹くんが、南紀御浜に

釣りに行き、釣った魚を宅急便で送ってきた。

中井佳子さんがそれを料理した。

郡山夫妻とぼくらが中井宅にお呼ばれした。

小魚が多く、「これを料金払って送ってくるかね」という意見も

あったが、「気持ち、気持ち」と、あの手この手と料理されて、

どれも新鮮でおいしかった。

 

「はたけ公園でハーブつくらないか、洋子さん」中井さんが突然、

郡山さんの奥さんに話題を振った。中井さんの突然はいつものこと。

「やるのはいいけど、いったん引き受けたからには最後まで

やらなくては、と言う気持ちになるようで、重いの」と洋子さん。

この洋子さんの気持ちを聞いて、奥さま方が自分の体験談を

しゃべりはじめた。

だいぶたってから、中井さんが「洋子さんの、その最後まで

やらなくっちゃ、というのはどんなところが考えどころかなと

思って・・」と今度も唐突に言い出した。

またしばらく、中井さんの発言の流れで、それを受け取った人の

いろいろな話がつづいた。

郡山さんも、「やりたいことをやりたい分だけやるっていうのは、

聞こえもいいけど、実際はそんなふうのできないよなあ」と

つぶやいた。

 

この夜の小魚晩餐の話題がどこかに落ち着いたという感じは

ない。最後のほうは、それぞれの夫婦の、行き違いの話。

郡山さんは、洋子さんにイラついて家の床を踏み抜き、ぼくは

気に入らないと、返事もしないという話になり、中井佳子さんは

「箸が用意してないと、怒るのよ」と暴露。

いっぱい、いっぱい目の前のことに振り回されながら、そりゃ

ふりまわされないにこしたことはないけど、あたりまえって

どんなんか、と、あたりまえの奥の奥を見ていきたいな。

 

体調はぐんぐん回復に向かっているようではないようだ。

今日(6月27日)まだ微熱がつづいている。

いまから、津の方のかかりつけの医師に診察を受けに

行って来よう。


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


羊が一匹、羊が二匹

2014-06-24 07:25:50 | アズワンコミュニテイ暮らし

ここ数日、咳がでたりして、身体の具合が変だった。

昨日の午後から身体の節々が痛くなり、食欲もなくなった。

体温を測ってみたら、37℃を越えていた。

 

8時ごろには床につき、毛布と布団にもぐりこみ、汗を

かくようにしてみた。

顔が火照っていたので、妻にアイスノンを持って来てもらい、

おでこにに乗せたら気持ちがいい。

ウトウトまどろみ、目が覚めたらぐっしょり汗をかいていた。

パジャマを着替えて、時計をみたら午前1時前。

もう一眠りと、布団に入ったけど、寝つけない。

本をもってきて、読んで眠気を呼ぼうとしたが、目が痛くて

読んでおれない。

右へ、左へ寝返りをくりかえしたが、埒があかない。

 

形にならない思いみたいなものが、頭のなかを占拠して

気圧みたいに蔓延っている感じ。

このまま、そいう状態でいるのは、つらいなあと思った。

その時、ふとそんな寝れないときは、子どものころ「羊が一匹、

羊が二匹」と数えていたことを思い出した。

やってみて、どうなるかかと思っていたが、、蔓延っていた

気圧のようなものが消えていき、何か穏やかな人と人の

やりとりみたいな世界が、夢ともうつつともわからない感じ

で、ぼくを包んだようだった。

気がついてみると、ウトウトと寝ていた。

目が覚めると、いろいろな想念がわいてくるけど、「羊が一匹、

羊が二匹」とやっていくと、いつか安心してまどろんでいた。

 

パジャマは3回ほど替えた。

今朝、起きて体温を測ったら、37℃からは下がっていない。

身体は昨夜よりは楽になっている。

 

今、7月初めに東北へ行くスケジュールをつくっている。

いままで出会った人に、その人が暮らす場で会えるのが

楽しみだ。

きょうは、もう少し休んだほうがいいかな。

 


お見舞い

2014-06-17 15:53:30 | アズワンコミュニテイ暮らし

南伊勢町の東翁が鈴鹿の回生病院に入院していると

聞いた。

東(あずま)定也さん、確か80歳。


 

6月16日夕方、高崎広。美幸夫妻と3人で鈴鹿回生病院に

 見舞いに出かけた。

 右田翁からは「明日が手術」と聞いていたけど、病室に行って

 見ると、今日手術をしたところで、行ったときは、ちょうど、

 晩ごはんを食べ終えたところだった。

 奥さまが「どうぞ!」と病室に入れてくれた。

 東翁は半身ベットから起きていた。

 とはいうものの、右腕で右胸のところに大きな飯盒みたい

 なものを抱えるようにしている。

 

 顔の血色は良く、すこしふっくらした感じもあり、若々しく見えた。

 今日の手術は4時間余、かかったと奥さん。

 本人からは、そんな大変なことをしたという素振りが感じられない。

 そんな感想を言ったら、奥さんも「そうね、男前になったわよ」と

 まじめに、嬉しそうに、面白そうに、東翁を見ながら、笑っていた。

 

 東さんは、なんでも今年の冬、ミカン畑の斜面で草刈機で草を

 刈っていたら、木株に草刈機がぶつかって、その反動で転んで

 右の肩甲骨の辺りを打った。

 それから、ボチボチ作業は続けていたらしいが、動きが緩慢に

 なってきて、最近動かなくなって、病院でしらべたら、肩甲骨の

 ところにある3本のじん帯の内、2本が切れていることが分かった。

 「あれ、まあよくそこまで・・・」

 手術を終えたが、じん帯がくっつくまで、1ヶ月は右腕を飯盒の

 大きなものに固定しておく。

 そのあと、リハビリ。

 

 「わしゃ、よく怪我するんじゃ。そういうふうにできてるんじゃな」

 と、”反省”する様子がない。達観してるのか、そういう自分を

 観察して、「こりゃあ、死ななきゃなおらない」と面白そうに

 自分を語る。

 奥さん。「ホント、よく怪我するんですよ。怪我だけは、しないで

 ほしいんですがね。よく動くんですよ。ちっとも、じっとしていない。

 でも、今年になって、動きが鈍くなってきてね」

 

奥さんは深刻な感じはなく、むしろ言うことを聞かない子を

 慈しんでいるように・・・

 

 

 

「車を運転していて、電信柱にぶつかったことがあるんですよ」

 と奥さん。

 「ええ、いつ?」ぼく。

 「今年」

 「ええー」

 「そうじゃな、車に安全パックが着いていたんで、肋骨を

 折った程度で済んだ」と東翁。

 びっくり仰天。

 話が、あまりにも淡々としている。

 ぼくらがイメージしているものとちがうのかもしれないが、

 お見舞いにきて、このお二人に触れながら、何か

 生きていくということの、”今”について、考えさせられた。

 

 東翁のカラダは、ある意味ボロボロである。

 暮らしぶりも、無茶してるといえば無茶してる。

 にもかかわらず、健康正常なものを感じるのは、

 なんだろう?



追記

 

 東翁とは、おととし、南伊勢町泉の田畑由美さん宅で

はじめて出会った。

炭窯名人の右田翁といっしょだった。

東さんは、記憶では「泉楽農会の会長です」と紹介された。

楽農会が田畑由美さんと共に出来てきたプロセスや、地域の

子どもたちが田んぼや炭焼きの体験をしているという話を

お二人は楽しそうにしてくれた。


昨年春からアズワンコミュニテイの里山大好き連中が

その気になって、鈴鹿の里山で炭窯づくりが始まった。

右田翁が炭窯作りの技法を伝えることになった、

ここぞというときは、東さんも、右田さんと一緒に鈴鹿まで

駆けつけてくれていた。

8月窯が完成して、原木を入れて炭があ出来上がったのは

よかったが、9月豪雨の影響で雨水が窯の中に浸透して、

天井が崩れてしまった。

「わああー」

真夏の酷暑を越えて、やっとできた窯が崩れた。

正直、意気消沈した。

ずっとそれにかけてきた右田翁も、落ち込んでいた。

そのとき、東翁が「いちどやろうとして、やりかけたんだから、

最後までやろう」と軽く言ってくれた。

田畑由美さんたちも応援すると言ってくれた。

「よし、こんどこそは・・」と再チャレンジがはじまった。

右田翁は、その東翁の一言が大きかったという。

再チャレンジの窯は、この4月見事に完成した。


右田翁と東翁の内面のつながりを感じた。



 

 

 

 

 


 

 


いつの間にか

2014-06-11 10:11:59 | アズワンコミュニテイ暮らし

梅雨入りの日本に韓国から二人の青年がやってきた。

鈴鹿の街に6月5日から9日まで滞在した。

アズワンコミュニテイに触れてみたいという目的だった。

4泊5日はまたたく間に過ぎた。二人の青年は風に

乗って、朝鮮半島に帰っていった。

 

いくつかのエピソードがちょっと新鮮な感慨として残っている。

 

二人のうち、小柄なアノックさんは、いままで所属していた

団体を離れ、人生や社会の在り様を模索しながら、

世界各地の貧困を解決していく活動を目指している。

もう一人、ノッポのジュニョさんはウドンサという青年共同体で

暮らしながら会社勤めをしている。

会社勤めが苦しい。いくつも会社を変わり、もう一度採用された

会社でやり始めて3ヶ月、やっぱり苦しくて、辞めたくなる。

「でも、再就職のとき、3年はやると約束しちゃったからなあ・・・」

 

ジュニョくんは、正直そのままやるかどうか、やれるかどうか

迷っている。その気持ち恂々(じゅんじゅん)と語ってくれた。

鈴鹿に落ち着いた初日の夜だった。

聞いているのはぼくだけではなかったが、ジュニョさんの心の

奥の方からコトバになってくる、そこに耳を傾けた。

 

翌日、コミュニテイを終日見学して、その夜の懇談会にて。

ジュニョさんが、最後のほうで、誰にたいしてということでも

なく、

「人生や社会で自分がやりたいというだけで、やっていっても

いいんだろうか」

と述懐した。

 

「そうだよな」と思う。

「つい、この間までこの内なる問いかけが解けないでいたんだ」

今、自分が焦点にしていることが出てくる。

「自分の、今の気持ちはどんな?」

先ず、これを見ていく、知っていく。

やるとか、やらないとか、それとは一応切り離して。

いろいろな考えとか、観念がいっぱい出てくるけど、先ずそこから。

その上で、というか、そういうなかで、一人では生きていけないし、

相手の人、周囲社会の成り立ちもあるのだから、その内面にも

思いを馳せて・・・

どうするかは、その後でも遅くない。

 

「会社を辞めるなんてを言ったら、そんなこと認めてくれないし、

許してもらえないし、話合いにもならないと思うと、重くなる」

とジュニョさん。

同席していた敏美さんが、学習塾の講師をやらないかと声を

かけられて、「ドタキャン」したという、つい今日の出来事を

話してくれた。

子どもがもう来るという間際に、「やっぱ、やりません」と塾に

伝えた。

それで、何も起きなかった、というのである。

そういう気風がなければ、一人だけではどうにもならないよね。

ジュニョさんも、じっと聞いていて、うなずくような表情をした。

 

それを聞いて、「ああ、ほんとにそうなんだよな。自分一人で得心

していたって、周囲がそれを受け入れてくれなかったら、それが

つぎの展開に広がっていかないよね」と、そんな気風がどうも

ここの人と人の間には、いつの間にか、醸成されているのでは

なかろうか、とあらためてそういうものが出来つつあることの

大きさを知った。

 

何年か前のこと、思い出す。

来訪の人を迎えにいく朝、雪が降っていた。

運転をする予定の人から電話があって、

「雪だから、今日は運転しないよ」と。

「ええ、運転しないって、じゃあどうするのか?」

様子を見に、外に出てみた。ぼくからしたら、全然問題ない

雪の状況と見えた。

もう一度、「行けないか」と聞いたが、「やっぱりやらない」と

いう返事。

その後、そのことを誰かに言いたくなって、抑えられない。

その人を責めると言う感じにならないように、そのときの

状況を話すが、「ああ、そうだろうね」ぐらいの反応で、

問題にならない、そんな空気だった。

なんか「責める」みたいなことには、あんまり関心がない

みたい。

 

自分のなかの”責める”とか”問題視”するとかの感情が無くなった

のかどうかは分からないが、いつの間にか、そういうものに

関心がない、反応が鈍くなっているのを感じる。

そこよりは、その人はその時、どんな気持ちだったんだろうか、と

すぐそうなるか、あとでどうだったか、時間的な前後はあっても、

そっちに関心が移っているように感じる。

具体的な検討は、その後からでも出来る。

というより、その理解があるから、検討が出来る。

 

韓国青年の純粋な、そして真剣な真情に触れながら、

いつの間にか、自分の世界が変わっているのかなと、

それは自分で変わったというより、そういう空気、

気風のなかで、そんなになってきた、ともいえるのか。

 

社会を変えるというは、どうも一人ひとりを大事にする考え

だけではなく、気がついた人たちの暮らしのなかで、そういう

気風つくっていくことではないだろうか。

これは、現状そのままで、どこの場でも、できることでは

ないだろうか。

 

今、韓国から若者たちが、サイエンズスクールのコースに

参加する目的で、コミュニテイに滞在している、

それぞれ、自分の内面を観察しながら、「自分のなかの社会」

「社会の中の自分」、その実際を見極めようとしている。

 

どんより雲は垂れ込めている。

韓国のジンさんは、ついこの間の土曜まで「内観コース」に

参加していた。

今は、韓国のセリさんが「人を聴くためのコース」に参加している。

韓国の一隅に、いつの間にか誰もが安心して暮らせる、家族の

ような間柄の人と人によるコミュニテイが現れてくる。

夢物語ではないだろう。

 

 

 

 

 


もう一人の自分

2014-06-06 09:27:18 | わがうちなるつれづれの記

いつの頃からか、孫の誕生祝いには本を贈ると決めている。

本屋さんに妻と行って、なにやかやと選ぶのが楽しい。

 

今年1月小学校最後の、孫娘の誕生日には、これを贈ると

決めている本があった。

カニグズバーク「クーローデイアの秘密」

風友への手紙には「読みたいときに読んでね」と書いた。

 

4月、風友が中学生になる。

何か、節目になることをしてやりたいと思った。

結局、能がないけど、本を贈ることにした。

いろいろ考えて、カニグズバークの本にした。3冊贈った。

 

最近、その中の一冊「ぼくと<ジョージ>」という作品を

読了した。実は、自分が読んでいない本を贈っていた。

読んで、その余韻がいつまでも、続いている。

 

主人公のベンは<ジョージ>という「世界一変なやつ」が

自分のからだの中にに住んでいることは以前から知って

いた。ベンとジョージは仲良くって、ジョージもベンに

協力的だった。

小学6年になり、二人は何かギクシャクしはじめる。

 

 ーージョージは、人はただものを知るだけでなく、

   ものを知るまでの過程を楽しまなければいけないと

   信じていた。

   ところが科学の勉強で、がむしゃらに目標ばかり見て

   走っているベンの内側に乗っているジョージは、道の

   途中に咲く花の匂いをかぐことさえ許してもらえな

   かったのだ。

 ーーちかごろ、ベンはベンの特別な才能をジョージと

    いっしょに成長することに使わず、人の注目を

    集めたり友情を買ったりすることに使いはじめた。

 

こういうのって、思春期というのだろうか?

自分のその頃を思い出してみて・・・

電車のなかで偶然、同級生の女の子に出会って、ドキドキ

したり。

綿のヨレヨレのズボンを寝る前に布団の下に敷いて、”寝押し”

したり。

中学生のころ、そのときの<ぼく>の中に<ジョージ>が

いたんだろうか?

 

そうそう、ぼくの家は商店街のなかの廃業したガラス屋で

外から見ると、暗い店の中にガラクタが積まれている

ように映った。

「そんな家を女の子に見られるのは恥ずかしい」

そのとき、<ジョージ>は黙っていたのかなあ。

黙らせていたのかなあ。

 

お袋がいろいろ世話を焼いてくれるのが、鬱陶しいと

思う時期がつづいた。

「ほっといてくれ!」と言ったあとで、なにかイヤーな気持ち。

あれって、<ジョージ>の気持ちが何かを言おうとしていた

のかなあ。

 

孫娘の風友は、ソフトボールのクラブ活動をはじめた。

娘から聞くところ、毎日帰って来るのは夕方6時過ぎ

とか。

中間テストも集中してやっていた。友だちもいるらしい。

風友を見ていると、日に焼けて溌剌としている。

此間、娘のアパートに行ったとき、風友の部屋を見た。

贈った本は、風友の机の上に整然と立てかけられて

いた。

 

風友に贈った本で、ぼくが感動している。

67年の人生を振りかえり、今を考えるキッカケを

もらっている。

 

カニグズバークの本というけど、もう一つ思うのは

日本語への翻訳。

原文を読んだ訳ではないけど、松永ふみ子さんの

訳が何か心地いい。

読んでいるじぶんの心にしみじみと染みこんでくる

ようだった。

 

「ああ、60歳過ぎるまで、<ジョージ=もう一人の自分>

がいることは、ウスウス知っていた。でもなあ、聞く耳を

持たなかったのではないか」

 

カニグズバークさんの次の一節は響いてくる。

 ーーベンには一つの分野を深く知ってほしい。

    でも、知らないですますこともおしえてやらなくちゃ。

    ベンは頭をはっきりさせなくちゃいけないんだ。

    頭をはっきりさせて、すべてのことをかんがえなくちゃ。

    ことに自分自身のことを。

    それと同時に、知らないですますことをおしえてやらな

    くっちゃ。

    無知のめぐみを。

    無知の部分から、たいへんな真理がひょっと顔を出す

    ことだってある。

    時間と、場所を、無知のためのゆとりにとっておかなく

    ちゃいけない。

 

ここは、どんなことを言わんとしてるのだろう?

良い考え、自分が正しいとおもう考え、これで

突き進むことの危うさ・・・?

 

 ーーでもベンがほんものになるより、りこうになることばっかりを

   考えているいるうちは、そんなことできっこない。

 

「ほんものになるより、りこうになることばっかり考えている・・」

自分なりにハッとするところがある。

「ほんものになる」といったら、もっともっと調べることが

あるってこと、知っていくことがあるって、ことかな?

知れば知るほど、知らない世界が見えてくるような。

歳は関係ないのかな。

 

この本の最終章。

ベンと<ジョージ>は和解する。

 --どんなって、いつもぼくのいうことを注意してきくこと。

    ぼくを無視しないことさ、ベン。

    いま、とくにいま、きみの学科や、クラスの友だちが、

    ぼくの声を消そうとしている時に、ぼくを覚えていてくれ。

    いま危機だぞ、ベン。

    いつもぼくのいうことを聞いてくれ、ベン。

    きみがぼくを黙らせてしまわなければ、ぼくはきみの中で

    ゆたかになっていく。

    きみはいつでも、ぼくというたのもしい味方をもつわけだ。

 

60余年生きてきた”おっさん”がすぐさま、ガラリとホンモノに

変わるなんて、思えない。

日々の暮らしの一コマ一コマで、<利巧ぶる><頑固なもの>

が思わず出てしまうなんてことあるだろうな。

ほんとうを願う<もう一人の自分=ジョージ>、世界一変なやつ、

そいつの声に耳を傾けたい。

 

孫に願うこと、語りかけたいこと、贈りたいこと、それって、

自分の今を静かに観察することから出てくるのかな。