かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

三重の地大豆ものがたり

2013-12-24 08:37:41 | アズワンコミュニテイ暮らし

  ことの起こりというのは、偶然がいくつか重なったことから

はじまるものらしい。

 

 三重県鈴鹿市の一隅で「新しい社会」の試みがはじまった

のが2001年。

 2009年ごろ、「アズワンコミュニテイ鈴鹿」と名称して、

人と人が家族のように親しい間柄の「やさしい社会」の

試みにすすんできた。

 

 2010年、アズワンの有志が鈴鹿カルチャーステーションを

立ち上げた。

 「街の学び舎・縁側・エコステーション」を提唱した。

 

 有志の一人、中井さんがが、街に隣接する放置された

はたけを借りて、はたけ公園プロジェクトがスタートした。

 ”宇宙大豆”をプロデュースしていた人がたまたま、

鈴鹿カルチャーステーションにやってきて、ひょんな

ことから三河大豆を試しに栽培することになった。

 

 こんどは、アズワンで暮らしている老人も参加している

健康生きがいづくり三重の会の余川さんが、三重大で野菜

栽培の研究をしている梅崎輝尚さんを紹介してくれた。

 大豆栽培では、日本でも屈指の人で、料理研究家の

辰巳芳子さんが提唱する”大豆百粒運動”の、栽培部門の

顧問をしている。

http://www.daizu100.com/

 

 

 2012年7月、梅崎さんから、三重県の地大豆”美里大豆”の

種をいただいた。

 中井さんとはたけ公園をつくっていこうという面々が、大豆の

栽培、その後の味噌づくりなど、一年通して、老人と子どもの

コラボ企画をやろうとなった。

 一回目の種まきは、老人と子どもらのコラボが実現した。

  この年は、種取りをして、老人たちの味噌づくりまでやれた。

 子どもらとの味噌づくりまではやれなかった。

 

 

 2013年のはじめ、はたけ公園プロジェクトの面々は

この一年毎月「はたけに行こう はたけで食べよう」という

イベントを企画した。

 子どもを育てている若い世代と老人が、はたけに種を

まき、収穫してそれを食べる。

 ご飯も、カマドをつくって、薪で炊いた。

 

 7月は、大豆の種まきをした。 種は昨年採ったもの。

 三重の地大豆”美里大豆”の種まきは、7月10日前後。

顧問の梅崎さんがきっぱり言ってくれた。

 今年も、地域のたくさんの親子がやってきた。

 まだヨチヨチ歩きの子まで、一粒一粒大事に播いた。

 

 10月は「枝豆を食べよう」という趣向で、呼びかけた。

 ところが生憎の雨。延期しても、その日が雨。

 そのうち、あるご家族のおじいちゃんが「孫の播いた

枝豆を食べてみたい」と言っているという声が聞こえて

きた。

 「それなら、収穫はできないけど、種を播いた家族に

枝豆を届けよう」と各家を回った。

 「枝豆って、大豆からできるんですね」と大発見した

人もいたとか。

 

 12月、いよいよ大豆の収穫。ことしは、ちょっと遅かったか。

 「わあ、枯れている」

 「でも、お豆さん、ちゃんと入っているよ」

 「よっこらしょ!」

 

 

 

収穫には、顧問梅崎さんも登場。

 子どもたちと、薪ごはんとカレー、デザート焼き芋で

舌づつみ。

 

  さあ、今年は味噌づくりも、子どもといっしょにやりませんか。

 呼びかけたら8組の方が手を上げた。

  12月中旬、はたけ公園のロケットボイラーで、米を炊いた。

 

 それを冷まして、麹をまぶす。

  袋に入れて、それを家に持ち帰り、コタツや湯たんぽで

2日間温める。麹を繁殖させる。

 

 お母さん方、興味津津。

 

  12月22日、あらかじめ各家庭で作った米麹を持寄り、

薪のロケットストーブで大豆を茹でて、ミンチ状にして、

米麹と合わせた。

 大豆と米麹をおにぎり大の大きさに丸め、キャッチボール

しながら中の空気を抜く。親子の仕事。

 ジッパー付ビニール袋に入れて完了。

 

 お母さんたちの感想。

 「大豆が好きで、スーパーで煮豆を買ってるけど、こんな

大粒で甘いなんて、はじめて!」

 「米麹づくりからはじめたでしょ。麹をまぶした米飯を

湯たんぽで温めるとか、考えたこともなかった」

 「麹づくりがしたくなったあ!塩麹・甘麹、つくってみたい」

つい、「はい、お手伝いしますよ」と言ってしまった。

3か月後 美味しいお味噌が出来ますよーに!!

 

  2014年はトランジションタウン鈴鹿”はたけ公園プロジェクト”と

”未来の里山プロジェクト”の面々が相連携して、

 

 子育て真っ最中の若い親子に体験と語らいの場を、

 大学生や青年にはボランテイアで心満たされる場を、

 老人には若い親子や青年との交流ができる場を、

 

それぞれ、その人たちが主役になって使えるよう、

自分たちがたのしんでやれる分だけ、用意して

いきたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


めげないお蕎麦

2013-12-24 07:55:58 | アズワンコミュニテイ暮らし

 お昼前、打ち合わせをしていたら携帯に電話が入る。

郡山さん。

「いまから、お蕎麦もっていくから!」

「ええ、そおおー」

なにか、とってもうれしくなった。

 そういえば、きょうの昼、鈴木英二さんが今年収穫した

蕎麦を製粉して、手打ち蕎麦をつくるといっていた。

 

 わが家に戻り、蕎麦がとどくのを待っていると、やがて

郡山。鈴木英二がやってきた。

 「なんか、蕎麦が黒っぽい」

 妻、早速ゆがいてくれた。

 食卓の上には、蕎麦というには、あまりに無残・・・

 ぶつぶつに切れているし、太さもまちまち。

 

  「ちょっとジャリジャリするな」と二人。

 ちょっとどころじゃないぜ。

 「そば殻がまじっているからだよ、中井さんが粉にした」

と鈴木英二さん。

 

 妻も入れて、四人でつまんだ。

 郡山さん「喉を越えたら、すっきりする」

 なんのこっちゃ。大笑い。

 出汁つゆは、蕎麦屋さんから譲ってもらった。

 「出汁はうまい!」

 ざる一枚、食べきれなかった。

 

 「31日は、美味い蕎麦打つぞ」と英二さん。

 あんまり、期待しないでおこ。


老いの晩さん

2013-12-22 19:00:49 | アズワンコミュニテイ暮らし

 

 

 鈴鹿という同じ地域に暮らしながら、この面々が

一同に会するのは滅多にない。

 だんだん昼間の時間が最短になっていく師走21日、

初老の3夫婦が、佐々木宅にお呼ばれして、晩さん会。

 お刺身、天ぷら、煮魚、茶碗蒸し、白菜の漬物。

野菜は佐々木佳子が自家栽培。お料理も、てきぱきと。

 薪ストーブを炊いた、ほっこりする食堂で、気がついたら

「あれ、もう10時かあ」

 

 


身に滲みる

2013-12-13 07:42:46 | わがうちなるつれづれの記

 よくも悪くも、テレビの影響をずいぶん受けている。

 とくに東京発のニュースから。

 

 2020年オリンピック開催地は東京に決まった。

 NHKは開催地を選ぶ投票で、ロシアが持っている投票の

権利4枚を”東京”に投じたと報道していた。

 それは、なんとなく耳に入り、なんとなく「へえー、そうか」と

ぼくのなかでそうなっていた。

 最近、その投票のとき、中国も最終的には4枚の投票権の

すべてを東京に入れたという。

 NHKは、そっちは報道していないという。

 

 

  中国が尖閣諸島を含めた”防空識別圏というのを設定した。

 そんなものあるということをはじめて知った。

 日本政府は「一方的、認められない」と中国政府に抗議。

 民間航空会社にも、飛行計画など中国側に出さないよう

要請した。

 アメリカは、「認められない」としながら、日中関係が

これ以上こじれることを懸念している。

 アメリカの民間航空会社の飛行計画の提出は容認して

いる。

 感じだけど、中国のことを言うのは置くとして、アメリカの

中国に対する態度は話し合いの余地を残している。

 日本の態度は、売り言葉の買い言葉、話し合いになる

ゆとりを感じない。稚拙さを感じる。

この感じ、他人事でない。じぶんのなかにも、同じような

反射があることを感じる。

 

 

 「尖閣諸島は日本固有の領土である」というのが

日本政府の立場だろう。

 『尖閣諸島に領土問題は存在しない』だから、それについては

話し合う必要がない。

 「あれ、尖閣諸島のことは1972年日中国交正常化交渉の

なかで、田中角榮首相が周恩来首相と会談して、どっちの

領土かというテーマは将来の人たちに任せて、棚上げしま

しょう」ということではなかったけ。

 

 先日、中国の研究者の矢吹晋さんがネットで話している

のを聞いた。

 矢吹さんによれば、外務省が公表している「田中角栄・

周恩来会談」の記録では、尖閣諸島の棚上げを持ちかけた

周首相に対する田中首相の返答が残されていないのだと

いう。 

 矢吹氏は、大平正芳元総理の追悼文集

『去華就実 聞き書き大平正芳』(大平正芳記念財団編、2000年)に

収録された「橋本恕の2000年4月4日 清水幹夫への証言」における、

次のような記述を引用した。

 「周首相は『これ(尖閣問題)を言い出したら、双方とも

言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが

終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきま

しょう』と言ったので、田中首相の方も『それはそうだ、じゃ、

これは別の機会に』、ということで交渉はすべて終わった

のです」

 このように、田中角栄首相の側も、周恩来首相の「棚上げ」

提案に対し、「それはそうだ」と合意していたというのである。

 

 先日、「日本の防衛大綱」が閣議決定された。武器輸出三原則も

見直しになる。中国や北朝鮮が日本に攻撃してくる情勢に対して

わが国の防御だという。

 ぼんやりNHKのニュースを聞いていた。

 じぶんでも不思議だけど、「そうか」とまで得心したわけでも

ないのに、「そうか」という感覚が身に滲みていくのを感じる。

 戦前の大本営発表、NHKの報道。

 ときどき、テレビでそんな過去の映像を見るときがあるけど、

なんかそんなのに似ている・・・

 「中国や北朝鮮が攻めて来るんか」なにか刷り込まれて

いるような。

 

 ほんとういうと政治にはあんまり関心がない。

 いま政府を動かし、国の政策を考えている人たちも

なにかの縁でたまたまそんな役回りになっているのか。

 気がついたら66歳のわれ。

 おそらく、それらの役回りの人たちも、ぼくの兄か弟の

ような人がやっているのだろう。

 まさか、本人たちは日本地域に暮らす人たちを戦争に

かりたてようなんて、おもっていないだろう。

 にもかかわらず、気持ちはそうでも、なにかクニとは

こういうものだという自分の関心ごとを大事にして、

それを固持して、口では、国民のためと言いながら、

日本地域に暮らす人たちのことを結果として、あんまり

考えていないようなことになっていないか。

 そういう人たちがつくるかたまりに知らず知らずに

ハマッていっていないか。ハマッていないといっても、

なかなかわからない。

 

 

 まさかこの歳になって、思い込みを「そうだ」として、

こんな馬鹿げたことがまかり通る状況に遭遇するとは

思わなんだ・・・ええ、これって、マジ?

 こういうことを進める人たちもいるなかで、そういう状況に

影響されながらも、”われ”はどういう生き方をするか、

どんな暮らしをつくっていくか。

 おそらく、それは「こういう状況だから」というところから

はじまるのではなく、自分をふくめた人とは本来どういう

ものか、その人と人でつくる社会はどういう現れになるか、

その探究からはじまると思う。

 そこを見極めようとする”われ”から。

 

 

 追伸

 過去にわれら日本に暮らす人たちが周囲の人、隣人

からどう見られていたか、こころに刻んでおきたいと

おもって・・・

 インド人のタゴール。

 1916年、17年第二次世界大戦の最中来日。

感想を語っている。日本の文化を愛するゆえに・・・

 

 ーーもとより私は自己防御のための現代的な武器を

    取得するのを怠ってよい、というのではありません。

    しかしこのことは、日本の自衛本能の必要以上に

    決して出てはならないものです。(略)

     もしこの人びとが力を求めるに急なあまり、自分の

    魂を犠牲にして武器を増加しようとしたら、危険は

    敵の側よりもその人たち自身の側にますます大きく

    なっていくものであるという事実を知らねばなりません。

 

 ーーわたしは日本において政府の民心整頓と国民の自由の

    刈り込みに全国民が服従するのをみた。

    政府が種々の教育機関を通じて国民の思想を調節し、

    国民の感情をつくりあげ、国民が精神的方面に傾く

    徴候を示すときは油断なく疑惑の眼を光らせ、政府自身の

    仕方書きにしたがって、ただ一定の塊りに完全に溶接する

    のに好都合なように(真実のためでなく)狭い路を通って

    導いていくのを見た。

     国民はあまねくいきわたる精神的奴隷制度を快活と

    誇りをもってうけいれている。

     それは自分でも「国家」と称する力の機械になって、

    物欲のために他の機械と覇を競おうとの欲望からである。

 

  1930年から中国との15年戦争がはじまり、1945年8月の

 敗戦を予言している。

   その後、いまに至る日本の歩みも見通しているようにおもう。