日中の暑さがやわらいだ。
ポツポツと雨のしずくが落ちてくる。
夕方、はたけ公園に向かう。
毎週日曜日夕方”サンデイ屋台”の日。
「えっ、それって何のこと?」
「はたけ公園広場にカマドをつくる。薪でご飯を炊く、料理を
する。食べたい人が食べに来る。なんといったらいいか、屋台横丁
のイメージ?石油にたよらないで暮らす、人が寄って、ご飯を
たべる。そんな場?」
昨年10月から、毎週日曜夕方、ときどき休んだりしたけど、
厳寒の冬でもハウスのなかで、続いてきた。
7月14日、はたけ公園の黄昏、雨は本降りにならず、
仄かに涼しさを感じさせる風をおくってくれる。
広場の丸テーブルには、男五人、ご夫婦一組。
いずれも団塊の世代人。
本日のメニュー、カレーと釜ご飯。災害時も炊き出し、の如し。
カレーはOさん。コクがある。釜ご飯は、Nさん。なにか、うまい。
とりとめもなく、座っている面々。
K「りっちゃん、福島だったけ」
R「うーん、そこは生まれただけ、暮らしたのは北海道」
M「北海道はどこ?」
R「網走・・・」
一同「へえー」(きっと、網走番外地の歌と高倉健が
立ち上がっている?)
R「お父さん、土建屋でね、服役の人も使っていたみたい。
渡世人みたいな人もけっこう出入りしてた」
「そう・・・」だれともなく。
M「Fさんとは、どこで知り合ったの?」
R「名古屋よ。なにかの会合のとき、いかにも食べるものも
食べてないという感じでいたんで、かわいそうとおもったわね」
F「あんときゃ、飯場で寝泊りしてた」
Kさん、三杯目のカレーのお替りに行く。
K「ぼくは、清水建設で働いていたことある」
一同「・・・・」
だれか「京都大学出て、清水建設かあ」
だれか「それが、いま、ここにいる」
O「オレは若い頃は設備会社でやっていた」
なにかのキッカケで、戦前の731部隊の話題に。
O「若いころ、東京新宿の現場に仕事で入っていた。地面を
掘っていたら、人骨がでてきた。石井部隊で人体実験していた
ところだったらしい。1ヶ月、ぶらぶらして過ごしたなあ」
「そんなことも、あったの?」何人か。
頭の上に張った寒冷紗がゆらりゆらり揺れている。
だんだん、周囲は薄暗くなってくる。
OさんとNさんは、今日の昼、ご近所の子連れ親子
50人余の人たちといっしょに、大豆まき、スイカ割り、
釜ご飯、カレーを食べた。
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この二人、そしてぼく、このはたけ公園広場がどんな
使われ方していくのか、ぼんやりだけど、描いている。
どこからともなく山のほうから、涼風が広場にやってきて、
たわいない、われらがおもいをのせて。海のほうに運んで
いく。
今日は、鈴鹿の里山では、南伊勢から炭焼き名人、
右田翁が泊まりがけできていて、釜の天井をきめる、
一番大詰めの日。そこでは、団塊世代の、もの好きが
3人ほど、右田翁の手元でやって、ついにあと一歩
というところまで、やってきた。
里山の連中は、ヘトヘトになっていた。
「ああ、もうなにもかんがえたくない。横になりたい」
Tさんは早々帰路へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6c/ef/6746d8e4789c0225328a27cd0616b647_s.jpg)
ときどき、頬をなでていく風をかんじながら、ぼくも一日を
ふりかえる。
昨夜、兄からメールがきた。「叔母が亡くなった」
子どものころ、母とは違っていても、身近な人だった
翌日朝から、サイエンズスクールが主催している
「マイライフミーテイング」に参加。東京、岐阜、石川
などから参加している人もいる。20人ほど。
この1ヶ月、じぶんのなかでどんなことがあったか
出し合った。
「なにをした、というより、どんなじぶんだったか?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/05/34/ef3a4079f95c64d02c2cb02cf33a890d_s.jpg)
食事の時間は、はたけ公園の子ども企画を見に
行く。カレーをいただく。
子どもたちが、スイカやキューリにかぶりついているのが
印象に残った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/76/954cd8489255beb68ace530698d3a6a4_s.jpg)
午後は、朝に引き続いて、「マイライフミーテイング」
いろいろやったなあ、いろいろなことがあるなあ。
どうなんだろう、あれやって、これやって、次はなんだっけ、
忙しい感じが、あるかなあ。
飛躍してしまうけど、孫なんか見ていると、あれやって、
これやって、というような、そう予定のようなものないんじゃ
ないか。
そのとき、そのとき、そのことに没頭している。没入している。
その姿って、どんなんだろう。
なにか、根本的なちがいを感じる。
黄昏につつまれる、60余歳のわれら、これまで、何かをして、
生きながらえてきた。
いまも、忙しそうに、あれやって、これやって、と老体に
ムチを打つがごとく、動き回っている。
こころのなかでも、なにやかやと、おもうことが浮かんだり
消えたり。
なにをしようとするこれまでだったのだろう。
なにをしようととするこれからなのか。
はたけ公園広場は、お互いの顔がぼんやりするほど
薄暗くなっていた。
だれともなく、皿を片付かはじめた。
Nさんが、「そうそう、スイカがあったんだ」と出してきた。
それを、すすった。「うまい!」
それぞれ、家路についた。
西の空は、まだ日が落ちきっていないのか、遠く
ほの明るかった。