息が上がっている。
昨日は利尿剤を増やして、一日部屋で休んでいた。
今日はすこしマシになった。
昨日は横になりながら、一日テレビを観ていた。眺めていた。
内閣改造、東京都知事の小池百合子の話題が多かった。
それに、北朝鮮がノドンミサイルを発射して、日本の近海に落ちたとか。
ここのところ、食欲がない。
夜、NHKで、”きょうの料理”をやっていて、ボーッと観ていた。
四国の”ナスそーめん”だとか、鹿児島の”鶏飯(けいはん)”だとか、
いかにも日々の暮らしから工夫されてきた料理の紹介があった。
「あれ、食べたい」と妻を振り返る。
妻は長いすに横になって、もうウトウトしている。
「もう、先長くないと分かったら、どんなもの食べておきたい?」
なんとなく、そんなこと考えていた。
そうでなくとも、あんまり食欲がないとき、何が食べたいかとなって
でてくるのが、意外と子どもころ食べたやつだったりする。
「湯豆腐」と妻に言ったことがある。
「鍋に水をはって、豆腐を入れる。鍋の真ん中に、薬味をいれた
醤油のタレがあって、それぞれは豆腐をつまんで、タレをつけて
食べるんだ」と説明した。
何回か土鍋などで、その試みをしてくれたけど、子どものころの
あのタレの味とみんなでつっつく醍醐味は醸し出せなかった。
しごく簡単、単純、質素なものだったけど、何か温まるものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/15/67/446f09eefb2ce39e2f2c85bc5fdcf8f3_s.jpg)
いつも腹を空かしていた。
でも、その分そのものの旨さやそれを兄弟で競って食べた記憶が
今から思うと、味があった。
冬の朝は納豆と決まっていた。
兄妹3人で分けて食べる。
最後に、どんぶりに残ったネバネバにおこげのご飯を入れて食べるのが
最高の味わいだった。記憶では、他の子に負けないようにしようと
していた。
秋口に白菜を大量に漬けていた浅つけの白菜がおいしかった。
すき焼きのメニューのときは、おふくろが「時間に合わせて帰っておいで」
とか言ってくれていた。
すき焼きの肉は、ボロ雑巾のように、縮れてくしゃくしゃしていたけど、
たまに食べる肉に興奮していた。競って食べる。兄や妹がどんなふうに
食べていたか、思い出せない。まして、親父など。おふくろは、ほとんど
食べず、ご飯をよそっていたと思う。
一切れの肉でご飯がどれほど食べられるか、ぼくはそういうことに
気をおいていた。
そんな肉がおいしかった。不思議だけど、いまで牛肉を見ると、
くしゃくしゃしたところが旨いと固持しているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/18/7c/9ded8a38c2f4ac46cde3163a23752fdd_s.jpg)
肉には飢えていたと思う。
そういうものは、まともには食べられないと思っていた。
我が家の数軒先にあるとんかつやさん。一度も入ったことが
なかった。
成人して、厚さが1センチ以上もあるとんかつをはじめて食べた
とき、腹を壊すんじゃないかと思った。
うなぎやも、学校に行くときの商店街のなかにあった。
いい匂いをいつもさせていた。
落語じゃないけど、匂いだけで、まるまる食べたことはなかった。
これも不思議だけど、「死ぬ前に食べてみたいもの」というなかに
とんかつとか、ビフテキとか、うなぎの蒲焼など、そんなに浮かんで
こない。子どもの暮らしには縁がなかったからだろうか。
そうだなあ、言えば秋刀魚、それも七輪でじゅじゅじゅじゅと焼いて
油が滴るようなやつを、フハフハしながら食べる。
それも、一番の好みは秋刀魚のはらわただった。脂ぎっていて、
ほろ苦い味、他に代えがたい。
落語の「目黒のさんま」には、おおいに共感していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3c/21/4cd8cf4790a1d26f865b1d949709860a_s.jpg)
肉のことでいっても、そういえば肉本体より、内臓系に好みがありそう。
子どものころ、肉といえば鯨だったけど、レバーが好きだった。
鶏だったら、断然、皮のところ。
鮭でも、どちらかというと皮が旨いと感じる。
豆類に目がないな。
納豆は、その筆頭かな。残念ながら、いまは血液さらさら、ワーファリンを
飲んでいるので、食べていない。
金時豆は、大好物。これは、死に際でも食べたい。
良く炊けて豆をかみ締めたとき、醸し出すあの旨み。。最高。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7e/17/e5b5efbac7b44432ed153cb720bf3de3_s.jpg)
子どものころ、この豆とベーコンと合わせて炊いた、料理が我が家で
ときどきあった。
親父がブラジル移民で8年過ごしたときの郷愁の料理なんだろう。
大人になって、それが、ブラジルの主食フェジョンらしいと知った。
わが家では、母がときどきぜんざいをつくってくれた。
どういう気分のとき、つくってくれたか分からないけど、物がない
貧しさのなかでも、小豆の旨さと甘みは、とっても心豊かに
させられた。
あの味は、いまでは難しいかな。
母、おふくろといえば、海苔巻きやお稲荷さんのときが嬉しかった。
海苔巻きを巻いていると分かると、台所に行く。
おふくろの手元をじっと見ている。
巻いたあと、端っこを切り落とす。
その端っこをさっと失敬して、口にほおりこむ、この旨さ。
向田邦子のエッセイ「父の詫び状」の中に、苦労人の父が
海苔巻きの端っこが好きだったというエピソードがたしかあった。
父を理解しようとしていなかった向田さんが子どものころの
父を通して、父を知っていくささやかな挿話なんだなと思った。
向田さんの父上が身近になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/78/6f/7373ed333d9243ab5c5cffb801366d00_s.jpg)
食べ物のことで書けばきりがない。
てんぷらは大好きだ。生野菜は苦手だけど、てんぷらにしてもらうと
なんかおいしく食べられる。
その日のてんぷらもいいけど、翌日とか、それを甘辛く煮て、トロトロ
になったのをご飯にかけて食べるのが好きだ。
こればっかりは、食欲がないときでも、けっこう食が進む。
天カスが好きだ。
味噌汁に入れてもいいし、かけうどん、かけそばには欠かせない。
とくに、うどんの汁に天カスが溶け込んで、汁とテンカスがヌルヌルに
なったところが絶品だと感じる。もう、やめられない。
以前は、それをすすりつくしていた。いまは、やめている。
東京では、かけうどんに天カスをいれるのを、たぬきうどんと言っている。
大学のとき、新聞をつくるサークルにいて、いよいよ印刷するというときは
印刷所にいって、最終のチェックをみんなで夜更けまでやる。
そのときは、「たぬきうどんライス」が定番で、そのときの旨さは忘れられ
ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/7f/24602906f5d21fb89d747113d69fb7e0_s.jpg)
まだまだ、食べ物のことをいえばいろいろある。
もうやめよう。
味というけど、そのものの味もあるけど、そのときどんな風に食べたか、
それも大きな味の記憶の要素になっているなあ。
サルから分化して、ゴリラ、チンパンジなどに枝分かれしていくけど、
そのうちゴリラは食べ物を食べるとき、食べること自体以上に
仲間とともに食べることに価値を置いているらしいという観察記録が
ある。(山極寿一さん)
読みながら、わが身を振り返り、なつかしいものが湧いて来た。