この冬は、ホント出無精だった。
周りでは、いろいろな動きや暮らしがあったようで、ラインやFBなどで
近況が入ってくるけど、炬燵に寝転びながらただ眺めているような
こころ持ちだった。
4月の後半妻がある日、温泉と蕎麦を食べに行こうと誘ってくれた。
こんなとき、「うーん」と、行くのか行かないのか、行きたいのか
行きたくないのか、漠としてとりとめもない。
「どうするの?」
「うーん。温泉は行きたい、蕎麦はもっと食べたーい、でも出かけるのが
なんとなく面倒・・・」
「いつならいいの?」
これまた、漠としたこころ持ちになる。
いつでもいいような気もするし、スマホのスケジュールカレンダーを
見ながら、幾つか行けそうな日時があるんだけど、「この日!」という
のがなかなか決められない。
やっと決めても、どこか「ほんとに、ぼくは行くんかなあ」と自分で
自分がたよりない。
妻小浪は、自分が行きたいというのはもちろんあるだろうけど、
わが立ち居振る舞いを身近に感じながら、外に連れ出そうという
プランを立てたのかもしれない。
口には出さないけど、有難いと、心の奥のほうでつぶやいている。
妻の運転で、午後、伊賀の温泉に行く。
心臓に植え込んである除細動器が昨年作動して、医師からもう
大丈夫と言えるときまで、運転は止められている。
これ幸い、なのか。うーん、今は、そんな感じかな。
温泉はよかった。
来るまでは、オロオロしてた割りに、実際、来てみると
「ああ来て、よかった」となる。
炭酸水の温泉なるものがあった。
血行を良くするという効能が書いてあった。
その湯船には、たくさんの人が入っていた。
しばらく待って、空いたところに入ってみた。
炭酸水の温泉の効能が現れるには5分以上、10分ぐらいは
浸かるのがよいと説明があった。
5分以上経ったころから、腕とか赤みを帯びてきた。
いきつけの温泉では、湯上りで身体が赤くなったことはなかったなあと
思った。
湯上りは、心地よい。
温泉の玄関を出たときは、晴れ晴れと清清しい。
「さあ、蕎麦屋」と車に乗り込んだけど、妻、忘れ物したといって、また
引き返しなかなか帰って来ない。
やっと、温泉から少し離れた、行きつけの蕎麦屋に行った。
夕方、駐車場には車が一台も止まっていない。
入り口の看板に、「今日の夜の営業は休みます」と書いてある。
「ありゃりゃ」ときどき、こんなことがある。
これまでの経験から、いろいろ「どこにするか」と迷って、ほかのお店に
入っても何か満ち足りないものが残ったりする。
「そんなのはやだなあ」
「もう帰ろう」と、ぼくははっきり言った。
妻は、「せっかく来たんだから」と帰るとは言わない。
「名張に食べてよかった蕎麦屋があるので、そこに行こう」
スマホでその店を探し、電話して、7時までに着いたら、
食べられると約束を取り付けた。
そのとき、6:30。
お店まで30分はかかるという。夜道である。行き方も定かでない。
「おい、行って道に迷ったりして、行き着けなかったり、着いたとしても
閉店だったら、目も当てられない、やめよう」
妻は、「行くわ」と、ここはきっぱりしていた。
蕎麦屋目指して走り始めた。
妻の気迫に呑まれたと感じた。
「よし、その店に辿り着かなくても、食べらないことがあっても、恨みツラミ
は言うまいぞ」
車は街から上り下りのある里山の中に入っていく。
日が沈み、周囲は暗くなってくる。
二車線の舗装道路が続いている。坂道を上ったら、街が見えるかと
思うが次の坂が前方の闇のなかに浮かんでみえる。
「おかしい、これでいいかな」妻がつぶやく。
長い時間に感じた。心のなかがザワザワしている。
口には出さない。
そのうち、山ん中にある集落で、「このへんかな?」となり、そこらを探すうち、
古民家に蕎麦屋ののれんを下げている店に辿り着いた。
7時を過ぎていた。蕎麦屋の主人は「やりますよ」と入れてくれた。
お蕎麦とてんぷら。
てんぷらは、時期の山菜もあって、てんこ盛り。
蕎麦にも満々足。
あのザワザワはなんだったんだろう。
それにしても、妻のあの気迫はどこから湧いてきたのか、いまでも
何だったろうと、忙しそうにしている彼女の隣で日々過ごしている。
それから、何日かたって、妻がまた、温泉と蕎麦コースに行こうという。
たまたま、高崎夫妻に会ったそうだ。
先日の体験を話したら、いっしょに行こうとなったらしく、「いつにする?」
と言う問いかけだった。
ちょっとオロオロしたけど、妻はどうも、あの夜、ぼくが「高崎にも食べさせ
たいな」と漏らしたのを覚えていたらしい。
また、2回めのお出かけの逡巡をした。
結局、今度は名張温泉、蕎麦コースに高崎夫妻と出かけた。
行く前や、行く道すがら、ほんとに行くんだろうというこころ持ち。
温泉に入ったら、心地よくなる。
「ああ、来てよかったなあ」
蕎麦屋に向かう車のなか、高崎の奥さんに、何の脈絡もなく、
「みゆきちゃん、金時豆食べたいなあ」
以前、なんども金時豆煮を作ってもらっている。
「要求してるんかな?」とぼく。
「要求してるんでしょ」乗り合わせた人たち。
翌日の夕食、金時豆が届いていた。
みゆきちゃんだと妻が言う。
夕食をすべて食べた後、デザートのように金時豆だけを一粒づつ
食べる。それが金時豆の食べ方の流儀だ。
食べたあとに残る一粒一粒の豆のコク、その旨みの余韻。
「ああ、金時豆が好きだ!」
あっという間に、一皿腹に治まった。