かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

農は楽しい つづき

2015-10-28 20:35:49 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

梅崎さんを囲む会は、力の入らない語り口のエピソードを

たくさん聞くことができた。

”坂道”と”階段”というのは、栽培の研究で、今は土をいじりながら、

時間をかけて成長を観察して、実績を積んでいくという途よりも、

DNAの研究などで室内で発見して、レベルが上がっていく、階段を

上るような研究にみんなの関心が向いているということだった。

「坂道でいくと、論文に時間がかかってしまうんだけどね」

梅崎さんは、坂道派が性にあってそうだな。

 

たのしいエビソードをたくさん聞かせてもらって、面白かった。

「それで、こんど、お父さん、お母さんに声かけて、お話する

、ときは、どんなんがいいかね」

「はたけ企画に来ていて、3回4回と来ていると飽きてくることが

あるのよね」

「作物のことをもっと知ったら、面白くなるかなあ」

「そうそう、この間、食べられないようなナスを枇杷の木の下に

放っていたの。そうしたら、子どもが何でナスを木の下の置いて

おくの?と聞くから、木がそれを食べるんだよ、と言ってやったの。

そうしたら子どもたち、木がナスを食べるところ。見たーいって

言うのよね」

「大人はそんな感じでいけるかな」

「大人だって、知らないことだらけよ。大豆と枝豆が同じもの

というのも、大豆を育ててみて知った」

「中途半端に知っているといのもあるわよね。たとえば、

遺伝子組み換え食品と聞いたら、それは”悪いもの”とか」

「そうだね、テレビやメデイアから聞いて、なんとなく受け取って

いることが、実際、どうなってるなんて、ふだん考えないものね」

 

「ぼくが話すとしたら、農をずっと栽培から研究しているもの

として、いま農をめぐって、いろいろ起こっていることを、それに

触れながら暮らしている人たちがもっと身近になるような話題を

出しながら、話すことならできるかな」と梅崎さん。

「どんな講演会になるんだろう?講演会のテーマは?」

梅崎さん「ぼくが、どんなところから話すかというば、農は楽しい

ということになるかな」

「ああ、いいですね」

「そうなんですよね、そこからなんですよね」

しばらく、テーマはどんな言葉がいいかと出し合った。

決まらなかったけど、何か講演会というか、お話会の

中身がみんなのなかで、描けたようだった。

 

遺伝子組み換えの作物というのでは、ランドアップという農薬の

光合成を阻害する性質を地中のバクテリアが無化してしまう

という発見からはじまった。

遺伝子組み換えは、それぞれの生物では発生からふつうに行われ

ていて、それが別の生物の間で行うというのが自然界ではないので、

どんなことが起こるか未知のところがある。

「なるほど」とは思うけど、人体への影響とか心配になる。

「アメリカや中国で、それをやって食べているので30年後に

どうなるか、ということになるかな」

遺伝子組み換え食品のテーマは、生物学とかとは別に、

社会、経済、政治などに大きなテーマがありそうだ。

ありそうだけど、どちらかといえば、そういうことも、身近なところ

から、観念的や感情的にならないで、検討できればいいのかな。

 

広く呼びかけてやる梅崎さんんを囲む会は,12月13日(日)に

開くことになりました。

会のテーマは、それまでに考えましょうね。

 

(ふー、なんとか終わりまでたどりつきました。抜けているところ

だれでも、補ってくれたらうれしいなあ。   宮地)

 

 


農は楽しい

2015-10-28 20:33:12 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

秋晴れのお昼、10月24日土曜日。

中井宅に健生みえのメンバーが集まってきた。

お馴染みの梅崎尚輝さんもやって来られた。

この日は健生みえの会、第3土曜日のアクションデイ。

今日は、梅崎さんを囲む会。

お弁当を食べながらというのが、ちいっとは”アクションデイ”

らしいかな。

 

大平さんや余川さんから、この日の会がもたれる経過の紹介があった。

まちのはたけ公園では、4年ほど前から、毎月地域の親子の人たちに

声をかけて、”はたけへ行こう はたけで食べよう”という企画を

やってきた。

最近、参加する親子が40人、50人と増えてきた。

ついに、参加者が多すぎて、お断りするケースまででてきた。

はたけで大豆をまいて、枝豆で食べたり、味噌をつくったり。

ジャガイモやサツマイモを植えて、出来たら親子で”よいこらしょ”

と掘り起こす。「さあ、焼き芋しようぜ」

土に触れながら、作物を観察したり、親と子どもがいっしょに

作業しながら、農ある暮らしがちょっとづつ、地域のなかに

芽生えつつあるかな。

 

大豆の栽培がキッカケで、梅崎さんとの縁ができた。

(そのころのブログ、最後にあります9

その後、このはたけ公園の企画を三重大学生物資源学部

教授といった肩書きというより、はたけの作物が好きで好きで、

播いた大豆がどうなったか、ときどき見に来てもらったりしてきた。

「最近、はたけ公園にきているお父さん、お母さんが企画に参加

するだけでなく、いろいろな面で、子育ちことやや子育ち環境のこと

考えているように感じる」と健生みえの会の月例会で話題になった。

「お父さん、お母さんとその梅崎さんが出会う機会をつくって

いけないかなあ」となっていった。

「じゃあ、10月のアクションデイは、梅崎さんを囲んで、そのような

趣旨を知ってもらって、どんなことがやれるか、いっしょにかんがえ

たい」

大平さんの話したことから、はなれちゃったかもしれないが、そんな

感じかな。

 

お弁当を食べ終わって、満ち足りていた。

梅崎さん、志摩のきんこ芋の話から。

以前から、作物を通して、地域起こしに協力している。

作付けから干し芋にしていく。実際にやってみると、地区ごと

につくり方が違う。そういう事情にかかわっていくのが、面白い

みたい。

 

当代、学問論。

最近は、研究は助成金をとってでなけりゃできないみたいに

なっている。

今回、ノーベル賞をとられた大村さんは、研究は自腹をきって

してきている。

ぼくらも、研究者の道の入ったときは、昼は研究、夜は

アルバイトだった。友人と話すと、「あそこの高速道路はオレが

つくった」なんてやつがいた。

今はインターネットが普及して、何でもさっと分かってしまう。

以前は図書館でしらべるほかない。調べていると、他におもしろい

資料が出てきて、そっちのほうに道草したり。あとで思うと、寄り道も

研究には必要だった。

 

農の研究の方法では、坂道と階段という、二つがあるんですね.

 

(あれれ、ここまで書いてきて、息切れしてしまい、中断したんだけど

”下書き”にしていなくて、発表されてしまいました。

つづけようかな、どうしようかな、迷っていますが、これはこれで

いったん、終了にしますね。宮地)

 

<老人と子どもの大豆コラボ>2012年

http://blog.goo.ne.jp/miyati007/e/750e307a80818fc43920f27c9963db33

 

 


「ピカ!ドン!」

2015-10-22 09:11:06 | アズワンコミュニテイ暮らし

その時のことを思い出すと、どうもそんな感じだった。

黄昏近い頃、西側の、大きな窓のある部屋で来訪と人と

テーブルを挟んで、話していた。隣には、市川さんがいた。

話がそろそろ終わりかけるかなというとき、突然「ピカ!」と

稲妻のようなものが目に映り、「ドン!」という衝撃が身体に

走った。

「何が起きたのか?」一瞬、面食らった。

「もしかしたら、作動したのかもしれない」

誰に言うともなく、何か口走っていた。

来訪の人が、ぼくの右足からスリッパが落ちたのを机の下で

拾ってくれた。

すこし間があったけど、その人との話はその後、まもなく終わった。

 

市川さんに、「横で見ていて、どんなだった?」と聞いてみた。

「両手が一瞬、あがってたよ。スリッパも脱げていたしね」

そうか、どうも3年前に左鎖骨、心臓のところに植えこんだ

除細動器が作動したらしい。

来客の人と市川さんが出て行ったあと、そうだとしたら、この

ことは病院に連絡して、何か処置があるか、聞いてみること

かなと思い、かかりつけの三重大学付属病院に電話した。

 三重大付属病院は、もう代表の受付は終わっていた。

夜間受付から、循環器内科の病棟に回されて、そこの看護師さん

から状況が当直の医師に伝わったらしく、「すぐ救急外来に

来るように」と言われた。

妻に車を運転してもらって、暗くなりかけた国道を病院に

向かった。

10月17日土曜日のこと。

 

数日前から風邪気味の症状がつづいていた。

2歳の孫がそのころ夜はわが家で食事をしていた。

孫が風邪気味だというのを聞いていた。

それがうつったらしい。

はじめ喉がいがらっぽくなり、そのうちハナミズがひっきりなし

に出るようになり、微熱があって、すこし咳き込むようになった。

熱も朝になると平熱にもどったりしたので、ふつうに暮らそう

としていた。

カラダがだるいとかいうのが確かにあった。

座って話をすることには支障はないかなと思っていた。

今から思うと、だるいというのがカラダのほうの声だったのだろう。

 

救急外来に行くと、若い男の医師がいて、状況を聴いてくれて、

血液検査やレントゲン撮影などした。

「除細動器がどのように作動したのか、チェックしてみます」と

別の若い医師なのか、技師なのか、その両方なのか、を

呼んで、ぼくの左鎖骨の上に受信器のようなものを置き、

技師はもってきた機械を見ながら、そこに計測されている数値を

診察してくれている医師に読み上げていく。

かなり長いことそんなやり取りがあった。

医師は「除細動器は正常に作動したということですね。

心室に頻脈が起きたということです。そのとき、意識がなくなる

ということはなかったんですね。こういうことがあると、何度も

そういうことが起きる人もいます。

医学としては、除細動器は万が一のときのためのもので、

心臓に異常事態が起こらないようにように目指してるんですが

・・」

実は、除細動器で、「またいのち拾いしてよかった」と内心

「よかった」とおもっていた。

カラダにほうから見たら、そういう事態になるにはなるなりの

経過や原因があるんだろう。

そのときは、まだそっちには気持ちは向いていなかったかな。

 

若い医師は、心室の頻脈を抑える薬と血液をさらさらさらにする

薬を、今処方されて、飲んでいる薬にプラスして、飲むようにと

処方してくれた。

どうも、それは3年前、倒れたときの後の処方と同じようだった。

 

そのあと、救急外来のその後の状態を月曜日に若い医師に

診てもらい、昨日23日、3年前から診てもらっている医師の

診察に行ってきた。

薬は、若い医師が処方してくれたように、しばらくやって

みましょうとなった。

「車の運転は今はしないでいきましょうかね。いつ、また

起こるかわからないし、そのときは大きな事故になりかね

ないですからね」

 

カラダの声というの、今おもっている。

カラダは何かを発していた。そして、声を上げた。

声が上がって、ぼくは気がついた。

そんなこと、くりかえしているなあ。

 

ついこの間、こんな詩を読んでいた。

そうだよなあと思い、いまも余韻がある。

 

      小詩集1           北村太郎

  部屋に入って 少したって

  レモンがあるのに

  気付く 痛みがあって

  やがて傷を見つける それは

  おそろしいことだ 時間は

  どの部分も遅れている

 

この詩を紹介してくれた吉野弘さん(今は故人)は

「人の痛みがなければ、傷や病に気付かないものでしょうか?」

と問いかけていました。

いま、具体的なところでこんな風にしてみようとかいうのがある。

それはそれとして、何がこの場合の焦点かをみていきたいなあとも

感じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モーニングカフェ

2015-10-14 08:51:14 | わがうちなるつれづれの記

 

いつからだったか、息子と妻と3人で、モーニングカフェを

はじめた。もう、かれこれ2週間ほどになる。

毎朝7時に居間に寄る。

妻はコーヒーを入れてくれる。

この”儀式”がはじまってから、妻はぼくに「豆、引いて!」と

言って来なくなった。

なんとなく、1時間ぐらいだよね、と決まってきた。

長続きさせるには、それぐらいで切り上げようね、となってきた。

言いだしっぺは、息子。タイの旅から帰ってきて、やってみたい

といいだした。

 

起きぬけということもあって、しばらく何もしゃべらないときが

けっこうある。

居間の壁には、山下清の富士山の貼り絵がある。

話がでないとき、ぼくの正面にあるその絵をじっと見る

ことになる。

その絵をそんなにじっくり見るのは、はじめてだ。

5年前、鈴鹿に引越しするゴタゴタのなかで、何か妻が

山下清のカレンダーを額縁に入れる地道な作業をやっていた。

「そんなこと、あとでも・・・」とおもったが、夜中シコシコやって

いた。

 

見ていると手前は紅葉の木々がある。

富士山は遠くそそりたつようにそびえていて、雲がかかって

いる。

山下清は風景を見ながら描くのではなく、彼が捉えて、心の

なかに湧いてきたものを一気に仕上げていくと聞いたことが

ある。

湖が富士山のほうに伸びていくその奥をじっと見ていると

なんとも、そのあたりが、ぼくにはとてもあたたかい情感が

貼り絵に込められて、現われているように感じた。

この富士山の絵が、温かい山下清の心象風景で、それを

見ている自分を感化せずにおかないものを感じた。

 

わが家のモーニングカフェは、いつまでつづくかしれないが、

そいういうものでありたいなあ、とひそかにおもっている。