朝方は雲にさえぎられていた秋の空は、お昼ごろ、真っ青に
澄み渡り、天空から陽の光が眩しいほどになった。
今日は、孫晴空の運動会。小学6年、これが最後だ。
大阪のパパが、朝からやってきていた。
ジジとババは、午後1時ごろ、組み体操で晴空の出番があると
聞いて出かけた。
小学校まで歩いて行った。ちょうど、日課の散歩のつもりで。
暑かった。
校庭の周りは、両親やジジ・ババで一杯だった。
人ごみのなかで、娘と会えた。
「晴空、徒競走でころんじゃったの。それで、わーっと泣いちゃた
のよ。席に戻っても、泣いていて、友だちからなぐさめられていたわ」
どうも、一番で走っていたらしい。悔しかったのかなあ。
「今は、気持ち切り替えているけど、どうなるか心配しちゃった」
(徒競走)
(綱引きは気持ち切り替えて)
晴空の出番まで、木陰で坐って待つことにした。
娘がマスカットをすすめてくれた。
「このマスカット、学校に行けない4年、5年のとき、担任の
先生とは別に、毎朝、「今日はどうする?」と訪ねてくれていた
先生から差し入れてもらったもの」だという。
3年生の後半から5年生まで、学校に行かなくなった。
一日中、部屋にいて、ひたすらゲームをしていた。
そういえば、結構、その2年間、いろいろなことがあったなあ。
同じアパートと近くのマンションに同学年の女の子が4人いた。
晴空は男一人。
この5人は、晴空の部屋には出入り自由。娘が、玄関をオープン
にしているからか。
玄関の前は、広いプラットホームのようになっている。
晴空が学校に行ってなくとも、下校してきた4人の女の子が
玄関前で、よく車座になって、どうも学校の宿題をしているよう
だった。
晴空も、この仲間たちから誘われたときは、けっこう、いっしょに
遊んだりしていた。勉強をいっしょにしている姿は見かけなかった
けど。
晴空は、この女の子たちとは、相性がいいのか、お互い、拒むものが
ないように見えた。勉強していたかどうか、分からない。
いっとき、「晴空、学校に行かないのはずるい」みたいになったときが
あったようだ。
見てくれている学校の先生や近隣の親ごさんが温かく見守ってくれて、
いつのまにか学校にいかない晴空を受け入れてくれるようになった。
6年生の新学期から、みんなと学校へ行くようになった。
どうして、行くようになったかなんて、とても「これがあったからよ」
とか、残念ながら、言えない感じがする。
娘が、晴空を部屋に一人にしておけないと職場に相談したり、晴空を
見ていて起きてくる自分の気持ちを相談する人がいたり、ホントに熱心に
晴空に毎日、声をかけてくれた学校の先生、この方はわが子のように
孫を受け入れてくれていた。今回の運動会にはブドウの差し入れも。
分かれたパパと娘の間柄が、晴空たちの親として、隔てがないように
なっていったこと、などなど。
周囲の社会の空気も・・・いろいろありながら。
組体操の前に、紅白対抗のリレーがあった。早い子が選抜される。
晴空は選ばれていない。
1年から6年まで、順番につないでいくんだけど、6年生のとき、
走りが、ずば抜けて見事な女の子がいた。
後で、聞くと、その女の子は、晴空も入っているご近所5人組み
の一人だという。
「あの子ってねえ、生徒会長なのよ。運動会の選手宣誓もしてたよ」
と娘。
組み体操は、オリンピックのイメージで5・6年生全員で行われた。
往時の、男どものワイルドさはない。いろいろ、パフォーマン
しながら、4段のピラミットをつくって、そこがクライマックス
だった。
ピラミットの解体も、一気につぶれることはなく、
そろそろ、上段から降りていく。
晴空にどうしても、目がいってしまう。
力んでやっているわけではなく、何かゆとりをもって楽しい
気持ちでやっているように見えた。
(そういえば、学校に行っていないときでも、運動会は参加して
いた、練習には行かなかったけど)
「さあ、退場!」と先生の号令。
晴空も笑顔でみんなの列を走って行った。
その後、すぐ「晴空、またころんだのよ」と娘。
ぼくには、見えなかった。
「今度は、泣いてないよ」
晴空見ていて、みんなから好かれている感じがした。
今回、2回ころんだんだけど、どこか”どじ”の味を醸し出して
いて、友だちをなごませているのかもしれない。
秋の空は、どこまでも澄み渡っていた。
「晴空」って名前、悪くないかもしれない。