かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

山鳩と鴉と椎の実と

2011-10-25 23:16:20 | アズワンコミュニテイ暮らし
 ここのところ、気持、あたたかさを感じる。
 平日の午後は毎日パソコン教室に通っている。
 
 数日前の午後、出かける前だったけど、夏の間お世話になったゴーヤの棚を片づけていた。
そうしたら、我が家の前の川俣公園の椎の木の下で、山鳩と鴉が顔突き合わせるように、
3,40センチほどの間をおいて、向かい合っていた。



 「おおっ」
緊迫した空気が伝わってきた。
 鳩は鴉より、二まわりも小さく見える。
 よく見ると、鴉は2羽いて、もう1羽はすこし離れたところで、あらぬ方を見ている。

 山鳩は頸を思い切り伸ばし、鴉に毅然として対峙しているように見える。
 一瞬、その2羽がぶつかり合うように、接触したように見えたが、すぐ山鳩はブランコの鉄棒の上に、
鴉はブランコを囲っている鉄の柵の上に、分かれた。
 山鳩は鴉に背を向けている。鴉は山鳩の方に顔を向けている。

 もう出かける時間だった。
 勝負がきまったのだろうか?
 
 山鳩は、昨年11月に引っ越してきて以来、川俣公園の上にある電線の上で、朝「クック、クック」と
鳴くのだった。2羽いたので、番いだと思ってきている。

 時々、公園の地面でなにかを啄ばんでいる。
 子どもたちが遊んでいるときでも、けっこう近くまで子どもが寄ってこないと逃げない。
 子どもたちも、山鳩がいることは知っているだろうけど、チョッカイはかけないらしい。

 いつのころからか、この山鳩の番いは、我が家の隣人のような気になっている。
 鴉と縄張りを張りあっているなら、山鳩に残ってほしい。

 今朝、川俣公園に出てみると、椎の木の下で山鳩がなにか啄ばんでいる。
 ああ、追い出されていない。安心した。
 見ると、もう1羽は電線の上にいた。

 そのうち、2羽がいなくなった。
 椎の木の下でなにをしているのだろうと見に行った。


 よーく見ると、椎の実がいっぱい落ちている。
山鳩が。椎の実を啄ばんでいるのかどうかは分からないけど、関心がそっちに移ってしまった。
 椎の実は、よーく目を凝らさないと見えない。そこに、視線を集注してみると、「ああっ、ここに、
あれ、そこにも」と次から次に見えてくる。


 東隣りの高辻翁に、たまたま出会う。
 公園の落ち葉集めをこまめにしてくれている。
「椎の実、いっぱい落ちてるけど、どうやってたべるのかなあ?」
「炒るのよ。フライパンに蓋をして、パンパン跳ねるまで、炒るのよ」

 さっそく、両手からこぼれるくらい拾う。
 フライパンで炒る。
 たしかに、パンパンと爆ぜる音が聞こえてくる。
 どこまで炒ればいいのか?
 焦げる前でやめる。

 椎の実は皮が割れて、指で皮を剥ぐと、白っぽい身が出てくる。
 香ばしいなかに、わずかに甘みを感じる。


 外を見たら、電線に鴉が止まっている。
 決着はついていないのかもしれない。
 あるいは、決着などというものは、ないのかもしれない。


 いつだったか、そのときは道路の真ん中で鴉ではなく、山鳩は猫と距離を保ちながらも、
対峙していた。獲物を狙う猫は姿勢を低くして、一瞬、鳩に飛びかかったが、鳩は悠々と電線へ。
 猫は、虚空を見つめているようだった。


 公園の椎の木の上や下で、日々さまざまな営みが行われている。

資源のない国日本とTPP

2011-10-24 10:53:33 | わがうちなるつれづれの記
新聞は読まない。
テレビのニュースはよく見る。
テレビから流れてくる情報に相当影響されていると思う。

 だいたい、ぼんやり眺めて、聞き流している感じだけど、時々、
「うーうん」とひっかかるときもある。
 
 先日は、安住財務大臣がTPPについて、記者会見をしたというニュースを見た。
「資源のない国、日本ということが深く理解できれば、TPPへ参加は自ずからはっきりしてくるはず」
みたいな発言を聞いたし、字幕でも見た。

 なかなか含蓄のある言い回しだなと感心した。
 同時に”資源のない国”とういう表現に反応している。
 安住さんは「資源がない」と言う時、その資源とはどんなことを指しているのだろう?
 本人に確かめて見るほかないが、文脈からいえば、「石油とか天然資源」を指しているかも
しれない。
 安住さんが実際どう思っっているか、確かめるのはたいへんだ。


 "資源"という字を解読すれば、なにかを生み出す元のもと、みたいな感じかな。
 もし、それが石油とかそのほか工業製品につながる地下資源などだけをイメージしてるなら、
とても狭い感じがする。
「資源がない国」をそういうところから見ていたら、なにか出発するところが貧しいと感じてしまう。

 人というのは、どうだろう。
 人といっても、働きからいえば、身体的な働きがあり、こころや知性の働きもある。
 この二つは分けられるものでもないだろうけど、この働きの能力を持った人たちが、
日本国中に1億余人いると言う実際は、どういうことになるだろう。
 1億余人一人ひとりに人生があり、経験の積み重ねがあり、それぞれ環境にかかわりながら、日々
なにかを生み出しているのではないだろうか。

 太陽は、空気は、水は、大地は、人間以外のいきものたちは、人がそれらと調和して
暮らしていこうとするかぎりにおいて、それらすべての存在が目の前に実在してるんだと
感じられるように思うけど、どうだろう。

 TPPがどんなことか、ほんというとよく分からないし、叱られるかもしれないけど、
関心もないなあ。
 でも、いま感じているような金融や工業化などが人の暮らしを左右する世界の流れは
どこまで続いていくのだろう。
 どこかで、訳のわからない、簡単に説明がつかないような変化が、ある日突然、じぶんの暮らしを
一変させてしまう。こんなことが、ずっと続くのだろうか。
 
 大震災・津波・原発事故は、一瞬のうちにそれぞれの生活基盤を根こそぎ無に帰してしまった。
行政機構も機能しなかった。そこでは、どんなドラマがあったのだろう。

経済が恐慌に陥る恐れが、なんとなく気持ちのどこかにあるが、そうなったとしたら、
なにか今と根本的に変わるところがあるだろうかと、いくども問い返している。

 暮らしが出来ないというと、雇用創出がいわれるが、いつもなにか「雇用されなかったら
暮らしていけないのだろうか?」とつい思ってしまう。
 お金が無かったら、暮らしていけないか。

 二宮金次郎は、江戸後期の大飢饉のなかで、餓死者を出さない村おこしをしている。
 そこには、それが実現するだけの考え方があったというのだ。

 どこへ向かっているのだろう。
 根拠はわからないけど、今みたいな流れが、永く続くとは思えない。
 

 


 

 

 

 

二宮金次郎七代目の子孫が来鈴

2011-10-23 11:40:10 | アズワンコミュニテイ暮らし
 何カ月か前、二宮金次郎の七代目の子孫の講演会を鈴鹿カルチャースステーションで開催する
という企画が片山弘子さんや元鈴鹿市議の杉本信之さんの間で立てられた。 
 そのうち、
  「二宮金次郎の人づくり人育て
     ――二宮金次郎の七代目が語る講演会   中桐万里子」
というリーフレトが出来あがった。
 七代目といったら、どんな人かと思いきや、写真を見たら若い女性の方だった。

 講演会は、10月22日(土)午後から。
 中桐万里子さんは、アズワンコミュニティーがどんなところか、直に触れてみたいということで、
前日の昼前、鈴鹿の地にやったきた。

 10月21日午前10時45分、関西線亀山駅に迎えに行く。
 改札口にあらわれて、すぐこの方だなと直感した。背がすらっと高い。
 その日、軽自動車で迎えに行った。
 中桐さんは、すこし窮屈そうに車内の人になった。

 鈴鹿ハイツにあるアズワンコミュニティーのゲストハウスにお連れした。
 片山弘子さんとぼくで受け入れをさせてもらう。


 
 中桐万里子さんから、名刺をいただく。。
 名刺には、京都大学博士(教育学)とあった。
 右下には、
 「親子をつなぐ学びのスペース  リレイト」
とある。
 二宮尊徳の七代目といっても、農にかかわっているのではないらしい。
 むしろ、子どもの教育にかかわっておれれるようだ。

 子どもの教育といっても、どちらかというと、その子の親ごさんや学校の先生の
相談にのるのが、一番やりたい分野なのだそうだ。
 「リレイト」という相談室が京都市内にあり、そこに実際的な悩みをかかえる親子が
訪れてくる。親は親だけで中桐さんが面談し、子は子だけでスタッフが面談するという
方式で、ある期間相談を受けるのだそうだ。
 一件ごとに個別具体的なテーマがあるし、成果も見えにくい面があるようだ。
 でも、彼女は時流に乗って行くことより、彼女が本質的だと見極めているところに
一直線に向き合っているように感じた。

 詳しくは、「リレイト」のホームページをみてください。
 ご本人は、「分かりにくいと言われていて、変えたいけど、まだ手がついてないんです」と
いっておられましたが・・。
 http://web.digitalway.ne.jp/users/relate/index.html

 

 昼食のあと、見学コースの一番目、鈴鹿カルチャーステーションに移動する。
 この時から、杉本信之さんがやってきて、中桐万里子さんとコミュニティー見学を
いっしょにした。
 杉本さんは、二宮尊徳が大好きで、それが縁で中桐万里子さんを知ることになった。
ほんとに、どんな出会いが起こるのか、不思議なものだ。

 鈴鹿カルチャーステイションでは、中島実延さん、岩田隆さんが受け入れてくれた。
 コミュニティマップを見ながら、ステーションの案内をしてくれた。
 中島さんは、どうしても子どもを”てっらこや”などで受け入れている話に熱が入る。
 岩田さんは、画廊で作品が出来上がるときの内面の動きを語っていた。
 中桐さん「そうですよ、文章を書くときも、あらかじめこうなると描けてしまったら、面白く
なくなりますよね」
 なんか意気投合している感じ。


 アズワンカンパニーでは、野尻四郎さんがその成り立ちとか、なにを目指している会社か
案内してくれた。
 話し合える人になることを大事にしている。サイエンズスクールの合宿セミナーには
なにをおいても、参加できるように、みんなでしている。
 会社がはじめから社の方針とかを打ち立てて、組織立って設立されたというより、それぞれが
いろいろな分野でやり始めたことが、10年掛かって、ここまで来ているという話に興味をもたれ
たようだ。
 
 

 まちのはたけ公園は、小林耕一くんが迎えてくれた。
 「ベジコミ」とか「地域通貨リンカ」とか、「リンカショップ」とか、すぐに理解し難い
言葉が出てきた。
 でも、このはたけは、何人もの人が、それぞれ好き勝手に、じぶんの出来る範囲で、
実力に応じて、野菜を育て、コミュニティーの「リンカショップ」に出しているらしい、
それが実際に行われていることは、なんとなく感じておれれるようだった。


 おふくろさん弁当の店では、白川玲子さんが店頭に出てきて、話をしてくれた。
子育てしながら、働いている実際が案外楽ににやれているようだ。
 「リンカ会員は、お弁当は全額リンカです」と言って、玲子さんがその日リンカで持って行った
人のリストを見せてくれた。


 「お肉とやおやの店」では、竹本広さんが「ベジコミクラブ」からの野菜と、お店と、
コミュニティーの人たちの間柄の説明を、かなり熱心に丁寧にしてくれた。
 万里子さん「そうかあー。リンカとういうのは、円のように貨幣とういう形はないんだあ―、
それなら分かるような気がする。コミュニティーをつくっていくとういうのが元にあるところから、
はじまっているのかなあ・・すごい!」
 「思っているだけでなく、こうして形にしてしまっているところがすごい!」


 このあと、鈴鹿カルチャーステーションにもどって、中島さんから、この夏”てっらこや”に
参加した子どもたちの様子を写したビデオを見せてもらう。

 NPOサイエンズスクール鈴鹿の事務所を訪れた。
 竹本美代子さんが応接室に案内してくれた。
 中桐さんは、アズワンカンパニーとスクールの関係が分かってきたようだ。
 この間、ぼくは席を離れていたが、
 「会社から行かされてとうことは、ないんですか?」
 「何回も1週間もの合宿コースに入るのは、どうしてできるのでしょうか?」
 「繰り返し参加する人は本人は、どんなところを思っているのでしょう?」
 いろいろ質問があったらしい。
  そういうことが、実際にできているというのが、{すごい!」と美代子さんは聞いたようだ。

 夜は、夕食から、何人かで懇談する時間をもった。
 6時ごろから、10時まであっという間だった。

 万里子さんからは、どんなテーマであっても、彼女なりの視点から、彼女自身の実例をともなって、
彼女の実感を聞くことができた。彼女のこころのなかで、身になっているところからの言葉があふれる
ように語られた。
 今になって、その時の場面を思いだしてみると、残っているのは、
 
 「じぶんが研究テーマに選んだ臨床教育学と二宮金次郎の思想や行いがなぜ、つながったのか?」
 「大学院での研究活動は、もういいと思って、たまたま教育相談の活動をはじめることに
なってしまったけど、やってみて、お金にはならないことも身をもって知った。それでも、なんとか、
あまり世の中では知られていない臨床教育学の分野で、具体的な親子のテーマに取り組むところから、
未来をみていきたい」

 という熱い気持ちだったように思う。

 サイエンズ研究所の話題の際も、
 「研究に関心のある実践者と、実践に関心のある研究者のコラボレーションが理想ですよね」
 と、表現されていた。そこには、なにか裏打ちを感じた。
 
 このへんのところは、またいつか、<つづく>ということで、間をおいてみるかな。
 翌日の講演会の様子も、紹介できたらなあ。                 (つづく)


 

 
 



 





 



 

 

コロッケが無性に食べたくなる時・・

2011-10-22 17:17:43 | アズワンコミュニテイ暮らし
 何の脈絡もなく、ふとコロッケを食べたくなる時がある。
 最近も、ムラムラと食べたくなった。

 じゃあ、どこで食べられる?
 コンビニにはない。大型のショッピング店は・・?
 たしかに、コロッケは置いてある。でも、大抵はもう冷えている。
 トレーに入って、ラップもしてある。
 受け取るのにレジで並んだり、ただコロッケ一個にかぶりつきたいに、
大仰な手間がかかる。

 それでは、アカンのだ。
 肉屋さんのコロッケが食べたいのだ。
 「ちょうだいな」と言うと、「あいよ」とその時揚げてくれるコロッケが
食べたいのだ。
 まだ、ジュジュジュと音がしている。
 薄い木の皮の上に載せてくれる。
 「ソース、かけるかい」「うん」これがいいのである。
 一個、5円。遠い昔のこと。
 そんなコロッケあるなら、100円ぐらい出してもいい。

 ホクホク食べたコロッケのなかに、肉の形はない。
 「肉なのだろうな」というような粒々はあった。
 噛み切れなくて、口に残るものもあった。
 それだけでは使えない肉片とスジをミンチにしたのではないか。
 それが、ジャガイモと絶妙のコンビネーションで、旨かった。
 揚げる時の脂も、もしかしたらラードではなかったか。

 お肉屋さんの味がするのだ。
 それぞれのお肉屋さんでちがうのだ。
 それは、作る人がちがうということだ。

 いつからか、街からお肉屋さんが消えっていった。
 あつあつコロッケが食べられるお店がなくなった。

 我が家のコロッケも、もちろんおいしい。
 でも、お肉屋さんのコロッケも捨てられない。

 自分でも根拠はわからないが、
 食品を大きな工場で作り、それを大きな企業が”安全”に”安全”を重ねて
大量に販売するというシステムが、未来永劫そういうもので進んでいくのだろうか?

 
 なにか、こんな流れがずっーと続くとは、想像できない。

 お肉屋さんが復活するような時代、社会が再びやってくるだろうか?
 それはわからないけど、いまの流れが続いて行くとは描けない。

 全国とか、ある地域全体にとかいうと、ちょっと負担感がでるが、
 じぶんの身の回り、出来るところから、というのではどうだろうか。

 そういえば、ご近所に”お肉とやおやさん”という一風変わった名前のお店がある。









ちょっと先の話になりますが・・・

2011-10-22 17:03:20 | アズワンコミュニテイ暮らし

11月12日午後1時から、”エコチャレンジセミナー”
 特別報告会「東北から ドイツから そして私たちのまちを考える」
企画が、鈴鹿カルチャステーションであります。
 詳しくは、下記ホームページをご覧ください。
 http://www.scs-3.org/
この日報告してくださるのは。
 須藤隆一氏        NPO環境生態工学研究所ETEC理事長
              東北大震災による瓦礫処理の全体を総括している。
 
エクハルト・ハーン氏   元ドイツ・ドルトムント大学空間計画研究所所長
             ヨーロッパ各地の環境調和型のまちづくりにかかわる。

 内藤正明氏        滋賀県琵琶湖環境科学研究センター長
              NPO循環共生社会システム研究所(KIESS)理事長

その他にもETECの研究者による東北の実情報告、今後の実際的な展望も語っていただきます。

鈴鹿の地に、これら研究者の方々が一堂に会することになります。
この集いでは、ただ報告を聞くだけでなく、講演のあと、講師の方々もふくめて、
 “ワールド・カフェ”
も織り込んであります。
 参加者の人たちと研究者の人たちが、それぞれの問題意識を受け止め合いながら、
それぞれの人、地域で何を考えていけばいいか、話し合いができます。
 先ずは、お知らせまで。