3、誓子句碑巡り
とくに俳句に関心があるわけでもなかった。
2000年ごろ、伊勢神宮前のおかげ横丁をぶらぶらしていたら、
誓子という看板が目に入った。何か展示館のようだ。
「これ、何だろう?」
好奇心で入ってみると、山口誓子という人の俳句が展示されていた。
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よく分からなかったけど、句を読んでみて、何か印象に残る
ものがあった。
自註つきの「山口誓子集」という本まで買っていた。
三重県のあちこちに誓子の句碑があると聞いて、句碑を探しにいくことに
熱中したことがある。
山口誓子は肋膜炎の療養の為に昭和16年から28年迄の12年間、
三重県の四日市市富田、天ヶ須賀海岸、そして鈴鹿市白子の鼓ヶ浦に
居住していた。
何年か前も、鈴鹿の白子海岸に誓子の旧居があると知って、見に行った。
堤防沿いの道を何度も行ったり来たりした。
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家があると思い込んでいた。何回目かに、堤防の下、浜辺に
「誓子旧居跡」という立て札を見つけた。
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今どき、浜辺の堤防の中に家が建っているなんて、ありえないよな、
と思った。
その日は、まっすぐ白子の海水浴場の入り口前にある舞子館に
行った。
ここに、誓子の句碑がある。
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一湾の潮しずもるきりぎりす 昭和24年
<誓子自註>伊勢湾の全体の潮がしずまりかえっていた。
その海のほとりのくさむらに、きりぎりすが鳴いていた。
大きな潮のしずまり、その近くでなくきりぎりすのかすかな声。
伊勢湾の海。その広さ、深さ、奥深さ。
身近には、きりぎりすが鳴く声がかすかに聞こえている。
誓子は戦時もここに暮らしていた。敗戦のあと、この海を眺めながら、
どんな感慨が去来していたのだろう。
舞子館から、子安観音寺のある寺家町に行く。
子安観音寺の駐車場に車をおいて、街歩きをした。
街のなかにいくつもお寺があり、それが町並みのなかにしっくり
溶け込んでいる。
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西方寺の境内に誓子の句碑がある。
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この句が好きだ。何度読んでも、なにか深い感興が湧いてくる。
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海に出て木枯帰るところなし 昭和19年作
<誓子自注>木枯は、山から吹き下して、野を通り、海に出ると、
行ったきりで再び日本へは帰って来ない。
日本の木枯は日本の国籍を失ってしまうののだ。
この句について、ある人が書いている。
「軍も遂に特攻隊や回天といった人の命を犠牲に攻撃をする手段を
とり始めた(特攻隊が始めて出撃したのは昭和十九年十月)。
優秀な若者達は行きの燃料しかない戦闘機に乗り、米艦隊に向かって
突っ込んだり、墜撃されたり、燃料切れでその命を散らしたのである」
誓子が、そういう実際を念頭において、作句したかどうかは、あくまで
推測に過ぎないという。
この句を読むたびに、そういう背景の重みが浮かんでくる。
今の日本が、またしても、そんな方向へ舵をとりはじめている。
西方寺の境内は、誰もいない。しばらく、鐘楼の石の階段に
腰掛けて、一服した。シーンと耳鳴りがするようだった。
子安観音寺の山門には「あ」と「ん」の仁王さんがいる。
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なつかしい。子どものころ、わが家のすぐのところに曹洞宗の小さな
お寺があった。山門に仁王さんがいて、そこは遊び場の一つになって
いた。
「あ」の意味も知らず、「ん」のことも分からなかったが、仁王像は、
おっかないけど、近しい遊び仲間のようだった。
あの表情をまじまじと眺めていたな、と思い出した。
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子安観音寺の境内にも誓子の句碑がある。
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虹の環を以って地上のものかこむ 昭和25年
<自註>虹の輪が半円を描いて懸かっている。
その輪の下に地上の一切のものが包括されている。
それを逆叙すれば、虹の輪で地上のものをとりかこむのだ。
ふだん自分の立ち居地そのままで、見えたものを捉えている。
そして、その見えたもの、見たものをそうだとしている。
じっと、虹を見上げていたら、こういう世界も浮かんでくるのだろうか。
4、寺家路地歩き
寺家町は、昔ながらの街並みが残っている。
西方寺の外壁を歩いていたら、赤い実をつけた枝が道に少し
はみ出していた。
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赤い実って、サクランボじゃないかな。
手を延ばしたら、摘むことができた。
一瞬、背後に誰かいないかな、という感じで、採って、口に入れて
みた。ほの甘い。(そんな表現があるんかな)。サクランボだ
種をどうしよう?
見ると、道に種がたくさん落ちている。
ああ、同じことをしている人たちがいるんだあ。
すこし、目立たない脇に捨てて、行こうとしたけど、いたずら心が
むくむくとして、もういちどサクランボを採った。
この感じ、この感じ。他人の庭の石榴やイチジクを採って、食べるとき
の感じ。見つかったら、どうしよう、でもやめられない。
6年前に来たとき、「銭湯」という文字がついている建物に出会って、
「なつかしいなあ」と思った。
実際は、もう止めているらしい。入り口脇に車が置いてあったので、
人は暮らしているのだろうと思った。
今回、その前を歩いたんだけど、6年前と同じ印象を受けた。
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裏には煙突があった。
銭湯の姿がそのまま路地に残されてある。
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子どものころ、商店街に住んでいた。
わが家の前が銭湯だった。
銭湯に行くときは、パンツ一枚で走っていけた。
裏には木切れ置き場があり、記憶では子どもたちの遊び場の一つ
だった。小学校1年生ぐらいまでだったと思う。裏から男湯でも
女湯でも、遊びの勢いで出入りできていた。よくぞ、追い払われなかった
もんだ。
ああ、銭湯はなつかしい。
いまの時代でも、わが家の風呂とは別に、こういうお風呂があっても
いいなあ。
スーパー銭湯というより、なんというか、もう少しこじんまりしたもの。
玄関脇に「考える人」のような人物像が目に入って、ギョッとした。
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その人は花に囲まれて、何かを考えていた。
この家の人に、彫像づくりを勉強していた人がいるのだろうか?
細い路地に入る。
ブロック塀のところに、丹精に手入れされたツツジの花が見事だった。
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板張りでつくってある外壁の家の横を歩く。
板には、なんという塗料かわからないけど、黒い塗料が塗ってある。
家の板の壁に沿って、歩いていくと、途中少し広い路地に出て、右に
曲がって、それからけっこう、それが続いた。
「わあ、大きなうちなんだあ」
何を基準にそう言っているのか、そんなことが出てきた。
「板で外壁の家を維持管理するのは、何かそうしたいという
ようなこだわりがいるだろうな」と、余計なことを思った。
路地から離れて、近くにある公園に行った。
家族連れでソフトボールやっていたり、草野球チームが練習して
いたりした。
5月の太陽の日差しはやさしい。
でも、歩いて身体がほっててきた。ベンチに座って、ぼんやりする。
公園の北の端に赤い半てんを着た十人以上の若い男女が何か
している。
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じっと見ていると、踊りの練習をしているみたい。
そういえば、鈴鹿や津で、夏”よさこい祭り”というのがある。
この街にそんなに若者がいたんだっけ、とびっくりするほど、子どもや
若人が集まってきて、夢中で踊りを披露してくれる。
そのためなんだろうか?
もし、それに向けてなら、こんな地道な時間をみんなでともにしてるん
だなあ、と新鮮だった。
この街歩きを始める前、いまの日本は気づかれないように戦時色に
染まり始めているという、頭のなかの世界が、まてまて、じぶんの
意識になくとも、日々、時々刻々、生きられている実際があるんだろう
と帰りながら思った。
(おしまい)