かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

淵源からの光

2013-04-29 19:01:39 | わがうちなるつれづれの記

 音楽とは無縁だとおもってきた。

 

 4月の中頃、いつもながらテレビのチャンネルをいじっていた。

 全聾で酷い耳鳴りを抱える作曲家がカーテンを引いた暗い

部屋で帽子を被り、サングラスをかけて、楽譜に音符をのせて

いた。

 テレビの語りから、「音が聞こえないので、以前記憶に刻まれた

弦楽器(なにか、聞いたけど忘れた)をもとに、ほかの楽器の

音の記憶を重ねあわせて、一つひとつ楽譜に書き込んでいく

作業を積んでいく」と聞いた。

 作曲家の名前も、はじめ分からなかった。

 「さむらこうち」耳慣れないので、ピンと来なかった。

 

 東北大震災で被災した小学生の女の子に出会い、その子の

ために「レクイエム」を作曲するストーリだった。全身全霊で作曲

にあたっている映像が印象的だった。

 「一人の人のためにしか、できない」という気持ちだった。

 

 この番組のなかで、「HIROSIMA]という交響曲があることを

知った。

 友人にネットで調べてもらい、早速手に入れた。

 その後、1週間の合宿セミナーに参加した。

 帰ってきて、一人でそのCDを聞いた。

 妻はもう聞いたという。一人で聞く演奏会だった。

 

 音楽に無縁の自分が1時間余、「HIROSIMA」の

音の響きのなかにいた。

 耳から入ってくる音響は、じかに心に、心のなかを

満たしていく。しかも、どこか開かれていく感じがない。

 時に黒い雲が盛り上がり空を覆うようなおどろおどろ

したものに遭遇しながら、どこまでもじぶんの内面が

どこまでも澄んでいこうという、そういうもののなかに

いる。

 

 どこか、陽光かがやく世界を志向しはじめる。最終章で

そんな方向にむかっているかに感じたけど、流れは

どこまでもどこまでも透明に澄んでいこうとするもので、

区切りになったように感じた。

 

 1週間の合宿で、じぶんの内面をずっと観てきたときの

ことが蘇った。

 全身よろこびのうちに生を受けたじぶんがどうなっていったか?

 「さむらこうち」さんのような、肉体の障害に見舞われたわけでは

なくとも、心の底から湧いている健康正常になっていこうという、

いわば淵源からの光を、遮るようなこころの働きを当たり前に

してこなかかったろうか。この光は観ようとしなければ、観えない。

 

 「さむらこうち」さんは、作品はこの人でなければなしえないもの

だとおもった。

 内面の、底の底を観ていくのは、観ようととしたら必ずだれにでも、

観えてくるとおもった。

 そんな希望を「HIROSIMA]は、ぼくらに齎してくれているように

感じる。

 

 ネットで、こんな動画を見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=iLQUd0hDyZ0

 

 佐村河内守さんは、様々な障害をもっている。

 少年期からそれはあらわれてきた。

 33歳で映画『秋桜(cosmos)』の音楽を手がける。

 このとき、左耳は聴力を失っていた。

 35歳のとき、『鬼武者』のための音楽を作曲し始める直前に

聴覚を失って全聾となる。

 『鬼武者』完成後、自らの聴覚障害を初めて公表。

 長らく聴覚障害を隠していた理由について、自身は「耳の

不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。

それだけはどうしても避けたかったのです」

「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」

と説明している。


 誰でも、カラダの障害でなくとも、周囲環境にかかわりながら

現象面では、その人にしかわからないような苦難をかかえて

いるかもしれない。

 人に内在するものの、尊さをおもわざるをえない。

 そこを切り開いている人たちに脱帽する。

 

 

 

 


幸福について

2013-04-27 15:42:59 | アズワンコミュニテイ暮らし

 4月21日から、今日(27日)まで、サイエンズスクール鈴鹿の

「人生を知るためのコース」という合宿のセミナーに参加して

きた。

 66歳になって、こんなこと考えるのは手遅れという気持ちも

ないわけではないが、いのちある限り、こういうことについて、

じぶんのなかも含めて、しらべらるのは仕合わせとも感じる。

 今回で「人生を知った」わけではない。

 「人生を知るためのポイント、どこに焦点をあてるか、そこを

じっくり検べた。今から、はじまると感じている。

 

<感想、つれづれ)

 咳が出る。カラダがだるい。目蓋のあたりがドヨンとしている。

 お医者さんからは「風邪です。そのうちよくなります」と聞い

ていた。

 コースの間、検討会と食事とお風呂、ときどきの散歩以外、

ほとんど目をつぶり、横になっていた。夜も意識がさめるときは

あるけど、ずっと目を閉じていて、いつのまにかまどろんでいる。

 まどろんでいるのが不快でない。目を開けるのが大儀で、閉じて

いると楽。

 5日目ぐらいから、目を開いていて違和感がなくなった。

 検討会は、結構起きておれた。

 

 昨年暮れの心臓がとまったときのこと、何回もおもいだした。

あのときは、息をすることさえ、他の人や機器の手助けで、

やっと生きていた。すべて周囲の人にやってもらって、じぶん

のやることといったら、”生きている”ことだけだった。

生きている!そのことだけでよろこびがあった。

 あれから5カ月。

 どこかに「なるべく人にたよらないで生きていこう」という

おもいで暮らしているのを感じる。

 妻が内観で1週間不在のとき。

 はじめ、そのおもいではじめたが、そのうち「早く帰って

きてほしい」となってきた。

 「人にたよらないで」というおもいって、なにか無理がないか?


 じぶんとは、どういうものか?

 人とはどういうものか?

 じぶん一人では生きてはいけない、とかわかったよう

なこといってはおりますが、「そう、おもっている」だけでは

ありませんか?

 実際を”知って”の上のことでしょうか?

料理をじぶんで作って食べた、といっても、ただそれだけの

ことで、「たよらずに暮らせたなんて・・・」

 

 「受けて喜ぶ」

 このことが、じぶんのこころに入ってきたときがあった。

 「じぶん」「じぶん」って、いってるけど、じぶんという

のは、受けて、受けて、受けて、そうしてやっと生きられている。

そのことを、そのままうけとることができたら、喜びが自ずから

湧いてくるのではないか?

 

 何をじぶんとしているか?

 じぶんの人生を語る、を発表した。あとで検討してみると、

じぶんがおもってしたこと、やっておもったこと、をいろいろ

おもいだしながら表現している。

 おもったこと、やったことが、人生なのか?

 

 じぶんは、人は、たしかに何かをしたり、いろいろあらわしたり

している。それはそれとして、そうあらわれてくるもとの、こころの

なかで、どんなことが起きているのか、こころの実際はどうなって

いるのか、そこには焦点をあてていないことに気づいた。

 そこをずいぶんじっくり観ることができた感じがある。

 人にはこころがあって、そこで起きたことがあらわれてくるのだろうが、

おもったことの、そのもっと底にあるものを、観ようとした。

底が観ようとしても、観えない。観えなくても、観ようとした。

 

 劣等感について、はじめて、じぶんと向き合った感じがした。

 子どもの頃、我が家がガラクタが積んである家、両親が

時代にのりおくれ変人、それがはずかしかった。

 そういう思いかたというのは、暗い、いやな感じ。

 そういう気持ちを直接、父や母にあらわしたら、向けられた

父や母にいやなおもいをさせたのはもちろん、じぶんも

あとでとりわけ自己嫌悪に落ち込んだ。

 そういう劣等感から生じるいやな感じを人生を深く感じる糧ぐらいに

思いこもうとして、取り繕ってきたんじゃないか、と見えてきた。
 
 

 じぶんの心の底にあって、周囲環境、かかわった人、状況は

ちがっても、絶えづじぶんであろうとするもの、じぶんがこの

世に生をうけて、一貫してなにかになろうとしている、そういう

ものが実在しているのかもしれない。

 それを表現したら健康正常になろうとするはたらき。

いやな感じというのは、このはたらきがあるから、じぶんの

こころのなかに起きてくるのではないか?


 

 カラダの変調には、気付きやすい。

 こころの変調には、関心がいきにくい。

 こういうもんだ、として、こころになにが起きているのかさえ

見ないこともおおい。見ても、そこから逃れる、対処をかんがえ

てきた。それが、あたりまえだった。

じぶんというとき、人というとき、カラダの健康はもちろん

大事だが、こころに健康正常になろうとするものが、実在

しているとしたら、それがさまたげられているとしたら、

それをこそまっさきに取り除くということになるだろう。

 

 安心。

 受けているじっさいを知ったら、よろこびがわいてくるだろう。

 心が豊かになったら、こころに満ちてくるものがあるだろう。

 人の成長とは、こころがゆたかになっていくことではないか。

 じぶんのなかにあって、なっていこうとしているものを知ること。

 

 幸福は、他から何かをもってくるとか、こころのなかの

足りないところを、なにかで満たそうとするとかではないらしい。
 
 じぶんのなかにある、人のだれのなかにもある、健康正常に

なろうという働き、これが当たり前の姿として、はっきり知ること。

幸福とは、人生の健康正常な姿、それで当たり前のこと。

 

 カラダも66年の間に、現れているものは、いろいろ変わって

きている。カラダに機器を埋め込んだ。それでも、なにかになろう

としているものがあり、それになっている。

 劣等感で自他を苦しめ、迷惑もかけてきたが、幸福のなんたるか

を知ったいま、そこがじぶんのなかにも、社会のなかにも、無いのが

当たり前。

 

 知る、というのは観るというところからはじまり、知性のはたらき。

 「私の人生はなにをしようとしている人生か?」

 知性を使って、どこまでも幸福を実現していこうとすること。

 当たり前の姿を昼の世界にはっきりさせて、やれるところから、

幸福になるように、そうなるようにやればいい。


 
 じぶんのなかに、もやもや、いやな感じがでてきたら、

「当たり前の姿になること、どっかで邪魔してないかい?」と

じぶんのなかや、周囲環境のなかに、そうなっていかない原因は

ないかとしらべ、知的に検討して取り除いていく。

 不幸な人が一人でもいたら、じぶんの健康正常はないように

おもう。「なんとかならないか」というものが、わいてくる。

 

 社会の当たり前の姿も、知的に調べていきたい。

 当たり前の姿になるのが、楽で安心だとおもう。

そうならない原因を見つけ出し、取り除いていきたい。


 
 ずっと、じぶんのなかを、人というものを、調べてきて、

今思うこと。

 「おもう」が「そうだ」になりやすい。

 ・・・それでもひとともに、なけなしのもをはたいても

幸福を実現していきたい。

 今から、はじまるか・・・


 





長屋暮らしにも春

2013-04-18 08:06:17 | アズワンコミュニテイ暮らし

 長屋暮らしといっても、薄壁で仕切られた平屋の長屋で、

八つあん、熊さんが共同生活しているイメージではない。

 

 それぞれ、鈴鹿の街のあちこちのマンションやアパートで暮らして

いる。

 栗屋さんは、お弁当屋さんで働いている、街のなかといえども、

季節ごとに、なにがどこで採取できるか、よく知っている。街の

縄文人。

 弘子さんは、京都に宗家がある茶道の師匠さん。持続可能な

共生社会の研究もしている。

 雄一くんは、体調を崩して農場などでぼちぼちやっている。

 博也くんは、名古屋大学大学院物理専攻の研究者だ。

 もうひとり、人生を探究して、部屋に籠っている青年。

 

 毎週、火曜日と水曜日は、その面々が晩ごはんをわが家に

食べにくる。

 火曜日は、栗屋さんと雄一くん。

 水曜日は、弘子さん、博也くん、雄一くん、来れるときはその青年。

 

  昨夜は、鮭のちらし寿司だった。妻小浪が腕をふるった。

 ちらしの鮭は、甘鮭のカマをスーパーで半額で手に入れた。

 筍とわかめの煮物・・・ 筍は栗屋さんと高崎さんから届いた。

           大皿に盛られた。ダシがよくきいていて、うまい。

 タラの芽の天ぷら・・・ 栗屋さんから。

 にらのおひたし・・・にらは、わがはたけから。春の新芽を摘んできた。

           煮切り酒と醤油のひたし汁をかけた。

           つい「醤油!」と言いたくなるが、食べると美味。

 椎茸のバター焼き・・・椎茸は、里山男の高崎さんからの届きもの。

 若竹汁・・・・三つ葉を添える。栗屋さんがどこかで摘んできた。

        

 昨夜の晩ごはん、 持寄りの食材で、なんともいえない旬の味。


 みんな揃って来ることはない。

 昨夜は、弘子さん、一番のり。「ああ、疲れた。夕方になると

しんどいのよね、最近」

 つぎは、雄一くん。農場から。

 博也くんは、8時過ぎて、名古屋の大学から到着。

 一人で食べることに。

 用意したものは、ほとんど平らげた。

 


 お茶と羊羹を部屋のあちこちで、めいめいの格好でいただく。

 「巨人がきょうも勝った」ぼくは、すごく睡くなっている。

 一人、早々と寝た。

 

 そのあとことは、知らない。

 小浪によると、弘子さんは雄一くんに手伝ってもらって、足湯を

していたらしい。整体の先生に雄一くんが相談して、そうなったらしい。

 博也くんは、ゆっくり食べて、そのあとテレビ映画を小浪と鑑賞し、

終わってから、ゆっくりお風呂に入って、帰ったらしい。

 

 長屋という場所があるわけではない。

 でも、出入りするこの人たちと関わっていると、ほっこりした気持ちに

なる。

 ふつうの人たちといえば、そんな感じがするけど、変人たちといえば、

それぞれあらわれ方が個性的な感じがする。その人、そのままに、

あんまり遠慮気兼ねなく振舞っている。

 

 後片付けも、「やってほしい」と妻がいうと、返事はないけど、

気がついてみると誰ともなくやっている。妻が一人でやっているとき

もある。

 

 あんまり晩ごはんが美味しく、春を感じたので、ついそこから、

こんな暮らしって、どんなだろうと、振り返ってみた。

 これって、長屋暮らしの一コマとも、みえるんじゃないかな、とおもった。

 親しくしよう、とか、つながっていこうとか、無理な努力をお互いに

しないで、じぶんをまずオープンにしてみたらどうなるか?じぶんの

なかにも、隣の人にも、守るものが無くなったらどうなるか?そんな

好奇心で、お互い囲いのない人に成り合っていく、そんな試みって、

なんか簡単そうにおもうんですが・・・・


 

 

 

 


 

 

 


へのへのもへじ系図

2013-04-15 08:57:44 | 家族あれやこれや

 わが孫娘、「おじいちゃんのお父さんの眉毛って、への字?」と

ひょんな時に聞いてきた。

 「うん、そうだとおもう。あとで、写真みてみるか?」

 「うん」

 孫娘は、それだけのことだった。

 

 あとを引いたのは、ぼくだった。

 わが一族の眉毛のカタチをたずねはじめた。

 

 まず、親父とじぶん。

 4、5歳ごろ、親父と熱海に行ったこと覚えている。

 への字親子と見える。

 

 この写真を見つけたら、おふくろの珍しい写真を発見。

 おふくろは、親父のガラス屋を手伝っていた記憶があるが、

背負い板のおふくろの姿、はじめて見た感じ。

 鶴見の総持寺の境内みたい。

 

 祖父の眉毛は、どうか?

 たしかに、そう言う感じ。

 

 祖母は?

 これはこれは、記念すべき写真。戦時中の婦人会。

 祖母は左端。旗を持っている。

 への字眉だ・・・しかも、キリリとしている。

 

 どこかで、への字眉はおっとりして、おとぼけの表情を

イメージしたきた。

 

 試みに、への字眉の人相占いを見てみると、意志が強く、

どちらかというと、頑固っぽい、イメージ。そうなんか・・・

その当時の祖母は、どんな気持ちだったんだろう?

 

 親父は、その父母の息子であり、ぼくらは、その人を父として、

母から生まれた子どもたちだ。

 ぼくが、中1のときの、家族写真。

 この写真は、どうみても”へのへのもへじ”一家みたい。

 

 この次男坊が自分。

 27歳で結婚して、男の子と女の子をもうけた。

 真ん中が、娘とぼく。

 

 右は再婚した妻小浪。

 よくみると、三人とも、への字眉。

 

 息子の写真があまりない。

 いきなり、息子30余歳、ぼくのおふくろの納骨のときの

写真。2003年。

 後列、左から妹・兄・息子・ぼく。

 前列左から、兄嫁・妻。なんとなく、への字一家。

 

 長男が、2008年ごろ、なにを思ったのか、曽祖父の

墓を訪ねたい、といいだした。

 お墓は、尾道の宝土寺にある。

 先祖を訪ねる旅に、妻と息子と娘の4人で出かけた。

 への字の継承者というほかない。

 娘はへの字が大嫌い。高校生のころから、親からもらった

眉毛をカミソリで剃って、眉毛をかいている。

 といっても、その痕跡までは消せない。

 

 娘は女の子と男の子の二人の子がいる。

 2年前、離婚して大阪からぼくらが暮らす鈴鹿にきた。

 孫娘が幼児のころ、娘の幼年時代とそっくりで、ちょっと頭が

混乱した。

 

 左が娘で、右が孫娘。どこか、への字。

 

最近の娘一家。

 

 

 2012年11月末、心臓頻脈で死にかけたあと、九死一生を得て、

無事生き返った。

 への字軍団が病院に見舞い。孫たちは布団ののなかに潜り込み、

ジジを励ましてくれているよう・・・

 

 誰に見てもらうというより、時代や人の生きているとは

どういうことか、おもいを馳せながら、今をおもう。

 

 そうしての今。

 その積み重ねから見えてくるもの・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 こんな社会になった方がよくはないでしょうか

2013-04-12 14:01:46 | アズワンコミュニテイ暮らし

 ふと、何か、「ここはどんな世界?」と問われて、戸惑ってしまう

ような感覚に、一瞬見舞われることが、ときどきある。

 

 近所の中井さん宅で「地域創生みえの会」の立ち上げの会が

きのうの夕方あった。

 4月中旬とはいえ、肌寒い。コタツを囲んで、60前後のおっさん

たちが寄り合っている。おばさんもお一人いた。


 鈴鹿の市街地の隣に、5000坪の農地があり、そこを「はたけ

公園」として、3年ほど描いてやってき人もいるし、最近はたけ周辺

を花園にしたいという人たちもいる。はたけだけでなく、近くの里山

に炭焼き窯をつくり、炭づくりに熱心な人たちもいる。

 お金に左右されないで、人と人がその人らしく暮らせるコミュニテイ

に関心がある人。野菜づくりをするのも、そこを目指している・・・


 「みえの会といっても、会として”こうする”というようなものないし、

規約もないし、会費もない」と中井さん。

 「それぞれが、いろいろなところで遊んでいる、遊んでいる人たちが

いて、なんかでつながっている」

 大平さんは、訳のわかったような、分からないこという。

 「地域再生ではなく、創生なんだ。ぜんぜん、ちがうんだ!」

 「その、ぜんぜん違うという内容を語ってほしいなあ」とぼく。

 「中井さん、そのへん語ってよ」

 「おいおい。そんな肝心のこと、中井さんにふるのかね?」

 


 部屋が少々うす暗くなりはじめていたか。

 女の人と子ども連れの人たちが中井宅の玄関から入ってきた。

 中井佳子さんは、ぼくらがワイワイやっている後ろで、食事の

支度していた。食卓の上には、刻み野菜が入った、大きなボールが

置いてあったり、着々となにかの用意がすすんでいるようだった。

 「そうか、今晩は三つの家族が中井宅で晩ごはんを食べる日だった」

 毎週、「この日かあ」、水曜日。

 話には聞いていたけど、その日に居合わせた。


 背後の様子をチラチラ見たり、話していること聞いていると、

中野さん一家は今夜は家に持ち帰って食べるみたい。

 小野みゆきさんと新高校生の息子と新中学生の娘はお皿に

ご飯を盛っていた。今晩はハンバークの丼風メニューらしい。


 中井宅の食卓は、小野みゆき一家の食卓になっている?

 娘は食べるとさっさと家に帰っていった。

 「ごちそうさま」とかなんとか、なんにもない。当たり前に出て

いった。

 「きょう、あの子、早いね。いつもは、ゆっくりしているのに」と

お母さん。

 (「あれ、ぼくらおっさん連中がたむろしているので、退散した

んかな?」)


 会が終わった頃、若い夫婦中島一家がやってきた。

 小学2年と年長の女の子二人。

 入ってくるなり、年長の娘が着替えをはじめる。

 わが家の如くである。


 その夕方、最近はじまった”美容室ライフ”で散髪の予約を

していた。

 美容室ライフは、中野豪さんが長年やってきた美容の

腕前をコミュニティライフのなかでやってみたいと、言い出した

ところからはじまった。

 豪さんは、日中はお弁当屋さんで働いている。

 美容室は週3回、夕方6時以降。こんなところから、やってみて、

といったところかな・・・

 


 中野さんのとこは、中井宅と30メートルほど離れた一軒家。

 さっき、奥さんが晩ごはんを中井さんのとこから持っていった。

 予約時間が6時半だったので、中井宅から中野さん宅に

行きかけて、ふと、「あれ、どんな世界に暮らしているのか?」

という問いに、とまどったのだった、


 そこでは、お金は要らない。

 中野さんが、やりたいという気持ちの分で、やれるところで

やってくれる。

 そんなこと、実際にあるの?という変な感じが出てくる。

 だって、じっさいあるから、中野さんの美容室に向かって歩いて

いるのではないか・・・


 この美容室はおもしろそうだ。

 女の人の毛染めというものがある。そんなとき、その人の希望で、

その人の家まで出張して毛染めをしてくるという。

 染め上がるまで小1時間かかるところ、家に居れば、それなりに

やりたいことがやれるというわけ。

 出かけていくと、コーヒなんぞ、入れてくれる。

 「こうするもんだ」というのがユルくなると、いろいろできそう。

 

 そういえば、コミュニテイライフストアが最近オープンした。

 贈りものだけのお店。お金、通貨が介在しない。

 贈り物をしたい人が、やれるところから、はじめていく。

 いまは、お弁当屋さんから惣菜、鈴鹿ファームから野菜。

 ぼくら、素人野菜づくり有志も、できたものを・・・

 お昼と夕方、お店が開く。

 レジはないけど、贈り物の紹介をしてくれる人がいて、おしゃべり

しながら、”買い物”ができる。

 

 やれるところから、というのがいいなあ。

 そのときの、ベース。

 ”お金の要る社会のなかで、贈り物をしているのか”

 ”贈り合って暮らすのが人としてあたりまえの姿で、その世界

に立って、、やれるところからやっていくのか?”

 

 「どんな世界で暮らしているのか?」

 じっさいに、社会の仕組みが、その一端からでも動きはじめたら、

個人の内面的なテーマだけにとどまらなくなるのでは・・・


 「こんな社会になったほうがよくはないでしょうか?」

 

 そこを願う人が、そうなるように、そうなれる人に成り合って

いけるように・・・

 

 やりたい人がやりたいだけ、やればいい。

 やりたくない人はやらなくてもいい。

 それぞれ、その人のおもむくままでいい。

 いいというより、それしかない。

 

 じっさいに、そのようにやりはじめた人たちのそばで、

なにか問われるもの、「あなたはなにを当たり前にして

暮らしていますか?」

 

 まだ、ちょっぴり不思議さが起きてくる自分。

 ああ、ほんとうに、なにを当たり前にしてここまで来たんだろう。

 また、これから生きていくんだろう。


 「こんな社会になったほうがよくはないでしょうか?」