音楽とは無縁だとおもってきた。
4月の中頃、いつもながらテレビのチャンネルをいじっていた。
全聾で酷い耳鳴りを抱える作曲家がカーテンを引いた暗い
部屋で帽子を被り、サングラスをかけて、楽譜に音符をのせて
いた。
テレビの語りから、「音が聞こえないので、以前記憶に刻まれた
弦楽器(なにか、聞いたけど忘れた)をもとに、ほかの楽器の
音の記憶を重ねあわせて、一つひとつ楽譜に書き込んでいく
作業を積んでいく」と聞いた。
作曲家の名前も、はじめ分からなかった。
「さむらこうち」耳慣れないので、ピンと来なかった。
東北大震災で被災した小学生の女の子に出会い、その子の
ために「レクイエム」を作曲するストーリだった。全身全霊で作曲
にあたっている映像が印象的だった。
「一人の人のためにしか、できない」という気持ちだった。
この番組のなかで、「HIROSIMA]という交響曲があることを
知った。
友人にネットで調べてもらい、早速手に入れた。
その後、1週間の合宿セミナーに参加した。
帰ってきて、一人でそのCDを聞いた。
妻はもう聞いたという。一人で聞く演奏会だった。
音楽に無縁の自分が1時間余、「HIROSIMA」の
音の響きのなかにいた。
耳から入ってくる音響は、じかに心に、心のなかを
満たしていく。しかも、どこか開かれていく感じがない。
時に黒い雲が盛り上がり空を覆うようなおどろおどろ
したものに遭遇しながら、どこまでもじぶんの内面が
どこまでも澄んでいこうという、そういうもののなかに
いる。
どこか、陽光かがやく世界を志向しはじめる。最終章で
そんな方向にむかっているかに感じたけど、流れは
どこまでもどこまでも透明に澄んでいこうとするもので、
区切りになったように感じた。
1週間の合宿で、じぶんの内面をずっと観てきたときの
ことが蘇った。
全身よろこびのうちに生を受けたじぶんがどうなっていったか?
「さむらこうち」さんのような、肉体の障害に見舞われたわけでは
なくとも、心の底から湧いている健康正常になっていこうという、
いわば淵源からの光を、遮るようなこころの働きを当たり前に
してこなかかったろうか。この光は観ようとしなければ、観えない。
「さむらこうち」さんは、作品はこの人でなければなしえないもの
だとおもった。
内面の、底の底を観ていくのは、観ようととしたら必ずだれにでも、
観えてくるとおもった。
そんな希望を「HIROSIMA]は、ぼくらに齎してくれているように
感じる。
ネットで、こんな動画を見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=iLQUd0hDyZ0
佐村河内守さんは、様々な障害をもっている。
少年期からそれはあらわれてきた。
33歳で映画『秋桜(cosmos)』の音楽を手がける。
このとき、左耳は聴力を失っていた。
35歳のとき、『鬼武者』のための音楽を作曲し始める直前に
聴覚を失って全聾となる。
『鬼武者』完成後、自らの聴覚障害を初めて公表。
長らく聴覚障害を隠していた理由について、自身は「耳の
不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。
それだけはどうしても避けたかったのです」
「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」
と説明している。
誰でも、カラダの障害でなくとも、周囲環境にかかわりながら
現象面では、その人にしかわからないような苦難をかかえて
いるかもしれない。
人に内在するものの、尊さをおもわざるをえない。
そこを切り開いている人たちに脱帽する。