かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

読む(1)「家族の歌 河野裕子・永田和宏・その家族」

2018-01-31 11:20:31 | わがうちなるつれづれの記

(歌人河野裕子さんは、2008年7月、乳がん再発。

抗がん治療をはじめた。

闘病の末、2010年8月亡くなった。

 

短歌のことは、なんの素養もない。

家族が短歌をとおして、言葉にならないけど、こころを

通わせている。

 

関心。2017年心室頻脈で。5月入院した。

すこし安定したと思ったら、12月再発、再び入院生活。

そのときは、厳しかった。

主治医からもし、心室の頻脈とまらなかったら、命にかかわった

だろう、と聞いた。

今回の入院、退院後はつねに吐き気が胸にあり、食欲もでないし、

食事がつらい。息切れ、目まい、立ちくらみも、毎日の所作が

不如意。

腹膜透析をはじめて、それがいつまでも続けられるか。

医師から、6ヶ月から3年くらいかと聞いた。

ガンではないが、河野裕子さんのエッセイを読んでいて、

現象としては近しいものを感じた。

 

 食べることは生きるよろこびと沁みじみす 

              殺して食うことと沁みじみす

(エッセイ)

・・・スーパーに言って食肉売り場に行くのをやめて帰ってくることが

  多くなったが、そんな事いっていると食事が作れなくなる。

   ああ、以前のようにおいしいと言って食べたい。切に思う。

  食べることは、今の私には苦痛になったが、生きるために殺す

  ということの、条理と不条理の間にある答えようもないものの

  深淵を覗く。嗚呼というほか何が言えよう。

 

ぼくの受け取り方。もう先がない命。それを生かすため、他の

命を殺すこと。何も、こんなときでなくとも、日常にあるだろう。

そこから、離れたところで棲んでいるだなあ、振り返る。

 

 

 

 


物に囲まれて

2018-01-27 16:49:09 | わがうちなるつれづれの記

朝,5時に薬を飲む。妻は眠っている。

一人食堂で、しばらく椅子に坐っている。

部屋は静まりかえり、蛍光灯の明かりに照らされて周りに

いろいろ置かれている物がぼんやり目に入る。

ものたちに囲まれて、自分がここに居るって、どんなこと

なんだろう、ふと思った。

 

退院して、もう何日になるだろう?

不整脈はでないものの、常に吐き気があり、それがどういう

ことなのか、ぼくには分からない。お医者さんにどうにか

ならないか、これはどこからくるのか、何度も尋ねたが、

「うーん、心不全からくるもかなあ」

それを、減じる手立ては示してもらえない。

吐き気や息切れなどの現われがあると、長い時間、机の前に

坐っていられなく、ついベットに横になってしまう。

すこしは楽になるから。

こんな状態で日々過ごしている。

ときに、ぼくは自分の捉えた”吐き気”という意識に縛られて

いるんじゃないか、とおもうときがある。

 

朝、周りにあるものたちを一つ一つ見て、これは何だとつぶやいて

見る。

 

 包丁・ペットボトル・急須・箸・計量カップ・湯のみ

 ・コーヒーミル・テープ・ペンさし・カガミ・布の状差し

 テッシュ・箒・かご・紙ふくろ・・・

 ふともう少し、雑貨の周りにあるものに目をむけると、食器棚・

 冷蔵庫・食卓・椅子・窓・カーテン・・・

 

わあ、自分から離れて見てみると、限りなくものたちとともに、

じぶんが成り立っている。

こういうことは、知識では読んだり、聞いたりしたら「そうだよな」と

なるけど、早朝、一人ものたちに囲まれていると、その感がひしひしと

迫ってきた。

自分の捉え方とは別にそのものたちは、そこに存在している。

それだけでなく、自分がこうして生きていられることと、深く

関わっているんじゃないか。

そのものが見えるようになりたい。

 

 


思春期、孫娘の誕生会

2018-01-25 09:54:18 | 家族あれやこれや

 

 

寒波に日本は覆われつつある。

1月23日は孫娘、高校1年の最後の誕生日だ。

妻から、「今日は、ふゆの誕生日だわ」

忘れていた。いつもなら、何日か前から、何かしてあげたい

気持ちになるのに。

 

昼すぎ、娘がわが家にやってきて、炊飯器とすし桶ないかな、と

いう。

娘は、同じマンションの3階、昨年12月、引っ越してきた。

高1の娘と小6の男の子には、いままでのアパートでは、少し

窮屈になってきたためらしい。

娘は「今日は、大阪からパパが来るから、自分ところで、誕生会

するよ。手巻き寿司にするわ・・」

 

ここ2年ほど、大阪のパパが、娘とは離婚しているが、孫の入学・

卒業、運動会、誕生日、足しげく通ってくるようになっている。

娘も、以前はパパが来るときは、子どもには会わせるが、自分は

そのとき、別のところに離れていた。

それが、この数年のうちに、娘と元夫は気持ちの上で、突っ張る

感じが消えて、元夫とみんなでご飯を食べたり、出かけたり

最近では子どもたちと、泊っていっている。

娘も当たり前に受け入れている。

正月休みや夏休みには、大阪のパパのところにでかける。

孫だけで送り出しているときもあったが、いまは娘も一緒に

行っている。

 

この数年で、何かがあったんじゃないか?

訳を詮索しても、「そうか、それだ」と決められるものは

ないように思う。

それでも、アズワンの暮らしにずいぶん助けられてきた思う。

孫たちはパパがくると、甘え放題に甘えている。

そんなことが出来るようになってから、子どもたちが落ち着いて

きたと感じると、娘から聞いた。

たしかに、孫娘にしても、言葉にはならない自分の気持ちを

ママにまともにぶつけてくるようになったみたい。

長く学校に行っていなかった小6の男の子も学校に行きはじめ

仲間(女の子が多いみたいだけど)当たり前に暮らしている。

ママが心から甘えられる存在に変わったのかな。

それまで、子育てに頑張ってきたのかなあ。

 

 

誕生会は、ジジ・ババ抜きである。

いいなあ、と思っている。

それでも、孫娘ふゆに、ジジの気持ちを伝えたくなり

手紙を書いた。

 

「ふゆへ

 誕生日おめでとう!

 もう今度は高校2年になるんだね。

 これまでの、ふゆの成長ぶりを思い浮かべてみると、つい一人で

 ほのぼのとした気持ちになります。

 

 病院に見舞いに来てくれたり、我が家にトイレとか言って、顔を見せ、

 にっこりしたら、おじいちゃんは気持ち弾みます。身体もシャッキって

 する感じだよ。

 

 先週の金曜、夕食のとき、ふゆ宛の宅配便が届いたね。

 ママと名古屋のデパートでやっていた、プロやアマの手作りの工芸展に

 出かけて、「どうしても、ほしい」というメリーゴーランドの作品を、

 そのときはないので、作者のご夫婦が風友のために作って送ってくれた

んだよね。

プロの人ではないらしいけど、丁寧に精巧に組み立てられたメリーゴーランド

は、作者の気持ちが伝わってくる芸術作品だったよね。

作者からのお手紙も入っていて、ふゆのために、非売品だけどとことわって、

精巧な掘り込みが入ったペンダント?も同封されていたね。

 

おじいちゃんはちょっと感動したよ。

精魂こめて作った作者と、それを言葉に出来なくても感受したこころが

つながったんだ、とおもったんだ。

こころは、目で見えない、触れてみることができない、でも。そのとき

実際にあったのは、こころとこころの交流だったんではないか。

こういうものは、お金でははかれないもんだと思った。

 

これから、こういう体験をしながら、人の気持ちが素直に感じとれるよう

葉を伸ばし、蕾をつけ、花を咲かせてほしいなあ。」

 

 

 

          2018年1月23日

           ジジ

 

言葉が踊っている感じもするけど、それが出てくる気持ちがあるように

思う。

孫娘がどう受け取ったかは分からない。

本人自身も、言葉には成らないんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 


国際電話

2018-01-24 09:03:29 | わがうちなるつれづれの記

7,8年前から、ときどき国際電話がかかってくる。

電話はニューヨークから。

かけてくる人物は、いまから60年前、横浜の高校のときの同じ

クラスで過ごした男性だ。

同じクラスとはいえ、記憶ではほとんど話したこともなく、とくに

付き合ったこともなかった。

Nという名前である。

色白で、なにか寡黙な感じだったかなあ。

その彼から、おなじ同級の友人に「宮地の住所と電話知っていたら

教えて」と連絡があった。

なんで、彼がぼくの連絡先を聞いてきたのか、そのキッカケは

わからない。

友人を介して、連絡先を伝えたら、ひょんなときに、Nから国際電話

があった。

なんとか高校時代の彼のこと思い出そうとするが、ほとんど記憶が

出てこない。

高卒のあと、どこに進んだかも知らない。

電話の話から、東京の繊維問屋に進み、途中から伊藤忠商事

の繊維部門の営業になり、その成り行きでニューヨークの伊藤忠

営業部に送り出されたという。そのころ、伊藤忠の繊維部門が縮小

されて、そのあとどんな経緯か分からないが、どうも長年、ニューヨーク

・マンハッタンのスラム街に住んでいるという。

何がなんだか分からない。

そのときも、一人暮らしという。それが楽だという。

マンハッタンの暮らしは、身に危険なときもあるけど、彼には居場所

になっているようだ。どうやって暮らしているのか聞くと、何か

よく理解できなかったが、一人で事業をしてるということ。

 

電話の話は長い。延々とニューヨークのことやじぶんのいまの

気持ちを話してくる。

「なんで、ぼくに話したくなったか」

さっぱり、分からない。

「もう、今日はこれぐらいにしよう」と声をかけて終わる。

その後もニューヨークの新聞や絵葉書や、「こんな本があるけど

読んでみたら」とか手紙が来たりする。

 

最近も、入院中に電話があった。

あまり体調は良くなかった。

彼は、そんなこと分からない。あとから、後から話つづいて

止まらない。すこし、えらいなあと思った。

 

退院して、体調がすぐれず、ベットに横になっていたら、スマホ

に国際電話がかかってきた。

とってみるとNだった。

「どこが悪いの?」

「心臓」

「そんなに悪いのか」

「もう先が見えるくらい」

「病身であっても、100歳まで生きる気持ちでやったほしい」

励ましてくれた。

「いまのやりたいことって、何?」

「世界中のみんなでしあわせになろう、かな」

「それは、ぼくも同じだ。でも、実際を見たら、なかなか難しい」

「いまの世の中をみて難しいというところではやっていない」

このあと、アズワンコミュニテイーのことを根掘り葉掘り訊かれた。

ぼくの方は、息切れがして苦しかった。

途中は、「うん」とか「そうじゃない」とかの応対になった。

ジョンレノンの「イマジン」の歌のこと言った。

「国境や所有もない、君は夢ものがたりというけど、いづれ世界は一つ

になる、この実現のために研究と実践してるんだ」

いま、横になりながら、言葉だけじゃなあ、という気持ちが湧く。

「人類はだれかが考えたことに、そんなフィクションを信じて

国や会社やお金が、実際にあるものと暮らしている。

だから、目の前のことをゼロから見直すなんて、思いもよらない」

「ポイントはフィクションだと、という点をはっきりさせることかな?」

ぼくは、しんどかったがこんなやり取りをNと国際電話で話した。

実際は、いろいろなやりとりがあったんだけど。

「もう今日ほこれぐらいにしよう」とNに伝えた。えにも不思議な

同級生との縁を感じた。

「遺言になっちゃたかなあ」

この言葉、Nに伝わったかなあ。

 

 

 

 

 

 


退院のあと

2018-01-19 14:24:00 | わがうちなるつれづれの記

寒さはいったん和らいだ。

退院のあと、自分の身体に起きていることに、ついていけてない

感じがする。

つねに胸の奥がムカムカしている。病院でも、それを

伝えていたが、心不全が起こす症状の一つという見解だった。

「先ず、不整脈が起きないことが今の治療です」と聞かされた。

不整脈が止まらなければ、死に至るところだった、と。

 

腹膜透析は、一日1回、夕方の4時に透析液1500ccを入れて、夜の

9時に排液する。5時間、腹膜のなかに入れておき、老廃物や水分を

抜くことになるらしい。

いまのところ、1500cc入れて、1800ccから1900cc出ていて

腹膜透析はまずまずのようだ。

 

今回退院して、いままでと違って感じるのが、立ちくらみや息切れ

が普段の暮らしのなかで、顕著になっているなあ。

服を着替えるにも、何回か息をつかないと、着れない。

坐っていて、立ち上がると、何かにつかまって身体を支えないと

次の動きに行きにくい。どうも血の巡りが足のほうにいくのに

時間がかかるようだ。

一番つらいのは、吐き気とともに、食べる際に食べ物が飲み込み

難く、実際には食べ物が出るわけではないが、その度に汁もの

やお茶で流し込む、といった感じ。

食欲そのものが出てこない。

小浪とも話し合い、喉を通りやすいメニューで工夫してもらって

いる。

冷たいお茶や水は、いっとき、胸苦しさ和らげてくれる。

 

実際にぼくの身体でなにが起きているのか。

どうも、心不全状態が相当すすんでいるらしい。

お医者さんでも、どのくらい進んでいるなんてのは、分からないし、

言えないだろう。

 

楽しみは、サイエンズスクールのブログやサイエンズ研究所の

ゼミやサロンのレポートをみることだ。

読んでいて、どういうことだろう、と立ち止まったり、しばらく

考えてたりするけど、どうも頭の世界でウロウロしているようだ。

 

心臓リハビリとして、一日20分ほど、散歩している。

ビヴァホームやベルシテイで、寒さを避けて歩いている。

足を使わないと、心機能も衰えていくらしい。

この先どうなるか分からないけど、しばらくは妻の世話に

なりながら、こんな暮らしかなあ。

 

これまでは人が訪ねてくれると、とても細胞が活発に働く

感じだったけど、今回は1時間も経つと、身体がえらく

感じる。

それでも、ときには話ししたいというのが気持ちだ。いろいろな

人と。

 

いま、感じていることをまとまりなく書きました。

いまは、こんな自分です。