かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

そりゃそうやろう

2011-03-30 16:35:11 | サイエンズスクールのある暮らし
 牛丸くん。「そんなこと、かんがえられない」「ふつうは、早くかえりたいと思うだろう」
 中野豪さん「おでかけのときに、ジャージを着て行くか?」
 ぼく「そりゃそうだよ」「そんなことも知らないの」(雄一くんや小浪から日頃、指摘されている。)
 
 そのほか、「・・・だから・・・・なのだ」「あんなに・・・したのに・・・だ」
 とらえていることの内容は千差万別、深い浅い、広い狭い、暗い明るい、いろいろあってもいいかなあ。また、あったほうがいいかなあ。でも、微妙なところで、そう見たり、見えたりしている、聞いたり、聞こえていることことが、「そりゃそうやろ」の状態からのものに、なっている。愕然といえば、愕然です。
 
 レッスンでは、牛丸くんが、ありのままに、その日起こった、生のこころの状態をだしてくれるので、平穏無事に過ごせたと思っていたぼくのなかに、あとからあとから、「ありゃなんっだったんだろう」と疑問符がぞくぞくとでてきます。「もう、牛丸くんとは、つきあいたくない」でも、次回もレッスンには、出かけていくように思います。

一夜明けて―白子散策

2011-03-30 07:28:47 | 鈴鹿川流域の暮らし
           1、白子漁港
一夜明けて日曜日の朝。3月末。快晴だった。孫の風友(ふゆ)と晴空(はるく)は、ハンターのビンゴゲーム大会に二人して出かけた。小浪と桃子とぼくは、白子漁港にある直売所“魚魚鈴(ととりん)に魚を見に行った。
 10時前、駐車場は車でいっぱいだった。店内も陳列台の前はけっこうな人だかり。ショウーケースに並んだタコのところに“前浜物”という表示があった。店の人に「これ、前の浜でとったもの?」と聞く。「ああ、そうだよ」あちこち、のぞく。“前浜物”は、すくないようだ。

小魚が山と盛ってあるテーブルのところに、はっぴ姿の若い衆がなにかしている。「小女子だね」と聞く。「ええ」と返事。「そういえば、もう小女子漁が解禁になっているんだね」と聞く。「今日は、漁には出なかったんですけど・・」彼は、小女子をパックに入れている。
小女子は、早朝漁に出る。それを水揚げして、夕方まで天日で干す。その間、何回か網の上の小女子を天地返しする。女の人が手際よく、それをひっくり返す様子を見たことがある。
小浪と桃子は、小女子の大きなパックを手に持って、「あとで、分けよう」とか言いながら、レジに並びに行った。



(あとで、“小女子・鈴鹿”でネットを見たら、白子の漁師さんのブログがあった。解禁日を前に試験操業したことが書いてあった。
「今年は水温が低いせいか、産卵が遅れたせいか、あまり成長しておらず。全長も身幅も例年に比べ小さく、冬の厳しい寒さが伺えマス(~ヘ~;) しかし加工してビックリ!痩せて脂を持ってないと思われた小女子ちゃん達ですが、仕上がりの色加減を見ると脂を帯びています(・・;)」)
           
  2、鼓が浦海岸
鼓が浦の海岸を津の方へむかって歩いた。トタンにコールタールを塗った建物が防波堤の海岸側に建っている。小女子の加工場だったらしいが、いまは荒れ果てている。一軒だけ操業しているらしいところがあったけど、天日干しの棚だけがあった。カモメが群れていた。
波は静かに砂浜にたどり着くと、ばんと音をたてて、じわっと砂に滲みていく。カモメが波うちぎわを歩きながら、口ばしでなにかを摘まんでいる。桃子は、「かわいい!」と言いながら、近づく。カモメは一斉に飛び立つ。



鼓が浦海水浴場の海の家の近くに、山口誓子の句碑があった。
  一湾の潮しずもるきりぎりす
自註つきの誓子の本を桃子が声をだして読む。
「伊勢湾の全体の潮がしずまりかえっていた。その海のほとりのくさむらに、きりぎりすが鳴いていた。大きな潮のしずまり、その近くで鳴くきりぎりすのかすかな声」

この句は、昭和24年作。誓子は戦前から戦後にかけ、5年ほど、鼓が浦に住んでいたらしい。
“山口誓子旧居跡”という矢印があったので、堤防沿いの道を南に行った。「あっ、あったわよ」と小浪が叫ぶ。だいぶ通り過ぎた。家を探していたんだけど、じっさいは防波堤の海岸側の松林のなかに、住居跡という木札が挿してあっただけだった。今なら、防波堤の内側に住むなんてことしないだろう。地元の人から、昔は海岸がもっと広かったと聞いた。誓子は、そのときどこにいたんだろう。「大きな潮のしずまり」って、どんなだろう?夜だったか、海の広さ、深さ、底知れなさ・・そこに「かすかなきりぎりすの声」じぶんはといえば、いま、連日テレビの映像に映し出される、東北の太平洋沿岸の海の姿を想っている。
            

3、寺家三丁目
海水浴場の近くに、寺家三丁目というところがある。そこに子安観音寺がある。「行ってみる?今日は(あるいは今日も)ぼくに付き合わせてしまうけど・・」とぼく。小浪と桃子から、反応がある前に、そっちへ向いて車を走らせているので、ついていくしかないという格好になる。
 車を駐車場において、子安観音寺に向かう路地に入る。しばらくいくと右側に大きな木造の家屋があった。正面上に「昭和湯」とあった。いまは廃業しているらしい。この路地が往時、どんなだったか、想像をめぐらせた。


その先、ちょっと行くと、「昭和湯」の並びに、西方寺という寺がある。ここにも、誓子の句碑がある。
    海に出て木枯帰るところなし


 昭和19年の作。桃子が誓子の自註を読む。
「木枯は、山から吹き下ろして、野を通り、海に出ると、行ったきりで、再び日本へは帰って来ない
日本の木枯は日本の国籍を失ってしまうの だ
 桃子から「木枯って、なに?」と聞こえてきた。小浪から「風よ、木枯らしよ」と聞こえてきた。「この句が、昭和19年作で、“帰るところなし”と言っているところがポイントかな」と会話に加わる。「昭和19年といえば、戦争で多くの日本人が戦地に赴いて、帰らぬ人になっている」ともう一言。桃子「ふーん」
 いまだったら、東日本大地震の津波で、万を超える死者。行方不明者が出ている。“海に出て”と“帰るところなし”この言葉で、誓子はどういう世界を見ていたのかなあ。じぶんのなかにはどんな世界が見えてくるだろう。
             
4、子安観音寺
子安観音寺の山門には、「あ形」と「ん形」の仁王様が参拝客を見おろしている。子どものころ、我が家のすぐ近くのお寺にも、仁王様が立っていた。飽きずにその形相を見ていたこと、思い出した。
 本堂の前で、赤ちゃんを抱いた家族連れに会う。正装をしている。本堂のなかでは、6,7人の人たちが観音様にむかって座っている。和尚さんが、紫の袈裟をかけて、座っている人たちになにかしている。
「生まれて、一か月したら、観音様のところにお参りに来るんだよね。桃子もやった。大阪のおばあちゃんがきっちりしてるので・・」と桃子。「そうかあ」とぼく。


 ここにも、誓子の句碑がある。
  虹の輪を以て地上のものかこむ


 どんなことだろう?この句碑の近くにこのお寺の幼稚園がある。その門の左に、誓子の字が刻まれた石碑があった。



虹が懸っている光景が、“観音様の手が合わさっている”と誓子には見えたのか。子どもが 邪気なくこころから安心して育っていけることを願わずにはおれない。子どものころ、どんなに邪悪な気持が起きても、悪さをしても、孫悟空が気が付いたら観音様の掌のなかだったという譬えのように、「おふくろの寛容にはかなわない」といった、そういう言葉にはならないけど、こころの底のほうに、そういう気持があったように記憶している。

 昨夜、身近な人の悲しみに打たれた感じがあった。酒瓶さげて、うろうろした。他人の悲しみといっても、じぶんのなかで、悲しみと感受する元を見ていくことからはじめるのかなあ。
 桃子は境内にある天然記念物の不断桜にメジロが来てる、「かわいい」と騒いでいる。小浪は、花から花へ飛びまわるメジロにカメラを向けていた。












 

 

 

 

 


























































何を聴いているのだろう

2011-03-28 16:32:08 | サイエンズスクールのある暮らし
          
 3月25日夜、日常化レッスン。始まってしばらくして、息子太郎に電話する用事を思いだした。「どうするかな」と考えて、黙って会場を抜け出した。大阪にいる息子と電話で話しをした。
 牛丸さん、その日おふくろさん弁当四日市店で、人との間で、じぶんのなかでおこったことを出していた。大平さんは、妻が腕が痛いというのを聞いて、どう反応したかを語った。玲子さんは、夫とのやりとりのなかで、調べたこと。中野さんも、奥さんとの会話を思い出していた。
 途中、お腹が痛くなった。何回かトイレに行く。
 
  じぶんのなかに、この会に来る前、晩ごはん食べながら、妻と話をしたことが出てくる。
 小浪「日常化レッスンって、何時に終わるの」
 ぼく「・・・(そんなこと、わかってるんじゃないか、なんで聞くんだ・・口にはだしていない)」
 小浪「桃子たち、今晩はお風呂来ないと言っている。あんたは、入る?」
 ぼく「どちらでも・・入らなくてもいいよ」
 小浪「・・・」
 ぼく「・・・(もしかしたら、“何時に終わるか”は“風呂沸かすかどうか”と考えているところから、出てきたことかな・・)

 なん日か前。午後、小浪、突然布団を敷いて、寝込む。腹が痛いと聞く。
 ぼく「だいじょうぶか?」
 小浪「体温計、雄一くんのところにあるかしら」
 ぼく「あっても、雄一くんはいない。部屋にも鍵がかかっている。体温計なら、どこかで借りてくるか?」
 小浪「だったら、いい」
 結局、セイムズに体温計を買いに行く。
 ぼく「何度?」 
小浪「37.4、インフルエンザではないみたいね」
ぼく「・・・(体温計のことではなく、そのことをたしかめたかったのかも?)」

 何を聴いているのだろう?
 日ごろの会話は、流れるように、あるときはちょうちょうはっし、あるときはプツンと話しが止まったり。
昨日、三木善彦さんから、「内観」の話を聞いた。「本を読んだり、人の話をきいたり、じぶんの外の声を聴くだけでなく、じぶんのなかの声を聴くこともやられたらおもしろい」といったように、受けとった。じぶんのなかの声。じぶんのなかの宇宙の声?じぶんの身体の声を聴く「内観」もあるとか。
 
 益子さんの声。岸上典子さんの声。八重子さんの声。八木ちゃんの声。うけとって、じぶんのなかで響く声。それでえ・・・?



椿寒桜

2011-03-24 16:26:30 | 鈴鹿川流域の暮らし
大平さんから、「おふくろと照子を連れ出して、“まちのはたけ公園”の桜を見てきた」と聞いた。3月22日「いまが、満開、見ごろだね」と感想。見に行っているときにも、何人もの人が来て、写真を撮る人もいたとか。


 この桜は、ハンターの店舗の東側、大きな通りを渡って、民家のそば、ハンターさんから借りた土地(“まちのはたけ公園と呼んでいる)の北側の際にある。根元に、「椿寒桜」と書いた木札がある。しらべてみると、「三月中旬に咲く早桜で、雄しべ、雌しべとも長くつき出る。椿の花のように見える。早春を飾る美しい花だ」とあった。
 

 この寒桜、並木になっている。大平さんは「敷地のなかは、ソメイヨシノの並木もあるんだよね。なんか、公園というのが描けるなあ」とつぶやいていた。
 「椿寒桜」と木札のある隣に、「普賢象」という木札が挿してある桜の木がある。見ると、蕾はまだ固い。「普賢象」というのは、どういう意味だろう?しらべてみたら、「普賢象とは、二本ある葉化した雌しべが、まるで普賢菩薩が象(象の牙)に乗っているように見えることから名がついたといわれています」開花期は、4月中旬。さて、どんな花が開くのでしょうか?
 震災と津波、原発事故で覆われたかの、この地域にいるじぶんのなかに、どんな明日が顕れるのだろう。


子どもたち、図鑑をもって森に入る

2011-03-21 16:11:59 | アズワンコミュニテイ暮らし
 「子どもたちを徳居(とくすい)地区にある森に送ってほしい」と中島くんから聞いた。「それくらいなら」と引き受けた。3月21日、春分の日。早朝は雨模様だったけど、9時ごろにはやんでいた。
 
 SCSのロビーに、小学校2,3年の男の子、女の子6人が集まった。学び舎「てっらこや」に参加しているメンバー。それに、中島くんの娘純奈ちゃん。車2台に分乗、森に出かける。
 森では、高崎さんが待ってくれていた。満面の笑顔で迎えてくれた。こどもたちは、着くなりそれぞれの関心に向かって、動きはじめた。「まず、森のおじさんの話を聞こう」と中島くんが呼びかける。


 男の子3人、女の子3人のチームに分かれて、それぞれ紙を貼った画板をもらう。「森にどんな種類の植物がいるか、見つけたらその画板に貼っていこう」

 森に入る。男の子は、しばらくなにかさがしているふうだったけど、小高い山の上にのぼったり、下りたりしていたと思ったら、太いバネのようになったツルを見つけて、それを二人で引っ張りはじめた。木の上を見ていたと思ったら、ツルで遊びはじめた。


 女の子は、あちこちからいろいろな葉っぱを見つけてくる。葉脈のちがい、葉の縁にぎざぎざがあるか、だんだん分かってきているらしい。葉っぱが付いている枝の裏に小さな花がついている。「おもしろい」と採取。画板にセロテープでくっける。



中島くんが、「いちど、集めたもの、図鑑で、なにか調べてみよう」と叫ぶ。
 男の子たちは、どこからともなくキノコを何種類か見つけてきた。女の子は、図鑑を見ながら、葉っぱの横に名前を書いていた。分からないと言っていると、高崎さんがやってきて、熱心に調べはじめる。カメラマンの岩田さんも、撮影おいて、「これじゃないの?」と<検討会>に参加した。大人の方が、熱がはいるほど。


 最後、また森の入口で、今日の成果を見せあった。森の高崎おじさんさんは、「第一回目は“森にごあいさつ”でやりました。次回は、シイタケの植菌をします」と言いました。森の中には、こんもりした土盛りしたような小山がいくつかある。その小山にそれぞれ、ヒノキやコナラの大木が生えている。栗屋さんや、諌山さんは、古墳じゃないかという。ほんとうかどうかは分からないけど、遠い祖先のふところで、生きとし生けるものの、観察をしたことになるかもしれない。土のなかで眠る人たちが、あまりにぎやかなので目をさまし、どこかで見ているとしたら、どんなに思うだろうか。