どんなかと、ふりかえるときがあります。
3月に退院して、少しでも元気になっているのでしょうか。
病人然とした空気から開放されて、いまは家族や友人と声をかけあうことが
できます。気持ちに弾みがつきます。。
先日、1ヶ月一回の診察日で大学病院に妻の運転で行きました。
医師から「どうですか?」と問われます。
「気持ちは元気なんですが、息切れ、めまい、立ちくらみが日常的に
なっています。少ない日もあるんですが」
「うーーん。そうですか。そんなときは、横になったり、休むのが
いいですね」
血液検査の数値は、一応良くないなりに安定しているみたです。
薬も先回と同じ処方をしてくれました。
一昨日の夜、Eテレで「忍び寄る心臓突然死」という番組がありました。
途中からみましたが、突然死につながる病症として、肥大型心筋症・
拡張型心筋症ともう一つ、長い名前で覚えられませんでした。
拡張型心筋症が、ぼくの心臓の状態についた名前です。
突然死にならないために、検査や薬、そのほか「これがだめならこういう
治療を」、それでもだめなら「この手術を」と専門医の先生が解説してい
ました。
冬の3ヶ月の入院を思い出しました。
突然死を防ぐ最後の療法は、心室と心房が働きがいびつになっている状態を
改善するため”両室ペースメーカーを植え込むことだと紹介していました。
「それをやったんだ」と思いました。
ぼくの場合、それに致死的不整脈を止めるための除細動器もついています。
生きるための救急措置をしてもらったらしいと思いました。
自分が実際に体験したことですが、まるで誰かほかに人の話を聞いている
ようでした。
で、湧いてきたのは、ここに今こうして”生きている”ということは、すごい
ことなんだなあ、という感慨です。生かされている、ともいうのでしょうか。
わが家での暮らしは、淡々としたものです。
いまは、マンション1階の部屋に妻と息子とぼくの3人で暮しています。
3年前、息子が一緒に暮すというので、玄関入って左の部屋を用意し
ました。
倉庫兼ぼくの書斎として使っていた部屋です。
南側ベランダに面して2部屋あります。
東側が居間で、食堂とつながっています。
西側は寝室で、ここだけ畳みの部屋にしています。
すべての部屋はバリアフリーになっています。
以前暮していた老夫婦が設計したもので、入居のときは、その設計に
こんなに助けらるとはおもっていませんでした。
寝室の片隅にパソコン用の机をおいて、そこが自分なりの空間です。
退院時に寝室にベットを入れてくれました。
妻が寝るときは、畳に布団を敷きそこで休みます。
狭いかな、と思いきや、いまの自分のカラダの状態をおもったら、いつも
人が出入りして、目の届く範囲で暮せるのがいいなあ、となってきました。
夜中に目が覚めて、ベットの上から妻の寝顔を眺めて、ほっこりするとき
もあります。
朝は8時ぐらいに、居間でテレビを観ながら”モーニングカフェ”です。
息子が、コーヒー豆をひいて、母と本人の分を淹れます。
ぼくは、別にお粥と味噌汁を作ります。
味噌汁が作れるようになりました。自慢にはなりませんが。
この時間に3人でよもやま話とか、いまの気持ちなど出し合っても
いいかあ、とやってきましたが、今はテレビを観て終わることが
多いです。
昼食は、基本、自分でつくります。
妻がいるときは、作ってもらいます。麺類が多いです。
自分でつくるより、落ち着いて美味しくいただけます。
退院してから、いつのころからか、一週間のうち金曜日は娘一家(桃子・
ふゆ<高1>・晴空<小6>)が、わが家に夕食を食べにくるようになり
ました。
土曜日は長男一家(秀剛・悠海・和<3歳>・駿<1.5歳>)が来ます。
桃子一家は、3人が揃って食べることが少ないです。
ふゆが、部活でテニスをやるようになり、バスと自転車で帰ってくるのが
8時過ぎることが多くなりました。
昨夜は、たまたまふゆがみんなで食べる時間に帰ってきました。
鶏のから揚げと、簡単な小籠包がメニューでした。
聞くと昨日、朝昼晩とから揚げを食べたということです。
「何か、別のものつくる?」と妻が尋ねたら、二人「いいよ、これで」と。
よほど、から揚げが好きとみえます。
ふゆ、晴空は食べることに専念していました。
二人が揃うと、何かと言い争いみたいになります。
晴空が肥っているかいないか、ふゆも小学生のときはデブだったとか、
しばらく”デブ談義”
「あっ、はじまってる!」二人は居間に飛んでいきます。
朝日テレビのミュージックステーション、若い女の子が激しく踊っています。
「あの真ん中の娘、好きだ」と晴空。
「その子、悠海さんに似てるー」とふゆ。
踊っているから、顔が見えません。
晴空がスマホでその娘をアップしてくれました。
土曜日の長男一家の夕食は、ガラッと趣きが変わります。
食事の前にお風呂という段取りです。
次男の駿くんは、お母さんが行くよ、と声かけると、喜んで入ります。
長男の和は、いま「きかんしゃトーマス」にはまっています。
「これ観てからあー」
ストーリが終わったとき、「さあ、入ろう」とお父さんが誘うと、
「やあーだ、これ観てからあ」としぶとい。
おとさんが「お風呂に入る子ー!」と呼びかけても動かないのです。
おとうさんが、服を脱がしにかかると、「やあだあ!」と叫びますが、
最後はお風呂にお父さんとやっと入ります。
上がってきたら、とても機嫌がいいのです。
食事になっても、食卓にじっとしていることがありません。
気がつくと、ぼくの机から電子辞書とか蛍光ペンとか鋏とか
もちだして、何かしはじめます。
そのたびに画用紙を渡したり、鋏などは返してもらいます。
食べないわけでなく、ひとしきり動いたあと、おばあさんが
「海苔ご飯だよ」というと、おばあさんのところに寄ってきて、
けっこう食べます。
ときに、食卓を囲んでデザート食べながら、大人でおしゃべりする
時間があります。
桃子一家が来た日、桃子が祖母のお葬式に行ってきたときの話をしました。
「お兄ちゃんたらね、人からは絶対争いは無くならないっていうんだよ。
うーん・・・そうだねとならなかったけど、いまの社会を見ていたら、
争いが無くなるってことがあるのかなあ、と思ちゃうな」
お兄ちゃんは、大阪の実母のところで暮しています。
祖母のお葬式で、妹桃子と話すひとときがあったようです。
なぜ、そんな話になったかは、分かりません。
「俺も、そう思うな」と桃子の話をきいていた次男が同調しました。
しばらく、なんで争いが無くならないか、二人でやりとりしていました。
「争いが無くならないって、決めてしまったら、そりゃ無くなるはず
ないよなあ」
しばらく二人のやりとりを聞いていて、思わず言ってしまいました。
娘から「そうかあ」みたいな反応がありました。
「でもね、わたし、社会ってのが、ピンと来ないし、よく分からないなあ」
と桃子。
また、そのことについて次男と桃子のやりとりがありました。
聞いていたぼくは、つい口をはさみました。
「静かに自分のこころの奥を見ていったら、コトバにならなくとも、こんな
社会で暮したいとか、こんな環境で子育てできたらいいなあ、とか願いが
あるんじゃないかな」
「うーん」娘は、ピンこないようでした。
「もう帰ろう!」子どもたちが立ち上がりました。
その夜は、そんなこんなでお開きになりました。
わが家の食卓は木製です。ムクの木ではありません。
7年前、鈴鹿に引っ越す際に妻とあちこち見て回り、選びに選んで
ぼくらにしては少々張り込んで買ったものです。
椅子も気に入っています。
毎日、家族や訪れてくれる人たちが入れ替わり立ち代り、この食卓に
坐り、またそれぞれのところに出かけていきました。
食卓に気持ちがあるとすれば、こんな風に往来してきた人たちについて
どんな感想をもったんでしょうか、聞いてみたい気もします。
ぼくは、日々、感慨深いです。
とりとめもなく、書いていまいました。