かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

サイエンズスクール鈴鹿”マイライフセミナー”

2012-04-30 07:01:35 | サイエンズスクールのある暮らし
 連休という感覚があまりない。
 テレビをつけると、日本中のほとんどの人が連休であちこち出かけている
かのようにみえるけど・・・

 今日(4月30日)から、NPOサイエンズスクール鈴鹿の”マイライフセミナー”
というコースがはじまる。5月5日まで、5泊6日。
 各地から、5人の方が参加する。
 サイエンズという考え方の入門編といったものか。
 
 

 アズワン・コミュニテイー鈴鹿は、一人ひとり、サイエンズの考え方を
ベースに暮そうといているように見える。
 住むところも、仕事も、動きも各自、思い思いにくらしているが、
サイエンズの考え方は大事にしようといる感じ。

 マイライフセミナーには、2年前の春に参加した。
 暮らしていく上で、なにかを”見たり”、声や音、リズムを聞いたり、
いろいろ感じたり、思ったりは、絶え間なく、じぶんのなかで起きている。
 ふだんのの暮らしでは、気にも止めていなかったこと、
 そこでじぶんは”どんなことをしているのか”、観察する機会になった。

 終わってみて、じぶんの目や耳やそのほかの感覚器官は外にむかって、
外ののものに反応しているとおもっていたけど、「あれ、そうかなあ」と
いうのがでてきた。
 
 

 人との関係や、じぶんの周りには、じぶんにとってとか、いろいろな
問題が起きているようにみえる。
 話し合いでやっていきたいとおもっているのに、話し合いができないとか。
 その問題をなんとかしようとか、解明しようとかには熱心だったけど、
それを「問題だ」としているじぶんには、関心がなかった。
 そのもののなかに、なにかが起きているともいえるが、見ているじぶんが
「それは、こうだ」といえるかどうか。

 ”急がば廻れ”
 「いい」とか「わるい」、「快」「不快」、「楽しい」「かなしい」など
そのように出てくる、じぶんのなかで起きているものを、観察してみる
時間。
 もしかしたら、眠っているときは、そんなことしているのかもしれないけど、
そのへんを知的にやったのかなあという実感。

 あれから、2年、サイエンズスクールにときどき、参加しながら暮らしてきた。
 最近は「一人ひとりを大事にしたいとおもっているのに、人よりも事柄や
こうあるべきという自分の考えを大事にしてるんじゃないか」と気づいたり
することがあって、びっくりするやら、可笑しいやら・・・

 最近は仲間とコミュニテイーづくりをしたい、ふだんの暮らしを人間らしい
暮らしにしていきたいと志向する人が、けっこういるようだ。
 
 そんなとき、ぶつかるのは、人と人の関係のところらしい。
 それぞれ、目指すところがあって、はじめた。
 それが、ほんとうに実現していくには・・

 サイエンズスクール”マイライフセミナー”は、参加してみたぼくとしては、
こんな人にこそ、活用してみたらどうだろうかとおもうので

 

 

 

隣人栗屋さん

2012-04-28 08:11:52 | アズワンコミュニテイ暮らし
 今の家には、一昨年の暮れに引っ越してきた。
 近所づきあいをしているのは、東に三軒目の高山翁と西隣の
栗屋さん。
 栗屋さんは、週に一回、晩ごはんを食べにくる。
 昨夜、いっしょに食べた。

 筍づくし。タケノコの煮物。タケノコご飯。若だけ汁。
 ワラビを湯がいて、持ってきてくれた。
 苦くて、すこししか食べられなかった。
 栗屋さんは、「ぼくにはこれぐらいはいけるんだけどな」と
つぶやいた。

 毎週水曜日は、近所の若者や女の方が晩ごはんを食べにくる。
 その夜はにぎやかな食卓になる。
 

 

 その日は、アサリのスープ仕立てが食卓に。
 「わあ、立派なアサリじゃん」
 「それ、栗屋さんがもってきてくれたのよ」と妻。




 地域通貨メンバーのお店に行ったら、筍がいっぱい並んでいた。
 栗屋さんが掘ってきた。


 

 彼は、地域通貨で出そうという気があまりないように見える。
 周りが、「何リンカにする?」と聞く。
 「何リンカかなあ」と彼が、つぶやく。
 「じゃあ、これだけにするけど、いい」
 「ああ、いいですよ」
 こんな感じかな。

 彼の近しい仲間は、彼のことを、縄文人という。
 言われても、「そうかなあ」といった表情で、すこし微笑む。
 河口でカキを取ってきたり、山菜はどこに何があるか、頭に
入っているらしい。
 妻が、「八重桜の葉がほしいけど、どこにあるか知ってる?」と
聞いたら、
 「それは、青少年の森に入って、橋をわたって、右側にあるよ」と
すぐ出てくる。
 夏になったら、カブトムシが、どこのどの木に行けば、どんなふうに
いるか、カンだというけど、だいたいわかるらしい。
 
 

 あっ、いま誰か、玄関にきたらしい。
 妻が枝をもって、居間にきた。
 「いま、栗屋さんがもってきてくれたの」
 「へええー」



 

チェルノブイリ子ども基金佐々木真理さん

2012-04-27 06:36:06 | わがうちなるつれづれの記
 チェルノブイリ子ども基金は、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ
原発事故で被爆した子ども一人ひとりを念頭におきながら、さまざまな
支援活動をしている。はじめてから、20年。
 
 

 4月26日夜、子ども基金事務局の佐々木真理さんの”チェルノブイリ
最新の報告会”がアスト津であったので、妻と二人で参加した。
 三重県下の原子力のテーマに関心があるいくつもの団体が手をつないで
”みえ4.26の会”を立ち上げて、この報告会になったと聞いた。



 佐々木真理さんとは、子ども基金の活動の一つ、被爆した子どもの
”里親”に3年前に応募してから、ときどき連絡をとってきた。

 佐々木さんは、スライドを映しながら、報告してくれた。
 数え切れないほど、ウクライナやベラルーシを訪ねている。
 真理さんの声をじかに聞きながら、ベラルーシのゴメリの
スライドを見ていると、あたかもじぶんがそこに立っているといった
感覚になった。



 ウクライナのチェルノブイリとベラルーシのゴメリやミンスクの
位置関係も、いままで本などで何度も見ているのに、この夜、はじめて
知ったように感じた。
 「ロシアにも被爆した人たちがいるけど、その実際はわからない」
という話を聞いて、こころにせまってくるものがあった。





 ベラルーシでは、子どもの甲状腺がんについてだけは、被災証明書を
発行し、支援している。
 被爆の影響は、実際には、白血病、脳腫瘍、心臓病、未熟児、先天的
疾患など、因果が証明できないものの、さまざまな障害が母やその子に
現れている。
 「チェルノブイリ事故の被災国は、発病のデータを公表していない」と
いう報告もこころに残った。

 被爆した若者のスライド。
 真理さんの隣にいて、彼と対面している感じ。



 ミンスクに「子どもの健康回復センター”希望21”」という公立の
施設がある。
 ベレルーシ全域の被爆した子どもたちが、24日間、放射能の影響が
すくないこの施設で過ごす。
「ふだん、じぶんの障害をそっとじぶんのなかに閉まっていた子が
お互いに理解しあえる仲間と暮らしながら、どんどん明るく、元気に
なるんです」
 真理さんは、報告してくれた。



 報告会のあと、参加者との懇談。
「実際にベラルーシを何回も訪ねて、現地を見てきて、ここは
もっとなんとかできないかとか、そういうのはありますか」と、
さいごの方で聞いた。
 真理さん。
「わたしたちの活動は、お一人おひとりが支援してくれる分だけ、やれる
ことをやってきました。これからも、それは変わりません。この活動を
大きくしようとはおもっていません」

 響くものがあった。
 じぶんでも、チェルノブイリの里親になろうというとき、ずいぶん
かんがえた。
 世界中、日本国内にだって、じぶんが選んだわけではないのに、
困難な状況に立たされている人は、限りなく見出されるだろう。
 「では、なぜチェルノブイリか?毎月、仕送りをなぜ送るのか?」
 これは、こうだと言ってしまったら、なんのことはないけど、
佐々木真理さんの話を聞きながら、そこに人生のすべてをかけている
人を感じた。

 真理さんから感じるもの。
 他を変えようというものがない?
 こころの赴くままに、その活動に打ち込んでいる。
 周囲の状況は、子どもたちの実際に触れようとする分、おそらくありありと
真理さんには見えているのではないか。
 真理さんからでてくるものは、はっきり表現しようとしている。
 でも、相手をどうにかしようとしていないとでもいうのか。

 かかわりがあるかどうか。
 小5の孫娘と小1の男の子の兄弟。
 仲よく、けらけら笑いながら遊んでいると見ていたら、なにかの拍子に
「やった」とか「やらせてくれない」とか、突然、激しく喧嘩状態に
なる。ときには、姉のほうが、こちらから見ていると、理不尽なほどに
弟を叩きのめすときもある。
 「このあと、どうなるのか」
 大人の心配をよそに、この兄弟、なにかの拍子にまた元通り、何事も
なかったかのように、遊んでいる。

 考える時がある。
 子どもの喧嘩って、じぶんの気持ちっを思い切り表現しているけど、
見た目ほど、相手をなんとかしようとはしていないんじゃないか?
 どこまでいっても、まずじぶんの気持ちを出している。
 そうでなかったら、弟が腹が痛いと寝てしまったとき、姉がそっと、
毛布をかけてやるなんてこと、起こるだろうか。

 世界にかかわる、かかわり方。
 
 

 報告会のあと、真理さんと、里親になっているナースチャさん
(17歳、女の子)について、ちょっと話をした。
 6月にベラルーシを訪ねると聞いた。
 ナースチャさんにと、ぼくら夫婦の写真を撮ってくれた。




 一人ひとりの人が尊重されていく社会、これ、いま足下から、と
またあらためておもった。
 里親も来年、つづけるかどうか?
 やるやらんは別にして、もっとかんがえてみようかな。


 

 

 
 

 

雨の朝、好きな食べ物、言い放題

2012-04-26 06:43:45 | わがうちなるつれづれの記
 ことしの春は雨が結構ふるなあ。
 きのうは、ネギの移植をすませた。
 あとは、晴れが続いたら、ショーガを植える予定。

 今朝は、ぼんやり、なんとはなしに雨の公園を眺めている。

 子どものときから、食べることには人並み以上の関心があった
ように一人勝手におもっているふしがある。

 好きな食べ物というより、うまいとおもっている食べ物と
いったほうが適切か。
 まことに、個人的なもの。他の人には、立ち入れないところも・・

 天ぷらのカス。天カス。
 うどんつゆに入れて、うどんを食べてるうちに、天カスがふやけて
くる。それが、なんともいえず、おいしく感じる。

 天ぷらは好きだが、翌日、甘辛く炊いたものが、もっと好きだ。
 ご飯のうえに載せて食べる。

 サンマは、じゅじゅと焼きあがったとき、はらわたにかぶりつくのが
好きだ。身の方は、嫌いではないけど、うまいといほどではない。

 鮭は皮が好きだ。鮭だけでなく、皮とか目の周りにゅるにゅるとか、
にゅるにゅるが好きだ。

 魚の煮物が残って、汁が煮凝っている、そのにこごりをご飯にのせて、
食べる。いける。

 鶏肉は、皮が好きだ。
 身はおいしいにはおいしいが、皮には及ばない。

 牛肉は、ぼろぼろの、ぼろ雑巾のような、バラ肉が好きだ。
 ガキのころ、何か月かに1回でてくる肉というのが、それだった。
 肉を一切れ口にふくむと、ご飯を茶碗一杯かきこんだ。

 豚肉の生姜焼きの焼き汁がキャベツの細切りに滲み込んで、
それを食べるとき。なんともいえない、貧乏学生時代の味。

 牛豚は、どちらかというと、レバーとか、ホルモン系が好きだ。
 新鮮な、脂ののった大腸は、食べ始めたら、止まらない。
 ただし、いまは大分高価で、手が出ない。

 鶏のレバーの刺身は、大好物。
 ああ、鶏を飼いたいなあ。

 ハムは、丸ごと一枚、パンにのせて食べるとかいうのは、
こんなものかと言う感じ。
 パンの耳に、かすかにハムの切れ端が残っていて、耳だけかと
おもっていたら、ああ、ハムの味がほのかにする。感動!

 ざるそばが、大好きだ。
 そばなら、なんでもいいという感じ。
 それにしても、やっぱりシコシコそばと出汁のうまみがマッチ
いたのがいい。
 
 三重県のそば屋さんをけっこう食べ歩いた。
 手作りで、おいしいといっても、上品の少量のそばがセイロに
のって出てきて、あれよと言う間食べて、なにか物足らない。
それで、1200円とかはらうことになる。
 こういう店には、二度目はいかない。
 一軒だけ、むらむらと、ざるそばが食べたくなると行く店が
ある。
 一ざる、650円。出汁も絶妙。薬味のネギも、効いている。
 そばは、もちろんおいしい。
 でも、食べたあと、蕎麦湯を残った出汁に足して、飲む。
 蕎麦湯が喉を通って、お腹にの落ちる。
 ああ、満足!帰り、蕎麦の香の余韻が、喉の奥からほんわり
でてくる。

 あれあれ、雨の日とはいえ、外が明るくなってきた。
 こんなバカバカしことを書いているのが、照れくさくなった。
 年寄りの慰み。
 まだまだ、いくらでも出てきそうだけど、もういいかあ・・・

 

 

”ベジコミ”クラブの野菜たち

2012-04-23 07:38:14 | アズワンコミュニテイ暮らし
 ”ベジコミ”は”ベジタブルコミュニテイーの略称。
 地域通貨”リンカ”会員が、ただ野菜をつくるというよりは、
出来た野菜を”リンカ”で食べてもらうことを通して、地域づくりを
していきたいね、という願いで、昨年冬、有志が炬燵にあたりながら
考え出した。

 さて、二度目の春。

 大平さんは、ナスとキャベツ。



(キャベツ畑)



(ナス畑。奥は、中井さんのスイカが植わっている)

 中井さんは、スイカ。フキも移植した。
 そのほか、チンゲン菜など。
 蓮池を一昨年掘って、ことしの秋は蓮根が食べられそう。
 クワイも蓮池のどこかに植えた。

 ニラは、中井さんのはたけから株分けして、ぼくがつくることにした。
 ニンニク、ネギもやる予定。
 手間のかからないもの、虫がよってこないものを結果、選んでいるよう。



 ショウガにもチャレンジしてみようとおもっている。


 家庭から出てくる生ゴミたちを、毎日”ダンボールコンポスト”に
入れて、堆肥化する試みがつづいている。
 
 まちのはたけ公園の小ハウスがそのリサイクルシステムの拠点に
なりつつある。



(生ごみ完熟堆肥場)

 家庭のダンボールコンポストは、約3か月、生ゴミを投入しても
増えない。微生物が食べてくれる。
 3か月たったら、それをこの小ハウスに持ってきて、生ゴミ完熟
堆肥場にあける。
 帰りに新しいダンボールとコンポストの基材(オガコと米ぬか)を
もってかえる。



(ダンボール、オガコ、米ぬか置き場)

 完熟した堆肥は、当面、ベジコミクラブのはたけの土づくりに
使う。

 こんなストーリー、勝手に考えている。