かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

ビジターズ・ステーション

2015-04-26 06:17:10 | アズワンコミュニテイ暮らし

4月14日から17日まで「CRC集中研究会」があった。

CRCって、何のこと?

研究会に寄った人たちの中には、この意味が分かってない人

もいた。

まずそこから。

 C は、community のC、コミュニテイ

  R は reception のR、レセプション、来訪の人の受け入れ

 C・・・conference のC、 カンファレンス、検討会

 

来訪者の受け入れの企画する人、宿泊や食事など生活面の

受け入れをしてきた人で、はじめてこんな時間をもつことが

できた。

 

5年前、2010年11月、ぼくら夫婦は鈴鹿に引っ越してきた。

サイエンズ研究所、サイエンズスクールがベースになって、

新しい社会の試みにチャレンジしている、そういう地域で

暮らしてみようというのが動機だった。

その頃、韓国からの来訪者があり、たまたまその人たちの

案内をする成り行きになった。

あちこち案内し、そこでやっている人の話を聞かせてもらった。

「ああ、ここに何か、”新しい社会の試み”といってもいいような

ものが現われている」と感じた。

 

たしかその頃、「アズワンコミュニテイ鈴鹿」という名称が使われ

はじめ、それを案内するマップも出来たきたんじゃなかったか。

「サイエンズ」というコトバも使われ始めた。

「カタカナばっかじゃん」とそのとき違和感があった。

 

2011年3月11日、東北大震災のあとぐらいから、「エコビレッジ」を

研究する人やコミュニテイに関心を持つ人が訪れるようになってきた。

「”ふだん着で探訪”という名前で、来訪の人を受け入れていきたい」と

小野雅司さんが言い出した。たしか、2011年の後半ごろ。

そこをやろうという人でやってきて、今にいたる。

 

訪問する人たちが増えてきた。いろいろな目的でも人がやってくる。

 ・探訪デイ

 ・探訪デイやマイライフセミナー参加のあと、遊びに来る人

 ・長期のコミュニテイ体験

 ・持続可能な社会づくりカレッジ

 ・長期のサイエンズ留学

 ・周末だけ、コミュニテイで暮らしたい人

 ・ファームなど農繁期のアルバイトの受け入れ

 

宿泊は、あっとほーむ本山、コミュニテイハウス江口、ファミーユ中井、

人数が多いときはスクール研修所、とやりくりしてきたけど、どうも

いまの情勢はそんな感じではやれそうもないようになってきた。

これまでは、その気持ちのある人で、その人のやれる範囲で、やって

きた。

ここまでやってきたことをその延長で「どうしようか」と考えるの

ではなく、一度やってきたことはそれとして、いったい「CRC」という

ことでやってきたことは、何をしたかったのか、ゼロから見直してみよう、

そんな研究会になった。

 

探訪で初めての人に自己紹介するとき。

「ふだんは来訪される人にコミュニテイの案内をさせてもらっています」

と紹介している。

今回、自分のなかで検討したこと。

「案内するというけど、何を案内するとしているのか?」

自問してみると、コトバではなんとでも言えそうだけど、「で、何を案内

しようとしているの?」と重ねて問うてみると、まだ奥がありそう。

 

参加した一人ひとりも、その辺を自問したり、おもっていること

を出しあった。

案内する人、食事を用意する人、泊まりの受け入れをしている人、

それぞれの気持ちや思いがある。

「それで、訪問された人に何を案内したいのか?」

 

チームで受け入れている実際が浮かび上がってきた。

手分けして、受け入れている。

「手分けしてというとき、どんな気持ちでやっているのだろう?」

今は各家で食事から、泊まりまで、いろいろ世話することがある。

訪問者があるというと、どこで受け入れができるか、それぞれの

事情を聞きながら、どうしたら受け入れができるか。

引き受けた家は、そこのお母さんが何から何まで用意する。

受け入れようとすると、がんばらなくちゃ、みたいになったり

していた。


「その辺どうなんだろうね。コミュニテイで受け入れてもいいよ

いう家が何軒かあれば、それを一つの家族と見たら、家と家が

離れてても、食をみるお母さん、住を見るお母さんとか、受け入

れを考えることもできるんじゃない」

「面白いね、食なんかでも、メニューを立てたり、見ていく得手の

人が立たったら、楽によりよいものになっていきそう。

鈴鹿カルチャーステーションにあるコミュニテイカフェを

食堂に使っうこともできるし、、一軒ごとにと思っていた

イメージが一気に広々としたところに、開放される感じ

だね」

「食事を作るって言っても、おふくろさん弁当で毎日、

食事を作っているんだから、そこを活用しないって手は

ないよね」

なんというか、ここまで出てくると、今のアズワンコミュニテイ

という名前で描いている、社会の実際のなかで、どんな風に

日々、くらしているのか、というのが見えてきた。

食材にしろ、お弁当にしろ、今新しくスタートした

「スペースJOY」(旧称 コミュニテイストア)も使えるよね。

 

手分けっていうけど、手分けしたお互いって、どんな関係なん

だろうね。

訪問者を受け入れたいという気持ちでも、そこを用意する

人と人の間のことがあるよね。

手分けしてやるとなったら、任したことについては「よきに計らえ」

というのがいいんじゃないかな。

「家族でも、今日の夕食、何にするかみんなで決めるなんてこと

してないもんね」

 

さて、「何を案内しようとしているのか」

ずいぶん、黙っている時間もありながら、自分のなかでだんだん

浮かび上がってきたこと。

「鈴鹿に引越ししてきて5年。サイエンズスクールやアズワンコミュニテイ

の人や社会の仕組みや運営のなかで、一人で抱え込んで暮らしていく

ことが荷やっかいな感じになり、背負っている荷物を降ろしたくなってきた

歩みだったかなあ」

 

訪問される人たちも、「ここの人たちが気負いなく、楽に暮らしている

ようで、ほっとした」とか、「会う人、会う人、ふつうにしぜんに接して

くれるのよね」という印象を語るひとが多い。


一昨年、探訪デイに参加して、ことし「自分を知るためのコース」に

参加したT青年。

最近は週末ごとに、アズワンに泊りがけでやってきている。

彼が、スクール会員ブログに書いていた。

紹介します。

「マイライフミーティングから帰ってきて、ふと、なぜアズワンを

選んだんだろうと思った。

持続可能性を求めてエコビレッジとか何箇所か行った中か

選んだ理由は。

たぶん、単純に愛情を感じたからかなぁ。

 自分が何かをするでもなく、ありのままを受け入れようとして
くれる。

持続可能とか難しい考えでなく、本能的な欲求で良いなぁと

思ったから。

今日も帰るときに、また来てねと満面の笑みで言ってくれて、

あぁまた来ていいんだと思うと、単純に単純に嬉しかった。

これはマザーテレサの言う無償の愛というものか?

でもアズワンの人は「そんな大そうなものかなぁ、

あはははは」と言いそうだ。笑」


読みながら、自分が暮らす、人と人で織り成す実際について

もういちど、わが身や心がどこにおかれているか、振り返った。

 

そういう安心に触れてもらいたいとおもっているんじゃない

だろうか?

 

このチームはこのアズワンコミュニテイのなかで、どんな役割を

担当するんだろう。

その役割に相応しい名称も考えた。

出し合うなかで出てきたのが

 「アズワンコミュニテイ・ビジターズ・ステーション」

 

アズワンコミュニテイ・ビジターズ・ステーションは、何を

願っている。目指しているか。

最後らへんで、ぽつりぽつりと出てきたこと。

それを、つなぎあわせてみると・・・

「世界中から来る人たちに、安心して暮らせる社会に

触れてもらえるように」

 

この部門が、果てしなく広がる世界のなかに、カタチとして

現われてくるように、今から一歩いっぽ。

ちょびっと、たよりなさそうですが、支えてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


落語会「金のいらない国」

2015-04-21 08:42:28 | アズワンコミュニテイ暮らし

      

 雨模様にかかわらず、大勢の人が鈴鹿カルチャーステーションに

寄って来られた。

 4月19日午後、龍人さんの落語会の前にマネージャの青木裕子さん

の紙芝居。物語は本人作、絵は龍人さん、枠の額は裕子さんの父上の

手づくり、と紹介。魔法使いの少女が三つの魔法を無事、使うとが出来る

までのストーリー。

見終わって、余韻が残った。

 

龍人さんの落語は軽妙で抵抗なく心に入ってきて、硬い心をほぐして

くれるんだなあ。

「金がない国」に金のいる社会で暮らす男が迷いこんでしまう。

はじめは、自分が当たり前としていることが、ここでは当たり前でない、

だいいち、「お金って、なんですか」「へえ、そういう ふうにかんがえる

のですか?」と反応されて、「わけ分からん!」

そのうち、なんでもタダで使える暮らしにどっぷりつかって、

「なんだか、なにかみんなのためになることがやりたくなった」

 自分にびっくり。とおもった時、いまの社会にたっていた、

チャンチャン。

 

もう、大笑いで堪能した。

「金のない国」のつづき、「結婚の手続きがない」という一席も

あった。いまの結婚生活をそんなものとおもっていることが、

「あれあれ、いったいなんだろう?」

 

落語だけかとおもいきや、ギターでジョンレノンのイマジンの

替え歌や自作の「金がなくなったらどんなになるか」の歌を

歌ってくれた。

よく通るしみじみした声が滲みてきた。

 

どうも、今日は大受けと言う感じらしく、「じゃあ、きょうは

もう一つ、約束や法律や刑罰がないという話をやっちゃい

ます」


 

交流会という時間もあったけど、すこしあまって、「じゃあ、
もう一つ、教育が
どうなるかってやつを・・・」


最後まで会場は楽しい笑いにつつまれた。笑いながら、

当たり前にしてきたことに「あれえ?」という?が心に

残っている。

龍人さんは、これから、お呼びがかかれば、どこへでも、

何人でも伺いますということでした。

なかなか、おもしろいですよ!
 

 


「お金のいらない国」実際、あるんか!

2015-04-20 09:31:04 | アズワンコミュニテイ暮らし

ぐずついた天気が続いている。

4月18日、「アズワンコミュニテイ鈴鹿1泊2日の探訪デイ」の

企画に3人の方が参加した。

この日、快晴。

「お金のいらない国」という本の著者、長島龍人さん。

そのマネージャーの青木裕子さん。

パラグアイに3年暮らして帰国したばかりの入内島(いなじま)

理絵さん。

 

昼からコミュニテイの会社、おふくろさん弁当やSUZUKA FARM

で、そこでやっている人に出会った。

誰もが安心してくらせるような社会の仕組みの案内や、お金が

介在しないコミュニテイストアなども見学した。

 

そのあと、夜、アズワンの人たちとの交流会。

お弁当屋さんで聞いた話、お三方、よほどびっくりしたみたい。

龍人さん「”金のいらない国”だったら人はどうなるかと描いて

本を書いたんだけど、お金のいる社会で描いたことが実際に

やれている、ええ、そんなこと出来るのかあ・・・・」

入内島さん「そうなのよね、お弁当屋さんに仕事のシフト表が

あるんだけど、それが”あることはあるけど、イメージなんだよ

なあ”って、聞いたの。いくら書いてあっても、その時、その人

が来るかどうかなんて、わからないよね”って言うのよ。

これまで自分では、そんなこと想像できない。固まってしまった」

龍人さん「お金がいらない国では、お金のために働かない

となったら、人は働かなくなるか?ということがあるとおもうん

だけど、おふくろさん弁当ではどうも、お金のためというより、

一人ひとりがやりたいことを楽しんでやっているように見えた」

青木裕子さん「お弁当の注文の数を間違えて、60個分

つくり過ぎても、お互い責め合わないと聞いたの。

画一的にシステムで、人を見ていないんだなあとおもった」

 

交流会に参加していたお弁当屋でやっている竹本さん。

「シフトね。そうだね、”書いてあるけど、来るかどうかは

わからんぞ”という感じだね。(爆笑)実際、朝になって子どもが

体調崩したら、来れないことだってあるし。気分が乗らないって

ことも・・・」(爆笑)

「だいたい、注文したらお弁当は届くっておもっている人も

いるよね。(爆笑)なんとか、とどけようとはしてるけど。

よく、やってるよね」

「おとといの午後、こっそりお弁当屋、抜け出して、はたけ公園の

蓮池の周りの草刈してきたんだ」

3人「そういえば、今日行ったけど、きれいだった」

入内島さん「きょう、私たちがくるからやったの?」

竹本「いやあ、やりたくなって・・・草刈り、やりたいんだよね」

 

翌日は雨。

すずかの里山を見学。

そのあと、2回目の交流会。

おふくろさん弁当の岸浪龍さんも参加。

昨夜の”シフトはイメージ”のつつぎの話。

岸浪龍さん「今日午後から、シフトをつくっていた泉田さんが

サイエンズスクールに1週間参加する。職場からいなくなるけど、

今回、彼から引き継がないでやってみようって、なってるんだ。

果たしてどんなことになるか。ふつう、その人が死んで有り難味

が分かるって言われるけど・・・・」

ほんとに、どんなことになるんだろうね。

長島龍人さん。

「お金がいらなくなったら、人が仕事しなくなることはないとおもうん

ですね。かえって、ほんと、何したいかってなって、やりたいことを

無理なく、楽しんでやるんじゃないかな。お金と結びつけなくて

いいんだから。やりたくない人は、やらなくていいんだし・・・」

 

さあ、午後は長島龍人さんの「落語会」、それに今回は

マネージャーの青木裕子さんの紙芝居も。

お金がいる社会のなかで、お金がいらなくなったときの世界の

現われが実際にどこまで現われてくるか、そこをそれぞれの

視点で研究していきたいなあ。

 


「しっかりせえよ!」

2015-04-11 07:14:18 | わがうちなるつれづれの記

雨がびしょびしょ降っていた。

きのう、病院へ行った。2ヶ月に一回の定期診察の日。

診察を終えて、会計窓口で今日、何をしたか伝える。

ロビーの待合いの椅子で、支払いの順番を待っていた。

突然、声が響いた。

「しっかりせえよ!」

よく通る声で、ズシンとハラに入ってきた。

声がした隣の席を見た。

 

50代前後の小太りの男性が立っていて、隣におばあさんが

座っている。

と、マスクをしたおじいさんが腰をかがめながら、やってきて、

ぼくが座っている長椅子の端に座った。

身を縮めて、何かから逃げるようなそんな感じに見えた。

おじいさんの顔を見た、

マスクをしているので、目のあたりしか見えなかったが、バツが

悪そうな、やる瀬なさそうな表情があらわれているように見えた。

想像するに、この三人は親子で、今はオヤジが息子に

なにやらたしなめられているようだ。

 

支払いの順番が来たので、ぼくは係りの人がいる窓口に

行った。

おじいさんは、自動支払機での支払いだった。

息子が付き添って、「そこじゃない、こっちだろ!」

「いい加減、覚えろよ」など、言っている。

いちいち、おやじさんのやっていることに、文句を

いっているように聞こえた。

おやじさんは、言われるままに、自動支払機の手順で

お金を支払っていた。

おやじさん、どんな気持ちだろうか?とおもった。

息子さんは息子さんで、おやじさんをどんなに見て

いるんだろう?

 

ふりかえって、自分の立ち居振る舞いが緩慢になっている、

何かをしようと思っても、実際にやるというところまで

いくのに、時間の経過があるな、それも大分時間が

かかるというのがわかってきた。

 

このことをやろう、というとき、「そうだね」といっておきながら、

いざその気持ちになったとき、「もし、そうやるとしたら、

このことはどうかんがえるか?」とやっと、具体的なことが

浮かんでくる。

これは、老いたからというだけではないと思うが、そんな感じを

自覚するようになっている。

 

妻からよく問われること。

「きょうの予定は?」

スマホに予定は入れてある。入れてあっても、いちいちそれを

開いてみないと自分の動きが言えない。

一日のうち、何回もスマホを開いて、確かめる。

1時だったか、1時30分だった、そういうのはとってもあやふや

になっている。

 

食後「お茶、飲む?」と妻から聞かれる。

いつも、その返事に窮する。

「うーん」といいながら、自分が飲みたいのか、飲みたくない

のか分からない。

飲みたいときは、多分自分から「入れてほしい」とか

言うかもしれないが。

 

「風呂、入る?」と聞かれるのも、困る。

「どっちでも」というしかない。

毎回、聞かんでほしいとおもってしまう。

 

自分勝手かもしれないが、どうも自分には自分の

ペースがあるのかもしれない。

自分がしてほしいというとき、「あいよ」とやってくれたら、

楽なのかもしれない。

「自分のことしか、考えていないんだから」と言われると、

肩身が狭い。

ついつい、もう頼まんとこ、となる。

 

こんなことも、老いからくるのか、どういう実際かを見ていきたい。

 

病院でたまたま出会った親子。

老いの側にたったら、おやじにはおやじのペースが

あること、知ってほしいな、と思った。

 

病院を出たとき、まだ雨が降っていた。

ワイパーで車のガラスの雫はきれいになるけど、

見える街の景色はなにやら霞んでいる。

ああ、近いうちに白内障の手術をしようかな。