かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

韓国ミネサクラブ、来訪の記(5)-ー人を幸福にする社会の試み

2012-08-30 14:12:05 | アズワンコミュニテイ暮らし

 この四日間、いまからおもえば、一日一日が大事だった。

 

 最終日、8月24日の朝は、鈴鹿カルチャーステーションでお茶会

だった。

 

 亭主の片山弘子さんの感想。

 「ミネサの一人ひとりが、若やいで、子どもこどもしてましたよ」

 弘子さんは、とっておきの茶碗を各人に用意した。それを、真正面から

受け止めてくれた感じがしたとのこと。

 「ぜひ、茶室で写真を撮りたい」と声がかかり、パチリ。

 

 お昼は、”いってらしゃい”の食事会。

 最後というか、これからのはじめというか、そんな挨拶、一人ひとり。

 

カン・ホギさん

 --いま、やっと親しくなって、これからというとき帰ることになって

    しまって・・・はじめから、今の気持ちで交流していたら・・・

    こんどは、妻といっしょに、3か月ぐらい、来てみたい。

 

オ・テホさん

 --なんでもおもいのまま、しゃべった。これは、学ぶときの私の

    習慣。ぶつかりながら、学ぶ。それでこそ、身になる。

    じぶんをキズつけた人が先生、ということもある。

    韓国にもどって、すぐ韓国でのサイエンズスクールの

    ”マイライフセミナー”のコースに参加します!

 

チェ・スンヒさん

 --コミュニテイというものに、まじめに向き合いたい。

    人の本性の探究は、個人的なものが、コミュニテイーの暮らし

    にも通じている。

     帰ったら、家族の暮らしでも、こころにゆとりをもってやって

    いきたい。遊びこころも・・・

 

キム・ミヨンさん

 ーーふと、おもった。個人的なものが全体的のものにつながっている。

    個人の意志がコミュニテイーのなかで実現している。話だけでは

    なく・・。個人のなかにある創造力が開花する、新しい動き、楽しみ。

 

イ・ワンキョさん

 --短期間でサイエンズやそれにもとずくコミュニテイーを理解するのは

    むずかしい。

     今回、いろいろな人に出会ったが、どの人からもふわあーとする

    ものを感じた。

    これが、どこから出てくるのか、その辺が核心ではないか。

     小野さんにしても、開かれた態度がよかった。

 

小野さん

 --内面の世界を深く観察しているミネサクラブの活動に触れていきたい。

    社会が人を幸福にする、そのあたりをこれからも研究していきたい。

    その両方を、交流しながら、いっしょにすすんでいきたい。

 

 「ああ、そうそう、通訳してきてくれた、ユ・サンヨンさん、感想を!」と

だれともなく声が上がる。

 話そうとしはじめるが、しばらくコトバが出てこなかった。

 あれっと、待っていると、ユさん、こみ上げてくるものを抑えかねている

ようだった。

 

 イ・ワンキョさんが「人生をかけて、ここまでやってきたんだから、

わかる・・・」とユさんの気持ちを受け取った。

 

 ユ・サンヨンさんは、とつとつと話した。

 --人の本性といっても、こうだと言えるものはないのかも

    しれない。素直の、子どもの心のように、悟ったからという

    のもないかもしれないが、そのような作用のなかで、韓国と

    サイエンズ研究所やコミュニテイーの架け橋になっていきたい。

 

 人のこころのなかは、測りしれない。

 それぞれの内面のドラマをすべて表現したら、とんでもなく広大

無辺の世界になっていくだろう。

 カンさんから、この四日、あまり眠れていないと聞いた。彼のなかで

どんなことが起きていたのか。

 じぶんを見てみても、なにかが起きている。

 

 さあ、それでも、今回はお別れだ。

 滞在先のサイエンズスクール研修所前で記念撮影。

 

 ゆっくり、じっくりおつきあいしていきましょう!

                               (おしまい)

 

 

 

 

 

 


韓国ミネサクラブ、来訪の記(4)--揺るぎない親しさへのはじまり

2012-08-30 13:00:48 | アズワンコミュニテイ暮らし

 来訪の三日目、つくづく、人のこころというのは、いろいろな表れを

するものだなあ、という感慨をもった。

 

 朝いちばんは、鈴鹿の西の丘陵地帯にある里山を散策した。

 里山大好き男の高崎広さんが、待っていてくれた。

 なんといっても、木の枝からロープを吊るした、森のブランコは

童心をかきたてずにおかない。

 若いチェさんが、先ず飛び乗った。


 あとは、「わたしはけっこうです」みたいな顔していたミヨン女史も

こわごわ乗って、揺れたとたん、大はしゃぎの姿にたちまち変身。

 

 里山散策のあと、鈴鹿カルチャーステーションに行き、サイエンズ

研究所のメンバーとの交流会。

 どんな話があったか、よく聞いていない。

 「人の本性とは、どんなことか?」

 「その本性に至っている人が、コミュニテイーにはいるのかどうか?」

 そんなことが、話題になったらしい。

 

 研究所メンバーとの記念撮影。

 なんか、一人ひとり、いい顔してるなあ。

 

  その日の午後は、鈴鹿平田町、ベルシテイーで買い物したり、温泉を

味わったり。

 

 その夜も、昨夜とは違うコミュニテイーの人が参加して、懇談会。

 はじまるときは、こういう寄り合いをまだ続けるのかなあ、といった

空気があったように感じた。

 

 カン・ホギさんが、この三日間の感想をしみじみと話した。

 「なにか恥ずかしい気持ちがある。アズワンコミュニテイーから、その

核心を学ぼうとやってきたけど、どうもじぶんのほうの関心ばかりが

大きくて、アズワンの人たちの話はよく、聴いてこなかったように

おもって・・・」

 

 オ・テホさんも。

 「いろいろ質問してきた。そのなかには、ミネサの人たちにも

迷惑になったこともあったかと、反省している。これは、ダメだと

言っているのではなく、いまの実態を受け止めたうえで、さらに

よりよくしていくために、をおもっていた。ずいぶん、吠えたけど

赦してほしい」

 

 「サイエンズに基ずく経営はどうなっているかな」と出席していた

中井正信さんの名があがった。

 当の中井さんは、「経営といってもなあ・・」といいながら、きのうまで

参加していた”四日連続の日常化レッスン”の体験談を話はじめた。

 

 「どんな内容か、もっと具体的に・・」と声。

 「ミネサの人が、蓮池にみえた時、蓮がないところがあった。質問され

たとき、”去年植えたばかりだから”と答えた。レッスンのとき、みんなが

いろいろ出しているを聞きながら、はっとおもいあたることがあった。

 蓮がないのは、鶏糞を入れすぎたとか、まずいことをしたという気持ちが

じぶんのこころの奥にあった。じぶんの反応は、それを、なにか隠すような

こころの持ち方があった。昼間の世界に開かれていかないようなもの・・・

それを発見した」

 ミネサクラブに人たちは、シーンと聴いているように感じた。

 中井さんが、話終わって、その場の空気が肩に力が入らない、

お互いに、それぞれのこころのありように、気持ちが及んでいくような、

”溶け合う”というのは、こんなとき使うのかな、といった場になった。

 

 昨夜の、張り詰めた、緊張感のようなものが、消えてなくなっていた。


                              (つづく)

 

 

 

 

 

 

 


韓国ミネサクラブ、来訪の記(3)--「人の本性に至っているか?」

2012-08-30 10:16:39 | アズワンコミュニテイ暮らし

 一日のアズワンコミュニテイーの探訪を終えて。

 夜、コミュニテイーにかかわる人たちも参加して、懇談会が

 あった。

 

 まず、一日まわってみて、お一人おひとりの感想。

 

 カン・ホギさん

  --見てみて、実態ができている。何よりも、探究という焦点が

     はっきりしている。

      人間の本性を求めていて、宗教臭がない。過去の

     共同体でできなかった本質探究がなされているように

     見えた。

      サイエンズスクールのコースを全部受けてみないと、

     アズワンは理解できないかもね。

 

チェ・スンヒさん

 --アズワンでやられていることは、当たり前のこと。私は、そのように

    生きていないなあ。

     お金のこと、家族のこと、貯金しなくては、など不安がいっぱい。

     現実から離れて、意識上の探究をしてきたけど、実際の暮らしに

    染み込んでくるほどの効果がなかったかなあ。

     お弁当屋さんでも、仕事の場が「人間の本性を探っていく場」という

    話があったけど、仕事やりたくないと言ってやらない人が出てきたら、

    どうなるかな。頭で理解できても、実際は・・・考えてしまう。

 

キム・ミヨンさん

 --コミュニテイーの人たちにたくさん質問した。そのとき、じぶんを前に

    出さないで、静かに応えるのを見ていて、内面の”コンプレックス”が

    解決してきた人たちだとおもった。

     個人の内面の探究が、社会にどうつながっていくか、サイエンズ

    研究所やサイエンズスクールがどのようなはたらきをしているか、

    質問に応える人たちの姿から、感じるものがあった。

 

オ・テホさん

 --サイエンズスクールの説明を聞いて、昨日はそのへんを知ってから

    話をすればよかったかなとおもっている。

     コース、全部参加すると42日。じぶんを見ていく、省察していく

    活動は、一つの実験だ。

     そこをやろうとしても、解脱とか悟りまで、すぐにはいかない。

     コミュニテイーでは、安心・自由というのがベースになっているが、

    それがどこまでやれていくか、よくよく見ていく必要があるのでは

    ないか。

 

イ・ワンキョさん

 --実際の仕事や暮らしでは、いろいろなことが起こる。そのなかで、

    崩れない親しさがどう実現しているか、見てみたかった。

     コミュニテイーは開放的という印象。

     鈴鹿カルチャーステーションでも、物の面では豊かでないかも。

    でも、そこにはなにかを成し遂げようという意志、意欲があるという

    より好奇心や探究心が原動力になっている。

      健康な人体は部分部分が光っていると言われる。光と光が

     響きあう余裕がある。コミュニテイーの人たち同士、そんな

     余裕がある。

      固定がない、決めつけがない、じぶんの考えを押し付けない。

      アズワンコミュニテイーには、形がない。形がないのが、

     アズワンコミュニテイーとも言えるか。

      人の本性をベースにしている、そこのところ、明日のサイエンズ

     研究所のメンバーとの話しあいが、楽しみ。

 

  参加しているコミュニテイーの人たちも、ミネサクラブの人たちに問われて、

どんなことをしているか、そのときどんなことをおもってやっているか、なんと

いえばいいか、「エー」とか「ウーン」と言いながら、ありのままに話そうと

している風だった。

 

 懇談会も佳境に入ると、現象面のことというより、「そこがそうなってくる

には何があったのか」と、問う場面が増えていった。

 「”人の本性に適した社会”というが、そこを目指してやっているか?」

 「本性とは、どんなものだとおもっているか?」

 「船はオールで漕ぐ。本性を発見できて、楽な状態といっても、その本性を

活用するまでいく必要があるのでは・・・」

 

 夜は更けていく。

 「人の本性に至った、とか、悟ったという体験はあるのか?」

 問いかけが続いた。

 その場にいた、一人ひとりが、じぶんの場合、どうだろう?と、じぶんの

なかをいっしょ懸命見ていた。

 他の人のことは、分からなかったが、じぶんのなかでは、本性に至った

とは言えないが、その焦点を究明しようとしてるとは、言えそうにおもった。

 

 じぶんの人間観・社会観のベースが、本来の人間性に基ずくもので

ありたい。

 ”しなければならない”というのは、あまり本来的と言えないのでは・・・

 子どもに”やらなくちゃ”は、ないもんね。

 どこが、じぶんのベースになっているのか?

 この問いかけは、なにか途切れずに、じぶんの中にありそう・・・

 

 でも、その夜、懇談会では、そんなこと考えているうち、頭がもうろうと

するような感じになった。

 幸い、そのころ、きょうはこんなところに、しましょうとなった。


                                                                 (つづく)

 

 

 

     

 

 

 

 


韓国ミネサクラブ、来訪の記(2)--妥協のない、真摯な問いかけ

2012-08-30 07:05:55 | アズワンコミュニテイ暮らし

 来訪二日目。

鈴鹿の街は、朝から夏の日差しに照りつけられて、暑さも増していた。


 その日一日かけて、アズワンコミュニテイーにかかわる施設や仕組みを

探訪し、そこでやっている人と出会うことになる。

 ミネサクラブのお一人おひとりは、ユ・サンヨンさんが編集した「人の本性

に適した社会」を、よく読み込んでいる印象だった。

 

 探訪の焦点は、コミュニテイーの人たちが、「人の本性をどのように

とらえているのか」「そこを、実際の運営や暮らしにどのようにあらわして

いるか」、その辺にあたっているようだった。

 また、「鈴鹿ではサイエンズに基ずく機構と運営を目指しているが、実際は

どういうことをいっているのか?」

 人やコミュニテイーの本質的な根源、核心がどこか、つきつめれば、

そこ一点に関心が注がれていた。

 

  鈴鹿カルチャステーションから、スタートした。


 坂井和貴さんが、鈴鹿カルチャーステーションがどんな場かを

説明。

 「これだけのものをつくるのに、資金はどうしたのか?」

 「運営面では、やれているのか?」

 事業に携わってきた、カンさんやテホさんから、質問。

 「最近、子どもの拠り所になりつつある」と和貴さんが紹介。

 「子どもの将来が大事。学校とか、かんがえていないのか?」と

問いかけ。


 おふくろさん弁当では、岸浪龍さんと泉田さんが案内してくれた。


 龍さんの印象では、のっけから「人の本性とは何だとおもいますか」

みたいな問いかけがあって、びっくりしたらしい。

 お弁当屋の職場では、取決めがなく、各自の自由意思で運営して

いる、と説明した。

 事業家のテホさん「人間というのは、律していないと、だらけるの

ではないか?適当とか、ほどほどにやるでは、人間がダメになるの

では?」

 「会社をより良きものにしていくという方向があるのか?」

 

 売上はどのくらいか、一日何食つくっているのかみたいな質問は

なかったなあ。


 まちのはたけ公園では、中井正信さん。

 

 鈴鹿ファーム会社は、中井さんのほかは、若い青年4,5人で

やっている。

 「若い人たちとやっていて、かれらがおもったことをそのまま言って

いるのが、おもしろい」と中井さん。

「それは、どういうところから、そうおもうのか」ともう一歩、奥へ。


 午前中はこれで終了。

 書いてみると、これだけかとなりそうだけど、通訳のユさんを介して、

それぞれの場で40分余、かかっている。核心はどこか?

集中力は並大抵ではなかった。



 お昼は我が家で、そーめんを食べてもらった。

 食後は、しばらく横になって、一休み。

 真夏の午後の眠気に身をゆだねる。


 午後は、カンパニーの事務所、コミュニテイー通貨”リンカ”のお店、

を訪ねる。

 サイエンズによる運営の一端に触れていただく。

カンパニーの事務所にて。

リンカショップにて。

 


鈴鹿カルチャーステーションに戻り、コミュニテイーの各種機構の

事務所を案内した。

 〇「コミュニテイーライフオフィス」

  最近、立ち上げられた。相談員の一人、竹本美代子さんがそこの

 様子を話してくれた。


 〇「PIESS NETWORK」

  「サイエンズ研究所」

  「こころセンター」

  「コミュニテイ通貨”リンカ”事務局」


  ちょっと、一見みただけでは、なんのことだかわからない機構の

 事務局を一手にひきうけてくれているのが、中野敏美さん。

  どう、表現したら伝わるか、いっしょ懸命に説明してくれた。



 最後に、サイエンズスクール事務局。

 事務局の小野みゆきさんが、案内。



 「各種コースの特徴はどんなものか?」

 「コミュニテイーの人たちが、どのコースに参加するか、どのように

きめているのか?」

 「コースには、何回でも参加できるのか?」

 ミネサクラブでも、コースを開催しているので、具体的な質問が

あった。



 なにはともあれ、一日の探訪を終えた。

 さすがのミネサクラブの人たちも、少々疲れ気味に見えた。

 一人ひとり、何に触れていただいたのだろう。

                                (つづく)


   

  




韓国ミネサクラブ、来訪の記(1)--「人の本性に適した社会」出版を通して

2012-08-29 17:45:58 | アズワンコミュニテイ暮らし

 津の海は、真夏の太陽のもと、蒼い海原がうねり、白波が岸に打ち寄せていた。

 津なぎさ港に白亜のフェりーが着岸。

 デッキが下される、迎えにきたとき、一番ドキドキする瞬間・・・

 今回は、兄弟(?)の船田さんと迎えに来た。

 

 はじめに、ユ・サンヨンさんと目が合う。これで、落ち着く。 

 ユ・サンヨンさんとは、20余年のつきあい。

 通訳で、付き添ってくれている。

 今回の来訪は、8月22日~24日まで、韓国ミネサクラブのメンバー5名。

 一人ひとりと、あいさつ。

 

 もう、正午を過ぎている。。

 なには、ともあれ腹ごしらえ。港のターミナルで、おふくろさん弁当の

スペシャルをいただく。


 

 ユ・サンヨンさんは、この7月、「人の本性に適した社会」という本を韓国で

出版した。

 今年のはじめから、原稿をもって、いくつかの出版社を回り、さいごに

ミネサクラブの出版部に出会った。

  原稿の内容を理解してもらって、出版にいたった。

 

 ユ・サンヨンさんは、3年前、それまで暮らしていた共同体を離れた。

 鈴鹿にあるサイエンズ研究所の活動に共鳴して、韓国でもサイエンズに

基づく人間や社会の究明、その実践活動を始めた。

 今は、仁川(インチョン)に近い、江華島に家族とともにペンションを開き、

人との出会い、サイエンズによる社会づくりを実在させてきた。

 

 そのなかで、出会ったのが、出版元のミネサクラブの人たち。

 まことに、不思議といえば、不思議。

 ユ・サンヨンの本のなかにあるアズワンコミュニテイを是非、訪ねてみたい、

と今回の来訪になった。


 

  津なぎさ港から、40分。鈴鹿サーキット近くにあるサイエンズスクール

研修所に落ち着く。ここに、4日間滞在する。

 

 夕食の前、自己紹介やら、ミネサクラブのこととか、アズワンコミュニテイー

の概要を出し合った。

 

 韓国ミネサクラブの人たちの自己紹介。

 

イ・ワンキョさん 51歳

 韓国ミネサクラブの代表。

 「ミネサクラブというのは、どういう意味ですか?」

 「”未来にむけて前へ進む”というハングルを略した造語です」とイ、さん。

ーーミネサクラブは、1996年に設立しました。物質と精神の両立を

   究明してきた。

    人の内面の意識やその根源を観てきた。その内容を月刊誌で

   会員に公開し、講座を開設して、それを体験する機会もつくって

   きた。専門会員500人、一般会員1000人。いま、個の内面世界

   の解決にとどまらず、内面を探求し合う、”教育”(?)共同体づくり

   に着手しはじめている。鈴鹿での経験を学びたい。

 

カン・ホギさん 57歳


 ーー25年、事業を手掛けてきた。実は、若いときから共同体を妻とやって

    きたんです。キリスト教をベースにしていた。あるとき、じぶんのなかに

    宗教性を超えた本質的な問いが芽生えた。共同体に尽くすことが、

    じぶんや家族の満足につながっているのだろうか?

     それで、共同体を離れた。失敗の体験だった。ミネサクラブで、その

    原因をさぐっている。「人の本性に適した社会」を読んで、親しい間柄と

    というところに関心がある。コミュニテイーにも、希望があるんじゃないか?

 

オ・テホさん  57歳

 ーー”テホ”という名前は、”大きな虎”という意味です。”おおいに、吠える”ので

    許してください。食べ物のフランチャイズ会社のオーナーをしています。

     事業面の満足だけでは、何か足りないものがあります。ミネサのホルロス

    研究所のプログラムコースにも参加しました。

     いまは、資本主義的な面と社会主義的な面の両立は可能か、そこに

    関心がある。

 

 「ホルロス研究所のプログラムコースというのは、どのように行われて

いるのかな?」

 イ・ワンキョさん「二泊三日のコースを、二か月かけて、二回受講します。

そのあとは、一週間ごとに、インターネットなどで、連絡をとりあいます。

コースの会場は、ソウルから離れた田舎にあります」

 

チェ・スンヒ  41歳

 彼は、ホルロス研究所で、コース開設の実務的な仕事をしている。

 ーー日本が大好きなんです。子どものときから、日本の漫画の

    ファンです。

    人って、お金や欲望から、なかなか離れられないんじゃない

    ですか?アズワンコミュニテイーが、科学的に、固定がなく、

    そのことを実際の暮らしのなかで、どう解決しているのか?

    知りたい。

 

キム・ミヨンさん  65歳


 今回、来訪のなかの紅一点。

 --心理相談の仕事をしている。瞑想もやっています。ミネサのプログラム

    コースにも参加しています。出版された本を読んで、内容がお釈迦さま

    の言われていることに通じていると感じました。実際が、どうなっている

    か、ぜひ観させてほしい。

 

 5名の一人ひとりから、静かだけど、アズワンコミュニテイーの実際へ

の関心の高さが伝わってきた。

 

 小野雅司さんが、「アズワンコミュニテイ鈴鹿」というリーフレットのうち、

”アズワンコミュニテー鈴鹿 ストーリー”のページを読んで、すこし解説

しはじめた。

 ストーリーでは、「2001年、有志が集い、新しい社会の試みがスタート

した」とある。

 いつもの探訪DAYだと、この辺は割合、説明すると、だいたい次に

行ける。

 

 ミネサクラブの人たちはそうはいかなかった。

 「小野さんは2001年、なぜそれまで活動していた共同体から

離れたのか?」

 「離れるときの、もっとも本質的なテーマはなんだったか?」

 「小野さんが新しくはじめるというとき、新しいの核心はどこか?」

 

 ほんというと、そのやり取りは、いまとなっては、よく覚えていない。

 小野さんに向けられて問いかけというのにとどまらない。

 残っているのは、そのように考えるもとはどんなものか?と

どこまでも問いかけてくる”熱いもの”だ。

 まあ、だんだんお互いが分かり合えてきてから、おもむろに本題に

入りましょう、といったスタイルではない。

 どんどん、内面の深みに下りて、どうなっているのか、自身をみつめる

事態になっていた。

 

 

 その夜は、歓迎の夕食会。

 お寿司や手作りの料理など。

 ことの流れで、新しい人も参加しているので、ちょっと詳しい自己紹介を

もう一度・・・

 

 とはいっても、一人ひとりの話から、話題がどんどん内面の出来事を

各自が振り返る流れになっていく。

 型にはまっていない、というか、これほど、近しい間がらが、この食事会で

どうして出来たのか、あとでおもうと、不思議。

 

 「夫婦のことでは、ずいぶんしらべてきています」とぼく。

 「冷蔵庫を開けると、いつもいっぱいで、ごちゃごちゃ。妻には、なんとか

ならんのか、と責めていた。検討する機会のとき、そのじぶんの実例を

出してじぶんの中を観察した。観ていくと、じぶんの感覚に過ぎないものを、

”こうだ”と決めつけている自分に気づいた。みんなから、おおいに笑われた」

 たまたま、同席していた妻への問いかけ。

 「奥さんは、どうおもったのか?」

 「責められたというのが、なくなったというけど、なにがかわったのか?」

 「その変わったというところは、なにか悟りというようなことがあったのか?」

 

 けっこう、鋭い問いかけが、和やかなうちにも、ちょっぴり耳を澄ますような

空気のもとで繰り返された。

 妻は「悟りといことはわからないけど、そんなところを探っています」と

応えていた。


 いちばん若いチェさんが「ぼくんところの夫婦も、同じことしてます」と

親しそうに握手をしてきた。大笑い。

 

 さあて、明日からどんな感じになるだろう。

 歓迎夕食会は、和気藹々、しかも究明を楽しむ空気のなかでお開きに

なった。


                              (つづく)