かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

溶け合うということ

2018-09-30 20:11:16 | アズワンネットワークのある暮らし

 心に残った言葉。  (4)

 アズワンネットワークの活動の一つにサイエンズスクールがあります。自分や人生や社会をテーマにしたコースが設けられ、各自が自分らしく人間らしく生きることを目的にした教育プログラムです。どのコースも参加者が生活を共にしながら過ごし、その暮らしもプログラムの大事な一つになっています。

今回はアズワンネットワーク福岡から「人を聴くためのコース」に参加した豊田高子さんのレポートを紹介します。

楽しい漫画で数日の暮らしが表現されていて面白いです。この漫画で合宿の雰囲気が伝わるのではないかと思いました。


◆サイエンズスクールのコースはどんなところ?

                 ――豊田高子

◆本心が言える間柄って?

コースが午前中で終わり、お昼をどうするかみんなでおしゃべりしていると、Nちゃんが「たかみちゃん、うちに来てそうめんでも食べる?」と言ってくれた。
すると、べつの人が2人、「いいな!俺も行こうかな」と言って、Nちゃんは「いいよ」と言った。
あとからNちゃんは、その2人に「私はたかみちゃんにゆっくりして欲しいと思ったんだよね。大勢になるのは違うなーと思ったんだけど、どう思う?」と話してた。

そういうことも、ちゃんと言える。もちろん、すぐ言えるわけではないし、言えない時もある。でも自分の本心と違うなと思ったら、自分を見つめて、あとから言うこともできる。
一度言ったから絶対守らなきゃ、とかはないし、気持ちが変わることは当たり前。
普段、こういう環境に身を置いていない私にとって、コース中の生活も貴重な体験だ(*^-^*)


決断

2018-09-30 10:49:32 | アズワンネットワークのある暮らし

 こころに残った言葉。   (3)

 ・・・・・

そして、もっとここでやっていきたいから、留学生になりたいと連絡を入れた。
そこで、初めて読んだ本が「やさしい社会」だった。
誰にでも優しい社会があるんだ!
最初に求めていたものって、誰かにとって居心地がいいとか幸せだとかじゃなくて誰も苦しまないで済む世界だったな。
そして、それを諦めかけていたことにも気が付かなかった。
だから、‘誰にでも‘という言葉を見たときはすごく衝撃的で、うれしくて、同時に虚しくもあった。         (岡田 拓樹)


*僕も大学4年の時の終わりに除籍になりました。

それが良かったのか悪かったのか僕には分かりません。多くの人から止められまし

た。やめる理由を問われれば何か言葉で言えそうな気がしますが、でもそれを言って

も虚しい感じがします。理屈では言えないけど、大学を出ていようがいまいがその時

これからの僕の人生の核心に触れたんだと思います。   

  (宮地)           9月30日





「お年寄りは素晴らしい俳優だ」

2018-09-30 06:47:22 | アズワンネットワークのある暮らし

 こころの残った言葉。   (2)

「物忘れが多くなり、何でもへっちゃら」と笑うおじいさんの顔。腰を曲げ独特の調子であてどもなく歩くおばあさんの姿。「この人たちだけの味わいが自然に出る。まさに、俳優じゃないか」

(菅原直樹  オイボッケシを主宰する介護福祉士)9月30日


摩訶不思議

2018-09-29 15:30:42 | アズワンネットワークのある暮らし

スマホやパソコン見ていると目が痛くなる。

美代子さんに印刷して貰っている。

 自分では書けないけど心に残った言葉をコピーしてみます。

こころに残った言葉。(1)

傷ついた心も健康正常になろうとするようなもの摩訶不思議といえるようなもの、人に求める・人に応える・人に資するという作用はだれとだれにも、どんな人と人との間に作用するというあたりの大きさを思う。行為を受けているということを調べた時にそれはどういうことかとそれを知ろうと頭は動くが実際は?と何がそこに向いたか分からないが、向くと人の姿が浮かび、人の心に関心がいき満たされるものを感じた。人の行為を受けているとは人の喜びを受けていると表現されていたが、満たされるそれは喜びそのものだと思った。今回は映画を最初から最後までみんなで観た。名場面は映画の中にあったのか?、いやみんなで資料の輪読をすることで作られた名場面は僕に知る喜びを与えてくれた一週間だったように思う。

(集中輪読会に参加して  中井正信)  9月29日


目からうろこ

2018-09-28 12:07:11 | アズワンネットワークのある暮らし

サイエンズ研究所木曜サロン6ヶ月聴いてきて

 

いま、見えていることがすべてとは言えないかもしれないが、

自分が見てきたこと、聞いてきたこと、思っていること、考えて

いること、これはすべてじぶんの頭のなかのフィクションで、

「実際」のこと、「真実」は「人と人の心の状態の反応しあうところに

あると見えてきた。

こんなことは、これまで何回言い尽くされてきたことか。実は

ほんとうはなんにもわかっていなかったかもしれない。

何が実際か、世界がひっくり返った。

そこが見えていなかったので、いつも「自分の見ていること」

「かんがえていることが」実際であるとして、自分を変えよう

としてきた。

もうそんなことにきを使わなくてもいいにかもしれない。

目からうろこもそんなにつかわなくてみいいかも。

「真実」の世界は、そうだ一つしかない。

 

(やはり、パソコンに打ち込もうとすると、これぐらいで目が痛くて

あけてられない。