かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

隣人エクハルト・ハーンさん

2014-05-31 14:46:36 | アズワンコミュニテイ暮らし

           (一)遠い国の隣人

隣人といったら"近所の人"という意味だけど、エクハルト・ハーン

さんはドイツのベルリンで住んでいる。近所とは言えない。

70歳をこえて、一人暮らし。一人息子が近くに暮らしている。

ドイツというのは、ずいぶん離れた近所だ。

 

循環共生社会システム研究所(KIESS)の内藤正明氏の

友人であり、学問的なつながりがあった。

ハーンさんとは7年前ぐらいから、内藤さんの縁で日本に

やってきたとき、出会いができた。

4年ほど前から、来日すると、先ずアズワンコミュニテイ鈴鹿に

落ち着いて、それから全国各地に講演に出かける流れが

できてきた。

 

ハーンさんと気楽に呼んでいる。でも、どう呼ぶのかいいのか

迷うときもある。

講演の案内には、ハーン博士とかドルトムント大学名誉教授と

肩書きがつく。

ハーンさんは、20代から都市生態学の研究をし、環境調和型の

都市の再生のプロジェクトなどにも関わってきた。

国際的な研究機会にも参加してきている。

今はドルトムント大学で、ドイツの内外を問わず、環境調和型

の都市計画や再生の実務に当たっている人たち向けに

インターネットによる講座も受け持っている。

若き人材育成にも楽しそうに取り組んでいる。そんなに感じる。

 

ハーンさんは日本語は話さない。

ドイツ語と英語。英語は簡潔でシンプルで発音は聞きやすいが

それでも英語が堪能でないぼくらは、ちょっと込み入った会話を

するのは、難しい。

アズワンに暮らしながら、KIESSの活動をしている片山弘子さんが

通訳をしてくれている。

通訳があるから、通じ合っているかといえば、ちょっと

もどかしいところもある。コトバでなく、通じ合っていると

感じるときもある。

 

ハーンさんにとって、あたらしい発見があると、満面に笑みをうかべて

「やあー、それはおもしろい!」と子どものように感動する。

世間話のような場面でも、相手の話には、じっと耳を傾け、話が終わる

まで聞き取ろうとする。ハーンさんの気さくな人柄が現われている。


     (二)”ハートセンタ”ーとヨット転覆

今年は5月14日朝、セントレアに着いた。

北川道雄さんと片山弘子さんの二人がフェリーで来るハーンさんを

迎えに津なぎさ港に行った。

その夜、コミュニテイハウス江口宅で食事をしながら、一年ぶりの

旧交を温めた。

「何が驚いたって、弘子さんが北川さんと結婚したというのにびっくり

するやら嬉しいやら」とハーンさん。

ハーンさんの話を聞いていると、熟年の「結婚」ということもあるが、

弘子さんの変わりぶりに、何かを感じているようだった。

 

「アズワンコミュニテイにある、”ハートセンター”、これが大きかった

んだね。コミュニテイで”こころ”を大事にする仕組みがあるという

のが分かった。素晴らしい」

鈴鹿に向かう車中で、弘子さんが”ハートセンター”(アズワンでは

コミュニテイCOCOROセンターと呼んでいる)で話を聞いてもらい

ながら、結婚にまでいたった経過を聞いているらしかった。

ハーンさんは、来日して各地を回るときは弘子さんが通訳と

して同行することが多かった。

ハーンさんとして、弘子さんの内面に迷いのようなものがある

のを感じていたんだろうか。

すっかり晴れ晴れとした弘子さんを目の前にして、弘子さん

個人のこの一年の変わり映えとともに、アズワンコミュニテイと

いうものどんなものかに関心が向いたようだった。


「一年で変わったといえば、ぼくの場合、息子と話ができる

ようになったんだ」とその顛末を語ってくれた。嬉しそうだった。

ハーンさんは、若いときからヨットに乗ってきた。ヨットに息子を

誘ったら、「行く」というのでバルト海に出たのはいいが、嵐に

遭い、島の近くでヨットが転覆。

たまたま島から見ていた人がいて、危ういところを救助された。

「冷たい海で息子と生死のあいだを彷徨った」

ハーンさんと息子さんのあいだに、それまでどんなドラマが

あったか、分からない。それぞれの内面世界で氷解するもの

があったのか・・・

こんなしっとりと胸の内を明かしてくれたハーンさんは初めて

だった。

 

    (三)来年は息子と訪ねたい

鈴鹿で一泊した翌日、アズワンコミュニテイの見学をした。

ハーンさんを迎えて、アズワン見学は恒例の行事になっている。

今回の見学では、”ハートセンター”というような仕組みを

暮らしの中に根付かしているコミュニテイがどんな背景のもとに

営まれているか、そこを知りたいと焦点がはっきりしているよう

だった。

小野雅司さんがサイエンズ研究所のリーフレットを見せながら、

アズワンコミュニテイの社会的なベースの説明をした。


○サイエンズ研究所・・・本来の人間性の探究・社会構成の探究。

   やってみて、どうか。本来の目的から外れていないか観察・

   検討・研究・検証。

○サイエンズスクール・・・一人ひとりが自分の内面を観察して、

   自分の中にある本来の人間性に気づき、人生の目的を

   知り、そういう自分として日々の暮らしやコミュニテイを

   営んでいったら、どんな社会が現われてくるか。

   人と人の間柄がやさしく、シンプルになっていかないか。

 ○コミュニテイ・・・一人ひとりが幸福に成り合っていき易い仕組み・

    運営を研究所の研究成果をそれぞれの自由意志で汲み取り

    ながら、日々の暮らし、産業活動、文化活動など営んでいく。

    最近では、コミュニテイオフィス・ファミリー・贈り合いの

    コミュニテイストアが一人ひとりの間で息づいて、きつつある。


 

 

ハーンさんはときどき質問しながら、じっと聞き取ろうとしていた。

「すばらしい!」と感嘆の声。

「来年は息子といっしょにアズワンを訪ねたい」とハーンさん。

アズワンの仕組みについて、これまで説明してこなかったわけ

ではない。

今回はハーンさんの心の奥のほうに響いたように見えた。

 

    (四)セイリングシップモデル

ハーンさんと出会ったはじめから、これからの人類の進むべき

方向について、「タンカー」と「ヨット」の画像を示して、どっちに

向かっていくのでしょう、と問いかけをしていた。

5月24日にあったHUB Kyoto & KESS主催の「Community

Makes SusutenableScietyーー鈴鹿で、ドイツで、そして私たち」

フォーラムでも、ハーンさんはこの観点から切り出していた。

ハーンさんは「セイリングシップモデル」と表現して、未来の

都市の姿が今に現われている先進的な事例を丁寧に紹介して

くれた。

「セイリングシップモデル」の要点は

  ・人間性 

  ・人間と自然との関係 

  ・人と人との関係

だという。

都市生態学とか都市空間の再生とか、ハーンさんが長年

取り組んできた研究は、机上の理論にとどまらず、実際に

ドイツ各地で起きてきたまちづくりプロジェクトに、行政・

市民とともに、話し合い、理解しあって、その実現に努力して

きている。

そのときのハーンさんの心している核心のようなものが

そのコトバのなかにあるのではないか。

 

   (五)集合住宅暮らしの行方

「ドイツでは市民の手で、未来にむかっての都市空間の外観は

見通しがよくなってきています。ただ、心の面を取り上げている

コミュニテイの活動は見当たりません。アズワンさんがこれからの

モデルになるのではないでしょうか」

講演の最後に、そんなことを付け加えることがあった。

 

帰国前日、コミュニテイハウス江口宅で送り出し晩ごはんを

食べながら、日本滞在のよもやま話に花が咲いた。

「夕方の温泉は最高だった!」と第一声。

「ハーンさん、温泉好きなの。2時間、平気で入っている」

と弘子さん。


「温泉に行く前に、オフィスとファミリーの話をじっくり聞けた。

ファミリーが一つの経済でいとなまれる仕組み。すばらしい。

先進的だし、人間性に適っている。」とハーンさん。

その話合いに参加していないので、内容は分からないが、

ハーンさんの中では、これまで研究してきたことの、その先が

さらにはっきり見えてきている、そんな喜びがあるようだった。

これは、ぼくの感想。


「ドイツで集合住宅のプロジェクトにかかわってきている」

とハーンさん。

「日本では、江戸期にあった長屋みたいなもの?」

「200人が住める規模の住宅というイメージ」

「マンションみたいな?」

「その建設をする前から、それを出資して、作ろうとする住民が

先ずいる。その人たちが、どんな住宅にするか、それぞれが

描いていることを出し合いながら、それぞれの願いが実現

できるように設計・建設していく」

「そこの人たちで、人間関係でトラブルはないのだろうか?」

「まだ、出来てから7年ぐらいで、一応自分たちで作ってきた

というのがあるので、問題はないようだ。でも、この先は、

分からない。観察してるんだあ」とハーンさんが、ニッコリ。

ぼくらも、聞いて和やかな気持ちに・・・。


日本にもコレクテイブハウスという試みがある。

先ずそういう仕組みや施設があり、そこを希望する

人たちが入居して、個人や家族の自由をベースに

コミュニテイの暮らしを営めるという。

人と人が規則や取り決め、当番制などが無くて、円滑に

社会生活が営めるか。とても面白い社会実験だろう。

 

実をいうとハーンさんの都市生態学や空間計画の研究と

アズワンの「やさしい社会の試み」が何処で接点ができる

のだろう、とこの数年、思い続けてきた。

今回、なにか手がかりが出来たんではないか。

いま、ブラジルにいるスイス・ドイツ生まれの人たちが

ポルトガル語に訳してある「やさしい社会」の本を

ドイツ語に訳して、ハーンさんに贈る計画が進んでいる。

「やあ、楽しみだ」ハーンさんの弁。

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 


 尹東柱 ユンドンジュ

2014-05-25 11:22:18 | わがうちなるつれづれの記

昨日、アズワンコミュニテイも参加するフォーラムが京都で

あった。

会場が烏丸町にあり、同志社大学が目と鼻の先にあった。

同志社大学には、韓国の詩人 尹東柱(ユンドンジュ)の

詩碑があると聞いていたので、フォーラムまで時間があった

ので訪ねてきた。

 

同志社大の構内は広い。

「詩碑に行きたいのですが・・」と守衛さんに尋ねたら

ご存知だったらしく、丁寧に案内してくれた。

礼拝堂の東側に落ち着いた雰囲気のなかにあった。

 

詩碑には、ハングルと日本語で

「死ぬ日まで空を仰ぎ

一点の恥辱なきことを」

で始まる詩が刻んであった。

 

その前に、ブックケースのようなものがあり、開けてみると

ユンドンジュのハングルの詩集や書き込みのしてある

ノートが入っていた。

詩碑の脇にはボールペンが置いてあり、訪れた人の

感想が書いて保管できるようになっている。

いま、尚、ユンドンジュに思いを馳せる人たちがいることを

物語っている。

 

尹東柱という人を知ったのは、15年ほど前。

韓国に滞在していたとき、息子のようなユンソンジュンくんに

案内してもらって、忠清南道天安市にある「独立記念館」に

行ったときだった。

展示の一隅に澄み切った目をした青年の写真があり、そこに

ハングルで詩のようなものが掲げてあった。

ソンジュンくんに訳してもらって、メモをしておいた。

「尹東柱」という詩人の作品で、戦前日本に留学中に亡くなった

という。

 

帰国して、調べたら、伊吹郷さんという詩人が尹東柱の全詩集を

翻訳していることが分かった。「空と風と星と詩」(記録社)。

図書館で借りて、読んだ。

茨木のり子さんの「ハングルの旅」(朝日文庫)には、尹東柱が

日本で亡くなった経過が書いてある。

 

ーー1945年、敗戦の日をさかのぼること僅か半年前に、27歳の

   若さで福岡刑務所で獄死させられた。

   最初は立教大学英文科に留学、やがて同志社大学英文科に

   移り、独立運動の嫌疑により下鴨署に掴まり、福岡に送られる。

   そこで得体の知れない注射を連日打たれ、亡くなるまぎわ、

   母国語で何事か大きく叫んで息絶えたという。

 

ユンドンジュの詩が澄み切っていればいるほど、そのように

感じれば感じるほど、この日本での獄死は胸に響くものがある。

 

尹東柱は詩をハングルで書き続けた。

日本は1937年、中国と全面戦争に入ってから、「内鮮一体」

「皇民化政策」を打ち出し、朝鮮語を学校教育から外して、

日本語の常用を強制したり、「創氏改名」など、人間の尊厳を

踏みにじるような施策をつぎつぎに実行した。

そんな背景があった。

ハングルで詩を書き続けたことの内面、それに目をつけた

官憲。

 

       たやすく書かれた詩             尹東柱 (伊吹郷訳)

   窓辺に夜の雨がささやき

   六畳部屋は他人の国

   

   詩人とは悲しい天命とは知りつつも

   一行の詩を書きとめてみるか

 

   汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う

   送られてきた学費封筒を受けとり

 

   大学ノートっを小脇に

   老教授の講義を聴きに行く。

 

   かえりみれば  幼友達を

   ひとり、ふたり、とみな失い

 

   わたしはなにを願い

   ただひとり思いしずむのか?

 

   人生は生きがたいものなのに

   詩がこう  たやすく書けるのは

   恥ずかしいことだ。

 

   六畳部屋は他人の国

   窓辺に夜の雨がささやいているが、

 

   灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、

   時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、

 

   わたしはわたしに小さき手をさしのべ

   涙と慰めで握る最初の握手。

 

ここでいう「最後のわたし」と「最初の握手」というのは、なんの

隠喩なんだろう・・・

 

日本と韓国のことを考えるとき、ぼくと韓国で、朝鮮半島で暮らす

人たちのことを思うとき、この詩人との出会いは大きい。

韓流の流行のときも、北朝鮮の拉致事件のときも、いまのヘイトの

動きを見聞きするときも、先ず、内から湧いてくるもの。

「先決問題は、日本人自身の反省と努力によって、自身の頭脳・

技術・社会人としての教養・人格・肉体等、実質・外観ともに

歓迎される優秀人となることで、これが国境を無くす近道です。

 

1945年8月、日本が敗戦して、朝鮮半島の日本人が現地から

逃げ出す流れになった。これまでの恨みを晴らそうという気持ちの

人もあったろうか、「日本人を殺してはならない」と戒めていた

朝鮮の人もいたと知ったときがあり、それも胸裏から消えていない。

 

同志社大学の一隅の、この詩碑を今は、ぼくのこころに

刻んでおこう。

 

 

    

   

           

 

 

 

 

 

 


あたりまえのことが

2014-05-23 07:45:52 | アズワンコミュニテイ暮らし

スマホを使いはじめてもう2ヶ月になろうとしている。

コミュニテイで暮らしている人たち一人ひとりが

スマホを使って、やってみようとなったのだった。

「ええ、そんなことできるかな」恐る恐るだったが、

チャレンジの面白さもあった。

スマホを持っている人とはラインという通話方式で

やりとりする。だいぶ、馴れてきた。

妻は北海道で暮らす息子とラインで話をしている。

料金は要らない。心ゆくまで話している。

パソコンも、スマホを使って「テザリング」という方式で

インターネットを接続できる。

だいたい、インターネットなどの仕組みのことがぜんたい

分かっていない。分かる人から説明してもらうのだが、

日本語は分かるが、そのことがどんなことか、ピンと

来ない。カタカナのコトバが出てくると、迷路に入ったような

情けない気持ちになったりする。

それでも、やっと、「それで、やれるかな?」となりつつある。

 

先々の予定も手帳を使っていたが、「グーグルカレンダー」と

いうものがあると知って、使い始めている。

予定を書いてあっても、たいがいはその時になって、ポカっと

忘れることがある。これはスマホの機能とは別のこと。

一日の何度も、そのカレンダーを開いている。

開いて、「この時間だな」と確かめても、そのとき何かに気が

行くと、うっかり忘れてしまう。まだらボケというのかな。

スマホは有難いのか、物忘れを助長するものなのか。

 

妻が、最近何か変わってきている。

「江口夫妻と伊藤夫妻、夕食に呼んでもいい?」と妻。

「・・・・(エッ)・・ああいいよ、小浪がそうしたいなら」とぼく。

 

いままでの感じ。

「この人夕食に呼びたいんだけど」とぼく。

「えっ、いつ?」と妻。その後、「うーん」といろんな都合が

出てきていた。

「自分中心なんだから」みたいなこともつぶやいたり・・・

それが、小浪のなかで何が起きているのだろう?

 

江口さんが、肺がん手術で1ヶ月ほど入院していて、退院して

きた矢先、奥さんの公子さんが乗っていた自転車が転倒して、

左大腿骨の関節を骨折した。

人工関節を入れることになり、今度は公子さんが入院。

江口さんが一人、家に残されることになった。

 

周囲の人たちもぼくも、退院してきたばかりの江口さんの

暮らしのことを考えた。

公子さんの希望。

「父ちゃんは一人で暮らすのは、ご飯も作れるし心配して

いないんよ。人に接することがなくなり、家に籠もるような

感じになるのが、ねえ・・・」

ご近所の奥さま方が、何やら談合して、江口さんのところに

出かけていって、ご飯を作って食べる日や、何軒かのお宅に

いって食べる日が、いとも簡単に決まったらしい。

わが家は火曜日。

妻はあったりまえのように江口さんを受け入れていた。

「あんた、ご飯よ!」

妻の采配で、テーブルにつくという雰囲気。

江口さんも、寛いで食事をしていた。

「うまかった、もう行くわ」

江口宅とぼくらの家は歩いて3,4分。

ちょっと、描いてみたら、江口さんにとっては「離れ」で食事

してきたとも言えないかな。

あと何軒かの家もそんなふうじゃないかな。

 

水曜日は、若い人たちが食べにくる。

来る来ないは、一人ひとりだけど、来たときは”我が家”に

いるような、そんなふうじゃないかな、というように、

寛いでいる。

自分たちの気の置けない話題でおしゃべりしたりしている。

「小浪さん、これ美味しいっすよ!」

思いついたように言ったりする時もある。

 

ああ、いまマンションの玄関チャイムが鳴った。

出て行くと、2階の純奈ちゃん。

「車、借りたいんだけど・・・」

妻、車で何処かに出かけている。

「じゃあ、連絡してみるね」

ラインで小浪を呼び出すも、出ない。

使いたい時間までは1時間ほどある。

「もう少し連絡とってみるので、それまで待って」

繋がらなければ、いかなスマホも便利とはいえない。

電話に出ないことが。たびたびあるんだよなあ。

と、ぶつぶつ思っていたら帰ってきた。

スマホを車のなかにおいて、畑で作業していたという。

 

どれも、これも、人と人の間でいろいろな気持ちが起こり、

それぞれが何かをしている。

その時に、遠慮や気兼ねみたいな、こころの状態があると

なんか窮屈だろうな。

なんでも言い合えるお互いだと、楽だろうな。

育って来た過程を振り返ると、そうじゃないほうで固まって

来ているのを感じる。

 

何があたりまえか、何度でも自分の心の健康正常について

観察していきたい。

 

このブログ、かたつむりつれづれ。

ぼちぼち、あちこち、と言う感じもあるよね。

何日か前に子どもの詩を読んでた。

そこから、こんな日々のこと、だらだら書くことになった。

 

      あたりまえのことが          小五 女

  食べられること

  ねむれること

  学校へ行けること

  友達と遊べること

  家族と話せること

  大人が仕事すること

  健康で安心なこと・・・・

  それはあたりまえだった

  それが幸せに変わった

  平成七年一月十七日

  阪神大災害が私に残したこと

 

 

どんなことを当たり前と言うんだろう?

3・11以後、この辺、とくと、じっくりしらべたい。

そこが違ったら、まったく違うものになってしまう

感じがして・・・

それが幸せに変わるんだったら、尚のこと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


アマリリス

2014-05-19 09:02:51 | アズワンコミュニテイ暮らし

花に関心なかったらしい。

とくに、外来のカタカナの名の花々たち。

小学生の頃、何を思ったのか花図鑑を買って、花の

名前を覚えようとしたけど、出来なかった。

 

先日、安土亮さんのところに、開眼祝いに行った折り、

帰りに、亮さんが仕立てたアマリリスの鉢をいただいた。

すっくと立った茎の上に蕾がついていた。

「おいて置けば、咲くわよ」奥さんの由美子さん。

それが、5月7日。

 

「ねえ、蕾が開いてきたわよ」と妻小浪が叫んだのは

5月16日の朝。

 

 

夕方には一輪、見事に開き切った。

「わあ・・・」

この、自分の目で見る感動は、素人のカメラでは到底

表しきれない。

 

5月18日三つの蕾が開いた。

あと、一つ残っている。

「ねえ、見て。花が咲きそろってきたら、茎がまっすぐに

なってきた」妻の弁。

 

安土さんがまだ目が見えないとき、植物園に一緒に

行って、僕が花の名前を声に出して読み、買い物して

いた。

育てるの喜びの上に鑑賞の喜び。

おこぼれにあずかっている。


             ラリラリラ理路を開くやアマリリス

 

 

 

 

 


老人と幼児

2014-05-14 08:55:06 | アズワンコミュニテイ暮らし

時々、息子秀剛の子ども、生まれて5ヶ月の孫がわが家に

やってくる。

嫁さんが買い物やどこかに出かけたいというとき、

「お願いします」と母子でやってくる。

 

妻は孫を一頻りあやして、畳の部屋に寝かせることに

なる。

畳の部屋には炬燵がある。そこに、ぼくは足を突っ込んで

寝転んでいることが多い。

赤ちゃんと一緒に並んで寝ることになる。

 

むっちり肥っている。

身体を反るように力んでいる。

妻に聞いたら、寝返りを打とうとしているらしい。

その方向に手を引っ張ってやると、嬉しそうに笑う。

「嬉しそう」に見える。

 

 

最近、やろうと思っても、出来ないことが多い。

「やろうと思う」ことと、「実際にやる」ということの間がどんどん、

離れていく実感がある。

よく見れば、歳にかかわりなく、思っても出来ないことなんか、

ざらにあるだろう。

「思ったら、やれる」と思い込んできたことへの、身体の方から

の警告か。


思った通りいかないのは、赤ちゃんも老人も同じかな。

赤ちゃんは、どんどんやれるようになっていく。

老人はますますやれなくなっていく。

このところは、違う。


赤ちゃんは、やれないことがやれるようになって、新しい世界を

知っていく。

老人は、やれると思っていたことがやれなくなってきて、そこで

新しい世界を知っていく。

そこに学びがあるかな。


赤ちゃんといっしょにいると、命のエネルギー、どんな環境で

あろうが健康正常に生きていこうという溌剌たる力が漲って

いるのを感じる。

終りが見えている老人も、この姿に触れていると、むくむくと

なんともいえない力が湧いてくるのを感じる。


「過去の人たちが積み上げて出来たものを、自己の代で

停滞・消滅ささずに、次代の繁栄・前進への素材として、

よりよきものに練り固め、周囲及び後代へ引き継ぐ事こそ

生きがいというべきです」

以前に読んだ一節が浮かんできた。


お母さんが帰って来た。

子どもの寝ている隣で、浮き輪に空気を入れ始めた。

それでお風呂に入れるという。

お父さんもやってきた。

お風呂が賑やかだった。

見にいくと、赤ちゃんが浮き輪を首に着けて、浴槽に

浮かんでいる。

嫌じゃないみたい。かといって、嬉しそうにも見えない。

なんとも、言うに言われぬ表情に見えた。

 

テレビでは、「集団自衛権」とか言って、他国が攻めてきたら

どうするのかとニュースが流れている。

ああ、この違和感。

 

この子たちに何を引き継ごうとしているのか、この老い人。

この子たちが本来もっているものが、花開いていく方向へ、

そうなるような土壌づくり。

手遅れじゃない。

いま、実際にできるところから、現していく。

老人の生きがい。