かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

有朋自遠方来、我自階段落

2011-12-31 06:46:43 | アズワンコミュニテイ暮らし
 年の瀬、岡山津山から軽自動車に乗ってやってきた。
 この男、60歳のちょっと手前、朝早くからチームを組んで、
山に入り、森林の整備をして、生業としている。
 
 宇津木緑、男、58歳。
 もう、40年近いつきあいだ。わが弟、あるいは同志と呼んでも
いい。
 かつて、この男に、彼が感じているまま、ありのままに、
面と向かって、言われたことがある。
 彼は、20代の青年だった。
 自分のこころのうちの”痛いところ”を突かれたと思った。
 それが、じぶんのなかの”さびしいもの”と向き合うキッカケに
なった思い出がある。

 きのうまで、山に入っていたと言った。
 一泊して、30日には帰るという。
 よくぞ、訪ねてくれました。

 何人かが寄ってきて、夜、おでんをダシに、宇津木さんとの語らいの
ひとときをもった。
 おでんは、妻の手塩にかけた一品だ。
 高崎みゆきさんは、荒巻鮭を添えてくれた。。
 宇津木、こと”うっちゃん”は、「これが、うまいんだ」と、
津山の地酒”冨久迎え”のにごり酒もってきた。


 おでんからたちのぼる湯気や身体に入った大根のあつあつや、
にごり酒で、ほかほかの団欒になった。
 いまのお互いを見ながら、遠い、あのころの思い出ばなしに
うっとりしていると、突然、いまのお互いになって、真剣に
なったり、それぞれがしみじみしたり・・

 とっても、心地がよかった・・
 そのうち、ぼくはすこしめまいがしはじめた。

 食卓にいるのが、しんどかったので、席を離れて、ソファアに
移った。
 トイレに行きたくなって、立った。なにか、目がまわる。
それでも、トイレはすぐ隣だと思い、部屋の戸を開けて、
廊下に出たトタン、なにが起きたのか、階段から
頭が下向きになって、仰向けのかたちで滑り落ちていた。
 我が家は2階に居間とキッチンとトイレがある。
 トイレにいくためには、階段の前を通る。
 落ちる瞬間がどうだったか、記憶がない。
 気がついたときは、もうすべっていた。

 「頭は打っていないか」みんなが心配してくれて。
 起きあがってみて、どこも痛いところはない。
 妻などが、ぼくの頭を見て、「すこし赤くなっているけど・・」
 それでも、痛みは感じない。
 「様子みてみるよ」とぼく。
 狩山雄一くんは、自身、脳挫傷の経験があるので、とっても
気にかけてくれた。

 とんだハプニングだった。
 ”福迎え”が、とんだことになった。
 居間の隣の部屋のコタツで休んだ。
 みゆきさんが布団をかけてくれた。
 寝ながら、みんなのおしゃべりを聞くともなく、耳に入ってくる
ままに聞いていた。
 ”うっちゃん”と雄一くんが、さいごまで話していた。
 内容はわからないが、ぼくのほうはなにかほっこりしていた。

 翌朝、鈴鹿に暮らす人たちや、ブラジルから来ている恵吾さんに
会った。

 
 「これだけは分かってほしいけど、ぼくは鈴鹿の宮地に会いに
きたんじゃないんだよね。宮地という人間に会いにきたんだからね」
と、途中、”うっちゃん”が念を押してくれた。
 「わかるかなあ?」と問われた。
 「わかるよ」ととっさに応えた。
 すぐ、「なにが、分かったというの?」という気持ちが出て来た。
 それは、口には出さなかった。

 ”うっちゃん”は、昼前、トヨサトへ向かった。
 「またなあ・・」
 
 
 その日、朝、起きたときから、右の肩が痛かった。
 どうも肩を打撲している。
 妻に湿布薬を貼ってもらう。
 右手の使い方で、ときにビッリと来る。
 ”うっちゃん”を送り出した後は、部屋でぼーっとしていた。
 こんな日も、いいのかも。


じぶんでやれると思っているけど、じっさいはほとんど人にお世話を
かけているのかも・・・

 

 

忙中閑、年の瀬の味わい

2011-12-28 08:21:04 | アズワンコミュニテイ暮らし
 10月からやってきたパソコンの職業訓練、28日に終わった。
3か月、午後3時自宅を出て、車で白子に行き、午後9時帰宅。
隣人の青年、平井祐司くんといっしょだった。
 旅は道ずれ、車の運転は平井くん、遅い夕食も我が家で一緒に
食べた。妻は毎晩、つきあってくれた。

 訓練校では、修了式があった。
 平井くんは、スーツとネクタイ姿で修了証をうやうやしく
受け取っていた。ちょっと、びっくりした。

 習うことが目的だったのか、”終わる”ことが目的だったのか、
ぼくの場合、ちょっと、あやしい。
 訓練の成果は、これからが見ものだ。

 年の瀬、来客も多かった。
 20年前ごろ、青年期に気をかけていた男が、ふっとあらわれた。
 狩山雄一くんと、無二の親友と聞いている。
 この男、パプア・ニューギニアからやってきた。
 奥さんは、パプアの女(ひと)だ。9歳の男の子、4歳の女の子も
同伴してきた。

 話はじめたら、彼とはぐっと近い感じが蘇ってきた。
 「また、来たい」と言って、東京に住む親のところに帰っていった。

 パプアの奥さんは子どもの歳がよく分からないという。
 「おいくつ?」というのが、あいさつのようになっている
われら「日本人}と異う。
 そもそも、「いつ生まれたか?」と言うことに関心がないのでは。

 考えてみれば、誕生日なんて、周りの人がいっていることを、自分が
「そうだ」として、思っているだけかも・・・。
 それでも、それはそれとして、ぼくら夫婦は毎年、年の瀬、妻の誕生日
と言う日に、どこかへお出かけする。10年来の儀式だ。
 われらの儀式は、物を贈るというより、”食べる”ほうに重きを
おいている。

 ことしは、京都に出かけた。
 午後に出かけ、お寺を訪ねて、散策した。
 禅寺の東福寺。
 紅葉の時期なら、さぞかしまぶしかったろうに・・

 
 訪れる人もまばらで、境内は静寂につつまれていた。
 重森三玲という人がつくった庭園に、しばし見とれた。

 ”東司”、”とんす”と読む。トイレである。
 200人が一遍に用をたせる。
 壺が並んでいる。仕切りもない。200人が用をしている光景を
浮かべて、シンプルだったんだろうなと思った。


 夕方、蕎麦懐石をいただいた。
 ほじめ椅子席だったけど、囲炉裏があるの見て、囲炉裏端に席を
かえてもらった。
 ぼくら夫婦だけだった。
 店は旧家の一軒家で、京都の街から、細い道をたどって、
谷に川が流れる、森に囲まれた里の奥にあった。

 味ってやつは、その人に生じるもので、その人にしか分からない。
 表現しようとしても、いま、感じている味をなかなか表現できる
ものじゃない。
 それなのに、じぶんが「うまい」とか「おいしい」とかいうものを、
誰かに「ねえ、ねえ、おいしいよ}と言いたくなる。
 じぶんが”おいしい”と感じていることをいっているのか、そのものが
”おいしい”と言っているのか、この辺ははなはだ、あやしい。

 小奇麗な器に盛られた一品一品、そのなかの素材の一つひとつ。
 味わって、いただいた。
 作っている料理人の心配りも想像したりした。
 静かな囲炉裏端で、ぼくら二人、ほのぼのとした気分だ。
 大皿に盛ってある料理をみんなで取り分けて食べるのとは、大分違う。
















 
 かって、20余年前、新婚旅行で南禅寺の豆腐懐石を食べたことがある。
 時間をかけて、料理が運ばれてくる。
 運ばれてきたものは、あっという間におなかにおさまってしまう。
 間をもたすのに、苦労した。食べ終わって、「こんなものか」と
思った。
 すこし、そのとき背伸びし過ぎたのかもしれない。

 今回は、ちったあ、味わえるようになってきたのかしらん。

 年に一回に、ささやかな儀式。
 誕生日にかこつけて、年の瀬に、これからも、つづくかなあ。

 
 
 

 

 


 


 
 








 
 

 
 

娘に・・

2011-12-26 08:19:38 | アズワンコミュニテイ暮らし
 師走のある朝、冬日が射し込んでいた。
 大気は冷えていた。
 娘が、話がしたいとやってきた。

 石油ストーブの上のやかんから湯気が出ている。
 手をかざしながら、ぼくは
掌と甲を互い違いにあぶっている。

 なんとはなしに、先日行ってきた
 一週間の内観が
 どんなだったか
 とつとつと聞かせてくれた。

 「大人はほんとうのことを言ってくれない」と
 ずっと胸の奥にしまっていた。
 娘は、それにうすうす気がついてはいた。
 たいしたことには思っていなかった。

 娘はおそるおそる
 子どものころの父や母にたいする思い出に
 向き合ったのだった。

 
 「父さんや大人の人に聞けばいいだけのことなのに・・」
 どっかで、じぶんが ひとり
 思いつめてたいたもの。

 それが、見えた。
 浮き彫りになった。
 
 「よく、がんばってきたね・・」
 娘はじぶんにいってやった。
 堰を切ったように、娘のなかから
 ほとばしり出るものがあった。

 「チョウ、楽になったの・・」
 周囲の見えるものが、
 いままでと異うとも言った。

 冬日が窓からうらうらと
 部屋のなかの椅子や机を
 まぶしいほどに照らしている。
 ストーブの赤い芯を
 見つめていた。

 「父さんは、おまえに なにも 残すものはないけど・・・」
 と、思わず、
 胸の奥から突き上げてくるものがあって
 そんな言葉が口をついてでた。
 そのあと、思いもかけず
 嗚咽になって、それが止まらず
 くしゃくしゃになっている顔を
 手で覆うしかなかった。

 「いまは、じぶんがどんな人になりたいとか、
 どんな母になりたいとかはないんよ。
  娘や息子に、とっさに反応しているじぶんが
 どんなかと、ふりかえることをしたい!」
 と、面接の人に言ったという。

 娘桃子。
 よくぞ、そこまでじぶんと向き合ったね。
 まだまだ、はじまったばかりだと
 言っていたね。
 そうだよね、これからだよね。
 父さんも、桃子がやろうとしていることに
 もうろくはしていくけど、
 ともにやっていきたいと・・・

 言葉にしたら、
 こんなことを言いたいわけではないと
 どんな言葉を使っても、
 いいあらわせないかもしれないけど
 今年、一番、こころが動いたことと問われたら
 こんなことになるかなあ・・・
 

 
 
 
 

 
 

やじきたが 師走の桑名 ひとまたぎ

2011-12-26 08:16:07 | わが健康生きがいづくり三重の会記録
 「いざ、桑名へ」と向かっている朝、ふと浮かんできたこと。
 「きょうは、師走24日。ことしも、あと何日。こんなときに、よくもまあ、
東海道膝栗毛の企画など、思いついたものだ。異論をはさむ人がいなかった。
物好きな連中かな、ぼくらは?」

 集合は、午前10時、近鉄桑名駅集合。
 駅に寄り合った人たちが七里の渡しに”やっと”着いたのは、11時過ぎ。
 就学前の男の子(伊藤正人さんのお孫さん)をいれて、総勢13名。
 それから、トイレや「記念に鳥居で写真を撮ろう」とか、なにや
かやしているうちに、はや11時半。

 東海道やじきた道中プロジェクトの発案は、伊藤敏正さん。
 健康生きがいづくり協議会の神奈川県のメンバーが、何年か前に江戸から
歩きはじめた。静岡を通って、いまは愛知県の旧東海道を宿場から宿場と
歩いている。
 各県の”健康生きがいづくり”のメンバーが、協賛して歩いて来てる
らしい。寒い時期は、お休みして、来年9月に、桑名七里の渡しに
着くという。
 今回は、三重県を通るときにそなえて、その下しらべのアクションデー
ともいえる。
 
 「これが、桑名の観光マップ。これは、ご当地グルメ”しぐれ肉巻き
おにぎり”さっそく、ぼくは買いました」と伊藤敏正さん。
 桑名市や観光案内所でもらってきたパンフレットを一人ひとりに・・


「じゃあ、ぼちぼち歩きますか?」
 だれともなく、言いだして一行はぞろぞろ動きだした。
 5歳の伊藤正人さんの孫”はるき”くんから、70歳をこえた余川さん、
伊藤八重子さん、その間の60歳前後のおじさん、おばさんが先になったり、
あとになったり、右に寄ったり、左をのぞいたり。
 車の往来がけっこうある。「そうだね、師走の土曜、クリスマスイブ
だもんね」とだれかがポツリ。



 仏壇屋さんが何軒か並ぶ通りで、鈴木英二さんが仏壇屋の店にそれとなく
入ろうとした。
「そっちじゃないよ。そっちにいったらあかん!」と冗談をいう奴(ぼく)が
いた。
「英二さん、なにを思っていたのだろう?」とぼく。


 つい、立ち止りたくなるところが、あちこちにある。
 春日神社。桑名の石取り祭が有名。
 鳥居の脇に石碑に”しるべいし”とある。迷子が出たら、ここに来いと
いう拠り所・・。人、人、人の賑わいのなかの”人情”を感じる。




 石取り会館があった。山車が展示されていて、ホールの壁に祭の様子が
大画面のスライドで見ることができた。
 鉦(かね)や太鼓で、賑やかしい。地元の人は、”やかましまつり”と
名付けて、大事にしている。




 あっという間に、正午過ぎ。
 ”はるき”くん、「おなか、すいたあ」
 「そろそろ食べようかなあ」だれかが言う。
 いいとも、ダメともなく、一団は街道近くのおそば屋さんへ。




 予定では、このおそば屋さんの近くの近鉄「益生(ますお)」駅で解散
だった。
 「近鉄伊勢朝日駅が、四日市の宿場までの半分のところだけど・・」と
言う人がいて、しばし路上”会議”
 矢田立場という火の見櫓のところで記念撮影のあと、益生駅で
終わる人たちと、伊勢朝日駅まで歩きつづける人たちに分かれる。



 大平事務局長は、術後の身体を労わりながら、みんなが立ち止るたびに、
時計を見て、マップに時間を書き込んでいた。
 今回の益生駅までの行程を詳しく知りたい人は、大平さんまで。
 余川さん、伊藤八重子さんともここでお別れ。
 鈴木英二さんも持病に耐えながら、よくぞ歩きました。


 伊藤正人さんと孫は、伊勢朝日駅までのコースを選ぶ。
 真っすぐの街道をもくもくと歩くときもあった。
 どこかでは、お互いおしゃべりに熱が入って、どんどん遅れる組がある。
 気がつくと先頭を歩いている。人なつかしくなったら、ちょっと歩をゆるめて、
後ろの一団を待ち合わす。
 ”やじきた道中膝栗毛”とは、よく言ったもの。
 じっさい、じぶんの足で歩いてみて、人とともに歩んでみて、長いと思っていた
道中が、遠路も忘れて愉快なひとときになっている。

 
 最年少のはるきくん、「けっこう、歩けるもんだなあ」と見ていたら、
もうすぐ駅というあたりで、「足が痛い」とうったえた。
 おじじの伊藤正人さん、「じゃあ、おんぶしよう」
 はるきくん、おじじの背中にもたれて、「ああ、気持ちいい」といった表情。


 中井正信会長も「足がえらくなってきた」とつぶやいた。
 「来年が描けるなあ」とつづけて、言った。
 辻屋夫妻は、まだまだ余力を残している。
 伊藤敏正さん、「良いお年を!」
 伊勢朝日駅で、それぞれの帰路へ。


 なんで東海道やじきた道中プロジェクトなのか?
 ほんというと、じぶんでも、どういうことか、あまりよくわかっていない。
 みんなで、そしてめいめいその人のペースで、離れたり、くっついたり、
キョロキョロしながら、歩くのは、意外に楽しい、そう日常では味わえない、
そんな感じがした。          (宮地)
 

 


 


 


 

メッチャ愉快なクリスマスメール

2011-12-24 08:12:58 | アズワンコミュニテイ暮らし
 スイスのルッツエンの町から、メッチャ愉快なクリスマスメールが
届きました。
 もう、ついつい踊りたくなってしまう。
 何回見ても、恥ずかしげもなく、楽しい。
 よければ、どーぞ。
 「ねえ、ねえー、こんなメールがあったよ」
http://sendables.jibjab.com/view/LhdIHg7bulaSJKvtJsna

 5年前の2月、ルッツエンの町を訪ねたことがあります。
 ジェンプ一家の家からは、雪を冠したピラトス山がくっきり見えました。
 ちょうど、ハスナハットというお祭りの日でした。
 スイスの人は、普段は一見”真面目”に見えます。
 この日は、大いにハメをはずしていました。
 春到来をこころから喜んでいるように感じました。