年の瀬、岡山津山から軽自動車に乗ってやってきた。
この男、60歳のちょっと手前、朝早くからチームを組んで、
山に入り、森林の整備をして、生業としている。
宇津木緑、男、58歳。
もう、40年近いつきあいだ。わが弟、あるいは同志と呼んでも
いい。
かつて、この男に、彼が感じているまま、ありのままに、
面と向かって、言われたことがある。
彼は、20代の青年だった。
自分のこころのうちの”痛いところ”を突かれたと思った。
それが、じぶんのなかの”さびしいもの”と向き合うキッカケに
なった思い出がある。
きのうまで、山に入っていたと言った。
一泊して、30日には帰るという。
よくぞ、訪ねてくれました。
何人かが寄ってきて、夜、おでんをダシに、宇津木さんとの語らいの
ひとときをもった。
おでんは、妻の手塩にかけた一品だ。
高崎みゆきさんは、荒巻鮭を添えてくれた。。
宇津木、こと”うっちゃん”は、「これが、うまいんだ」と、
津山の地酒”冨久迎え”のにごり酒もってきた。
おでんからたちのぼる湯気や身体に入った大根のあつあつや、
にごり酒で、ほかほかの団欒になった。
いまのお互いを見ながら、遠い、あのころの思い出ばなしに
うっとりしていると、突然、いまのお互いになって、真剣に
なったり、それぞれがしみじみしたり・・
とっても、心地がよかった・・
そのうち、ぼくはすこしめまいがしはじめた。
食卓にいるのが、しんどかったので、席を離れて、ソファアに
移った。
トイレに行きたくなって、立った。なにか、目がまわる。
それでも、トイレはすぐ隣だと思い、部屋の戸を開けて、
廊下に出たトタン、なにが起きたのか、階段から
頭が下向きになって、仰向けのかたちで滑り落ちていた。
我が家は2階に居間とキッチンとトイレがある。
トイレにいくためには、階段の前を通る。
落ちる瞬間がどうだったか、記憶がない。
気がついたときは、もうすべっていた。
「頭は打っていないか」みんなが心配してくれて。
起きあがってみて、どこも痛いところはない。
妻などが、ぼくの頭を見て、「すこし赤くなっているけど・・」
それでも、痛みは感じない。
「様子みてみるよ」とぼく。
狩山雄一くんは、自身、脳挫傷の経験があるので、とっても
気にかけてくれた。
とんだハプニングだった。
”福迎え”が、とんだことになった。
居間の隣の部屋のコタツで休んだ。
みゆきさんが布団をかけてくれた。
寝ながら、みんなのおしゃべりを聞くともなく、耳に入ってくる
ままに聞いていた。
”うっちゃん”と雄一くんが、さいごまで話していた。
内容はわからないが、ぼくのほうはなにかほっこりしていた。
翌朝、鈴鹿に暮らす人たちや、ブラジルから来ている恵吾さんに
会った。
「これだけは分かってほしいけど、ぼくは鈴鹿の宮地に会いに
きたんじゃないんだよね。宮地という人間に会いにきたんだからね」
と、途中、”うっちゃん”が念を押してくれた。
「わかるかなあ?」と問われた。
「わかるよ」ととっさに応えた。
すぐ、「なにが、分かったというの?」という気持ちが出て来た。
それは、口には出さなかった。
”うっちゃん”は、昼前、トヨサトへ向かった。
「またなあ・・」
その日、朝、起きたときから、右の肩が痛かった。
どうも肩を打撲している。
妻に湿布薬を貼ってもらう。
右手の使い方で、ときにビッリと来る。
”うっちゃん”を送り出した後は、部屋でぼーっとしていた。
こんな日も、いいのかも。
じぶんでやれると思っているけど、じっさいはほとんど人にお世話を
かけているのかも・・・
この男、60歳のちょっと手前、朝早くからチームを組んで、
山に入り、森林の整備をして、生業としている。
宇津木緑、男、58歳。
もう、40年近いつきあいだ。わが弟、あるいは同志と呼んでも
いい。
かつて、この男に、彼が感じているまま、ありのままに、
面と向かって、言われたことがある。
彼は、20代の青年だった。
自分のこころのうちの”痛いところ”を突かれたと思った。
それが、じぶんのなかの”さびしいもの”と向き合うキッカケに
なった思い出がある。
きのうまで、山に入っていたと言った。
一泊して、30日には帰るという。
よくぞ、訪ねてくれました。
何人かが寄ってきて、夜、おでんをダシに、宇津木さんとの語らいの
ひとときをもった。
おでんは、妻の手塩にかけた一品だ。
高崎みゆきさんは、荒巻鮭を添えてくれた。。
宇津木、こと”うっちゃん”は、「これが、うまいんだ」と、
津山の地酒”冨久迎え”のにごり酒もってきた。
おでんからたちのぼる湯気や身体に入った大根のあつあつや、
にごり酒で、ほかほかの団欒になった。
いまのお互いを見ながら、遠い、あのころの思い出ばなしに
うっとりしていると、突然、いまのお互いになって、真剣に
なったり、それぞれがしみじみしたり・・
とっても、心地がよかった・・
そのうち、ぼくはすこしめまいがしはじめた。
食卓にいるのが、しんどかったので、席を離れて、ソファアに
移った。
トイレに行きたくなって、立った。なにか、目がまわる。
それでも、トイレはすぐ隣だと思い、部屋の戸を開けて、
廊下に出たトタン、なにが起きたのか、階段から
頭が下向きになって、仰向けのかたちで滑り落ちていた。
我が家は2階に居間とキッチンとトイレがある。
トイレにいくためには、階段の前を通る。
落ちる瞬間がどうだったか、記憶がない。
気がついたときは、もうすべっていた。
「頭は打っていないか」みんなが心配してくれて。
起きあがってみて、どこも痛いところはない。
妻などが、ぼくの頭を見て、「すこし赤くなっているけど・・」
それでも、痛みは感じない。
「様子みてみるよ」とぼく。
狩山雄一くんは、自身、脳挫傷の経験があるので、とっても
気にかけてくれた。
とんだハプニングだった。
”福迎え”が、とんだことになった。
居間の隣の部屋のコタツで休んだ。
みゆきさんが布団をかけてくれた。
寝ながら、みんなのおしゃべりを聞くともなく、耳に入ってくる
ままに聞いていた。
”うっちゃん”と雄一くんが、さいごまで話していた。
内容はわからないが、ぼくのほうはなにかほっこりしていた。
翌朝、鈴鹿に暮らす人たちや、ブラジルから来ている恵吾さんに
会った。
「これだけは分かってほしいけど、ぼくは鈴鹿の宮地に会いに
きたんじゃないんだよね。宮地という人間に会いにきたんだからね」
と、途中、”うっちゃん”が念を押してくれた。
「わかるかなあ?」と問われた。
「わかるよ」ととっさに応えた。
すぐ、「なにが、分かったというの?」という気持ちが出て来た。
それは、口には出さなかった。
”うっちゃん”は、昼前、トヨサトへ向かった。
「またなあ・・」
その日、朝、起きたときから、右の肩が痛かった。
どうも肩を打撲している。
妻に湿布薬を貼ってもらう。
右手の使い方で、ときにビッリと来る。
”うっちゃん”を送り出した後は、部屋でぼーっとしていた。
こんな日も、いいのかも。
じぶんでやれると思っているけど、じっさいはほとんど人にお世話を
かけているのかも・・・