かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

友人の病気見舞い

2018-07-14 15:05:30 | わがうちなるつれづれの記

梅雨明けの真夏日

ちょっと、まいっている。

部屋のなかは、一日クーラーを付けっぱなしにしている。

つねに,27℃か26℃にしているが、ぼくのパソコンがあるところの

部屋は窓際で、あまり冷えていない感じがする。

 

ぼんやりしているので、入力したものを消してしまうこと、2回。

根気もなくなってきた。眠い。ベットでよこになると、いつか

眠っている。

 

真夏日が身体に影響しているのか。

一日、1回の散歩、近くの大手スーパアーでクーラーのなかで

歩いているが、息切れがはげしい。

無理はしないようにしている。

 

 

一週間前に、40年来の友人が夫妻で病気見舞いに来てくれた。

7,8年経つか、そのころ40年暮らしていた集団を離れるか

どうかで迷っていた。60歳越えた頃だった。

そのとき、真剣に、なんども、ときに激しく止めてくれたのが、この友人

だった。彼は、ぼくより何歳か年上。

そのとき、意見が違うというより、意見は違っても友人との間に、

人としての親しさと、切てもきれない情を感じた。

一時的に離れても、いつか理解し合える日が来るだろうと、確信して

離れる決断をした。自分の足で立った、という実感があった。

 

8年前と言っても、早いものだ。

その間、ぼくの疾患はずいぶん進んだ。

会えば、その時の感覚が蘇る。

回想も交えながら、今の自分たちのそれぞれの話に及んだ。

 

友人は一つ前の世代との関係が上手くいっていないようだった。

「その人たちは、それまでやってきたこと否定して、新しくその

集団の運営をやっていこうとしてる」と説明してくれた。

「運営ややることなど、いままでのシステムをなかったことに

したいみたいなようだった」と奥さん。

「形やシステムを重視する時期がつづいたが、実際は、そのこと

より心の世界の探求をしたかった」と聞いた。

 

その人たちと、話し合いができない。困っているようだった。

話しのなかで、40年命をかけてやったきたことは何だったんだろう

と思うときがある」とも、漏らしていた。

身近な人たちとは、そんな話が出来る雰囲気ではなさそうだった。

 

8年前、集団を離れるとき迷ったのは、そういう自問がぼくにも

あった。

友人も奥さんも、いろいろ頑張ってやってきたけど、本当にやり

たかったのは、システムや形をととのえるとではなく、やること重視のときもあった

けど人と人の間の心の世界が通い合う社会を描いてやったきたという。

「ああ、そうだったんだ!」と共鳴した。

 

友人は、今、仕事ややるべきことがあるわけではない。

やることは、若い人たちで出来る。

いまこそ、身近な仲間と心と心を結びつかけてくことが、こころ

おきなく出来る立場になっているんじゃないかなと、思った。

 

 

7年間のぼくの体験も話した。

友人はジッと聴いてくれていた。

「そこのところ、これから自分で深めていかなくちゃと思っている」と

友人の反応」

そこは、ぼくも最近まで、気がついていなかった、気持ちの奥のもの

だった。

「いやあ、先ず自分が深まってというより、身近な仲間と、本音で本心で

こんなこと笑われるかというようなことも、気楽に出しながら、お互い

に気づいていくというのが無理のない自然な人の姿かなと、思うように

なってきたんだ」

 

ちょっとした、じぶんのなかの心理状態だけど、ここには、先ず、

自分を開放する面白さがあると思う、と友人に率直に体験を言わせて

もらった。お互い成り合っていくこと。

「この体験をしてみませんか?」と、友人がまだこだわっているんじゃ

ないかと思う話題を出してみた。

友人は「組織の一員であり、組織と自分は一つであり、個人として

というのは、いまのぼくにはできない」とありのままの気持ちを出して

くれた。

 

貴重な話し合いだった。

少し、胸のつかえも下りた感じがした。

「こんな話しを本当はしたかったんだ」と友人も奥さんも感想を

残してくれた。

ぼくも、そうだったなあ、とつくづくおもった。

二人とは、ハグして分かれた。とても強くて、言葉ではない、親しさ

を感じた。

 

 

 


素晴らしい世界

2018-07-07 11:16:29 | わがうちなるつれづれの記

鈴鹿地方は、昨日までの大雨嘘のように晴れ上がった。

全国では、九州、西日本、四国、岐阜と洪水や土砂災害でどうして

いいか詰まっている人が多数いるのに。

 

昨日は雨だったが、小止みのとき、傘さして散歩を試みた。

外に出たところ、大粒の雨になり、引きかえした。

傘にあたる粒の音を聞くと、子どものころから、なにかワクワクする。

保育園のころ、突然雨が降りはじめ、どうなるかなと思っている

ところに、たくさんの出迎えの中にお母さんを見つけたときの嬉しさ。

「蛇の目でお迎え嬉しいな、ピチピチチャプチャプ、ランランラン」

という記憶がある。

 

最近、ブログを見ていたら、ルイ・アーム・ストロングの「素晴らしい

世界」に歌詞がでてて、鮮明に飛び込んできた。

以前に見なかったわけではない。今回は、違った。

 

※ What a Wonderful World

I see trees of green,   みどりの木々が見える
red roses too,   赤いバラの花たちも
I see them bloom,   それらが 咲き誇っている
for me and you.   あなたと わたしのために
And I think to myself...   そして わたしは思う
what a wonderful world.   なんて素晴らしい世界なんだ、と

I see skies of blue,   青い空が見える
and clouds of white,   そして 白い雲たちも
The bright blessed day,   明るい 幸福な昼も ※
the dark sacred night.   暗い 神聖な夜も ※
And I think to myself...   そして わたしは思う
what a wonderful world.   なんて素晴らしい世界なんだ、と

The colors of the rainbow   (七色の) 虹の色が
so pretty in the sky,   とてもきれいに 空に架かって
Also the faces of people going by.   通り過ぎる 人々の顔も(同様に)
I see friends shaking hands,   友だちが 握手しているのが見える 
say how do you do?   「ごきげんいかが?」と言ってる
They're really saying,   彼らは本当に そう言っているんだ
I love you.   「あなたが好きだ」と

I hear babies crying,   赤ん坊の 泣く声を聞きながら、
I watch them grow,   彼らの 成長を見守っている
They'll learn much more    彼らは もっと多くのことを学ぶだろう
than I'll ever know.   わたしが知っているよりも (ずっと多くのことを)
And I think to myself...   そして わたしは思う
what a wonderful world.   なんて素晴らしい世界なんだ、と

Yes, I think to myself...    そう、わたしはこう思うんだ
what a wonderful world.   なんて素晴らしい世界なんだろう、と

 

これに、英語の歌詞とアームストロングの歌がアップされていた。

英語はやさしく、それでいて心にイメージを広げてくれた。

 

https://www.youtube.com/watch?v=A3yCcXgbKrE&feature=youtu.be

 

 

アーム・ストロング、もうこの世はいない。

歌が今に生きている。


 

 

もう記憶のむこうにある黒人差別や貧困をあげつらてもしかたないかも

しれない。

いまの社会の現実が、困難や自分が望まないことになっていて、

どうしようもないと思っているなら、その自分が見ている現実の

世界の向こうにこの「素晴らしい世界」が実際にあるんだぜ、と

アーム・ストロングから、呼びかけられていると感じた。

「素晴らしい世界」が実際なんだ。

 

 


ツバメの巣立ち

2018-07-01 17:03:57 | わがうちなるつれづれの記

7月1日、わが家の軒下で親ツバメが子育てしたが、

どうも子ツバメ6羽と親ツバメたちは巣立ったようだ。

巣をつくるときも”挨拶”なかった。

巣立つときも、「出かけるよ」とは言わなかった。

 

5月の15日ごろ、わが家の軒下の排気口の上に、巣をつくり

はじめた。妻がどうしよう、と言っていたが、ツバメはもう

ここだと決めているようだった。

 

その日からその居候はわが家の一員になった。

巣は1週間程度で完成した。

夫婦のツバメは、昼間はほとんど巣には居なかった。

空をみあげてもそのツバメが探せなかった。

夜は、夫婦でかえってきているようだった。

 

5月末、卵を産んだようだった。

息子が軒下と排気口の狭い巣にスマホを差し込んで写真を

撮った。なんと6個の卵があった。

依然として親ツバメは昼は巣に帰って来ない。

夜は、どうも卵を温めているようだ。その様子は分からない。

親ツバメが巣のまわりを回っているのが分かるようになってきた。

 

20日間ほどたったころ、ヒナが大きな口を開けて、親にエサを

求めているのが、はっきり見えた。

卵が孵ったのだ。

毎日、玄関を出入りするときは顎上げて、上を見た。

正直、いまのぼくにはつらい姿勢だ。息が苦しい。

親ツバメは、巣のまわりを繁く旋回する。

エサを与えるところ見たかったが、人が近くにいるときは巣の

そばまでいくが、与えるところは見せてくれない。

 

夜は、親ツバメは巣が小さいためか、隣の排気口の上に一羽ずつ

止まって、子ツバメに寄り添っていた。

6羽いるヒナたちにどうやってエサを、万遍なく給餌しているの

だろう。

聞いた話では、腹を空かせたヒナは前面に出て、口を開けるのだ

という。

また、ある観察では、ツバメの親は一羽一羽の育ち具合を見てエサの

加減をしているとか。

そうとすれば、かなりのものである。

 

ヒナがずいぶん大きくなってきた。

巣の上にのっているやつもいる。

「もう、巣立ちかな」と思っていたら、その様子を息子がスマホで

撮影しようとしたら、一斉に巣から飛だしたという。

あっけないものだなあ、と思っていたら、いつまでも親ツバメが

巣のまわりを旋回して、離れない。

巣の中をみたら、一羽飛べないやつがいた。

 

隣のアパートのご主人、ふだん顔を合わせても、ほとんど反応が

ない、コワモテに感じていたんだけど、そのときばかりは「まだ、

ヒナがいるんだろう!」とフェンス越しに声をかけてきた。

びっくりした。ご主人、人知れず、ツバメの巣立ちを見守っていた

らしい。ほっこりした。

 

残された子ツバメは何日か親ツバメに見守られていた。

夜には親ツバメがつねにそばにいた。

そのうち、その子ツバメ、巣の淵につかまって、飛びたつ

姿勢になっていた。

「巣立ちかな」思っていたら、今日の午後は巣は静まりかえって

いた。親ツバメも旋回しなくなった。

「後れている人(ヒナ)は吾が子です。吾子に与える喜びの自分を

発見するのです。私の持っているなけなしのものも、はやくもらっ

ほしいです」

そんな一節を思い出した。

 

わが家の住人はすべて巣立った。

あとは、どこかの電線に家族で

寄り添い、エサが自分でとれるようになるまで親の世話に

なるらしい。

 

なにか、心にポッカリ穴が開いたようだった。

毎日、ツバメたちと暮らしていたのかなあ。

 

 

 


眠られぬ夜

2018-06-25 17:50:23 | わがうちなるつれづれの記

梅雨に入ってから、かれこれ20日ばかり、夜3時過ぎまで眠れない。

5時ごろまでというときもある。

ある日、足の小指からふくらはぎにかけて、ピクピクと痙攣が

起きた。両足でおきる。

起きると、寝ていられない。坐る、痙攣は止まる。

ベットに坐って、ふくらはぎをマッサージをする。それでも止まらない。

3時過ぎると、坐っていても、睡魔に襲われ、そのままベットに横に

なるが、またヒクヒクとふくらはぎのあたりが痙攣して、眠れない。

寝たり起きたりを繰り返しているうちに明け方になる。

 

午前中がつらい。ボーッとしている。1時間ほど、眠ってみるが、

起きても、何かできる状態ではない。

近所を歩く。歩いても、息がきれる、

 

大学病院のリハビリ部に毎週月曜日通っている。

医師に相談したら、漢方薬を処方してくれた。

1週間飲んでみたが、効果なかった。

 

たまりかねて、近所の接骨院に行ってみた。

「この症状はここでは見れない」とあつさり、宣告された。

「こういうことは、誰かにやってもらうのではなく、自分が

良くなっていこう気持ちがなければ、直らない」と言われた。

「そうだな」と思った。

歩き方も、下向いて、のそのそ歩くでは、ふくらはぎに筋肉が

付かない。もっと、大きく足を踏み出して、歩いてみるといい

とアドバイス。

 

そんな簡単に改善するものではないらしい。

地域のかかりつけ医の玉田さんに相談した。

「あなたのは、”こぶらがえり”ではない。不安や緊張をゆめる薬を

飲んでみて様子を見ましょう」

もう、これ以上薬は勘弁してほしい」と思った。

2週間ほど、様子見てみましょうということで、納得した。

 

6月23日、梅雨らしい雨が降っていた。

この日の午後「介護は新しい文化を創造する」という公開講座が

あった。

講師は水谷裕哉さん。小山田記念病院で理学療法士をしている。

30代の青年。

 理学療法士といっても、守備範囲は広い。

予防、回復、維持、緩和ケアとあるという。

緩和ケアに理学療法士がかかわっていること、はじめて知った。

「理学療法といっても、まず患者さん自身が、飛行機の操縦管をにぎっている

主役は自分だという意識が欠かせない」とした。

このような話はあちこちで聞いてきたが、水谷さんの話には

現場の体験からにじみ出る実感があった。

 

今回は、緩和ケアの理学療法の体験談をいくつか話してくれた。

どの実例でも、死期を目前にした人の、その生き方に触れている。

「患者さんは、もう何も出来ることはなくなる。

それでも、身体や気持ち、意思、生き方はそこに現れる。

そのとき、そのときの生き方が出て来る」

 

患者に寄り添うということは、いつも聞く言葉だ。

水谷さんの体験談には、一人ひとりのその人の内的時間にまで

寄り添ったという実感に裏打ちされていた。

水谷さんは、話しながら、一人ひとりの看取りが再現されてくるようで

思わずこみ上げてくるものを止められなかった。

彼はそのようなを体験を淡々と語ってくれた。

それだけに心に響くものがあった。

 

「介護は文化を創造する」というタイトルそのものかなと思った。

介護は、人に、その人の時間に寄り添うことである。

医療や看護、関わった人たちも、それを願っている。

そこに焦点を合わすということは、死期を迎えた人たちにたいする

ことというより、われら人間社会の基盤となるものではないか。

 理学療法という枠を越えて、周囲の人たちにそのような気風が届き、

そしてそこに患者さんとの共鳴を生み出されるのか。

 

どんな死に方をするかと、つい一人で考えている。

こんなこと、人に話してもどうなるものでもない。

どこかで、こんな身体の状態になってしまったから、どうしよう

もない、という気分がありそうだと気づいた。

死期をを知った人は、水谷さんの体験では、必ず周囲の人たちの

幸せを願っている。

自分の、死に向かう生き方をもっとその時、その時、真剣に考えて

いきたいと思った。

自分の人生なんだから

 

途中で退席した。

雨は振り続いていた。

 

翌日、妻の兄上が来訪された。

岐阜で鍼灸院を開設している。その日は、ぼくの状態を見に来てくれた。

いろいろな手技を伝えてくれたが、いっぱい話してくれたなかの

趣旨は「自分で、いまをよく生きたいと思わなかったら、なにをやっても

効果はない」

耳が痛かったが、そうだなとおもった。

 

足のピクピクはこれからどうなるか分からない。

 

今朝、スクールブログで野尻四郎さんのいまの心境が書かれていた。

全身にがんが転移して、何年も抗がん剤治療をしてきたが、最近

癌の進行が止まったようだ。71歳。

散歩も出来る。

田んぼを歩きながら、湧いてくること。

「私の田んぼの広さに驚いた」

「安心、安定の境地が私の住まいです。完璧な暮らし」

 

野尻さんの語り口は、達観した人からでてくる、言葉のように

読めた。

それが、実際出来るかどうかは別にして、そういう境地が死の

目前に現れてくるのだけでなく、日々そのように観えるかどうか。

今にかかっているんだろうな。

 

(今日は少し体調がいい。なんとか書いてみた)