こころのどこかで、なにかしら落ち着かないものがある。なんだろうといつも思う。大震災・津波による被害の映像がいつも目にはいってくるからかなあ。だったら、テレビなんか見なかったらいいのに。福島原発事故以後の放射能による汚染が未だ収拾できないし、見通しも定かでないことが影響しているのだろうか。
2004年12月にスマトラ沖地震があった。津波が起こり、22万人以上の人が亡くなった。すごいことが起こるものだと思った。当時の記憶として、地震や津波の予知システムの立ち遅れていることが言われ、日本やアメリカの優れた技術を被災したインドネシアやその地域に援助するというニュースがあった。そのとき、タイでサーカスの象たちが繋がれていた鎖を切って、高台に上り、助かったという話をなにかで聞いた。人間は進歩したのか、退化したのか、考えた。
山岸巳代蔵全集(一)「病災は内より」をたまたま読んでいたら、山岸巳代蔵の家が台風や地震で
倒壊したり、傾いているの見かねて会員が忠告してくれたときのことが書いてあった。
「水害に遭った時天災だと慰めて下さったが、今日の姿になる種は家造りの時に胚胎していた訳で、外から来たものでなく、水害の原因も私達が私達の住む山河を(治めることを)怠ったからです。現在日本はもちろん、世界は大きな災害を内から発する多くの過ちを続けています」
<内から発する多くの過ち>
なにか、そのまま素通りできない言葉。これは、どういうことだろう・・
十何年か前、山岸巳代蔵が参加したヤマギシズム理念徹底研鑽会の記録というのを読んだことがある。いまでは、山岸巳代蔵全集として刊行されている。その、第二回の理念徹底研鑽会の記録のなかに、「この問題を解決したら、原爆よりも大きい仕事やと思うけどね」という山岸の発言があった。(1960年8月1日~3日)それを、なんだか、いつまでも、覚えていたし、じぶんがなにをしようとしてるか、考えるとき、いつも、どこかから、この一節が出てくる感じがあった。
山岸巳代蔵は「原爆」のこととかをどのように捉えていたんだろう。そんなに軽いもとは捉えていなかったように思うけど、それの根本的な解決を見ていたと。それで、「原爆より大きい仕事」と出てきたのではないだろうか。
この一節の前には、このように発言している。
「自分のやっていることは認めて、他を容れないとするもの。自分たち自体もしらべないで。そうすると今までの科学者は、「やがて生物も作れる」とか、「育種学でいくらでも変えていける」とか。そんなところからも、“本当の哲学”でも、“科学”でもよいと思うけど。本当の宗教となると問題と思う、宗教定義からいかんと」
いつからか思い出せないけど、広島や長崎の原爆に関心をもってきた。大学のときには、広島にも出かけて、その後の記録や体験談を読んできた。
1954年11月に山岸巳代蔵は「ヤマギシズム社会の実態」を執筆したけど、この年の三月にアメリカは太平洋ビキニ環礁で水爆実験をしている。ソ連に対抗してというものらしい。漁船で操業していた日本人が死の灰を浴びた。この当時、ぼくは7歳、小学3年生。「死の灰」「ストロンチウム」「雨にあたるな」「マグロが危険」そんな言葉が飛び交っているのを子どもごころに「たいへんなことが起きているようだ」と感じていた。「焼津」「第五福竜丸」「久保さん」「放射能」ということばも、よく耳に入ってきて、なにか騒然とした空気を思い出す。
1954年5月9日の日付けのある文章「籠を編むに竹を使う男」がある。山岸巳代蔵全集(一)に掲載されている。最近、これを読んで、以下の一節が残って、何回も読み返している。
「ここで云いたいことは、大きな雛から死んだのは、大きな雛は毒水を多く飲んだためで、直ちに発病しなかったのは、濃度が薄かったから脳麻痺を起さすまで時日を経たもので、こんな微量で、手を洗った水を薄めて、その少量を飲んだのみで、雛が死ぬことで、水爆等の放射能が何年後に障害が現れるかを思うとき、それを使って人を殺す必要のない世界の実現を一日も早くすること、草を刈るにも、毒物取扱にも、注意に注意を払うことと、他人に迷惑のかからぬよう自戒することです」
雛の死から、水爆の問題にいったので、「えっ、どうなっているの?」とついていけない感じだったけど、何回か読み直して、「草を刈る」にしても、日常なにをやるにしても、どんなところから発して、それをしているのか、そこのところが肝腎かなと。「迷惑のかからぬ」と普段なにげなく使うことばで言っているけど、いま福島で続いている原発事故は、どれほどたくさんの人に、世界中の人に迷惑をかけていることか。このことを自覚したり、自戒すというのは、この辺は、だれだれのために、なになにをするとかいう以前の、避けては進めないところのように思う。
この一節の次は、こんなくだりになっている。
「特に感じたことは、山本君が私を上手に使ったことで、私も上手に使われてうれしいです。普通なら、雨の日暮れに雛の五、六百くらいなことに走り回るほどの暇を持たないのですが、あの剛腹な男が「他人に伝染さしては済まぬ」との一言に、私も勉強になりますからと、無形の大きさに動かされたものでした。
山本個人の物欲を援けるためなら、万金積んでも、梃子でも動きませんよ。私の持ち場を与えられてお礼が云いたいです。金銀の針金で籠を編まずに、薪にすれば雑木にも劣る竹を割いて、竹の命を永遠に生かす男が、人間山本だというのです」
ここも、何回読み返しても、とても汲みとりきれないと、それこそ自覚しています。でもここでいわれる「私」、また「山本個人」ではなく「人間山本」、こういう人と人の間柄から現れてくるもの、「竹の命を永遠に生かす」どんなことかよくわからないけど、そういう世界。・・・
目の前の現象は、いやがおうでもいろいろに起こっているし、おこってくる。それに囲まれながら、かかわりながら、それとともに生きつつ、どんなところから、なにを願っている?
2004年12月にスマトラ沖地震があった。津波が起こり、22万人以上の人が亡くなった。すごいことが起こるものだと思った。当時の記憶として、地震や津波の予知システムの立ち遅れていることが言われ、日本やアメリカの優れた技術を被災したインドネシアやその地域に援助するというニュースがあった。そのとき、タイでサーカスの象たちが繋がれていた鎖を切って、高台に上り、助かったという話をなにかで聞いた。人間は進歩したのか、退化したのか、考えた。
山岸巳代蔵全集(一)「病災は内より」をたまたま読んでいたら、山岸巳代蔵の家が台風や地震で
倒壊したり、傾いているの見かねて会員が忠告してくれたときのことが書いてあった。
「水害に遭った時天災だと慰めて下さったが、今日の姿になる種は家造りの時に胚胎していた訳で、外から来たものでなく、水害の原因も私達が私達の住む山河を(治めることを)怠ったからです。現在日本はもちろん、世界は大きな災害を内から発する多くの過ちを続けています」
<内から発する多くの過ち>
なにか、そのまま素通りできない言葉。これは、どういうことだろう・・
十何年か前、山岸巳代蔵が参加したヤマギシズム理念徹底研鑽会の記録というのを読んだことがある。いまでは、山岸巳代蔵全集として刊行されている。その、第二回の理念徹底研鑽会の記録のなかに、「この問題を解決したら、原爆よりも大きい仕事やと思うけどね」という山岸の発言があった。(1960年8月1日~3日)それを、なんだか、いつまでも、覚えていたし、じぶんがなにをしようとしてるか、考えるとき、いつも、どこかから、この一節が出てくる感じがあった。
山岸巳代蔵は「原爆」のこととかをどのように捉えていたんだろう。そんなに軽いもとは捉えていなかったように思うけど、それの根本的な解決を見ていたと。それで、「原爆より大きい仕事」と出てきたのではないだろうか。
この一節の前には、このように発言している。
「自分のやっていることは認めて、他を容れないとするもの。自分たち自体もしらべないで。そうすると今までの科学者は、「やがて生物も作れる」とか、「育種学でいくらでも変えていける」とか。そんなところからも、“本当の哲学”でも、“科学”でもよいと思うけど。本当の宗教となると問題と思う、宗教定義からいかんと」
いつからか思い出せないけど、広島や長崎の原爆に関心をもってきた。大学のときには、広島にも出かけて、その後の記録や体験談を読んできた。
1954年11月に山岸巳代蔵は「ヤマギシズム社会の実態」を執筆したけど、この年の三月にアメリカは太平洋ビキニ環礁で水爆実験をしている。ソ連に対抗してというものらしい。漁船で操業していた日本人が死の灰を浴びた。この当時、ぼくは7歳、小学3年生。「死の灰」「ストロンチウム」「雨にあたるな」「マグロが危険」そんな言葉が飛び交っているのを子どもごころに「たいへんなことが起きているようだ」と感じていた。「焼津」「第五福竜丸」「久保さん」「放射能」ということばも、よく耳に入ってきて、なにか騒然とした空気を思い出す。
1954年5月9日の日付けのある文章「籠を編むに竹を使う男」がある。山岸巳代蔵全集(一)に掲載されている。最近、これを読んで、以下の一節が残って、何回も読み返している。
「ここで云いたいことは、大きな雛から死んだのは、大きな雛は毒水を多く飲んだためで、直ちに発病しなかったのは、濃度が薄かったから脳麻痺を起さすまで時日を経たもので、こんな微量で、手を洗った水を薄めて、その少量を飲んだのみで、雛が死ぬことで、水爆等の放射能が何年後に障害が現れるかを思うとき、それを使って人を殺す必要のない世界の実現を一日も早くすること、草を刈るにも、毒物取扱にも、注意に注意を払うことと、他人に迷惑のかからぬよう自戒することです」
雛の死から、水爆の問題にいったので、「えっ、どうなっているの?」とついていけない感じだったけど、何回か読み直して、「草を刈る」にしても、日常なにをやるにしても、どんなところから発して、それをしているのか、そこのところが肝腎かなと。「迷惑のかからぬ」と普段なにげなく使うことばで言っているけど、いま福島で続いている原発事故は、どれほどたくさんの人に、世界中の人に迷惑をかけていることか。このことを自覚したり、自戒すというのは、この辺は、だれだれのために、なになにをするとかいう以前の、避けては進めないところのように思う。
この一節の次は、こんなくだりになっている。
「特に感じたことは、山本君が私を上手に使ったことで、私も上手に使われてうれしいです。普通なら、雨の日暮れに雛の五、六百くらいなことに走り回るほどの暇を持たないのですが、あの剛腹な男が「他人に伝染さしては済まぬ」との一言に、私も勉強になりますからと、無形の大きさに動かされたものでした。
山本個人の物欲を援けるためなら、万金積んでも、梃子でも動きませんよ。私の持ち場を与えられてお礼が云いたいです。金銀の針金で籠を編まずに、薪にすれば雑木にも劣る竹を割いて、竹の命を永遠に生かす男が、人間山本だというのです」
ここも、何回読み返しても、とても汲みとりきれないと、それこそ自覚しています。でもここでいわれる「私」、また「山本個人」ではなく「人間山本」、こういう人と人の間柄から現れてくるもの、「竹の命を永遠に生かす」どんなことかよくわからないけど、そういう世界。・・・
目の前の現象は、いやがおうでもいろいろに起こっているし、おこってくる。それに囲まれながら、かかわりながら、それとともに生きつつ、どんなところから、なにを願っている?